「さて……静かなものだな……」

 

レスター・クールダラス大佐の呟きが、少々だらけた雰囲気漂う彼の指揮する艦隊の旗艦たる高速空母 エンディミィオンをブリッジに静かに響いた。

昔はその傍らに立っている事が日常だったキャプテンシートに、腰を下ろしたレスターも、どこか気が抜けたふうに見える。

 

 

「一体如何したのでしょうか?」

 

レスターの斜め後ろに控えている少女は、烏丸ちとせ大尉。

紋章機単機運用試験艦隊と言う肩書きを有するこの艦隊 アルテミス・アテンダントの中核たる六号紋章機 シャープシューターのパイロット。

『狩猟女神の矢を引く者』と銀河に名を轟かせるトラスバール皇国軍のエースの一人。

 

 

「襲撃が無いと言うのは非常に喜ばしい事だが、これ以上向こうにイニシアチブを取られたままの長期戦になるのは、好ましくない事態だ」

 

「ロームを占領されない為とは言え……皇国軍にコレだけの兵力を集中できる余裕がある訳ではありませんし」

 

コレだけの戦力とは、戦略ディスプレイを埋め尽くす味方を示す緑のアイコン。

駆逐艦、巡洋艦、戦艦等の一般的な物から、コレが始めての実戦運用となる戦闘機の為の空母。

そして増援艦隊旗艦たるエンディミィオンを筆頭としたアルテミス・アテンダント。

まさにトランスバール皇国軍の粋を集めたといっても過言ではない大艦隊。

 

それらはロームへの侵攻が確認されているヴァルファスク軍残党に対する迎撃の為であった訳だが、その敵がいつまでたっても現れない。

もちろん現れないに越した事はないが、その確証が取れない以上最低限の防衛艦隊を残して、撤退するわけにも行かない。

だがコレだけの数の艦隊を遊ばせておく余裕は残念ながら、トランスバールには無い。

 

その原因こそ、ロームの守備が手薄になった理由でも有る。

『幸運天使の騒乱』その狼煙が上がった場所こそ、このロームなのだから。

戦死したと思われた紋章機ラッキースターのパイロットミルフィーユ桜葉が謎の艦隊を引き連れて、トランスバール皇国初めとした銀河の全てに戦線を布告。

後に彼女自身が駆る元ラッキースターと思われる変異紋章機により、ローム星系防衛艦隊は甚大な被害を受けてしまった。

それに乗じる形での襲撃が予測されたのが、今レスターたちが待ち構えているヴァルファスク残党軍なのである。

 

 

小さく首を傾げながら、己の意見を口にするちとせ。そこには余り自信が感じられなかった。

 

「持久戦に持ち込む気でしょうか? こちらが戦力を分散するのを待っているのでは?」

 

「イヤ、こちらは惑星軌道上の補給ステーションが使えるんだ。

それにグズグズしていれば、我々に防衛艦隊を主力とした本来の防衛線を再構築されてしまう。敵は更にやりにくいはずだ」

 

キャプテンシートの周りに情報を映し出す浮遊型電子ディスプレイを呼び集め、それらが示す情報に目を通しながら、レスターは澱み無い返答。

 

「ではなぜ? これだけの艦隊を見て怖気づいたとでも?」

 

「恐らく敵艦隊の総司令はあの男だ。明確な理由があるならば解らないが、唯の臆病で撤退などありえない」

 

「はい……そういう方ですからね……」

 

何度と無く戦場で放火を交えた仇敵。勝敗織り交ぜて、お互いの意思と刃が交差する回数は既に十では足りない。

冷静でありながらも退く事を知らない武人としての心意気は、生物種としての違いなど無視して評価に値するものが有る。

通信で降伏勧告をした時に垣間見たその者の人間性を考えても、撤退などありえないとちとせ自身も納得した。

 

「故に尚の事……理解できない」

 

データの処理を一時中断して、レスターは腕を組んだ。

確かに自分達にとって相手の姿を確認できないまま持久戦に成るのはマイナスだ。

だがそれが相手にとってプラスかと言えば、そうではない。

こちらが正規の防衛艦隊を構築するまでの時間を得るというのは、相手にとって大きなマイナスだ。

しかも相手は補給などではこちらに遠く及ばないゲリラ・レジスタンス組織に過ぎないのだから。

 

「何か動けない理由がある……と言うことは?」

 

「ふむ……ありえるな。中々目の付け所が良いぞ、ちとせ」

 

「光栄です」

 

『動かない』のと、『動けない』のは違う。

動かないのは自己の判断によって変化するが、動けないは既に確定した事柄。選択の余地がないと言う事。

 

「だとすれば確認を取るしかすることが無い訳か……やはり無人偵察機の数を増やそう。大規模な暗礁宙域にはまだ目が届いてないからな」

 

そう言ってレスターが通信担当のオペレーターに、指示を出す為の回線を開かせようとした時……逆に通信を受けた。

開かれた通信ウィンドウに映るのはこの数日幾度と無く顔を合わせた分艦隊の司令官。

同時に無人偵察機の制御とその情報統合管理を任せている人物だ。

 

「クールダラス大佐、先程無人偵察機の一機が敵艦影と思われるものを捉えました」

 

「! 座標などの観測データをこちらへ送ってくれ。それと全艦第一種警戒態勢を……」

 

「実はその……少々奇妙な状況でして……」

 

歯切れの悪い分隊司令官の態度にレスターは苛立ちを覚える前に、戸惑いを覚えた。

彼は軍人であり、その経歴はレスターよりも長い。戦略で勝っても経験ではレスターは彼には勝てない。

そんな人物をもって『奇妙』と言わしめる状況と言う事だろう。

 

「では状況を司令官席のポータブルウィンドウに送ってくれ。こちらで確認して指示を決める」

 

「了解。データ転送します」

 

メインディスプレイではなく、司令官席の周りを飛び交うウィンドウが一瞬の砂嵐の後、その奇妙な状況を映し出した。

 

「これは……」

 

「どういう事でしょう?」

 

レスターの驚愕の声に、彼の横から画面を覗き込んでいたちとせが疑問の声を重ねる。

そんな反応をするしか無い確固たる理由が画面上には存在したのだ。

数瞬の思考の後、レスターはその結果を指示として飛ばす。

 

「エンディミオン旗下、アルテミス・アテンダントは哨戒任務に就く」

 

立ち上がって宣言したレスターに注がれるのは、疑問の視線と囁き。ソレを予測した上で彼は言葉を続けた。

 

「これは不確定な敵対要素の真意を確かめるものだ。危険を伴う可能性があり、無駄足に終わる可能性もある。

故に足が速いアルテミス・アテンダントが適任と判断した」

 

一切のざわめきを止め、確固たる理由を与える言葉。

その宙域に居る誰も彼もが、年若い英雄の副官の言葉に沈黙する。

 

「残りの艦隊の臨時指揮権は第二分隊司令に一任する。警戒レベルを一つ引き上げ、布陣を組み直せ……返事はどうした?」

 

「「「「「「っ? 了解!」」」」」」

 

「よろしい。直ちにかかれ」

 

急遽の哨戒任務につく事になったアルテミス・アテンダントを構成する艦のクルー達が、留守を守る形になる者達も、心を同じくして叫ぶ。

 

「アルテミス・アテンダント全艦、傾聴! これより防御陣を抜けて、艦隊を組み成す。

 合流ポイントはα−317の……」

 

続いてレスターが提示した合流ポイントの座標へとアルテミス・アテンダント艦隊が動き出し、その開いた穴を生める形で他の艦が陣を立て直す。

 

緊迫しながらも動いていなかった戦場の空気が、確かな形で動き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

漆黒の宇宙を駆ける戦闘艦の一団、その中央に構えるのは紋章機単機運用試験母艦一号艦 エンディミオン。

そのエンディミオンにピッタリ寄り添うように飛ぶのがアルテミスと唄われる長距離射撃の名手 紋章機第六番機シャープシューター。

神話のような名を持つ二人の周り、隊列を乱さず進むのは改造高速駆逐艦。

紋章機単機運用戦略試験艦隊と言う仰々しい名前よりも、その中枢たる紋章機の特性を取ってアルテミス・アテンダント

敵味方問わず覚えられたトランスバール皇国軍で、一二を争う有名な艦隊だ。

 

そのブリッジでキャプテンシートに腰を下ろしたレスター・クールダラスはいつも通り落ち着いている……ように見えた。

少なくとも彼を余り知らない者からすれば、『さすがはアルテミス・アテンダントの名司令官だ!』とでも賛辞を送っていただろう。

だが見る者が見れば分かる。彼は……

 

「あの……クールダラス司令? 少しお焦りのようですけど……」

 

「なっなに? むぅ〜……そうかもしれん」

 

通信ウィンドウ越しにシャープシューターのコクピットに居る烏丸ちとせが控えめにそう問うた。

自覚があるのか? 問われたレスターもすぐさま認めるように零す。

 

「これからどんなに厳しい戦場に向かおうが、冷静で居られる自信は有る。

 だが……状況が把握できていない事ほど、恐ろしいことは無い」

 

「同感です」

 

「ハリス。目標注意域までどれほどかかる?」

 

部下に指摘されたとあっては上官として、これ以上態度に出すわけにも行かない。

組まれた左の足が微かに揺れるのを止め、大きく息を吐く。

 

「もう少しで最大望遠で光学映像を捉えられます。通信可能距離までは二分弱を予定」

 

聞いてみれば大した時間が必要なわけではなかった。焦っている自分を心の中でレスターは笑う。

少しと言うのは文字通り、少しの事だった。心の内での笑いが消える前に、観測担当オペレーター ハリスの声が再びブリッジを揺らす。

 

「映像……捉えました」

 

「メインスクリーンに」

 

「了解……コレは!?」

 

その操作をしたハリスを含め、先に画像を確認していない誰もがその映像に驚きを隠せない。

対するレスターやちとせはさも残念そうにため息。

 

「状況変わらず……残念だ」

 

「そう言わずに……」

 

驚きと無念の視線の先、漆黒の宇宙に光学補正を受けても目視し難い、赤紫の戦闘艦の群れが浮かんでいた。

トランスバールの物ではない奇妙なデザインのソレは、ヴァルファスク製。

ヴァルファスクの正規軍は解体されたに等しいのだが、レジスタンスとして力は未だに健在。

そこにも恐らくローム星系への侵攻を狙っていたのだろう、全盛時を髣髴とさせる大艦隊……だった存在がある。

 

 

「ボロボロ……ですね」

 

ちとせは再度見たソレラを見て簡潔に呟く。

大艦隊は既に疲弊し、破損しその機能をほぼ失っているような状態。

すでに盛大な『負け戦』を行った後とでも言うべき敗軍。

現在アルテミス・アテンダントが取っているような堅牢な布陣など何処にも無い。

艦隊だった大部分は既に『スペースデブリ 宇宙のゴミ』。辛うじて稼動可能な艦が打ち抜かれた推進部を僅かに光らせ、必死に艦隊を組み直そうとしている。

 

「通信可能距離です、司令」

 

ブリッジの誰もが不可解な光景に見とれていた中でも、通信オペレーターの冷静な一言が凛と響いた。

 

「考えても仕方有るまい。当事者に聞くとしよう」

 

レスターが立ち上がり続けた。

 

「トミー、通信を繋げろ。あの艦はいるのだろう?」

 

「はい、オ・ケスラ級……居ました! 呼びかけます」

 

トランスバールの艦とヴァルファスクの艦、異なる技術も無数存在するが通信系統にはある程度の相互関係が認められている。

長距離や暗号通信は不可能だが、オープン回線と言う形を使えば通信は充分可能だ。

数秒の沈黙の後、メインスクリーンが一つの像を結ぶ。

 

「……なんのようだ」

 

映し出されたのは長身のレスターにも劣らぬ長身の青年男性。

細身では有るが引き締まった肉体を特徴あるローブで覆いっていた。

血色が悪いなんてレベルを跳躍した紫色の肌に、ミミズが這い回ったような不可解な刺青状の文様が浮かぶ。

彼は見たとおり、唯の人間ではない。彼はヴァルファスクの元軍人。

 

「忙しそうだな、ギルゥム」

 

 

 

戦史に名前を残す様な軍人と言うのは限られている。

『人間』で言えば、今は亡き無敗の英雄にして、天使たちを癒す道化であり全宇宙の救世主であるタクト・マイヤーズ。

そのタクト・マイヤーズの副官にして、紋章機の単機運用プランの発案者であるレスター・クールダラス。

無人艦の特性を生かした電撃作戦で、瞬く間にトランスバール本星を制圧したエオニア軍の軍師 シェリー・ブリストル。

 

『ヴァルファスク』ならばエデンを攻め滅ぼしたbQ ロゥイルや悲劇の知将ヴァインなどに続き、上がるのが彼の名 ギルゥム。

首魁ゲルンが倒され、切り札であるクロノクウェイク・ボムが防がれたヴァルランダル最終攻防戦。

英雄と天使の奇跡に勢いづくトランスバール軍を前にして、二つの拠り所を失ったヴァルファスク軍は総崩れ。

玉砕覚悟で特攻する者や、あっけなく降伏する者が続出する中、多数の艦船を纏め上げトランスバール軍の包囲を突破して逃げ果せた猛将。

 

 

「見て分かれ、レスター・クールダラス」

 

「アァ、分かり易い状況だ。確認に意味は無い」

 

現在はヴァルファスク残党軍のトップであり、補給や整備と言う面では充分とは言えない状態であるにも拘らず、幾度と無くトランスバール軍に大きな被害を与えている。

 

「問題は状態ではない。聞きたい事は一つだけだ」

 

「……なんだ?」

 

そして危険な前線で戦って来たアルテミス・アテンダントとは放火を交える事、十数回。

勝敗織り交ぜて今までどちらが死ぬ事無く、戦い続けてきた奇妙な縁なのだ。

故にレスターは理解している、この男の強さを。だから問うた。

 

「誰にやられた? お前ほどの男が、ロームを制圧可能な大艦隊を連れていて、俺以外の……アルテミス・アテンダント以外の何物にコレだけ手痛く」

 

その質問を受けてギアリスは、レスターと同種のしかめっ面を自虐的に歪めて返す。

 

「逆に問おう。お前ほどの男なら分かっているんじゃないか? 

お前以外に、アルテミス・アテンダント以外に、我々にこれ程の損害を与える事ができる存在がなんなのかを」

 

「推測は可能だが、確証が無い。故に問おう……誰にやられた」

 

 

「強運の星」

 

 

ギルゥムの言葉にアルテミス・アテンダントの誰もが息を呑んだ。

特にシャープシューターのコクピットで、烏丸ちとせは顔色を変えながら、か細い息が音を立てて抜ける。

 

「奴は本気だぞ、クールダラス? 本気で全銀河と戦うつもりらしい。

トランスバールも、エデンも、我らヴァルファスクも……全て滅ぼすつもりだ」

 

「そうだな……後はゆっくり取り調べさせて貰うさ……降伏しろ」

 

「断る」

 

レスターの言葉に笑いを止めたギルゥムは決然と言い放った。レスターは予想されていた答えにため息を一つ。

 

「いくらお前でもその状態ではアルテミス・アテンダントには勝てない」

 

「勝てるかどうかは既に問題ではない。戦場で運命のダイスは絶対だ。問題は……戦うか、戦わないかだ」

 

画面の向こうで部下からの同意の声が微かに響く。誰もが彼と同じ心持ちなのだろう。

レスターは敵でありながら、この漢の事をよく理解している。

ヴァルファスクでありながら部下を信頼し、部下に信頼されていた。

集団であるが故の強さ、組織としての強さが分かっている。

人間を見下す事無く、己の理想への確固たる敵として向かってくる姿勢。

愚直な職業軍人として、どこまでも祖国の為に捧げると言う心持ち。

下手をすれば同じトランスバール軍よりも分かり合えそうな符合の一致がある。

故に答える言葉は一つだけだ。

 

 

「良いだろう……全艦、戦闘用意」

 

 

 

始まりそうだった戦いに、一つの水が差されるのはその言葉から数秒後のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

白き月。トランスバール皇国の発展を支えた天恵を与える守護星。

最大級の人工の衛星である白き月の宇宙港に入ってきたのは、皇族を示す紋章が刻まれたシャトルだ。

接岸されたシャトルのハッチから正装に身を包んだ月の巫女の列が二つできる。

扉が開くと同時に向かい合う二列が一斉に頭を垂れた。ハッチから現れたのは、いまやたった一人になってしまった皇族。

手を軽く上げて歓迎の言葉に礼を返し、皇族独特の衣装を翻して彼女は港湾部の出入り口へと歩を進めた。

 

 

 

「変わっていないな……」

 

嘗て毎日のように散歩していた居住区を歩きながら、シヴァ・トランスバールは呟いた。

白き月で一生を終えるはずだった彼女もいまや広大な惑星間国家トランスバール皇国を統べる若き女皇。

本来ならば多忙を極める彼女が生まれ育った場所とはいえ、簡単に白き月に来られるわけが無い。

だが今回は多忙を『極めすぎた』故に来る事ができたともいえる。

多忙を極めすぎて肉体的・精神的にも消耗していたシヴァを見かねた重臣たちが強制的に休暇を与えたのだ。

そしてシヴァは予定外の休暇を利用した里帰りと相成った。

 

「ノア様! いい加減出てきてください!!」

 

フラフラと歩いていたら入り込んでいた研究区画で、そんな声がふとシヴァの耳を叩く。

本来ならば愛しの育ての親 月の聖母シャトヤーンの所に直行したいのだが、最近の悪夢のような現状でブルーになっている自分を見せたくない気もする。

思春期の少女のような葛藤の果て、放浪する旅人的な女皇は声の方へと誘われるように歩いていく。

導かれたのは見覚えがある一室の前だった。主の名も掲げていない部屋のインターフォンへ、必死に呼びかけているのは月の巫女だろう。

 

「どうしたのだ?」

 

「へっ陛下!?」

 

突然皇国一の権力者に突然仕事場の廊下で遭遇すれば、誰もが驚きを禁じえないだろう。

必死に頭に垂れる巫女を諌め、シヴァはさらに問う。

 

「ノアが何かしたのか?」

 

「それが……もう三日ほど閉じこもっていまして」

 

「なぜ?」

 

「その……ルシファースターの戦力分析が面白いとか何とか」

 

『ルシファースター』今聞きたくない単語ベスト5に入る単語の登場に、小さく顔を顰めてもシヴァは声色を変えない。

否応無く学習した為政者としての必要技能に助けられて、会話は滞りなく進む。

 

「流石に食事とかをしに出てくるだろう?」

 

「それが栄養食品とペットボトルを大量に持ち込んでいたみたいで」

 

「人間として間違っているな」

 

久し振りに聞いた古い敵にして友の現状にシヴァはため息。とりあえず自動ドアを叩いてみる。

此方からいくら叫んでも聴こえはしないのだが、金属製の扉をガンガンと音を立てる。

中に居る人間には耐えられない騒音だろう。さっさと出て来れば良いのに。

シヴァがそう思ったのが通じたのかどうかは解らないが、沈黙を続けていたインターフォンがハウリング音を伴い震える。

 

「うるさい! 何処の誰か知らないけどケンカ売ってるわけ!?」

 

「……うるさいのはお前だ」

 

「あら? シヴァじゃない。白き月に何のよう?」

 

天下の女皇殿下を前にして、余りにも失礼な態度。ドアが開かれ、意外な物を見つけたような好奇の視線と、嫌味な光を宿す瞳が覗く。

褐色の肌に長い金髪を靡かせたシヴァと同年齢と思われる少女。今は無き二つの星の一角 黒き月の管理者である少女 ノア。

 

「ルフトに無理やり休暇をとらされたからな。他に行く場所があるわけでも無いし」

 

「ふ〜ん……ちょっと寄ってきなさい。水くらい飲ませてあげるわ」

 

先程まで引き篭もっていた人物が引き篭もっていた部屋に他人を招き入れると言うのは、一種の不思議な出来事だと思う。

そんな感想を抱いたのはシヴァも同じようだ。肩をすくめて呟く。

 

「水は要らないが……まあ、邪魔する」

 

 

 

「散らかっているけど、テキトウに座って。ペットボトル有るから、飲んで良いわよ?」

 

「散らかっている……確かに言葉に違わぬ惨劇だな……」

 

通された部屋は研究室として最低限の機能を揃えたかなり広めな部類に入る部屋である……はずだ。

そんな広めの部屋を埋め尽くすように広がる本の柱に資料の山。

備え付けの大型コンピューターのほかにノート型にデスクトップ型のパソコンが数台、無数の文字の羅列を画面に浮かべている。

 

「しょうがないじゃない! データとして管理されていない情報も有るんだもの。嵩張ってしょうがないわ。

歴代の白き月の巫女の怠慢よ。ちゃんと情報を電子管理しなさいっての!」

 

腹立たしいと全力で主張するノアはバリバリと携帯食品を咀嚼する。

そんな様子や部屋の惨状に引き攣った微笑みを浮かべていたシヴァだが、思い出したように聞く。

 

「ノア……分析は順調か?」

 

「あらっ? 意外と耳が早いじゃない!」

 

シヴァの呟きに帰ってくるノアの声はどこか弾んでいた。

いつも大人よりも達観した冷たい視線で辺りを見渡す黒き月の巫女は柄にも無く興奮しているようだ。

 

「そうなのよ、コレの分析。興味深い内容ばかりでさ」

 

ノアの細い指が手近なキーボードを高速で叩く。見ないで打ち込まれたコマンドは一寸の狂いも無く、求められた情報を提示した。

 

「スピードは紋章機最速のカンフーファイターを凌ぎ、武装の火力は紋章機最強のハッピートリガーを超える。

 装甲は……解んないのよね〜一度も攻撃を受けて無いんだもの」

 

画面上で舞い踊るのは漆黒の天使。堕ちた幸運の星。

紋章機と呼ばれる皇国の守護天使が皇国軍の戦闘艦を撃ちぬく。

禍々しくも美しい涙と桜の色に塗り分けられた機体から生えるのは、神聖にして邪悪な漆黒の翼が六枚。

 

「圧倒的……紋章機五機を軽く退けるのよ? パイロットを殺さないハンデキャップ付きで」

 

画面が変わる。黒き堕天使が踊り明かす相手は、かつて苦楽を共にした無二の親友達。

自分と同質の力を持つ天使たちを漆黒の翼は軽々しくあしらう。

大人に子供が挑むように、蟻が像と戦うように圧倒的な力の差を見せ付ける。

 

「で? そっちは何か対策は思いついたの?」

 

「あっ……あぁ、本星防衛艦隊を中心に順次増強を……」

 

「……ソレしかないとけど、役に立つの? コレを相手にして」

 

「グッ!?」

 

思わず女皇としての返答が出てしまった事と、突きつけられた圧倒的な真実を前にしてシヴァは思わず苦しげに呻いた。

そんな彼女の様子に気がついているのかいないのか? ノアはとても可笑しそうに、だけどどこか悲しそうに笑いながら……とても残酷なことを告げる。

 

 

 

「でも……皇国を追い詰めているのが白き月の技術だって言うのは傑作ね」

 

「ノア!!」

 

シヴァは感情が噴出したように怒鳴るも、理論的な黒き月の巫女はソレを鼻で笑う。

再びコンソールを操作する指が流れ、画面が黒き堕天使のアップで停止する。

 

「あら? 違うとでも言うの? コレは紋章機ではないと?」

 

確かに形状や性能は何らかの理由で異なる。だが誰もが確信していた。

あれだけの艦隊を立った一機で虐殺するような力、紋章機以外が持っているわけが無い。

そして誰もが知る救世主の伴侶 ミルフィーユ桜葉が乗っている事でも理解するは容易い。

 

「解析の結果、このルシファースターには紋章機と呼ばれる大型戦闘機の特徴を備えていることが解ったわ。

 ルシファースターはラッキースターと呼ばれていた紋章機よ」

 

「そうか……」

 

手渡された資料を捲りながら、シヴァはため息。彼女はこの頃、ため息が呼吸と同じ頻度になってきている。

そんな苦労人にさらに降りかかるノアの言葉。

 

「ラッキースターが変化した理由もある程度推測できる」

 

「……」

 

HALOシステムの暴走……違うわね。正しく究極に運用をした結果かしら?」

 

 

HALOシステムは難しい理論を素っ飛ばして一言で説明すれば『想いを叶えるシステム』だろう。

まずはテンションに単純な出力の増減が影響され、強い願いや希望にはリミッターを自動で解除し、想定外のアクションすら起こす。

これが万人に使う事が出来るのならば言うこと無しなのだが、僅か六人だけがエンジェル隊と呼ばれるように、扱える者は本当に少ない。

少ないと言うのは適正を厳正に見極め、HALOを自在かつ強力に使える者だけを選んでいるから。

そうして選ばれた者達の中にも素質には若干の差が存在する。紋章機との相性以外にも……何時でも求められるテンションを維持できるか。

 

「本当にミルフィーユ桜葉は紋章機のパイロットとして優秀よね?

 それが幸せだったかは……別として」

 

どんな状況でも挫けないムードメーカー、全てを救えると信じていた楽観力。

全てを味方につけ、全てを敵にまわす運命力。そんな定めを抱き締めて微笑む心の広さ。

かの英雄 タクト・マイヤーズに愛され、愛した事が生む強固な絆。完璧だった。

人の心で……人の優しさや愚かさで世界を救う。そんな夢想を現実にする最高の担い手。

 

「理論上、操縦者のテンション次第で出力を無限に増す事ができるわ。

 例えそのテンションの源が『銀河を滅ぼす願い』だろうとね?」

 

HALOシステムが求めるのはテンションだけ。希望だろうと怒りだろうと悲しみだろうと関係ない。

もちろん銀河を救う願いも愛する人と添い遂げる夢も区別はしない。そういう面では紋章機も所詮は機械だ。

そこから生まれる力の使い方も関与はしない。これは……とてつもなく恐ろしい事。

 

 

「でも……白き月の力は……」

 

それでもシヴァは認めたくは無かった。大事な母が育み、大事な友が振るい、大事な国を守ってきた力。

そんな存在が自分達に牙をむくと言う事実を認めたくなかったのだ。

 

「もしかして『白き月の力はリスクも無い』とか『どんな犠牲も闇も生まない』なんて考えてた?」

 

「……」

 

「まっ! トランスバールの連中は大部分がそう思ってるんでしょうね?

 でも……それは過ち。白き月は黒き月の兄弟星、共にエデンをヴァルファスクから守る為に作られたのよ?」

 

『究極の兵器とは?』そんな命題への早急な答えを欲し、命題の答えが生み出す強力な兵器が必要だった。

それだけヴァルファスクにエデンは追い詰められていたのだ。つまり……

 

 

「リスクが無いなんてありえないわ」

 

 

人という不安定要素を排除するか部品として扱い、量産性と安定性を追及した黒き月

人という不安定要素を敢えて取り込み、それが生み出す無限の可能性に賭けた白き月。

どちらにもリスクが存在し、犠牲が付き纏う。

 

「黒き月はロームに主砲を撃ち込み、ヘルハウンズを取り込み、エオニアさえ駒にした。実に人道的な配慮の無い行いだわ。だけどコレは答えを出す過程に過ぎない」

 

黒き月が孕むリスクはエオニアの乱こそが最大の答えとして導き出されている。

 

「白き月との戦いに敗れて『究極の兵器とは?』と言う長き疑問に答えを出したの」

 

白が勝ち、黒が負けて導き出した答え。強き力とは、究極の兵器とは?

 

「選ばれた人間だけが操る事ができ、無限の力を生む可能性を持つ兵器。

不安定な人の精神を糧として心の触れ幅、その高さによって際限なく力を与える。

でもそれは少数の適合者に大き過ぎる力と責任、重い十字架を与えると言うこと。

そして適格者が重圧に耐え切れず鎖を千切って逃げ出した時、反旗を翻した時に止める事が困難と言う事よ」

 

それこそが白き月最大のリスク。『力と責の偏り』。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は……皇国は……」

 

崩れ落ちるようにシヴァは書類が占拠していたソファーへと身を投げ出した。

バサリと紙の束が床を叩くが、それに割く気力など無論ある筈がない。

一騎当千と歌われる紋章機がどれだけトランスバール皇国軍の戦力ウェイトを占めるのかを思い出す。

言われて見れば……それは不自然なバランスだった。そんな力をたった六人の肩に背負わせている。

もちろん軍の命令や規律は優先されるわけだが、それでも「ギャラクシーエンジェル」の名前は余りにも大きい。

そしてそれに頼りすぎていると言わざるえないのが現状だ。

 

「別に白き月の力が悪いとは言わないわ。あの時はそれしかなかっただろうし、その後も紋章機は勝利し続けてきたんだもの。

 力とはそういうものよ。リスクは常に付いてくるわ」

 

珍しく喋りすぎた喉を癒そうとペットボトルの水を飲み、ノアは一息。

 

「紋章機の力はパイロットや周りの人間にも多大な影響を与えたでしょう。

 ミルフィーユ桜葉や烏丸ちとせだけじゃない、タクトやレスターにも……もっと言えば皇国や銀河という広い括りまでね?

 今まではそれが良い方だけだった。でも今度は悪い方への影響。ソレを制御する必要があるわ」

 

「だからと言って! その悲劇を痛む事も……災いの元凶を探す事もせず、唯の鎮圧を目的として! 犠牲者同士を戦わせるなんて間違っている!!」

 

そのシヴァの言葉にノアは立ち上がり、ゆっくりと彼女に近寄って……

『パァン』

乾いた音だった。ノアの張り手がシヴァの頬を確かに打ち付けた。

痛みよりも驚きで動かない国家元首の襟元を掴み、誰よりも力の意味を知る黒き月の管理者は呟く。

 

「甘ったれるな! 力を選んだのは皇国! 如いては女皇であるアンタよ、シヴァ!!

 責任を持ちなさい。助けられた力と担い手に、その力で守った国と民に。

 もしその担い手が国と民を脅かすのならば、バッサリと斬り捨てるのが王の務めよ!?

 アンタには……『幸運の星を落とせ』と! 『ミルフィーユ桜葉を打倒せよ』と命ずる義務があるわ!!」

 

 

余りにもらしくない友の行動に、シヴァは笑う。苦笑だった。

見せ付けられた力を震わせる責任。自分の正義にこだわりすぎて、忘れていた王の資格。

 

「納得は出来ない……きっとまだ悩む。けど……お前と話して良かった。ありがとう、ノア」

 

迷える王は迷いながらも……悲しい道を一歩踏み出す。

国の為、民の為、今は亡き盟友と敵となった天使のため。