信じられなかった。信じたくなど無かった。

誰よりも信頼していた司令官と、その部下たる少女の死を。

信頼以上の思いを胸のうちに宿らせつつ、決して実らぬモノと諦めていた者の死。

二度と帰らぬ危険を冒してまで、破滅へと向かう銀河を救った者達の死を。

 

 

外聞も何もかなぐり捨てて、心の底から泣き叫びたかった。

『何故死んだ!?』と、遺体が入っていない棺に怒鳴ってやりたかった。

だがソレは出来ない。私は一国を統べる者、『トランスバール皇国女皇』なのだから。

女々しい乙女でも、初々しい子供でも居られない。

 

 

涙など欠片も見せず、追悼の言葉を読み上げ、更なる防衛力の向上と外交の努力を約束した。

『ソレをしたからどうなると言うのだ?』と悲観的な自分が囁いた。

いまさら二人の命は戻らない。だが私は他の幾千の民にも、同様の責を負わなければ成らない。

だから……国葬の席では……『トランスバール皇国女皇の役』を演じ切れた。

 

 

その後にヒッソリと……知り合いだけで行われた葬式……ともいえないような集まり。

エンジェル隊に、エルシオールのクルー。シャトヤーン様にルフトにノア。そして私。

涙を流す者も居た。そう言えば……あのノアが泣いていたな……珍しいものを見たものだ。

だけど……そんな席も欠席がある。

 

二人が散った戦場を、未だ駆け抜ける彼らの親友。

『堅実な副官』と『忠義な射手』

 

今思い出せば、彼らを送り出したのが始まりだったのだ。

彼らを殺し……その友に地獄の一丁目を走らせ続けているのは……『私』なのだろうか?

ソレは必要なことだし、最良の判断だったはずだ。

 

 

ならば悔いても始まらない。私のやるべきことは、武力に頼らない平和の実現。

その為に重臣達の反対を押し切って、辺境惑星間の対テロ会議に自ら赴いたのだ。

初めて降り立ったその場所は、本星とは比べようも無いほどに、発展していなかった。

それでも……こんな役に立たない国家元首を、暖かく迎えてくれた民達の思いが氷を溶かす。

 

『間違っていなかった!』と信じられた。

『未だに歩み続ける岐路』なのだと確信した。

 

会議も一定の成果を上げることが出来た。

ハラハラしているだろう重臣や、シャトヤーン様に良い報告ができるな〜と、喜び勇んでついた本星への帰路。

 

 

 

そこで……出会ってしまった。

 

『最凶の堕天使』と。

『地獄から舞い戻った幸運の女神』と。

『禍々しい黒の星』と。

 

あの笑顔だったのだ。何も変わってなど居なかった。

艦隊など引き連れてなにをやっているのだ? 皆がどれだけ心配したと思っている?

そんな言葉すら脳裏を過ぎった。

だが……彼女は言った。アノ笑顔……『英雄』の横で微笑んでいた笑顔のまま。

 

『私達は謀殺された』のだと。

『私達を一緒にしてくれない世界など要らない』と言った。

『トランスバール皇国に、全銀河に戦線を布告する』そうだ。

『誰も居なくなった宇宙で、彼の夢だけを見て眠る』と宣言する。

 

 

『愛しています……タクトさん』

 

 

変わらない。なのに変わってしまった。

変えたのは私であり、軍の上層部なのだろう。

それから先のことはよく覚えていない。意識が吹っ飛んでしまっていたから。

言わなければ成らないこと、伝えなければ成らないこと、やらなければならない事。

沢山有ったはずなのだ。

 

だが……意識が完全に覚醒したのは、本星へと足早に逃げ帰ってからだった……

 

 

 

 

 

 

トランスバール皇国と呼ばれる惑星間国家の首都たる本星。

そんな本星の中でも、政治や軍事の中心と呼ぶことができるだろう『宮殿』。

皇宮の一室たる大会議室は、重々しい沈黙に支配されていた。

 

本来ならば、女皇から会議の趣旨が伝えられるのが通例。だが今はソレが無い。

通称『円卓会議』と呼ばれる巨大なトランスバール皇国の中枢。

円形状に配置された席に居並ぶのは、軍人や政治家に官僚。彼らは幼い女皇の言葉を待つ。

 

 

いったいどれだけの時間が過ぎたころだろうか?

目を瞑り、腕を組んだまま微動だにしなかったシヴァ・トランスバールが口を開いた。

 

「諸君、まずは問おう」

 

ゆっくりと開かれた瞳に映るのは、憤りの色。

 

「いったい……『コレ』は……どういう事だ?」

 

重臣たちにゾクリ寒気が走る。自分達の半分も生きてない小娘の短い言葉。

だがそこには先の皇王『ジェラール』の威厳と、白き月の聖母『シャトヤーン』の神秘性が同居する確かなる国家元首が居た。

 

 

『コレ』とはミルフィーユ桜葉が口にした、『謀殺』の件を指しているのは明白だ。

沈黙の中にかすかなざわめきが広がり、数秒後……

 

「コレはどういうことだと聞いている!!」

 

机を盛大に打ち付けて、シヴァが叫び立ち上がる。

その威厳に押されるように、上級軍人の礼服に身を包んだ一人がオズオズと口を開く。

 

「恐れながら申し上げます……所詮は『反逆者の戯言』であり……あまり御心を揺らす事柄ではないかと……」

 

「反逆者の戯言だと?……ふざけるな!!

 その反逆者に! 幾度救ってもらったと思っている!? 皇国が、銀河が!!

 反逆者に!! 国防の最先端を担わせていたのは、我々ぞ!?

 平和への反逆者はむしろ我ら! 命を預けてくれる憂国の士に対する不敬だ!」

 

ヘビに睨まれたカエルのように動けない軍人に、彼の上司に当たるルフト将軍が助け舟を出す。

 

「陛下、どうか冷静にお成り下さいませ。ここは国家の明暗を決める場であります故……」

 

老人と呼ぶことができる歳であるルフトの声は、ソレを感じさせない威厳を放ち、その背はピッチリと伸びている。

そんな『エオニアの乱』以前からの付き合いである人物の戒めに、シヴァは小さく呟いて、身をイスへと沈めた。

 

「解っている……解っていても……納得できないこともある。

 ここに居る者では無いと思いたいが……謀殺の首謀者は必ず見つけ出す!」

 

 

そんな決意を秘めた国家元首の言葉に立ち上がったのは、円卓会議により選出された『紋章機単機運用戦略試験艦隊』司令にして、今は亡き英雄の名副官たる青年。

 

「恐れながらシヴァ陛下、今は謀殺の首謀者を探すなどと言う動きは、控えた方が懸命かと思われます」

 

「なにを……!? クールダラス、貴様は歯痒くは無いのか!?」

 

『貴様はその程度にしかマイヤーズ達のことを考えていないのか!?』

そう叫びかけて、シヴァは思い出した。『自分だけ泣くな』と言われたことを。

冷徹に見えたその瞳の奥には、確かに怒りの炎が燃えていた。

ソレを全く外には感じさせず、平坦な口調で続ける。

 

「私も『あのバカ』とは士官学校以来の付き合いがありました。

 もし目の前に謀殺の首班が居ると言うのならば、撃ち殺してしまうかもしれません。

 しかし……」

 

平然と『撃ち殺す』などという単語を口にするレスターに、シヴァはじめ重臣達も一瞬の停止を余儀なくされた。

 

「しかし……相手は、謀殺を命令し、実行させる事ができる程の地位を持つ人間。

 そのような人間を不用意に拘束、処罰しようとすれば……唯でさえ不安定な政局、戦局に悪影響を与えかねません」

 

「だが! このままでは、マイヤーズにも……桜葉にも顔向けできない!!」

 

思わず立ち上がったシヴァを制するように、レスターは続けた。

その言葉は信頼する『元』戦友に向けるには、余りも酷な言葉。

もしこの場にエンジェル隊のメンバーが居たら、激昂して殴られそうな言葉。

 

「タクト・マイヤーズにならばまだしも……『反逆者』たるミルフィーユ・桜葉に、そのようなお心遣いは無用です。

 いかに過去の功績が大きかろうと、彼女は反旗を翻しました。

 皇国に弓を引いたのです。我等のシヴァ陛下に礫を投げつけ、銀河の平穏に唾を吐きかけたのです。

 どんな理由があろうとも……彼女は『敵』です」

 

余りにも慈悲が無い言葉。

その場に居た誰もが、レスターよりも長い時を生きて来た者達にも、凍りついたような沈黙が降りる。

 

「そうか……もう……戻れない。そう言いたいのだな? クールダラス?」

 

「はい……不詳ながら、罪と穢れは私が全て被ります。

 残された天使たちの羽が痛まぬように。『悪役』は……引き受けましょう」

 

脱力したようにイスに身を預けた幼い女皇の言葉に、碧眼の若武者は力強く頷いた。

余りにも過酷な役を引き受けると言うのに、その表情は晴れ晴れとしていた。

いや……晴れ晴れとしていなければ、やっていられなかったのかも知れない?

 

レスターとは違い、沈んだまま口を開かないシヴァに変わり、ルフト将軍が宣言する。

 

「これより『幸運の星の乱』への対策会議を開く」

 

 

 

「まずは詳細説明を……」

 

「ハッ! 僭越ながら、このレスター・クールダラスが、説明させていただきます」

 

部屋は照明が落ち、映し出されるスライドと映像。それらをポインターで指し示し、補足しながら始まったレスターの状況説明。

 

その内容は……あまりにも衝撃的で、恐怖を煽るような内容。

 

 

一通りの説明を聞き終えた室内を満たすのは、恐怖を隠したざわめき。

 

「この戦況の推移に間違いは無いな? クールダラスよ」

 

「各艦から伝えられた状況を統合したものですし、なにぶん時間がありませんでしたが……誤差は僅かなはずです」

 

ルフトの問いに、レスターは簡潔に答えた。

ソレはつまり示された『惨状』が本物であると言う事。

居並ぶ重臣達からも口々に悲観のざわめきが漏れ始める。

 

 

「しかし紋章機とは言え……この力は余りにも……」

 

「五対一でこちらの紋章機が敗北するとは……その戦闘の詳細は無いのか?」

 

「問題はそれだけではない。無人艦隊も侮れたものではない」

 

「敵の兵力に関しては、専門家である月の巫女に解析を依頼しております」

 

「推論も良いが、今は行動するべきだ。手薄になっているロームへの増援を!」

 

「本星防衛艦隊を削る事はできませんので、各星系の予備兵力を割こうかと……」

 

「ヴァルファスク残党の大部隊が動いていると言う件は?」

 

「先のこちらの混乱を良いことに、ロームを攻められては不味いな……」

 

「増援の決定と集合にどれほどかかる?」

 

「一週間も有れば……エロソナム宙域で訓練中のシルス戦闘機部隊も投入できるかと」

 

「寄せ集めと新型戦力を効率的に運用か……クールダラス大佐、任せて良いかね?

 紋章機の単機運用を実現させた君の腕ならば、安心だ」

 

「はっ! アルテミス・アテンダントも何時でも出航できるように待機させてあります。

 戦力プランは移動しながらにでも完了させられますので……戦力が集まり次第……」

 

 

 

飛び交う言葉。飛び交う意思。

ソレをまるで聞き流すように、シヴァは目を閉じる。

その言葉はどれもコレも正しいものだ。必要な議論なのだ。

だが……その正しいはずの言葉の波は、幼い女皇を飲み込んで離さない。

会議の途中に長である彼女が目を閉じるなど、本来ならば有り得ない事だ。

 

何も考えたくなど無かった。

間違っていることなど解っている。

何が間違っているかと聞かれても、答えられない程に……全てが間違っていた。

銀河の平穏は守らなければならない。そんなことは解っている。

解っているのに……納得できない。

 

 

「キモチワルイ……」

 

その場で議論を戦わせていた重臣たちには聞こえぬように、シヴァは呟く。

 

『銀河の救い主を謀殺』

『英雄の伴侶は反旗を翻す』

『幸運の天使は戦火を撒き散らす』

『謀殺の首班を探すこともできず反乱鎮圧の話し合い』

『同じ戦場の英雄の副官と天使の友を送り出して戦わせる』

 

なにが正義だというのだ? 訳が解らない。

もう何も考えたくない。子供のように身を丸めて……シャトヤーン様の胸で眠りたい。

 

 

数時間の後、女皇の発言が一つも無いと言う異常な会議は幕を下ろした。

それによりまた世界は動く。人が動く。迷路のような因果律が軋む。

悲しみで眠れる幼き女皇は、いつ出口を見つけるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

白き月の内部に宛がわれた自室で、烏丸ちとせはパソコンのディスプレイを睨みつけていた。

室内の明かりは落ちて真っ暗、彼女が見つめるディスプレイだけが光を放つ。

だが光を放つ画面の中では…、『漆黒の翼』が羽ばたいている。

数日前に刃を交えた『大好きな先輩』の愛機。ラッキースターと呼ばれていた物。

 

今は名を……『ルシファースター』と言った。

 

「駄目……勝てない。どうすれば……どうすれば勝てる?」

 

この数日、何度と無く見てきた刃を交えたときの記憶映像が、またも終了を告げる。

一人ぼっちの反省会。他のエンジェル隊メンバーはそれどころではないようだが、ちとせは違った。

 

 

 

ちとせは思う。

何度見直しても自分の動きに非があったとは思えない。完璧だったはずだ。

戦友たる先輩と戦っていると言うのに、完璧な動きをするというのも人間としてどうかとも思うが……とにかく完璧だった。

普通の相手なら勝利できた。レスター司令に褒めてもらえるほどの戦績を残せたはずなのだ。

 

なのに負けた……

 

「これが撃墜王と撃墜王次点の差……そういう事ですか? ミルフィー先輩」

 

ブラックアウトしている画面から視線を外し、気だるげに瞳を閉じた。

闇以外を映さなくなった瞳は、瞼の裏に一つの像を結ぶ。

ソレは今までの記憶。エルシオールに赴任してから、先日の紋章機同士の戦いまで。

楽しい事やつらい事がたくさん有った。でもソレを乗り越えて生きて来たのだ。

今思い出せばつらい事すら輝いていたのかもしれない。そう感じさせる何かが有ったのだ。

 

『少なくともエンジェル隊がエンジェル隊である時までは……』

『タクトさんの横にレスター司令が居るという図を見られた時までは……』

 

今はどうだろうか?

死んだと思っていた友に、『私達は謀殺された!』と叫ぶ友に、銀河なんて認めないと呟く友に、泣き恋人へと愛を囁く友に……弓を引いている。

とてもではないが、輝かしいとは言えない。むしろこれは……『闇』

だけど……

 

「……考えるな、烏丸ちとせ! 私はトランスバール皇国の軍人……私の弓は皇国のために……」

 

『皇国の為に……』

そんな言葉の為に頑張っていた英雄らしくない英雄と、戦うなんて似合わない幸せそうな先輩は……『裏切られた』のだ。

 

「違うの! ソレは違うの……アレは皇国の意思じゃない! シヴァ陛下のご意思ではない! でも結局は……」

 

涙が零れてしまいそうな瞳を両の手で押さえ、イヤイヤと拒絶を示す子供のように首が左右に振れた。

勢いに引っ張られる形で、母上譲りの自慢の黒髪が乱れ舞う。

瞳を押さえる形だった手は頭を抱え、身を縮めるように膝を寄せる。

戦っている最中は殺す気でいると言うのに、一度平時となれば罪悪感に押しつぶされそう。

 

 

そんな時だった。救いの声が響いたのは……

 

「クールダラスだが、ちとせ……ジャマしていいか?」

 

『アァ! 神様ありがとう〜!』内心そんな事を叫んでいた私は変な人だろうか?

 

 

 

「はいっ! 少々お待ちを……!!」

 

その声が響いてからは、早かった。マッハだ。音の壁を突破したようだ。

蹲っていたソファーから飛び起きて、鏡に駆け寄った。

髪を整えて、リボンを直し、なぜか軽く化粧までする烏丸ちとせその人。

先ほどの落ち込み具合はどこにいったのだろう?

 

ディスプレイのスイッチを切り、部屋の電気をつけ、どうした訳か乱れていたベッドを整えて……ドアを開けた。

この間、五秒に達するか微妙なほどの僅かな時間。

 

 

「お待たせしました! どうぞ!!」

 

「? では失礼するぞ」

 

小気味良い電子音と共に開いた扉の向こうに居るのは、片目をインターフェイスアイで覆った長身の青年。

『待ってくれ』と言いながらも、ほとんどのタイムラグ無く扉を開けたちとせを訝しげに見つめるのは、彼女の上官たるレスター・クールダラスその人。

 

「座ってお待ちください。今お茶を……緑茶で宜しいですか?」

 

「アァ、頼む。お前のところでなければ呑めないからな、グリーンティーは」

 

部屋に導かれたレスターはソファーに腰を下ろし、何気なく先程までちとせが睨みつけていたディスプレイのスイッチを入れる。

 

「また見ていたのか……無理はする必要ないぞ? ただ見るだけで理解できる事は少ないからな」

 

レスターが見つめる画面で踊るのは、黒の堕天使。堕ちた幸運の女神。

仕事で何度も見た部下が惨敗する映像を、これ以上見る気は無いとでも言いたげに、再び落とされるディスプレイのスイッチ。

 

 

改めてソファーに深く身を沈めたレスターに届くのは、柄にも無く心配などしてみた部下の声と茶の香り。

 

「解っては居るのですが……何かしていないと不安で……」

 

キッチンで湯飲みへと入れたてのお茶を注ぎながら、ちとせは答える。

精一杯の平穏を装う彼女に、レスターは唯告げる。

 

「円卓会議に出席してきた……」

 

「!……」

 

二つの茶が注がれた湯飲みと、お茶請けのせんべいを載せたお盆を持ってちとせは部屋へと戻った。

レスターの座すソファーの前、小さなテーブルに緑茶とせんべいを並べて、ちとせは対面の椅子に座る。

どちらとも無く湯飲みを手に取り、『ズズゥー』とシンクロした茶を啜る音が響く。

 

「謀殺……の件はどうなったのですか?」

 

リスのように黙々とせんべいの粉砕、摂食作業をしている上官に、ちとせが問うた。

その瞳には怒りや不安が渦巻きながらも、平静を装い信じ続けたいと訴える純粋な瞳。

だがレスターはその信じる気持ちに答えることは出来ない。ただ事実を告げる。

 

「どうにもならないさ。少なくともこの件が片付くまでは……な?」

 

「そんな!? ソレではタクトさんとミルフィー先輩の無念が!!」

 

思わずバンと叩かれたテーブルの上で、茶の緑と醤油せんべいの茜色がふわりと舞う。

怒りで暴れだしそうに、悲しみで泣き出しそうになる少女に、優しい言葉を掛けるなどというスキルは、残念ながらレスターには無い。

淡々とそうなる理由を列挙していく。

 

「謀殺を指示し、実行させる事ができる人間。間違いなく軍部の上層部に位置する人間だ。

 もちろんシヴァ陛下が認めた人員だけが集まる、円卓会議のメンバーには居ないとは思うが……

 それでも……そんな人間を下手に刺激などしたら……新たな内乱、もしくは混乱が起きるのは必定」

 

「でも……」

 

「デモも何も無い! 残念ながらトランスバール皇国は、非常に不安定な状況なんだ。

 王政から民政への変換の帰途にあるというのに、テロは止まず、その上銀河を滅ぼすなどと言う宣戦布告!

 これ以上の不安定要素を投げ込めば……容易く崩壊するぞ!?」

 

対抗するようにレスターが机を打ち付けて叫ぶと、緑茶とせんべいは先程よりも高く宙を舞った。

女性の自室で若い男女がするには、物騒な話が続く。

 

「国を滅ぼすのに、絶対の力など必要無い。必要なのは……『一人一人の不信』……それだけなんだ。

 お前なら……解るだろ?」

 

「ズルイです……こういう時だけ私を『物分りの良い子』にしようとする」

 

「? 意味が解らんのだが……」

 

軍人としての顔の間に、女としての顔を覗かせて拗ねる様に呟くちとせだが、相手は英雄すら超える超絶朴念仁。

そういう回りくどい方法で『口説く』手は通じないようだ。

 

「ふう……納得したわけでは有りませんが……もう一つお聞かせください」

 

「ふむ……なんだ?」

 

「シヴァ陛下がそのような事を言うとは思えません。

 陛下にそう進言したのは……貴方ですか? レスター・クールダラス大佐?」

 

「だったらどうする? 烏丸ちとせ大尉」

 

 

ぶつかるのは視線。上司と部下などと言う関係はそこには無く、ただお互いの意思だけが力強く交差する。

下りた沈黙は、どのような状況からも逸脱した重圧を連れて来た。

 

「いえ……貴方なら……そう言うのではないかと思っていましたから」

 

「そうか……俺もだいぶ人様に認められる『イヤな奴』になったものだな。

 茶は美味かった……邪魔したな……」

 

どんな怒声のぶつかり合いも無い。

何時もの冷静な表情の上に、皮肉な笑みを貼り付けてレスターは立ち上がった。

いや……皮肉と呼ぶには余りにも清々しい笑み。コレこそが自分の立ち回るべき役どころだと、信じて疑わないような表情。

 

 

そのまま小さい礼を言うと部屋を出て行こうとして……背中に軽い衝撃……別に刺されたわけではない。

 

「なんで……イヤな奴なんて自分で言えるんですか……

 先輩方が聴いたら……本当に怒って、本当に嫌われてしまう内容なのに……」

 

衝撃の正体は軽くタックルするように抱きつかれた事により起きたもの。

ちとせの手には余る大きな背中を、精一杯広げて抱きしめた。

 

「どうしてそんな……清々しい笑みを浮かべていらっしゃるのですか?

貴方様ほど……お二人の事を無念に思っている人は居ないと言うのに……」

 

抱きしめると言う行為は本来、相手を包み込む優しさの体現。所謂『慰め』の動作だ。

だがちとせの見せたソレは真逆の意味を持つ。悲しみの体現にして、縋り付く子供。

いつの間にか嗚咽がちとせの口から漏れる。レスターは背中越しの冷たい水の感覚を覚える。

ソレは涙だった。

 

 

「無念だよ……本来ならば犯人を射殺してやりたい位、怒りが燃えている」

 

「じゃあ! なんで……!?」

 

疑問の後ろに小さな驚きがちとせの言葉を遮る。

不意に体がフワリと浮く感覚に襲われて、気がつけば……レスターに抱きしめられていた。

 

「だが……ここで『あのバカ』が望んでいた筈の平穏を……アイツの『想い人』に壊される方が……もっと無念だ」

 

「!? それは……」

 

「英雄は墜ちたんだ。残ったのは愚直な職業軍人。

光り輝く武勲などアイツの墓前にくれてやる。俺には必要ないものだ。

汚い役を演じてでも……幸運の女神を殺してでも……最後に……」

 

ちとせはギュッと強く抱きしめられて、続く言葉レスターの言葉に耳を澄ます。

 

 

「薄汚い俺の屍の向こうにでも……『恒久的な平和』が有れば良い。

 この命捧げて仕えるのは皇国と……『未来の平和』……何て言うのはどうだ?」

 

レスターは疑問口調の返答を待つように、見下ろした先に呆然と見上げるちとせが居た。

 

「やっぱりらしくないか? 好きな歴史小説の台詞なんだが……!? 

 なんだ!? 突然盛大に泣くな!? こら! 鼻水が付く! やめろ!!」

 

烏丸ちとせ、感動の余りご乱心の図。

涙の堤防が盛大に決壊し、鼻から水が溢れ出す。

その大変な事になっている顔面を、胸倉に押し付けられそうなレスターは、堪ったものではない。

 

少々お待ちください……

 

 

 

数分後、室内には

 

「言い忘れていたが、ヴァルファスクの大部隊が、ローム星系進行を狙っているという情報が入った。

 コレには第三方面軍への増援艦隊と、その司令官に任命された俺のアルテミス・アテンダントが対応する。

 出航は一週間後を予定。ソレまでに準備を済ませて置くように……しかし取れんぞ? この様々な液体は……クソッ!」

 

なぜかソファーに座りなおして、必死に胸元に付いた謎の粘着物体をティッシュで取る作業に勤しむレスター・クールダラスと……

 

 

「真に申し訳ありませんでした! 

部下としても、乙女としても、人間としても、しては成らない失態!

 この失態……『切腹』してお詫びいたします〜!」

 

床に頭を擦り付けるように土下座しながら、なにやら『武士』のような事を叫ぶ烏丸ちとせが居た。

 

 

「しかしどうしたのだ、突然?」

 

「いえ……感動の余り、我を失ってしまいました。

 やはり貴方様こそ『真の武人にして賢人。誉れ高き御方』です」

 

「止してくれ……俺は『血と泥に塗れた頭の固い軍人』で十分だ」

 

なんとか色々と問題のある汚れをやっつけて、落ち着いたレスターは再び湯飲みで緑茶を啜る。

その雰囲気は先程よりだいぶ和らいだ物になっている。

 

 

「そうでした……先程の言葉には、一つ訂正が必要です。レスター司令。

 『墜ちた幸運の女神』は……『狩猟女神の矢』が射抜きます」

 

「……良いのか?」

 

「解りません。『コレは良いこと』だなんて決める気もありません。

きっと酷い仕打ちなのでしょう。でも……私は……その……アレですよ?」

 

「意味が解らんぞ?

状況説明は的確に行え。それでも軍人か?」

 

濁したちとせの言葉に、訝しげなレスターの視線で答える。

恋する奥手な大和撫子は、謎で固めた言葉で何とかその意を伝えようと頑張る。

 

 

「知っていますか? 『アルテミス』は……『エンディミオン』に恋をしていたんです。

 昔も……『今も』……だからです。だから私はまだ……弓を放てるんだと思います」

 

 

「? さっぱり意味が解らん。暗号か何かか、それは?」

 

予想通り全く理解できていないレスターに残念なため息と、安堵のため息を吐いてちとせは苦笑。

 

 

アルテミスとはアルテミス・アテンダントのエースたるちとせの事。

エンディミオンとはアルテミス・アテンダントの旗艦にして母艦の事、転じてそれらを指揮するレスターの事。

 

つまりは……そういう事……

 

 

 

 

 

 

そこは大きな部屋だった。家具と呼べるような物は殆ど無い為、その広さだけが際立つ。

 

光源は一つのシャンデリア。

ソレは普通のシャンデリアではない。

幾何学的な立方体が組み合わさった奇抜な造形。

光を一切通さないような黒色であるのに、それ自体が光を放つ。

だがソレは輝かしい光ではない。各構成部分が別々に蠢動する様は、怪物が蠢くよう。

 

不気味な光源の下には、濃紫色のシーツの海。

その中心でボンヤリと不気味なシャンデリアを見上げるのは、一人の少女。

淡い桜色の髪に花を模したカチューシャ。身を包むのは、ボロボロの黒いドレス。

何時もはコロコロと変わる明るい表情も、今は寝ぼけたように動かない。

 

少女の名は……ミルフィーユ桜葉と言った。

『強運の女神』 『幸運の星の駆り手』 『稀代の撃墜王』 『英雄の伴侶』

数多の異名を持って称えられる本物の『救世主』。だが……だがその少女は『堕ちた』のだ。

 

 

「タクトさん……寂しいです」

 

有り余るシーツに抱きしめるように包まり、ミルフィーユは呟く……今は亡き愛しい人の名を。

 

ミルフィーは思っていた。『早く一緒になりたい』と。

そんな小さな夢を見ていただけなのに……どうして叶わないのだろう?

クーデターを鎮圧したり、トランスバールを守ったり、エデンを開放したり、銀河を破滅の危機から救う事はできたのに……なぜこんな小さな願いは、叶わないのだろう?

 

『どうして私達は幸せになれなかったのだろう?』

 

答えは解っている。解ってしまった。理解などしたくなかったけど、理解するしかなかったのだ。

 

『銀河なんて有るからいけないのだ。守る人なんて居るから……トランスバールなんて存在するから!!』

 

だから滅ぼす。人も、国も、銀河も……私には必要無い。

私が欲しい物はたった一つだ。前は沢山有ったのだけど……ソレは叶わなかった。

本当はトランスバールも好き。銀河も好き。そこに生きる人たちも好き。

 

でもそれでは駄目だった。

『二兎を追う者は一兎を得ず』と言う諺が、ちとせの星には在るらしい。

 

『多くを求めようとする者は、一つを得る事もできない』

 

私は二兎を追ってしまったんだ。

だから失った。一兎を得る事もできなかった。だから……今度こそ……

 

 

「逃がさないですよ……『私の大事な大事なウサギさん』?

要らない……他のモノなど要らないから……貴方だけが……」

 

ユラリと差し出されたミルフィーユの細い手が、何かに触る。

 

「!?」

 

ビックリして彼女は手を引っ込め、ソレに答える声が響く。

ミルフィーユの視線にはいってきたのは、青い長髪にドレスと言う奇抜なイデタチの優男。

手には薔薇を持ち、濃厚な笑みを浮かべている。

 

「ウサギ……?

良く解らないけどマイハニーに捕まえて貰えるなら、本望だね」

 

「何だ……カミュさんですか……チェッ」

 

「何だとか、チェッとか……つれないな〜マイハニー」

 

大袈裟に悲嘆に暮れる動きをするカミュから視線を外し、ミルフィーユが問う。

 

「で! 何か御用ですか? 女の子の寝室に勝手に入ってきて……」

 

「本当なら通信で良かったんだけど、君が通信に出てくれないからね。わざわざ歩いて知らせに来たんだ」

 

 

カミュは先程とは打って変わって冷たい表情に変わると、手に持っていた数枚の資料を捲る。

 

「こちらの予想通りにローム星系に向かう宙域に、ヴァルファスクの艦隊が現れたよ。

 巡洋艦や駆逐艦から始まり、戦闘空母に重戦艦まで揃い踏みの大艦隊だ」

 

「そうですか……あの船は居ました?」

 

その声に答えるミルフィーユの声は、何時もと何ら変わらない。

『今日のオヤツは何にしようかな〜?』と迷う平穏な時と変わらない。

 

「うん、オ・ケスラ級だったかな? 確認済みだ」

 

「こちらの艦隊の稼働率は?」

 

「新型の戦闘プログラムを組み込んだ艦を入れて、五十パーセントと言ったところかな?

 まだまだ本来の予定数には満たないね」

 

ベッドの上で行われる会話では在るが、『ヴァルハラ軍』と呼ばれる艦隊の運用を決定する会話。

最も本人達にはそんな認識は欠片も無いのだろうが……

 

「まあでもこっちは私も居るし、凄腕の傭兵さんとコピーだけど紋章機が五機も有るんだから……問題無いですよね?」

 

「もちろんだとも、ハニー。

 僕達『ヘブンハウンズ』は、君の忠実な猟犬。何なりとお申し付けください、マドモアゼル?」

 

中世の騎士のように頭を垂れるカミュではなく、頭上で蠢く悪夢色のシャンデリアを、その向こうにタクト・マイヤーズを見つめながらミルフィーユは宣言する。

 

「もう誰も要らないんです……だからトランスバールも、エデンも、ヴァルファスクも……『バ〜ンとやっちゃいますよ』!」

 

 

ベッドから降りると乱れた髪を直し、ミルフィーユは歩き出す。

向かうのはブリッジ。その後ろに付き従いながら、カミュが思い出したように呟いた。

 

「そうだ、ハニー! 言い忘れていたけど、工房に篭っていたベルモットがヘロへロになって出てきてね?

 アレが……完成したそうだよ?」

 

その言葉にミルフィーユは振り返る。最高の微笑を浮かべて。

サンタからプレゼントを貰った子供のような笑顔。

 

「そうですか……それじゃあ『パニッシュメント』の試射もしたいですね?」

 

「レッド・アイから長距離通信も入っていたね……『イバラノソノが見つかった』と」

 

「へ〜皆さんには感謝感謝です。コレなら試射何て言わずに、直ぐにやれそうですね。

 パニッシュメントの量産にはどれくらいの時間が?」

 

「艦を作るよりはかかると言っているけど、一週間も有れば……」

 

「も〜嬉しい事ばかりです。順調順調! 良きかな良きかな!」

 

 

 

楽しそうな声で……幸運の女神が歌うのは……『滅び』

彼女が愛しい人の夢を見る為の……『沈黙』

さあ……『セレナード』を歌おう!!