そこは神聖な雰囲気で満たされていた。船の中であるにもかかわらず、一つの神殿のような作り。

儀礼艦エルシオール内にある謁見の間。そこでレスター・クールダラスと烏丸ちとせはある人物と謁見していた。

 

「クールダラスに烏丸。反トランスバール勢力との戦闘でのお前たちの活躍は、聞き及んでいる。真に大儀であった」

 

はなつ言葉は重々しく、発する雰囲気は権力者のもの。

幼いながらも王族しか身につけることのできない正装を纏ったそれはまさに王者の風格。

 

「はっ!」

「身に余る光栄。恐縮です」

 

レスターは短く、ちとせは深々と礼をしてそれに答える。

彼らの目の前に立つ人物こそトランスバール皇国女皇シヴァ・トランスバールである。

 

「そんなお前たちに、本星に戻ってきてまで押し付ける仕事か?とルフトの奴にも言ったのだが、きかなくてな」

 

シヴァは苦笑でそう続けた。ただお褒めの言葉を受けるためだけに、レスターとちとせはここに居るわけではない。

シヴァも本来はエルシオールに足を運べるほど暇な身ではない。

だがそのエルシオールにいる理由は単純だ。儀礼艦であるこの船ですることと言えば『移動』だ。

 

 

辺境惑星の代表が集まって、反中央勢力への対策を練る会議が近く開かれる。シヴァはそこに出席することになっていた。

本来ならばそんな会議に皇国の元首が自ら出向くことなどありえない。

だがそこに出向くことで、トランスバール皇国がどれだけこの問題に腐心し、尽力しているかを示すことが大きな目的。

そしてそのための護衛と宣伝の為に皇国最強の紋章機の集結。そして銀河に名を轟かせる名司令官の指揮が必要ということ。

 

「今は戦線もかなり安定しましたので、我らの艦隊が抜けても支えられるはず。問題ありません」

 

『手間をかけてすまんな』という労いの意味を含んだシヴァの言葉に、レスターは戦略的な問題を返した。

 

「レスター司令!」

おもわずちとせが小声でたしなめる。

「シヴァ女皇陛下は『苦労をかけるな?』と言う意味を含めた感謝の意をですね!?」

 

「なにっ? そうなのか! 陛下のお心遣いに気づくことが出来ずに申し訳なく……」

 

レスターの慌てた謝罪に、シヴァは思わず吹き出した。

「プッ!……ハッハッハッハ!!」

 

「へ……陛下?」

 

吹き出すだけではとどまらず、腹まで抱えて笑い出したシヴァを呆然と二人は見つめていた。

たっぷり一分ほど笑っただろうか? 目じりに溜まった笑い涙を拭ってシヴァは語る。

 

「まったく……しばらく合わないうちに面白くなったな? クールダラス」

「はっ! お褒めに預かり光栄です」

 

別に褒めているわけではないのだが、レスターは生真面目にそう返した。

 

「そういう真面目なところは相変わらずのようだが……それと烏丸」

 

「はっ! はい!」

おもわず背筋を伸ばしたちとせに、シヴァが女友達に向けるような笑みと共に聞く。

 

「クールダラスとは上手く行っているのか?」

 

「へっ?」

 

「へっ?ではないだろう。見たところ相変わらずの堅物だが、奥ゆかしいお前としてはそういう所に魅力を感じ……」

 

そこでシヴァの発言はかき消される。ちとせが上げた悲鳴によってだ。

「キャー! 駄目です! 陛下! いくら陛下とは言え、このようなことは〜!!」

 

本当なら皇族の発言を妨害するなど凄まじい不敬だが、慌てふためきまくるちとせはそこまで頭が回らなかった。

そんなちとせをからかうのを諦めて、シヴァは再びレスターへと会話の矛先を向ける。

 

「クールダラスよ。烏丸はあの通りに純情だ。ついでに言わせて貰えば、任務や男性に子犬のように従順でもある。

 いくら公認とは言え、亭主関白が激しいのはいかんぞ?」

 

「はっ! よく解かりませんが了解しました」

 

「司令〜よく解からないなら、頷かないでください〜」

 

シヴァの言葉に頷きつつ、ちとせの文句に首を傾げるレスター。彼が女心を理解するのは当分先のことらしい。

 

 

しばらくの間は、前線での生の情報を聞いてホッとしたり、顔をしかめたりしていたシヴァがふと視線を逸らした。

 

「この艦に久しぶりに来た時……私は酷くホッとした。『あぁ、何も変わっていない』とな」

 

不意にシヴァの口から零れる言葉は、彼女の年齢に一致したものではなかった。

それはまるで長いこと帰郷していなかった中年サラリーマンのようなセリフ。

実際にはもっと彼女は追い詰められているのかも知れない。

『トランスバール皇国女皇』文字にたった数字だが、その肩書きは計り知れない重圧。

 

「こう言ってはなんだが……私はエオニアの騒乱で皇族としての覚悟と自覚を得たと思っている。

 あの争いが無ければ決してそれを得ることはできなかっただろうし、皇王など……夢のまた夢だ」

 

座していた玉座とも言える豪奢な椅子の上で身を崩し、シヴァは続ける。

 

「そんな私だが今となってはトランスバール皇国の長だ。面倒な仕事もこなしてきたし、長としての重責を感じたことも在る。

 だがそれもこのエルシオールで経験したことで、何とか乗り越えて来れた。

 今このエルシオールの指揮官であるクールダラスに、代表して礼を言わせてもらおう」

 

「勿体無いお言葉。あの日よりの皇国の繁栄は、陛下のご尽力があったからこそです」

 

淡々と告げるレスターの言葉にしばし沈黙したシヴァの次の言葉に、おもわずちとせは首をかしげることになる。

 

「繁栄か……クールダラス、そしてちとせ……繁栄とは何だ?」

 

「えっ? 繁栄と言うのはつまり……その……」

 

哲学者が何時間でも論議できそうな題目の掲示に、ちとせは大きく首を傾げる。

レスターはそれには答えず、シヴァの続く言葉を待つ。

 

「私の考えている繁栄とは皇国の全ての民が、笑って幸せに暮らせることだ。

だが……変わっていないと思ったエルシオールにも……アイツ等が居(お)らぬのだ」

 

一言呟いたシヴァの目元に、ちとせは信じられないものを見た。いや、それはもしかしたら見間違え立ったのかもしれない。

 

 

『トランスバール皇国女皇の目に光る涙』

 

 

「お前たちより一日早く来ていたからな。エルシオールを周った。

 シュトレーンに付き合ってもらって射撃をやった。フランポワーズと久しぶりに運動もした。

 Hに誘われて、宇宙ウサギと戯れもした。クワルクに宇宙クジラに、今の皇国の状況を聞いてもらった。

だが……アイツ等が居らぬのだ」

 

繰り返す二度目の慟哭。続く言葉はなんとなく理解できる。少なくとレスターやちとせには痛いほどわかる言葉。

 

「マイヤーズとチェスをしていない……桜葉の菓子も食していない……

 私にとっての繁栄とは、皇国の全ての民が笑って幸せに暮らせることだ。

 なのに! なぜあいつ等がここにいない!?」

 

言葉だけ聞いたとしても、今のシヴァの状態を的確に言い表す言葉がある。

 

 

『泣き出しそう』

 

 

「アイツ等は誰よりも幸せにならなければならない筈だ! 

皇国を二度救い、エデンを解放! その上二度と戻れぬ危険を冒してまで、銀河を破滅の危機から救ったのだぞ!?

なぜ……そんな奴らがここに居ない? なぜ幸せに笑っていない?

そんな奴らも幸せになれずに! 何が皇国の繁栄だ!!」

 

「陛下……」

 

ちとせは返す言葉が無い。

皇国の長であるシヴァですらあの二人の死にはこれまで心を痛めているのか?

決して自分などが書ける言葉では癒えはしないだろう。

だが不意に自分の横から声が響いた。

 

「シヴァ女皇陛下!!」

 

叫んだのはこの場に居るもう一人の人間。レスター・クールダラスその人。

 

 

そのあまりの怒声にちとせは自分が怒られているような錯覚に陥った。

独立部隊としての初期の作戦で、自分がしたあまりに単純なミスで僚艦が危険に陥ったときだった。

それこそ通信機が壊れるのではないかと思えるような大音量。着艦してからミッチリ三時間、怒られ続けた。

それは別にいい。自分がミスのしたのだから。だが……なぜこの人は一国の長にその口調で怒鳴っているのか?

 

 

その余りの怒声にシヴァさえも叫ぶのをやめ、息を呑んでいる。

一気に何時もの冷静な口調に微かな怒気を孕みつつ、レスターは続ける。

 

「恐れながら申し上げます。

タクト・マイヤーズ ミルフィーユ・桜葉両名は、紛れも無いトランスバール皇国軍の軍人です。

 その者達は皇国の防衛と安定に力を注ぐのは至極当然のこと。

 そしてその過程で命を失うことは、決しておかしなことではありません」

 

「しかし!!」

思わずシヴァは叫ぶ。

それでは余りにも冷たすぎるのではないか!?と叫んでやろうとした。

だがレスターの目を見て解った。自分『だけ』泣くことなど許されない。そういうことらしい。

 

「陛下、決して忘れないで頂きたい。こうしている間にも幾戦の兵士が陛下の為に、皇国のために命を張っているのです。

 彼ら全てに同じように心を痛めてくださらねば、今散ろうとしてる者にも申し開きが出来ぬでしょう。

 陛下の身に何かがあったら、それこそ本末転倒。どうか思いを受け止めつつも、ご自愛を」

 

「……」

「……」

 

長い沈黙だ。誰も何も話さず、数秒。最初に沈黙を破ったのは沈黙を下ろした本人。

 

「この後に護衛を担当する艦の艦長と打ち合わせがありますので、これで失礼いたします」

 

レスターは小さく頭を垂れ、告げた。それにシヴァは目を瞑ったまま、短く答えた。

 

「うむ……しばらくよろしく頼むぞ。二人とも下がってよい」

 

再度頭を下げ、無言で踵を返すレスター。

その後ろで彼について行こうか、シヴァに一声かけようかアタフタしているちとせ。

結局深く礼をしたちとせは、駆け足でレスターの後を追って謁見の間を後にする。

 

「陛下、何事ですか!? 先程怒鳴り声が……」

 

エオニアの騒乱以来の付き合いである従者が慌てて駆け込んできた。

彼女の顔はシヴァのみに何かあったのではないかという不安が張り付いていたのだが……

それはシヴァの顔を見て、呆けたそれに変わる。

 

それはまるで……『イタズラを怒られた子供のような苦笑い』

 

「心配するな。ただ……『一人で泣くな』と怒られただけだ」

 

「はっ? 怒られた……ですか?」

 

「あぁ……エルシオールに来たのは一年ぶりだが……あんなに起こられたのは何年ぶりだろう?

 確か……シャトヤーン様のレースの外套を持ち出して……『寒そうだ』と牧場の牛に巻いてやった時以来か」

 

ついには笑い出したシヴァに従者は首を傾げる。

笑いながらシヴァは思った。

「さすがはあのバカの副官か……やはり同じくらい面白い」

 

 

 

 

 

「レスター司令!」

 

ちとせは早足で歩くレスターの背中に叫んだ。

そこまで彼女がすることはめったに無い。

元から押しが弱いほうだし、『殿方の言うことには文句を言わない!』という時代錯誤な感すら感じるヤマトナデシコだ。

 

だが今彼女は叫ばなければならない。

余りにもレスターの先の言葉は酷いものだった。

タクトとミルフィーユの死を、一国の長が悼んでくださっている。

それなのに『そんなことする必要は無い』とはどういうことだろう!?

たくさんの危機を潜り抜けたあの二人と、他の軍人を同列に捉えているというのか!?

 

「レスター司令! あれはなんですか!? シヴァ陛下がアレだけ悲しんでいらっしゃるというのに!?

 それに貴方はタクトさんとミルフィー先輩の死を、他の人と同じ程度にしか捉えていないと……キャッ!!」

 

なんの反応も示さないレスターの肩へと伸びたちとせの手が、逆につかまれ引き寄せられる。

 

「なっ!? 司令なにを!?」

 

急なことで反応も出来ないちとせは、簡単にレスターに抱きしめられる形になる。

慌てるちとせにレスターはしばらく無言だったが、ポツリと呟いた。

 

「あれ以上……シヴァ陛下に嘆かれては……俺も我慢できなくなる」

 

意味が解らなかった。ちとせは内心で首をかしげ、自分を抱きしめるレスターの顔を見上げて……気がついた。

 

 

『あの』レスター・クールダラスが『泣いていた』

 

 

インターフェイス・アイに覆われていない方の青い瞳には、確かに涙が光っている。

長身は微かに振るえ、ちとせを抱きしめる腕にもそれが伝わる。

口から漏れるのは子供のように激しい嗚咽の声。

それはまるで迷子になった子供のようで……

 

「俺が……不甲斐ないばかりに……あの二人にも……前線に出るような状況を作った……

 ……俺が甘かったから……デブリベルトで大艦隊による奇襲なんて許した……

 俺が……至らないばかりに……シヴァ陛下がアレだけ慕う二人を……失った」

 

それから先は言葉にもならない。

不甲斐ない自分に対する自責の言葉が、堤防が決壊した洪水のように溢れる。

 

その様を見てちとせはまず自分を恥じた。

自分はまだこの人の事を何も理解していなかったのだと。

墓参りの花はいらないと言い切り、一度墓石を殴っただけで後は自分が泣き止むのを無言で待ってくれていた人物。

だがそれだけではなかったのだ。

『この人ほど……タクト・マイヤーズとミルフィーユ・桜葉の死を悼んでいる人はいない』

今ならそう確実に断言できる。

そしてその責任を全て自分のせいだと感じられるほどの志が有る者なのだ。

 

 

「そんな事……ありません……貴方様ほど……皇国と……お二人のことを憂いている人はおりません」

 

一瞬ためらうように震えたちとせの腕が、ゆっくりとレスターの背へと回される。

決して包む込みことはできない大きな背中に添えるよう擁く腕。

その小さく細い手に抱きしめられて嗚咽を小さくしたレスターに、ちとせは諭すように囁く。

 

「貴方様は真の武人であり賢人……誉れ高きお方です」

 

その言葉に失笑と共にレスターは彼らしい返答を返した。

 

「俺は武人でも賢人でもない。誉れなど高くも無い。俺はただの……『軍人』だ」

押し当てていたちとせの肩から顔を離し、続ける。

「軍人だから……あのスチャラカな二人とは違うただの軍人だから……

 あいつらの守りたいと思ったものを、まだ諦められない。ただそれだけなんだ……」

 

「それで……十分です」

押し当てるように囁いていたちとせも顔を上げ、見上げるようにレスターと視線を合わせて答えた。

「その志こそが……真に尊き人の証。

そんなお方に指揮をして頂き、色々学ばせてもらっている。

 不詳烏丸ちとせ、これほどうれしいことは他にありません。

 私は……公私の境無くレスター・クールダラスという御人についていきます」

 

 

 

 

 

ちょっと考えれば告白とも取れる言葉だと、ちとせは言ってから気がついた。

だがもうしかたが無い。いまさら修正などできはしないのだから。それは真の気持ちだ。

何を言われても後悔はない。なんにせよ仕事では……一緒に居られる。

さあ! どんなお返事もドンと来い!!

 

最初の目的とずれている事に、ちょっとテンパッている彼女は気がつかなかった。

 

 

『気まずいな……』

 

冷静になってみてレスター・クールダラスは今の状況を理解した。

部下の少女を抱きしめてしまい、あまつさえ愚痴まで零してしまった。

それに泣いてしまったことも後悔が深い。

だがそれよりも何よりも問題なのは、なぜか腕の中の少女が向ける熱心な視線だ。

何かを期待するようでもあり、何かを不安に思っているようでもある。

 

『ジョークか?』

打開策を検索した結果が、前に試してみてそれなりに効果を上げた方法だ。

さらに志向すること数秒。この場の膠着を打破する最高の言葉が思いついた。

 

「こんど……挨拶しに行くか?」

 

「えっ、挨拶ですか? どちらに……?」

 

「お前の実家にだ……」

 

「ヴェッ!?」

 

『抱きしめたままそんな事を言うということは……これはプロポーズ!?』

なんてポジティブな思考が動く前に、ちとせの脳がバーストした。

「そんな……それはつまり……なんというか……」

 

膠着の打開を確認して、レスターは抱いていた腕を離した。

 

「あっ!」

ちょっと残念そうなちとせの声を背に、踵を返して歩き出す。

 

「ミーティングに行くぞ。すでに二分遅刻している」

 

彼の口から零れた何時もの事務的な言葉にちとせは元気に答えた。

「はいっ! ちょっとお待ちください、レスター司令!!」

 

乱れた髪を整え、取れかけたリボンを直して後を追う。顔には笑顔を湛えていた。

抱きしめられていたときと同じ位、『ついて来い』と言われて湛える笑みは美しい。

それがレスターの魅力だとでも言うように……