第五章「平和の国」
――――――数時間前、ヴェインスレイ格納庫にて
「さて、じゃあ確認するぞ」
全ての準備を終えた裕樹が、確認するように美奈と京介を見つめる。
真剣な顔をしている京介はいいのだが、何故かぽわぽわした笑顔をしている美奈を見てると緊張感が抜けてくる。
(やけに機嫌いいよな・・・なんかあったっけ?)
ともかく、今はそんなことを話している場合ではない。
トランスバールに潜入するといっても、失敗すれば二度目はない。ならば、今回だけで全ての用を済ませなければいけないのだ。
「・・・俺と美奈は機体に光学迷彩のステルス機能を装備して、トランスバール本星に降りる。脱出はファクトリーがジャンクヤードにHLVを用意してくれてるからそれでいく」
「でもさ裕樹。いくらなんでもIG二体が直接降下させるなんて・・・バレないかな?」
もっともな意見である。
いくら光学迷彩をしていても、そのバーニア音や、稼動音までもは誤魔化せないだろう。
「そっちもファクトリーがなんとかしてくれてる。なんかいろいろ裏で情報操作してくれてるみたいだ」
――――――ちなみに、ファクトリーとはヴェインスレイ軍のバックに存在する地下組織の名称である。バックと言ってもヴェインスレイ軍であることには違いなく、裏のヴェインスレイ軍、といったほうがわかりやすい。
戦艦ヴェインスレイに乗って直接戦ったりするのではなく、情報収集や兵器開発などを担当する部門である。
その工作員はリ・ガウスだけでなくトランスバールにも潜んでおり、今回のような有事の際に協力してくれている。
表では目立たないが、ここまで組織として浸透している理由は、解放軍、レジスタンスと、今までの活躍が確かなものであるからであると言える。
「で、京介は小型船で運送業者として白き月に潜入、データの収集を頼む」
「わかった」
「それと、連絡は定時メールで行おう。また、どちらでも発見されたら連絡しつつ、即座に脱出。いいな?」
美奈と京介は頷き合う。
そして、互いに一度だけ視線を合わせた後、それぞれの機体へと向かっていった。
正樹はトランスバール本星の電車の中で、ふと昔に見たテレビ番組を思い出していた。
その内容とは電話ボックスの中に一体何人の人が入れるか、というものだった。
もし、今その記録に挑戦していたら間違いなくその記録を超えていただろう。―――そう思うほどの混み具合だった。
「うわっ!?・・・っと」
不意に電車が大きく揺れ、ギュウギュウ詰めの中で大きくバランスを崩した。
ふと気づくと、向かい合う形でランファが自分を見上げていた。
「・・・?どした、ランファ?」
何かを言いたげに口をパクパクさせたが、若干睨みつけるような視線を向けるだけで何も言ってくれなかった。が、よく見ればその頬は随分赤くなっていた。
「・・・?」
そこまできてようやく正樹は、自分の右手がランファの胸を掴む形になていることに気づく。そういえばさっきから何ともいえない弾力性のあるやわらかさが伝わっていた。
で、ランファが自分を睨んでいる理由が、こんな缶詰状態では叫ぶことも恥ずかしいからであると気づく。
「ぬわっ!?わ、悪いランファ!!」
あわててどけようとしたが、この人ごみの中ではどうしようもなく、というよりなおさら掴んでしまったりした。
「ア、アンタ、いつまで人の胸掴んでんのよ!!」
「ちょっと待て!!電車内でのその発言はデンジャーだっ!!」
その直後、自分の左隣に座っているセリシアからかき消えるような声が聞こえた。
「あ、あの、正樹さん・・・その・・・あんまり動かないでください・・・」
「セリシア?」
「そ、その・・・正樹さんの手が、あの・・・・・・わ、私のお尻に・・・」
言われて初めて左手がセリシアのお尻を掴むような形で触れていることに気づいた。そういえばさっきから随分柔らかい感触が伝わってきている。
「す、すまんセリシア!!」
必死に離れようとするが、そのもがきが帰って逆効果だった。
「ちょっ・・・!?あ、あのねぇ正樹・・・!!」
「ひゃんっ!」
どうやら二人の最も敏感なポイントを刺激してしまったらしく、二人は身をよじったが、それすら逆効果だった。
「ちくしょー!正樹さん!場所変わってください!!」
「アホかい!!」
クリスの本気とも思える本音に頭突きで応戦し、正樹は思わずぼやく。
(駅につくまでこのままなのか・・・)
「大丈夫か?セリシア」
「う、うん、平気。・・・ありがとクリス」
「・・・正樹にあんなチカン行為されるとは思ってなかったわ」
「だから・・・不可抗力だって言ってるだろ?」
「じゃあ仕方なく触ったていうの!?」
「・・・・・・」
なんだろう、なにか理屈がおかしい。
触ってしまったことについては自分が全面的に悪いのだが、ランファが怒っている動機がズレている気がしてならない。
なんというか、触ったことよりも触った動機が許せない、といったところだろうか。
「・・・?」
「・・・・・・ハァ、もういいわよ。ワザとじゃないって解ってるし」
ここに、女心の解らない男が一人。
鈍感ではないが、そういう経験がないため、思考回路がその方向に回ってくれないのだ。
ともあれ、人ごみで相当参ったのか、セリシアは少々気力が削がれているようだ。
正樹は、現在機体修理も終え、休暇中なのだが、ランファに誘われクリス、セリシア等と共にトランスバール本星に降りてきたのだ。
無論、それが自分が裕樹のことで考え込んでいる気晴らしのつもりで誘ってくれたのだということは充分に理解している。
「よし!じゃあ正樹さん、昼飯食いに行きましょう!どこ行きます?」
「クリス、俺あんまし本星の店とか詳しくねぇんだ」
「あ、じゃあ私おいしいお店知ってますよ」
「うん・・・じゃあセリシアの選んだ店にすっか」
「えー、アタシ激辛カレーの店に行きたかったんだけど」
「「却下」」
「えー!!」
ランファの意見を正樹とクリスが同時に否定。セリシアはオドオドと焦っているだけだ。
「あ、じゃあ行きますね?」
セリシアが歩き出し、隣にランファが並んで話をしている。
ここも確かに人は多いが、狭苦しい感じはしない。むしろ、賑やかな雰囲気で自然と気持ちが高揚してくる。
(・・・にしてもクリス)
正樹がヒソヒソ声で話しかけた。
(何です?)
(お前等、姉弟なのにクリスは辛い物苦手なのか?)
クリスは少し困ったようか顔を見せた。
(いえ、苦手じゃないんですけどね・・・単に姉ちゃんが異常すぎるだけで)
(・・・なんでだ?突然変異でもあるまいし)
(えーっと・・・・・・実は俺たちの家、弟や妹が多くて)
(知ってる。前にランファから聞いた)
(そうなんすか。―――で、姉ちゃんって弟や妹たちにしょっちゅうお菓子とか横取りされてたんです)
一瞬、簡単に奪われるランファが想像出来なかったが、家族想いの彼女は許せてしまうのだろう。
(・・・で、唯一横取りされなかったのが、そういう激辛なものだった。ということなんです)
(・・・なんつーか、壮絶だな)
(他にはすんげー苦いものとかもあったんですけどね、辛い物のほうが痩せるって知って、そっちになったんす)
知られざるランファの過去が垣間見えた。
やはりというか、彼女も壮絶な子ども時代を過ごしてきたのだと重々理解してしまったりした。
時を同じくして、正樹たちと同じ電車に乗っていた裕樹と美奈は、ようやく適当な駅で降りたところだった。
「あー・・・凄い人ごみだった」
「かなり苦しかったね」
言いながらも、美奈は随分と意気揚々としている。
「・・・機嫌いいよな。なんかあった?」
「えへへ・・・だって裕樹さ、電車の中でこれ以上ないくらいぎゅ〜ってしてくれたじゃない」
「いや、まぁあれは・・・」
実際凄い人の海だったのだ。
で、美奈が人の海に流されないよう、しっかりと抱きとめていたというわけだ。
抱きしめていた時の、広くない華奢な肩幅。自分の胸に顔を埋めてくる美奈。回した手から伝わる、美奈のサラサラのロングヘアー。むしろこちらが至福の時だったとも言えよう。
「凄く嬉しかったよ。ありがと、裕樹♪」
「・・・俺だって嬉しかったし、お互い様だ」
ガラにもなく、二人はそろって頬を染める。
なんだか本当にデートしている気分になってくる。
けれど、たまにはそういうのも悪くないだろう。
裕樹は自ら美奈を手を取り、歩き出した。
隣で照れくさそうに笑う美奈が、この上なく可愛かった。
その後、京介に三度目の定時メールを送った裕樹は再度、トランスバール本星の人の多さに驚いていた。
(・・・本当に凄い人だ。それに・・・)
全ての人々が活気に溢れている。その日その日を全力で楽しみながら生活しているのが空気で伝わってくる。
つまり、とてつもなく平和なのだ。戦争とは無縁とさえ思えてくる。
「ゆーうーきっ」
と、背後から美奈に呼ばれて振り返る。
赤みの強いピンクの髪をなびかせながら、両手にソフトクリームを持って走ってくる。
「はい!」
「ああ、サンキュ・・・って、楽しみすぎじゃないか?」
「いいじゃない、めったにデート出来ないんだから」
どこまでも上機嫌な美奈はどうしてもデートがしたかったらしい。
もちろん裕樹だって楽しんでるし、できればいつだって美奈とデートがしたいに決まっている。だが、今の立場上、それは控えるべきだと考えていた。
けれど、ここまで楽しむ美奈を見ていると、まるで美奈が無理しなくていい、と言ってくれているようだった。
「まぁ、嬉しいけどさ」
楽しんでいるクセにどこかぶっきらぼうに言う裕樹を見て、美奈は思わず微笑してしまう。
(・・・素直じゃないなぁ)
もっとも、そんな面も美奈は好きなのだが。
二人はしばらくソフトクリームを食べながら街中を歩いていた。
「・・・平和の国、か」
「え?」
不意の裕樹の言葉は、何か遠いものを感じる。裕樹にしてみれば望むべき理想が形になって目の前にあるのだから無理もない。
「・・・トランスバール本星の人たちは今の戦争に直接的な関わりを持ってないのか?」
「話を聞いていたけど、戦争をしているっていうのはわかってるらしいんだけど、あんまり自覚がないみたい」
「抑えられてる、というより知らされてない・・・ってほうが正しいな」
「・・・戦いはほとんど軍の自由ってこと?」
「そういうことになるな。・・・残念だけど」
可能性、手段の一つが消えた。
裕樹の言葉にはその意味が込められていた。
「前大戦のような手は使えないってことね」
前大戦、パレスティル統一戦争で裕樹たちがリ・ガウス軍を抑えられたのは、美奈の提案による人々で軍を抑えるというものだった。裕樹たちは今回も可能ならこの方法でいきたいと考えていたのだ。
「これにも、必ずシャトヤーンの関与があるはずだ。俺たちが使ったから、自分たちはされないようにするために・・・!!」
「裕樹・・・」
美奈は裕樹を落ち着かせながら、ふと上を見上げた。
そこには、あの「白き月」が神々しく存在していた。
「京介、大丈夫かな・・・」
「定時メールも来たし、無事だとは思うけど・・・」
二人は、単身白き月へと潜入している友の身が、急に心配になってきた。
「よし、接続できた!さすが春菜の特注品だね」
が、裕樹と美奈の心配をよそに、京介はまったくの無事だった。
ハッキング用プログラムディスクのおかげで、接続が外部に知れ渡ることなく、メインコンピューターを機動させた。
「さて、と・・・」
京介は驚異的な早さで手元のコンソールを操作し、裕樹に頼まれたデータを次々と調べ上げていく。
(二つの月が開発された当時、EDENの人たちはヴァル・ファスクに対抗できる手段と可能性を信じて、二つの月を完成させた・・・。EDENの人は、二つの月を・・・?)
映し出されたデータに、京介は首を傾げながらディスクにコピーしていく。
(A・R・K―――アークシステム・・・紋章機に光の翼が出現している状態にさせる、別名“アークリバレート”。・・・この状態にさせるには、搭乗者の強い意志か、シャトヤーンの関与が必要・・・?何故なら・・・)
と、以降のデータが表示されていない。
意図的に削除されたのだと判断し、京介はさらにコピーした。
(シャトヤーンの本名・・・・・・。―――・・・?データが、ない?極秘であり、代替わりする際にシャトヤーンからシャトヤーンにのみ教えられる、か。・・・仕方ない)
京介はとりあえず、最後のコピーを済ませた。
瞬間、この部屋の外から足音が聞こえてきた。
(誰か来る!?)
京介は急いで電源をOFFにして、二つのディスクを回収した。
そして、何食わぬ顔で、周りを物珍しそうに見渡した。
「?アンタ、誰?」
不意にドアが開かれ、京介は思わず飛び上がりそうになった。
しかも、その来入者は、
(この娘は、確か・・・)
以前、裕樹に教えられたことがある。
小柄な体に小麦色の肌、長い金髪。彼女は、黒き月の管理者、ノアだ。
ノアは京介の身につけている制服を見て、訝しげに見つめた。
「運送業者?アンタ、ここで何してんの?」
「あ、いえ、その・・・道に迷ってしまったんですけど、白き月って憧れがあって・・・それでつい・・・」
もっともらしい嘘だったが、ノアは正直に信じてくれたようだった。
「そう、なら仕方ないわね。―――言っとくけど、ここは立ち入り禁止なのよ」
「あ、す、すいません・・・」
「ったく、どうして民間人がこんなところまで来れるのよ・・・。―――仕方ないわね、アンタ着いてきて」
「は、はい」
どうやら、ノアは案内してくれるらしく、先導してくれた。
(し、心臓止まるかと思った・・・)
なんとか気を取り直しつつ、ノアの後に続く。
実際、調べることは完了してるし、このままノアに案内されて白き月を出ようと思った。
――――――その矢先だった。
通路の角を曲がった所で、思わぬ人物を遭遇してしまった。
「あらノアさん。こんにちはですわ」
「こんなところで何してるんだい?」
小柄で、お嬢様言葉を使う少女。
男勝りな雰囲気で、発言にも現れている、女性。
エンジェル隊の、ミントとフォルテだった。
中でも、京介はミントを見た途端、衝撃に襲われる。
(こ、この娘・・・?)
遠い記憶を呼び戻していく。
二年前の、パレスレィル統一戦争終盤。あの時の“ザン・ルゥーウェ戦”で、自分は二機の紋章機を墜とした。
その時に何を見た?
ビームに貫かれ、悲しげな顔で消えていった少女。
(そうだ・・・ミント・ブラマンシュ。―――僕が、前大戦で殺してしまった、女の子・・・?)
ミントと視線が合った瞬間、愕然と京介は立ち尽くすことしかできなかった。
過去にしてしまった罪悪感が、京介を襲った。
同時刻、ショッピングモールを歩いていた正樹たちだが、急にセリシアが感嘆の声をあげた。
「・・・うわぁ・・・」
「どうしたんだ?セリシア」
「あのね、向こうにいるカップル、すっごい綺麗だなーって」
「へぇ、どれどれ」
クリスとセリシアの会話を聞いていると、なんだか微笑ましい気分になっていく。
ランファもそう感じていたのか、目が合い、お互いに微笑んだ。
―――だが、次のセリシアの言葉はあまりにも痛烈だった。
「ほら、あの赤みの強いピンクのロングヘアーの人。瞳もやわらかい赤みがかかってて素敵だな・・・」
「っっ!?」
正樹はその言葉に反応し、慌てて振り返った。
「うわっ!?ま、正樹さん!?」
そして、一瞬だが正樹の瞳はその姿を捉えてしまった。
並んで歩く、水色の髪と赤い長髪を。
次の瞬間には正樹は走り出していた。後ろからランファやクリスの声が聞こえた気がしたが、気にも止めなかった。
走って、走って、必死に追いつこうとした。
(まさか・・・まさか・・・!!)
「裕樹、レモンなんてどうするの?キッチンの人たちに頼まれた?」
裕樹と美奈は果物屋でレモン一袋を購入したところだった。
「いや、春菜ってレモンが好きだろ?おみやげに、ってね」
「ふぅん・・・なら私はヴァニラとちとせに何か買おっかな」
商品を吟味しようとした矢先だった。
―――その声が聞こえたのは。
「裕樹ッ!!美奈ッ!!」
あまりにも聞きなれた、声。
けれど、今は決して聞こえてはならない友人の声。
思わず目を見開き、驚きと共に振り返った。
そこに、いた。
大事な、親友が。
心強い、戦友が。
今は、味方とは言えない友が。
「・・・正、樹・・・?」
かつての戦友が、ここで再会してしまった。
決して会ってはならない、この場所で。