トランスバール皇国本星にあるグラーツ士官学校。
卒業後のネームバリューもさほどなく、貴族の師弟もエリートも少ない学校である。
故にさして有名校ではないが、決して中堅校に納まっているほど教官・学生・カリキュラムのレベルは低くない。
そして、近い未来で一躍注目を浴びる学校でもある。
曰く、「あの皇国の英雄とその副官の出身校だ――――」と。
ただ、内部の講師達にさえも英雄殿の在学時の成績は閲覧許可が下りなかったらしい。
講師達は不思議に思ったが深く追求するものは現れなかった。
後に、学生のデータベースハッキングによって検索されるが、英雄の在学年間のデータのみがすでに削除されていたという。
それが何者かの悪意なのか、それとも善意なのかはわからないが・・・・
星探祭〜枝祭〜
昔語り1 「Friends」
グラーツ士官学校宇宙科指揮官養成選抜クラス。
チャイムが鳴り終わって暫らくしてから入ってきたのは当時大佐だったルフトだ。
「講義を始めるぞ。・・・ん?タクト。その顔は・・・まさかまた断られたのか?」
目の前に座っているタクトの頬には不自然にくっきりと赤い跡がついている。
よくみればそれは手形だとうっすらわかる。
「ははは、さすがルフト先生目ざといな。これで12連敗ですよ」
フラれたことをあっけらかんと言うあたりタクトもさすがというか情けないと言うか。
「さすがもなにも12回も頬を張られて講義に出席されたら誰だってわかるわい。というか、本当に懲りんのう」
「いや〜、オレも今回こそは、と思ったんですけどねえ」
タクトのその反応、話がかみ合っているのかいないのか。
「どっから湧いてくるんじゃその自信は。レスターに告白した女生徒をナンパするのがそもそも間違いとは思わんのか?」
ルフトが苦笑しながら問題点をつく。
フラれたのを見てから告白するのである。
そりゃ頬くらい張られる。
タクトにだって学習能力がないわけでもあるまいに。
「いやあ、だってその子達ってフリー確定じゃないですか。オレ修羅場とか苦手ですし」
「自分とレスターがまったくタイプが違う人間だという事には気づかんのか?」
ずるずると話は続く。
「あの・・先生・・・講義を・・」
「しかしのう、このまま行くと卒業までに20敗に達するんじゃないのか?」
レスターのピリピリした抗議は完全に無視を食らっていた。
クラス中タクトの恋愛沙汰には通じており、且つ興味もあるようで、楽しそうに我も我もと話に参加していく。
「おっ、じゃあ賭けますか?題して『タクト卒業までに20敗か否か!?』だ!一口500ギャラでどうだ!」
誰より大きな声を張って大柄な生徒が調子よく立ち上がった。
タクト、レスターとともにスペースボール部に所属する部のエース、ラーク・グルンワルドだ。
ちなみに数十年の後に第4方面軍で准将にまで登りつめる。
部下によく慕われ、方面総監より頼られる男の性格は昔から変わっていない。
大きな身体の割に声はよく通るテノールの響きで、クラスのムードメーカーであり賭け事の好きなお調子者である。
「おいラーク、金銭の賭けは軍規違反だぞ!」
「なんじゃレスター、固いのう。ワシは20敗どころか30敗オーバーに10口かけるぞ」
「ルフト先生まで・・・!」
学生とはいえ士官学校。
当然規律は軍のそれに準拠する。
だがその軍の大佐がこともあろうに『固い』の一言で切って捨てた。
さすがにレスターも反論が口ごもる。
ちなみにルフトは今までこのクラスで賭けに負けたことがない。
10連敗も誰より早く予想し、金額的にも大勝ちしている。
他の生徒らがその智将の予想に追随するのは当然の結果であった。
「おいおいみんな!そんな同じに賭けたら賭けが成立しないぜ!」
ラークが数と配当を数えながら嬉しさの悲鳴を上げている。
彼自身は大穴、「否派」である。
彼の悪いところは、『倍率が低いから賭ける』所であって、決して勝算があるわけではない。
とにもかくにも室内はにわかに『タクTOTO』に盛り上がる。
「人の不幸を賭けにするなよお」
タクトが眼の幅涙を流すのは当然無視だ。
「お前ら!いい加減にしろ!ルフト先生も!講義時間ですよ!」
ほんの一瞬、場が静かになる。
別に気まずいわけではないぞ。
そもそも悪い事をしたわけでもないだろう。
だがレスターは息苦しさを覚えた。
「おー、んじゃこの時間終わったら再開な」
一応はみな士官候補生。
ラークの一言でわらわらと席に戻り始める。
そして本時の講義が始まる・・・はずであったのだが。
「けどさレスター。お前もどうして断り続けるんだ?」
タクトの何気ない一言。
その答えにクラス中が即座に耳をそばだててしまった。
「なんだいきなり。講義もう始まるぞ」
そう、普通ならこれで受け流してさっさと逃げてしまえばよかったのである。
そう、普通ならば。
「わしも聞きたいのう。レスターのあの意固地なまでの硬派な態度。気になるわい」
そう、普通ではない。
この講師は。
そしてこのクラスも。
「よおっし!何でも話しちゃってくれよレスター!みんなでお前の恋バナを聞いてやるからさ!」
ルフトのノリによってクラスが盛り上がり、ラークなどは大きなサイコロを取り出している。
それはトランスバール全領域内に系列放送局を持つキー局、『トラテレビ』の某お昼の人気番組に使われているものと酷似していた。
しかも六面すべてに「恋の話」と書かれている。
いったいどこから取り出したんだそんなものを。
ツッコミたかったが奴等のペースに乗っては負けは必死だ。
「馬鹿馬鹿しい!なんで今そんな話を!」
「違うぞ、レスター。今は『馬鹿らしい話』じゃなくて『恋の話』だ」
タクトがラークから受け取ったサイコロをレスターの前でちらつかせて挑発する。
「うっとおしい、知るかそんなもの!」
激昂したレスターがタクトの手を払ってサイコロを弾き飛ばした。
その瞬間、生徒数人が馴染みのメロディーを口ずさみだす。
タクトがサイコロを追う。出た目は・・・!?
「恋の話!略して!?『恋バナ』!」
「恋バナ!」
タクトのフリにあわせてルフトもラークも、クラス中が声をそろえる。
駄目だ。
もうついていけない。
辞めようか。
レスターは真剣に考えた。
「さぁさぁレスター。観念して語ったらどうだ?自分の好みをさ」
クラス中、ルフトまで味方につけたタクトの態度は余裕だった。
いつもと逆の立場にレスターを追いやってご満悦らしい。
レスター・クールダラスは観念した。
「・・・・・・そ・・もの・・い」
「は?」
小声でよく聞き取れなかった。
「そんなものはないといったんだ!女などろくでもない!色恋など下らん!」
「ええ〜〜〜〜っ!」
クラス中がブーイングに包まれる。
る、ルフト先生まで。
オレは悪い事をしているか?
レスターは自問した。
「女子供は好かん!」
「なんで女の子が嫌いなんだよ〜」
「泣くしわめくし理屈は通らんし、何事も人を頼っていて自立という言葉がまるでない」
そう、その通りだ。
口に出してみて改めて自分の考えに同意する。
口やかましいくらい喋るくせにその中に理屈は無い。
いくら理屈を説いても自分の荒唐無稽な論を曲げようともしなければ、そのうち涙か激昂で訴える。
平時は人の助けなど無くても自分でもできると言いながらも、いざとなれば人の助けばかり当てにして自分では何もしない。
レスターが今まで出会ってきた、または言い寄られてきた女性の多くはそういう人間だった。
だからレスターは『女性』というものはそういうものだと信じて疑わなかった。
「じゃあそうじゃない女の子がいたら?」
「は?」
いきなりのタクトの反問。
レスターは今自分の中にある「女」という性質を確認したつもりだった。
それに当てはまらない女?というかそれは女か?
「静かで理論派でなんでも一人前にこなして悲しい事やつらい事があっても泣かないで乗り越える可愛い子がいたらいいのか?」
「うっ・・いや、そんな女・・そもそも色こ」
思わず口ごもる。
その瞬間を、タクトが見逃すはずは無かった。
「なるほどな、分かったよレスター!さ、先生。講義始めましょうか」
タクトの全開の笑顔が有無を言わせない。
レスターは言いたい事を言わせてもらうことは出来なかった。
「ん?おお、そうじゃな。始めるか」
「おいタクト!いきなりなんだ!オレは一言も・・」
「なんじゃレスター。静かにせんか。さっきまで講義を始めたがっとったではないか」
「ぐっ・・すみません」。
タクトの奴め、また何か考え付いたようじゃ。
面白そうだし乗ってやるとしようかの。
ルフトの変わり身の早さもすさまじく残酷であった・・・
そしてクラスの他の生徒らも同じであった。
タクトのおかげでまた何か楽しい事がありそうだ、と。
みなニヤニヤしながら、本来レスターが待ち望んでいたはずの講義がようやく始まったのである。
3週間後、またしてもレスターは校舎裏のイチョウの木の下にいた。
・・・よくよくこの場所と縁がある男である。
「どうしてあの人なの?私じゃ駄目?」
「は?あの、なんのことだか・・」
襟章を見るとどうも先輩らしい眼鏡をかけた内気そうな女生徒に半泣きで訴えられている。
本当に何の事だかわからない。
「私、私のほうがクールダラス君のこと・・・」
「よくわからんが、新手の告白か?オレは誰とも付き合う気は無いぞ」
放って行こうとするレスター。
後ろを向いて歩き出した、その時。
「待って!どうしても眼鏡だけじゃ駄目なの!?私だって年上なのに・・」
必死の涙声が掛かる。
めがね?
何を言っているのかさっぱり分からなかったが、とにかくこういうのは相手にしないほうがいい。
足早に立ち去ったレスターの頭には疑問符が浮かんでいた。
だから気づかなかった。
今日はタクトが現れてナンパを始めないことに。
校舎内を歩く。
なぜだか視線が気になる。
どういうことだ?レスターは考えた。
なぜ視線が集まるのか。
特別身なりにおかしいところはないはずだ。
これと言って目立つ行為をしているつもりもないし、普段からもそうだ。
なぜ見られている?生徒らはちらちらとこちらを見ながらこそこそと話までしている。
これは不快だ。
「おい、オレになにかおかしなところがあるなら直接言ったらどうだ!」
手近な3人組みの男子生徒を捕まえて詰問した。
「いや、おかしなところがあるわけじゃないよ!ただ・・まあ納得って言うか・・」
「告白断りまくってるのはそれでか。ってさ・・・」
「色男は羨ましいなあ。よりどりみどりで」
何の事だかレスターにはさっぱり分からない。
最後に口を開いて何の事かはわからないが皮肉らしきものを口にした生徒の肩を掴み、より詳しく問い質す。
「いや、クールダラスの女のタイプが『人妻で眼鏡の女教師』って聞いたからさ!」
肩を痛いほど掴まれた生徒―――パトリックは苦しそうに言った。
その瞬間、レスターが固まって腕の力がわずかに抜ける。
「そりゃ女生徒に興味ないわけだよな。このグラーツ校にはまさにぴったりの人がいるからなぁ」
もう一人の生徒、ジョナサンが腕を外してやりながら言う。
レスターはいまだに固まったままだ。
「あ〜あ。グラーツ校1のイケメンにして秀才のクールダラスならエリザベス先生もイチコロだよなあ。憧れてたのに」
3人目、ガストが悔しそうに拳を握る。
どうも『人妻で眼鏡の女教師』は彼のタイプであった様だ。
レスターの意識はしばらく回復することなくフリーズ状態であった・・・
エリザベス・フェルナー大尉。
旧姓キャンベル。
この4月に結婚したばかり。
結婚を機に配置換えで士官学校の講師に配属された女性士官。
纏め上げられた黒い髪と実用的で飾り気のない眼鏡は彼女の人気を支える要因のひとつとなっている。
性格はどちらかと言えば気が強いほうで、有名な士官学校を優秀な成績で卒業した有能な軍人であったらしい。
華美さのない、より地味にアレンジされた軍服は、まさに『人妻で眼鏡の女教師』なのだ。
男子生徒からは人気が集まっていて、彼女の経歴や旦那の顔、職業、更には彼女が着やせする事まで調べにより明らかになっている。
数分後、レスターは滅多に見せない、つまりはたまに見せる憤怒の形相で足早に廊下を歩いていた。
グラーツ校生徒の大半は知っている。
『クールダラスがこんな顔をしている時はマイヤーズが何かやったんだ』と。
「おいタクト!!」
教室のドアががらりと大きな音を立てると同時に・・・という事は自動ドアのためありえないが、それに近いイメージでレスターが入ってくる。
タクトは大声で笑いながら読んでいた漫画から顔を上げて眼をレスターに向ける。
「おーっレスター、ちょうど良いところに!これ面白いんだよ!目からとんでもない威力の光線を出す宇宙人がもう大暴れでさ・・」
「そんな事はどうでもいい!おまえ、何をした!?」
「・・は?」
タクトが笑いすぎで荒く息を吐きながら漫画を閉じる。
表紙に描いてある幼く可愛い女の子の絵からは、とてもじゃないがさっきタクトが語った内容とは思えない。
「は?じゃない。なんだあの噂は!」
「違うって、『レスターはこんな女の子が嫌いだ』って言ってただけさ。それをみんなが尾ヒレつけて話してるうちにさ・・・」
嘘だ。
自分達で証言とは正反対の女性像を分析し、時に増長させた上で『レスターの好みのタイプ』を捏造し、ばら撒いた。
「オレはエリザベス先生の事は後で初めて聞いてさ、『さすがにそれは誤解だろう』って思ってみんなに否定してたんだよ」
これも嘘だ。
タイプのウワサを撒いたのと時を同じくして『レスターに好きな人が居るらしい、タイプと一致する人って誰なんだろう』と何気なく会話に混ぜた。
後は候補生達の噂話に委ねるだけだ。
この頃から既にタクトにとって群衆世論を操る事など造作も無かった。
ただ、一言、余計なのだ。
「信じてくれよ、レスター。友達だろ?」
「悪いがとても信じられん」
この一言だけで疑いを持つには十分だった・・・
そして、その日からエリザベス・フェルナー教官のレスターへの態度が変わったのである。
露骨に意識するような接し方になった。
学生達はそれを見てまた噂話に花を咲かせ、そして感じていた。
タクト・マイヤーズが趣味である日々(講義中)の読書(ただしコメディ漫画)と思考・創造力鍛錬(ただし夢の中)を辞め、何かやっている、と。
そしてそれ全てに気がつかないのはレスターただ一人であったと言う。
2週間後、レスターはタクトと商店街で別れ、家路を急いでいた。
『家路』とは言うが、2人は士官候補生。
当然学内の寮に住んでいる。
講義後の自由時間に町で遊んだ帰り、連れの間抜けが『身分証を忘れた』などと戯けたことを言い、一人ファーストフード店へ戻ったのである。
そんな馬鹿に付き合う気はレスターには無い。
それで門限を過ぎでもすれば自分まで罰則を受けてしまう。
あいつも少しくらい痛い目を見れば馬鹿も直るかも・・・
一瞬考えたがそれは無いだろう。
これまでのあいつのやってきた事例が証明している。すなわち、『馬鹿は死んでも直らない』と。
そんなくだらない事ばかり考えながら近道である公園を抜けようとした時であった。
そろそろ外灯を点けなければ見通しが悪くなってきた頃合であったせいで最初は誰かわからなかった。
ブランコに座り込んでいるのはエリザベス・フェルナー教官ではないか。
「・・教官?フェルナー先生ですか?」
「あ・・レスター君」
振り向いた瞬間、公園の外灯が一斉に点き、明るくなる。
急に光が顔に差し込み、エリザベスは思わず眼を閉じる。
光を反射しながら目尻から頬を滑っていくのは、涙。
レスターのひとつきりの眼には宝石が転げ落ちるように見えた。
「あの、どうなさったんですか先生?」
「・・ちょっと主人のことで・・ね。聞いてもらえる?」
エリザベスは指で涙をそっと払い、微笑んだ。
しまった。
レスターは後悔していた。
なぜ自分は気安く声をかけてしまったのか。
確かに無言で通り過ぎるのもおかしい。
そりゃ普通『どうかしたのか』聞くだろう、おかしくは無い。
だがこんなところで『夫の愚痴』なんぞ聞きたいわけでは決して無い。
それなりにこの人の能力は認めている。指導力もある。
この人の講義はレスターのクラスにもあるのだ。
涙ながらの頼みを断っても後味悪くなる。
ああ、かと言って『夫の愚痴』を聞いたら聞いたで後味が悪い。
ただでさえ学校中の噂になっているのだ。
ああ、そうか。
今更ながら気づいた。
この状況は既に手詰まりだ、どうにもならない。
同期一の秀才は問題の打開を諦めた。
「・・・で、主人は退役を進めてくるんだけど・・」
「はぁ」
さっきからこの調子である。
結婚したはいいが、夫は軍役を続けるのには反対し、エリザベスは前線から退く気は無かった。
周囲の声もあったため、一応は『士官学校の教官』で落ち着いたものの、いまだに退役を進められているという。
「ねえ、レスター君はどう思う?やっぱり女は家庭に入ったほうがいい?」
愚問だ。
とレスターは感じた。
いや、家庭に入ることがじゃない。
そんな事は自分で考えて答えを出すものであり、他人、それも自分の教え子に意見を求めるような話ではない。
だが、ここで何も答えないわけにも行くまい。
話は聞いてしまったのだから。
レスターは『女は家事をするものだ』とは考えてはいない。
ただし、あくまで『働くだけの能力があるなら』と言う前提においてだ。
実際、出世して能力を発揮している女性がいるのは知っている。
理を解さずにわめき、筋を通さないようなら仕事をしないで欲しい。
それは男も女も変わらない。
それが持論だ。
そういった内容の事をエリザベスに話そうとした。
なるべく刺激しないように。
「あ、ごめんなさい、こんなことレスター君に聞く事じゃないわね」
口を開いたところまでで遮られた。
まあ気を使った回答を話す必要がなくなったのだから構わないのだが。
「・・これを見てくれる?」
エリザベスが取り出したのはハンカチ。
何の変哲も無いただのハンカチにしか見えないが。
レスターは少し身をかがめ、顔を近づけてよく見ようとした。
パフッ
鼻と口の上にあてがわれたハンカチ。
レスターが状況を把握しようとした瞬間に異変が起こった。
「なっ・・あ・・」
頭の芯から急に重くなって思考が働かない。
身体が動かない。脳は既に末端への伝達指令が出せなくなっている。
これは、まずい。
悪戯っぽく微笑むエリザベスが最後に視界に入り、そのままレスターの意識は闇に溶けた。
ぐったりと重くのしかかってくるレスターの身体を支えながらエリザベスは笑い出した。
「簡単なものね。独眼竜の伊達男さん」
互いが互いにしなだれかかっているように見えるようにレスターを支えて歩き出す。
かなり力を使うが、自分だって前期まで軍で最前線にいたのだ。
これくらいは造作も無い。
そのまま公園の外に停めてあった車に乗せて、走り出した。
タクトは暗くて狭い場所にいた。
なにやら大きな機械が用意されており、そこで電気も点けずにじっと黙り込んでいる。
いや、寝ている・・のか?
ピピッ
「はい、こちら『キング』、どうぞ」
ぱっと眼を開け、通信にこれまで無いほど真剣な顔つきで答えた。
時は来た、とでも言いたげに。
<た、大変だ、タクト!れ、レスターが先生に攫われた!>
向こうでは相当な大事になっているのだろう。
通信相手は半ばパニックになったように慌てていた。
「おいおい落ち着いて報告してくれよ『ナイト』。まずオレは『キング』。レスターは『目標』とエリザベス先生は『クィーン』だろ?」
『ナイト』と呼ばれた通信相手はそれで少し落ち着いたようだ。
<『クィーン』が『目標』を薬により捕獲、車に乗せて公園を離脱しました>
なるほど、薬か。
それは確かに大事になってきたかもしれない。
タクトは我知らずニヤリと微笑んだ。
「そうか・・その車・・『敵艦』の捕捉はできているかい?」
<今『ポーン』達がエアバイクで交代で尾行しているけど、急なことでどうも見失ったみたいだ>
タクトはこれを予想したからこそエアバイク部隊を用意させたのだが、みんなの認識が甘かったらしい。
だが、この状況も、考えてなかったわけじゃない。
「ねえ、『ビショップ』。『目標』の居場所、わかるかい?」
暗闇へと声をかけると、ごそごそと動き出す者がいた。
動きに合わせ、機械が電子音や機動音を立て始め、場はにわかに明るくなる。
「ん〜、発信機は急ごしらえだったんで性能に自信が無いんだよなあ・・動作テストもしてなかったし」
『ビショップ』はぶつぶつ言いながらも楽しそうで、
「おっ、やった。現在トラバ銀座商店街方面に一直線ってとこかな」
「サンキュー、助かったよ」
状況を確認してからタクトは再び通信機に手を伸ばす。
「こちら『キング』、『敵艦』の位置を捕捉した。恐らくトラバ銀座商店街を抜けたところにある『大人のお城』に『目標』を連れ込む気だ」
<なにぃっ!?れ、レスターが『大人のお城』に連れ込まれる!?>
『ナイト』が慌てた声を出す。
「というわけで、先回りできるかな?」
<おい、こんだけ離されてんだぜ?>
「頼むよ、パイロット養成科のエース」
<・・了解、『キング』。で?入り口で『目標』を奪還するのか?>
「いや、入っていくのを確認してくれれば良い。接触はしないでくれ」
<大丈夫なのか?>
一瞬の沈黙とともに不安そうな声が返ってくる。
「だいじょーぶだいじょーぶ、任せてくれよ」
本当に大丈夫なのか・・レスターのやつが『大人のお城』に連れ込まれてあれやらこれやらあまつさえ・・・という事になったりしないだろうか。
それはやっぱりむかつくし、それに薬を使ってしまってはもはやこれは犯罪行為だ。
でも、司令官が何とかするといっている。
任せてみるか。
<ふう、頼んだぜ?じゃ、見事追い抜いて先回りして見せてやるよ>
自信たっぷりな声。
どうやら信じてくれたようだ。
「ああ、心強いよ」
ピッ
通信が切れてからタクトは我慢できなくなってはじけたように笑い出した。
「あっははははははは!レスターがそんな簡単に『大人のお城』に連れ込まれるなんて!」
「笑いごとじゃないぜ、タクト。入り口で止めないでどうするんだ?」
通信、発信機器担当の『ビショップ』が心配そうに聞いてくる。
「救出はギリギリのほうが物語としていいだろう?それにレスターも一度くらい大人の魅力に負けてもらわないと、ね」
言ってることはかなりどうかと思うが、それでもちゃんと助ける気はあるらしい。
「さ、『ルーク』。出番だよ」
タクトは横で本当に眠っていたらしい『ルーク』に声をかけた。
「ん、ああ、出番?そうかついにか!」
大柄な体格が不似合いなテノール声を鳴らして起き上がる。そう、ラークだ。
「今からオレと出発して『大人のお城』で待機、いいかい?」
「任せろ」
「あと、ルフト先生」
タクトがくるりと後ろを振り返ると、大仰な椅子にゆったりと座ったルフトが首を傾げた。
「なんじゃ、『キング』。ワシは手を貸さんぞ」
そう、彼の役割は後ろから面白そうに見ているだけだ。
「いえ、そうじゃなくって、寮の門限の事はいいんですよね?」
「ん?」
なるほど、時計を見ればちょうど閉門時間に差し掛かる頃だ。
これだけ好き放題やっておいて、自分を含めてみんなの安全まで確保しようと言うのだから欲張りと言うか良くできた司令官だと言うか。
「おう、ちゃんと『作戦行動の課外実習』と言うてある。『ある生徒の熱心な頼みを無下に断れなくてつい』とな。安心せい」
それを聞いてその場に居合わせた生徒は歓声を上げた。
が、タクトは一人心中穏やかでない。
「せ、先生そのある生徒って・・」
ルフトがニヤリとして頷く。
「無論お前の事じゃタクト。後で文句を言われるのはワシとお前じゃな。誰が一人で責任被ってやるものか。道連れじゃ、主犯」
「はっはっはっ、だってよ司令官。さて現場に行こうか」
一瞬固まってしまったタクトの首根っこをラークが捕まえて引きずっていく。
「先生そりゃ無いですよ〜〜!」
ラークに引っ張られるタクトの声が遠くなっていき、室内は再び闇と静寂を取り戻していった―――
「ん・・・ここは・・・?」
目が覚めた。
だがまだ頭が重い。
普段のレスターの寝起きは悪くない。
これは薬のせいだ。
鈍く、重い頭で、それでも懸命に思考をめぐらしようやく状況が見えてきた。
「・・そうか、フェルナー教官に薬を嗅がされたのか・・くそっ、抜けてたな」
手と身体は別々に柱にくくりつけられており、脱出どころか立つ事すら難しそうだ。
「あら、目が覚めたの?」
エリザベスから声が掛かり、レスターはそちらを見た。
「なっ!!」
エリザベスの肢体はバスローブに包まれ、ほんのりと紅く上気しており、まだ湯気を纏っていた。
「何のつもりですか!先生!」
頬に朱がさしたレスターが思わず声を荒げる。
「あら、リズって呼んで頂戴。何ってわからないレスター君でもないと思うけど?」
微笑むエリザベスは確かに艶めいて、妖しさすら感じる。
「主人と順調じゃないのは本当よ。そうでなきゃさすがにこんなことしないわよ」
「だから教え子に手を出すと?」
「君が私に気があるってウワサを聞いてね。お願いを叶えてあげようかと」
「馬鹿な!そんなくだらないデマを信じたんですか!?なら・・!」
そうだ、それなら『こんなこと』はしない。
「うふふ、デマだってことくらいわかるわよ。でも、私が君の事を気に入っちゃったのよね。グラーツ校の独眼竜さん」
しゃがみこみ、レスターの顎を指で持ち上げて囁くように異名を呼ぶ。
『独眼竜』。それはレスターへの畏怖と尊敬を意味してあだ名された異名である。
学校始まって以来の成績を修め、当代のセンパール校の首席すらも遠く及ばないほどの秀才。
由来はかつて銀河が暗黒時代であった頃に遡る。
戦国時代のトランスバールに隻眼の武将がいた。
その智と勇、並ぶもの無しとして大陸の東を束ねていた。
―――その国には独眼の竜がいると。
統治友好国では尊敬をこめて。
周辺敵対国では畏怖をこめて。
武将をそう呼んだという。
そのことから、既に軍内部でも多少レスター・クールダラスの名は知られており、各部署からスカウトの声も上がっていた。
「さて、わかってくれたかしら。おとなしく諦めてくれないかな?」
エリザベスはすばやくレスターの詰襟のファスナーを引き下げ、シャツのボタンも一気に引き下ろし、飛ばす。
肌を露わにされたレスターは身をよじろうとした。
しかし縛られ、押さえつけられているせいで満足に身体を動かせない。
「止めろッ!ほどけっ」
「ふふ、素敵ね」
厚い胸板にそっと5本の指を添えられる。
シャワーを浴びてきてまだ間もないというのに既に指はひやりと冷たく、不快感を覚える。
「鼓動が速いわね。ドキドキして・・大丈夫よ、私に任せて」
「やめて下さい!フェルナー大尉!」
「リズって呼んでっていったでしょ?」
エリザベスの唇がレスターに近づく。
押さえられて身動きができない。
まずい。
「やめッ・・!」
「そこまでだ!」
なにやら大きな音と共に凛々しいようなそうでないような声が場に響く。
エリザベスが振り向くと、部屋のドアが倒れたぬりかべのごとくお役御免になってしまっている。
ラークの仕業だ。
スペースボール仕込みのタックルで蝶番を吹っ飛ばして進入して来たのだ。
そして声を響かせたのは―――
「助けに来たぞ、レスター!」
「た、タクト!?」
「マイヤーズ君・・!な、何で君が?」
バスローブの胸元が緩んでいたのをかき合せながらエリザベスが警戒態勢を取る。
「何でも何もあるものか、ピンチの時には駆けつける。それが親友だ。先生、オレの親友を返してもらいますよ」
その後のタクトはまさに電光石火と言わんばかりに抵抗してきたエリザベスを取り押さえ、レスターの縛を解いた。
こうしてレスター救出作戦は大成功を収め、グラーツ校は「SAVE RESTER」の名の元に一つとなったのだ。
タクトとレスターの友情の絆はより一層厚くなり、押すに押されぬ大親友として後の学校生活を過ごしたという。
フェルナー大尉は事が大きくなって懲戒免職になる前に辞表を提出、夫の望みどおり専業主婦となったという。
この事件の為にグラーツ校の独眼竜はエリートコースを蹴り、酔狂にも方面軍を志望した親友の後を追い、その副官になったという。
もっとも、その親友が『皇国の英雄』と呼ばれるようになり、再び軍は竜を目の前にすることになるのだが。
「そ、そんな事があったんですか」
「そうなんだよ。レスターの女性のタイプ、確かにオレがデマ流したんだけどこんなに大事になるとはさ」
「タクトさん、変わっていらっしゃいませんのね」
白き月のカフェ。
タクトとエンジェル隊、それにアルモとココの大所帯がタクトの昔話を聞いていた。
アルモが『以前レスターさんに司令にレスターさんの女性のタイプを聞いたらすごく怒ってたんですけどどうしてですか?』と言ったためだ。
例によってその場に居合わせたエンジェル隊が『自分も聞きたい』と集まってきたのである。
「でもタクトもなかなかやるじゃない!『親友を助けに』ってかっこいいわよ!」
蘭花が想像して褒めちぎる。
「いや、あの時はもうレスターを助けるために必死でさ」
「素晴らしいです、タクトさん。友情の絆、なんと美しいのでしょう」
ちとせももう何度も頷いてハンカチで目尻など拭いている。
それを見ればタクトもさらに調子付いてしまう。
「そうかぁ?自分で事件起こして収集させてりゃ世話ねーやなぁ」
「昔っからある意味恐ろしい方でいらっしゃいましたのね」
フォルテとミントは溜息をつくばかり。
「・・・・」
ヴァニラは黙ったままである。
恐らく呆れているのだろう。
「タクトさんがそんなに女の子好きだったって言うのはちょっとなぁ・・」
ミルフィーユが少し口を尖らせていた。
「いや、ほら昔は・・だけど今はミルフィー一筋だからね!?」
タクトの弁明は必死だ。
「あ〜、でもレスターさんが大人のお城へ連れ込まれたくだりではもうアタシ気が気じゃ無かったですよ」
「うんうんオレもだよ、でもあのおかげでレスターとの友情が一層・・・」
「誰と何がなんだって?」
全員が声のしたほうを振り返る。
そこには―――
「れ、レス・・ター?」
「楽しそうだな、タクト。話は聞かせてもらったぞ・・」
「いや、ほら、オレと君の友情のストーリーをね・・」
「助け出されたオレがお前に感謝して副官になったってか・・・」
レスターの顔はもはや血が上るのを通り越して青ざめるほどだ。
タクトも油汗べっとりで顔色が悪くなってきた。
「そ、そうそう!それで・・・」
「そう、それで助けられたオレはお前にまず何をしたっけな?」
「あの、レスター?」
「覚えてないならもう一回やってやろうか?」
「ちょっと、待てよ!」
指をゴキゴキと鳴らし、既に臨戦態勢だ。
「助けてぇ~~!!」
脱兎のように駆け出した。
あの日も、レスターによってこれ以上は無いほどボコボコにされたのだ。
フェルナー大尉が迫ったのも、公園での悩み相談まではタクトからの依頼だったからだ。
「アナザースペースから出てこないほうが良かったかもな」
フォルテがぽそりと呟く。
「まったくですわね。でもま、お2人らしくてよろしいんじゃありませんの?」
ミントも溜息交じりで苦笑する。
「仲良き事は、美しき哉」
ヴァニラが同意する。
「美しい・・・とは違う気がするんですけど・・・」
ちとせが笑みを強ばらせる。
「あ、タクトさんつかまっちゃった!」
ミルフィーユが慌てる。
「おーっと副司令関節技ね!?見事にタクトの腕が極まってるわ!」
助けに行こうとするミルフィーユを制し、蘭花が格闘好きな実況を始める。
「ねえ、最近副司令よく笑うようになったわね」
ココがそっとアルモに耳打ちする。
「うん、マイヤーズ司令が戻ってきてから特にね。・・まだかなわないのよねえ・・・」
竜に懸想した月の巫女が肩をすくめて笑った。
「お前は放っておくと嘘ばかり教えてやがるだろ!」
「や、やめやめ!腕折れるって!」
「アルモに『眼鏡』がどうこう言われたときには艦内でその噂が広がってると思って生きた心地がしなかったぞ!」
「いや、それでもうまくいってるようでよかったよかった!」
「・・・・・」
「いたたたたたたたたた!レスター!折れるって!」
「一度折ったほうがいいかも知れんな。ヴァニラもいるし」
「ごめんって〜〜〜!!!!!」
天使達と英雄。
そこに竜と巫女も加わって。
破天荒な祭りは、楽しく、そしてにぎやかに続いていく。
あとがきっ
無事?終わりました。番外編、「枝祭」ですが、レスターとタクトの士官学校時代。
無茶をしたなと自分でも思いますが。
まずは逆井さん、「独眼竜」使わせてもらいました!ありがとうございました!
申し訳ないとも使わないほうが・・とも思ったのですが、もはや私の中で公式設定です。ありがとうございました。
ええ、これって星探祭の本編自体は終わった後の話なんです。
タクトを書きたくて。
物書きうずうずで。
脳内で動き出したら楽しかったです。
その楽しさが少しでも伝わればいいな。
次はちゃんと本編4話書きますので。よかったらヨロシクです。
でもまだ番外編の構想もたくさんあります。
レスターの眼帯の謎とかタクトの副官になった経緯とか。
タクトの家庭事情とか士官学校に入ってからレスターに会うまでとか。
書ききれないですね。
ゆっくりやります。
ではまた。 雛鸞