第二十七章「祈りの果てに」

 

 

 

 

 

――――――君、家の人は?

 

 

この言葉が、裕樹の中の最古の記憶だった。

あの、雪の降り続けた日、自分は、水樹夫妻にひろわれた。

その時は、自分がどうしてここにいるのか、理解できなかった。

 

 

 

――――――君の名前は?わかるかい?

 

 

 

よく覚えていなかった。

たしか・・・あさ・・・浅、倉・・・裕樹・・・

 

 

――――――あさくら、ゆうき

――――――あさくら、ゆうき?・・・漢字は、朝倉裕樹、でいいのかい?

 

 

よくわからなかった。

わからなかったから、とりあえず頷いた。

そしたら、この人たちは優しく微笑んでくれた。

 

 

――――――そうか。よし、裕樹君。これからは一緒に暮らそう。

 

 

よくわからなかった。

けれど、この人たちがあまりに嬉しそうに微笑むものだから。

自分は、頷いた。

 

 

 

 

 

 

――――――あ、おかえりなさいっ。・・・・・・だれ?その子。

 

 

小さい女の子だ。

こんなにも可愛い子がいたのだと、少し思った。

その子は、不思議そうに自分を見ている。

 

 

――――――美奈、今日からこの子は家族なんだよ。

――――――かぞく?

――――――ああ、そうだよ。

 

 

そしたら、その子はなんて明るい笑顔を向けてくれたんだろう。

 

 

――――――よろしくね!・・・ええっと・・・

――――――ゆうき。あさくら、ゆうき。

 

 

よくわからなかった。けど、自然と名乗っていた。

 

 

――――――そっか、よろしくね。ゆうき!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、裕樹と美奈の初めての、――――――二度目

出会い、――――――再会

だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(・・・懐かしい夢だな・・・)

裕樹は自然と目が覚め、先ほどの夢を少し懐かしんだ。

と、ベッドに寝ているはずなのに自分の胸元に異物を感じ、視線を下ろす。そこにいたのは、

「おはよ、裕樹」

間違えようのない少女、美奈だった。

そう、美奈は意地でも自分と同じベッドで寝ると言いきり、承諾したのだ。

もっとも、こんなことぐらい、昔に何度もしたので、今更といった感じだったが。

位置的に上目使いで微笑んでくれる美奈を見つめ、昔のように笑って返す。

「おはよ、美奈」

そのまま美奈は、自分の胸元に頬をすり寄せ、甘えてきた。

ふと、思い出すように尋ねてきた。

「そういえば、裕樹眠りながら笑ってたよ。いい夢でも見た?」

「ああ、昔のね・・・」

「へぇ。・・・どんな?」

見つめて、続きを待つ美奈に笑って返す。

「美奈は昔から可愛かったな、って」

布団の中で美奈の頬がほんのり赤く染まっていく。が、急にハッとしたようにこちらを睨んできた。ただし、迫力など微塵もない。

「裕樹・・・・・・今なにか誤魔化さなかった?」

「・・・なんでそうなる?」

「昔もこんなパターンでよく嘘つかれたから」

ちなみに、お互いに本気ではない。

これもある種のスキンシップなのだ。

裕樹自身、少しは認めるところがあり、わざとらしく目を逸らした。

美奈は唇を尖らせていたが、やがて優しい笑顔を向けてくれた。

「・・・でもいいや」

「なんで?」

「裕樹のつく嘘は、誰かを傷つけたくない、優しい嘘だから・・・」

無性に照れくさくなったが、そこを美奈が見逃すわけがなかった。

美奈は布団の中をモゾモゾと動き、無邪気に抱きついてきた。

そんな美奈が、たまらなく愛しく感じる。

自分のそばにいてくれる存在が、こんなにも嬉しいものだと改めて思った。

けど、まだ終われない。

まだ戦いは終わってないし、タクトたちを見捨てられるわけがなかった。

(それに奴を・・・ジェノスを許すわけには、いかない・・・)

まだ、終わるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、裕樹と一緒に朝食をとった美奈は、自分の希望でエルシオール内をまわってみることにした。

言い出したら聞かないとわかっている裕樹は、地図とクロノ・クリスタルを心配そうに渡した。

そう、何故なら彼女は。

 

 

 

(うわ〜〜広いなぁ。・・・どこからまわろっかな?)

地図を見ながらうんうんと考えを捻る美奈。まるで遊園地をどこからまわろうか悩んでいるように見えて仕方がない。

「え〜〜〜っと・・・・・・アレ?」

地図から目を離し、長い髪を靡かせながら、周囲を見渡す。

「ここ・・・ドコ?」

似た者同士というか、美奈はかつての裕樹と同じようにわずか数分で迷子になった。――――地図すら持っているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・で、結局こうなるワケだ」

「うぅ・・・」

美奈は裕樹の左腕にしがみつきながら不満の呻きをもらしている。

なんだか裕樹のあきれた態度が妙にくやしい。

――――――もっとも、迷子になって裕樹をクロノ・クリスタルで呼び出したのだから文句すら言えない。

「というか、地図すら持ってるのにその歳で迷子になるかね、フツー」

「う・・・だ、だって・・・」

何か言い訳を思いつこうとしたが、裕樹の言うことが正しすぎて何も言えない。

そんな、慌てながら、みえみえなのに必死になって誤魔化そうとしている美奈が、たまらなく可愛く感じ、よりからかいたくなってくる。

「・・・なんていうかさ」

「・・・?なに?」

「美奈って、行動思考が積極的というより挑戦的なんだよな」

「う・・・」

ようは挑戦者(チャレンジャー)だと言いたいのだ。顔がそう言っている。

言い返せない事もあり、美奈はますますふくれてくる。

「・・・なんか、今日の裕樹・・・いじわるだね」

が、それでもかまって欲しいと言わんばかりにこちらを見ている。裕樹は笑いながら左腕にしがみついている美奈を見つめる。

「あはは、ごめんごめん。つい、さ」

「・・・もう」

拗ねているはずなのにそんな仕草さえ可愛く見えてしまう。

裕樹は思わず、美奈をギュッと抱きしめた。

「ひゃっ」

驚く美奈に構わず、裕樹はしばらくその温もりを楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちとせの目は何も見ていない。何も捉えていなかった。

つい先日、ちとせが知った感情はちとせの心にあまりにも辛い傷を残した。

「・・・・・・」

本当は、気づいていたのかもしれない。裕樹の見ていたものが、自分に向けられている感情がどういうものなのかを。どれほどのものなのかを。

自分の気持ちが、正直な思いが分からない。

本当は、自分は恨んでいるのではないだろうか。突然現れ、裕樹を奪っていったあの少女、水樹美奈のことを。

見た目にも麗しく可愛らしく、明るい性格なのに本質ではもの静かそうな雰囲気をたずさえ、自分の髪よりも美しい真紅じみた長髪をもっている彼女のことが。

(・・・何を考えているのかしら、私・・・)

これでは嫉妬だ。彼女は何もしていないのに。

それに彼女は裕樹が信じている女性なのだ。

それ故、一度話がしたかった。一体、どんな女性なのかを。

「・・・大丈夫?ちとせ・・・」

ハッとしてランファを見る。心配そうな顔をしていて、自分がどんな顔をしていたかが伺える。

「はい・・・すみません」

見つめ直してから持っていたコーヒーを喉に通した。

カフェインを感じて、ようやくちとせは今、ティーラウンジにいるんだと再認識する。そういえばエンジェル隊のメンバーに誘われて来た記憶がうっすら残っている。

が、お茶をしているというのに会話は皆無だった。それが自分のせいなんだとちとせは思うと、やるせない気持ちになってくる。

「あの、先輩方・・・私は、もう大丈夫ですから」

そう言った直後、ティーラウンジに来客の気配を感じ、6人の視線はそれにならった。

その人物、2人は、まさに今考えていた裕樹と美奈だった。

「あ・・・・・」

ちとせは咄嗟に言葉につまった。考えていた二人が現れた、というのもあるが何より二人の存在だった。

まるで、絵画を見ているかのようだ。

水色の髪に透き通るような青の瞳を持つ裕樹に、赤みの強いピンクのロングヘアーに優しい青みのかかった紺色の瞳を持つ美奈。まるで、一緒にいるのが当たり前と言わされているようだ。

裕樹と美奈はいきなり6人の視線を受け、少し驚いたがすぐににこやかな笑顔を向けた。

「どうもです」

美奈がペコリとお辞儀する。

「ようみんな。みんなそろってどうしたんだ?」

裕樹の笑みが随分変わったと全員が思った。なんと言うか、心からの微笑みだとわかる。もちろん、それがそばにいる彼女のおかげだということも。

「・・・いえ、その・・・」

ミントの気まずい視線を見て、美奈は即座にその意図を理解した。

「ね、裕樹。先にブリッジに行っててくれない?」

「え?別にいいけど・・・大丈夫か?また迷ったりしないか?」

「大丈夫。ブリッジには前に行ったことがあるから、ね?」

「・・・わかった、先に行って待ってるな」

「うん、すぐに追いつくから」

会話を聞いているだけでお互いが信頼しあっているのがわかる。だから互いのやろうとしている事に対して、疑惑をまったく持たないのだろう。

裕樹は美奈の言うとおりに一人でティーラウンジを後にした。

 

美奈は裕樹が出て行ったのを確認してからミントに向き直った。

「で、何か?私に話があるんですよね」

「水樹さん・・・どうしてそれが?」

「・・・女の子ですから。あと、水樹じゃなくて美奈でいいですよ」

まださほど会話もいていないのに、かなりフランクに接してきている。それが彼女にとって普通で、魅力なのだろう。

「・・・話というのは、私ではありませんけど」

「?」

と、5人の視線がちとせに向けられる。

「・・・ちとせさんが?」

美奈自身、ちとせと話したことはないが、ちとせのことは良く知っていた。裕樹から、――――随分、助けてもらった。――――と、聞いていたから。

だからこそ、美奈はすぐに気づいた。ちとせが、裕樹に対して特別な感情を持っていたということが。

ちとせからすれば自分はどう接していいか、分からない存在なのだろう。

「ええっと・・・ちとせ、でいい?――――話って?」

あくまで自然体で話しかける美奈。それに対して、ちとせはありのままを話した。

「・・・私にとって、裕樹さんは、特別な存在でした」

全員が黙った。ここにきてちとせは、初めて裕樹への思いを口にしたのだ。

「・・・・・・だから・・・」

「・・・?」

「私は、あなたの気持ちを確かめたい」

一瞬、耳を疑った。

今だかつて、ちとせがこのようなことを言ったことがあっただろうか?

「・・・ちとせ・・・?」

美奈も突然の言葉に少し驚く。

「・・・私にはわかります。・・・ずっと見てきたから。裕樹さんの思い、気持ちが・・・」

 

 

わからせてやりたかった。裕樹のことを想っているのは、あなただけではないと。

 

 

「だから私は・・・確かめないといけないんです」

 

認めたくない。認めない。絶対に。

 

「急に現れて、裕樹さんの心をさらっていった、あなたの気持ちを!!」

「・・・・・・」

話せば話すほど、感情があらわになっていく。けど、止める気はなかった。

「・・・私は・・・私は裕樹さんが、好きなんです!!」

フォルテは少しちとせが心配になってきた。正しくは、ちとせの心が。

人の心は最近のミルフィーユのように、果てなく強いときもあれば、今のちとせのようにひどく不安定で、儚く脆い時さえある。

はたして、この話が終わる時、ちとせの心は崩れやしないだろうか。

直後、ちとせは美奈の目の前にまで歩み出た。

「あなたは」

「・・・・・・」

「あなたは・・・美奈さんはどうなのです?」

ティーラウンジにちとせの声だけが響く。他に誰もいないのが救いだった。

「あなたは裕樹さんのことを、どう思っているのですか?」

「・・・私は、裕樹のこと、愛してるよ」

言葉の重みが明らかである。好きと愛する、この差はあまりにも違うのだ。

「・・・そんな、そんな簡単に・・・愛なんて言葉を使わないでください」

「・・・・・・」

「・・・私は・・・裕樹さんを救いたい・・・」

それは、美奈もわかっていることだった。

裕樹は、自分ですら気づいていない、何かに苦しみ続けているのだ。

 

 

――――――以前、出会って間もない頃、裕樹が一度だけ話してくれた。・・・虚ろな瞳で。

 

 

 

 

――――――俺、罪人なんだ。自分だけが生きて・・・世界を巻き込んだ、罪人なんだ。

――――――ざいにん・・・?なに、それ。

――――――よく、わからない。ただ、それだけが、頭にのこってるんだ。・・・お前は、世界の罪人なんだって・・・

 

 

 

 

 

あれから、美奈も裕樹を救ってあげたいと思うようになった。

せめて、自分の前でだけでも、強く笑っていられるように。

 

 

「そのためにだったら、私はどんなことだってしてあげたいと思っています」

冗談ではなく、本気でそう思えた。

ちとせの言葉に偽りはない。全てが本心からの言葉なのだ。

だからこそ、美奈は・・・

「・・・それだけの覚悟が私にはあります。―――――あなたに、その覚悟が・・・・・・」

自分でもかなりムチャクチャなことを言っているのだと、ちとせも自覚している。

けれど、本心なのだ。それだけの思いが、自分にはあるのだ。それに対し、美奈は、

「・・・あるよ」

即答だった。まるで、そう思っていることが当たり前なのだというほどに。

「・・・な・・・」

「私だって裕樹の幸せを願っているし、裕樹のためならなんだってしてあげたい」

「・・・そ・・・」

ちとせは思わず歯をくいしばった。

当初、優位と思えていた展開は明らかに自分が不利になりつつあった。

「そんなの、信用できません・・・。口だけならなんとでも・・・」

「でもね、ちとせ」

続けようとした言葉が美奈の言葉に止められる。

「そんな気持ちじゃ、ダメなの」

「・・・?」

「裕樹は、そんなの望んでない。求めてないの」

衝撃が走る。ならば、彼女はどこまで理解しているというのか。

「裕樹は・・・自分よりも相手を優先しちゃうから、守りたいと思っても、守られたいとは思わない。――――まして、何かを犠牲にしてまでなんて、裕樹は絶対に思わない」

裕樹をよく知る、ずっと彼を見てきたと言わんばかりの言葉。その言葉に、ちとせは自分がなさけなく思えてきた。

「犠牲になんて・・・思っちゃだめなの。でないと、裕樹はより苦しむから。・・・だからちとせ、自分を犠牲にするなんて、思わないで」

「・・・じゃあ」

「え?」

「じゃあ、何をしてあげればいいんです!?ただ見てろと!?」

涙が、出た。

「ううん、違うよ」

それでもなお、美奈は優しく続けた。

「・・・受け入れるの。ありのままの裕樹を。裕樹の心を、包むように・・・」

「・・・・・・!」

「何かをしてあげるんじゃなくて、待つの。裕樹から来てくれるように。だから、私は、裕樹を心のままに抱きしめてる」

目を閉じ、自分の胸に手を当てながら、美奈は話した。

その言葉が、やけに印象的に聞こえた。

 

 

「願わくば、私の心が、裕樹の心の帰る場所になるように・・・ってね」

 

 

 

どうすれば、彼女のようになれるのだろう。

どうすれば、彼女のように思うことが出来るのだろう。

彼女の純粋な心は、本当に裕樹の心の安らぎになっているのだと、理解できる。

それなのに、自分はなんて酷いことを、傷つけるようなことを言ってしまったのだろう。

恥ずかしくて、情けなくて、美奈の顔をまともに見れなくなってしまった。

 

 

「だからさ、ちとせ。自分を犠牲に、なんて思わないで、ね?」

(・・・この人は・・・意識することもなく・・・)

「・・・ちとせ?」

(今まで裕樹さんと関わってきた私なんかよりも・・・ずっと、ずっと昔から・・・)

「ちとせ?どうしたの?」

(・・・当たり前のように・・・裕樹さんのことを・・・愛しているんだ・・・)

やはり、そうだった。

彼女に、美奈に勝つことなんて初めから無理だったのだ。

けれど、不思議と彼女への負の感情はなくなっていた。

「だ、大丈夫です。・・・・・・なんだか、話したらスッキリしました・・・」

「・・・けど、裕樹って優しいからね」

「え?」

「優しすぎるのよ、裕樹は。・・・時々それが腹に立つくらい」

微笑みながら彼氏の文句を言う美奈を見て、ちとせも思わず微笑んだ。

「・・・そうですね。なんだか・・・わかります。美奈さんの苦労が」

つい先ほどまで美奈のことを憎んでいたのが嘘みたいだった。これが、彼女の魅力なのだろうか。

「・・・あ、ゴメン。裕樹待たせちゃ悪いから、もう行くね」

「あ、はい」

と、駆け出した美奈は言葉とは裏腹に立ち止まった。

「美奈さん?」

「・・・ブリッジって・・・こっちだっけ?」

「・・・反対ですけど」

「あ、あはは・・・じゃ、じゃあ、またね!」

誤魔化し笑いをしながら美奈は急いで走っていった。

 

エンジェル隊は、黙ってちとせを見つめた。

 

 

 

ちとせは、涙を流していた。

けど、泣いてはいなかった。

何より、笑顔だった。

完全に自分の負けなのに悔しさがまったくない。

美奈を憎んでいた感情もなくなっていた。

こうまで清々しい気持ちになれるなんて、思ってもみなかった。

(大丈夫・・・きっと、私は強くなれる・・・)

そう、決意できる。

だから。

だから、今だけは。

 

 

 

 

 

 

 

―――――涙を流そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕樹に追いつくべく通路を走っていた美奈だが、追いつくべき相手は予想に反して通路で待っていた。

「・・・裕樹?」

「早かったな?話、済んだのか?」

「うん、とりあえずね」

「そっか」

何を話していたか、まるでわかっているような口振りだ。

「・・・わかってたの?」

思わず、聞いてみる。

それに対し、裕樹は当然のように答えた。

「なんとなく、だけどな。やっぱ、俺が絡んでるし」

やはりというか、裕樹はこういう返事をしてきた。

裕樹という人は、どうしても自分のせいで他人が傷つくのを極端に嫌う人物だ。

「でも、その様子だと大丈夫みたいだな」

裕樹がにこやかに笑う。

こんな裕樹だからこそ、美奈は裕樹を支えているのだ。

その思いの恩返しとばかりに。―――――理由は決してそれだけではないが。

「・・・わかってるなら、自分でなんとかすればいいのに」

思い出したように美奈は裕樹の行為に文句を言ってみた。

「いや、なんていうかさ、ああいうのは俺、苦手だし」

「・・・わかってる。裕樹、優しいからね」

美奈としては正直な言葉だったが、裕樹にしてみれば釘を刺された気分だった。

 

 

 

そんな裕樹の気持ちも即座に理解して、美奈は裕樹の左腕に抱きついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ一つ、わからないことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕樹は、本人も気づいていないが、何かに苦しんでいる。

 

 

 

一体、何に?

なんで、彼ばかりが苦しまなければならないのか。

どうして、裕樹だけが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕樹を支配する漆黒の闇は、まだ、消えていない。