第十章「心の在り処」

 

 

 

 

 

 

私には何も無かった。

家も、家族も、友人も、自分の場所も、そして、自分の名前すら。

このキャロルという名前だって、いつのまにかそう呼ばれていただけだ。

 

 

 

そうして、いつのまにか私は白き月にいて、シャトヤーンに世話をされていた。

ある日、シャトヤーンから言われた。「新たな紋章機のパイロットになってもらえませんか?」と。

私の意志を聞かれたが、私にそんなものはなかった。

私には言われたことに反論する概念がない。言われた通りにしか行動できないため、自分で考えて行動するという概念がまるでなかった。

言われたら、従うまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紋章機「ファウンダー」の訓練は日に日に続いていく。私はH.A.L.Oのことはよくわからなかったけど、いつも安定した力を出しているらしい。ノアという女の人が、「黒き月のシステムみたいね」と言っていたがよくわからなかった。

正直に言うと、どうでもよかった。

私に戦う理由なんてない。あえて言うなら、それは人に言われたから。

それでいい。私には、それだけでよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、私はエルシオールへ補充パイロットとしてファウンダーごと配属された。

いくら私でもこのエルシオールという艦のことぐらいはわかっていた。かつて何度もこのトランスバールを救い続けてきた英雄、タクト・マイヤーズが指揮をとっていた艦だ。けれどタクト・マイヤーズの顔は知らなかったので、初めて会った時にタクト・マイヤーズが誰なのかがすぐにはわからなかった。初め、私はレスター・クールダラス司令官をタクト・マイヤーズだと思ってしまった。

けれど、幻滅もしなかったし、何もなかった。

私にそんな心、ありはしないのだから。

 

 

 

その後、私は同じエンジェル隊のメンバーから挨拶された。けれど、私はどう返事すればいいのかわからず、結局無言だった。

私は心で思っていることが体に伝わらないのだ。だから私が何を思っても顔は無表情のままだった。

気まずい空気が流れてきた時、一人の男の人がやってきた。

緑色の髪と黄色の瞳を持ったその人は、「そろそろやめてやれよ。その娘、困ってるじゃねぇか」と、たった一言でその場の空気をかき消してしまった。

思えば、この時からだっただろうか。

私がこの男の人、神崎正樹という人物を見だしたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後々わかったことだが、正樹・・・さん、はエンジェル隊のメンバーではないらしい。聞くところによると、前大戦にリ・ガウス軍を裏切ってまでエルシオールに味方した、前大戦を終結させた人物の一人と言われているらしい。

確かに彼の戦果を調べればその腕前は驚異的なのだと知らされた。事実、シュミレーション戦闘を見てみたが、この人に敵う相手などほんの一握りしかいない、といえる強さだった。

そのせいか、私は無意識のうちに視線が正樹さんを追っていた。と、都合がいいのか悪いのか、正樹さんは誰の視線にも敏感で、結果としていつも私と目が合ってしまう。

「ん?どした、キャロル」

けど、咄嗟に目が合って声をかけられても心の準備が出来ておらず、返事もできなかった。――――出来ていても何も言えないけど――――

それに私は表情が変わらないため、他の人にはよく誤解されていた。けど、正樹さんは・・・

「何か用?整備手伝って欲しいのか?」

首を横に振る。結局勘違いされるけど、正樹さんは何だか優しいと思った。

けれど、そう思う理由がわからなかった。

「疲れてるならちゃんと休めよ。キャロルは女の子なんだからな」

結局、いつも通り無言で返してしまった。それも無表情で。本当は「どうも」とでも言いたいのに。

けれど正樹さんは気にした様子もなく、笑ってくれた。

それがなんだかよく解らなくて、私は顔を見る事も出来ずに、その場を立ち去ろうとした。

「キャロル?ほんとにつらいなら休めよ?」

なら、休もう。

そうすることがラクだ。誰かに言われた通りに行動することが。

私には、それでいい。言われたら、従うだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――その時はまだ気づけなかった。

      それらが、私にとってたった一つの、最後の心の拠り所になるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても・・・変わったカラーリングだね」

タクトはクレータの隣で真っ黒な紋章機“ファウンダー”を見上げながら呟いた。

今までの紋章機はそれはそれはカラフルな色で、それぞれが独特の存在感を出していたが、この紋章機は違う意味で存在感がありすぎる。

「このカラーリングも機能的なものなんですけどね・・・。それに実際、黒って宇宙だと目立ちませんし」

手元のデータパネルを見ながら、クレータが簡潔に答えた。

「えっと・・・視覚的な残像を利用してるんだっけ?」

「はい、光を利用した残像・・・別名、“光の幻影”と呼ぶそうです。――――――大量のデコイを射出しつつ、非常に光度の高い光を機体から高速で点滅させて、視覚的に光の残像を発生させるものです。装甲色が黒いのも、より光を際立たせるためですね」

「ノアやシャトヤーン様も変わった紋章機を作ったなぁ・・・」

タクトは呟きながら、柵にもたれる。

クレータはそんなタクトを見て微笑しつつ、データチェックを進めていく。

(・・・凄い、本当にH.A.L.Oとのシンクロ率にまったく変動が見られない・・・)

内心、クレータは驚愕していた。

人が人である以上、心の乱れや変動など日常茶飯事なのに、このキャロルはそれがまったく無い。まるで、心が壊れているのだろうか?と疑ってしまうほどだ。

「んー・・・やっぱ黒はなぁ・・・」

と、タクトはまだ“ファウンダー”の装甲色に対して憮然としていた。

「まだ言っているんですか?だから機能上、仕方ないんですって」

なにが気に食わないのか、この司令官は始終こんな感じだ。いい加減邪魔っぽく思えてきた。

ため息をついてから、クレータは中のキャロルに呼びかけた。

「キャロルさん、データ採集できました。もう上がってもらっていいですよ」

もはや当然なのか、キャロルは返事一つせずにクッコピットから無造作に出てきた。

と、一度こちらを見つめて、それから格納庫の奥へ勝手に行ってしまった。

「・・・なんなんでしょう、キャロルさんって」

「さあ、俺にもよく解らない」

無責任に聞こえるが仕方が無い。そこまでキャロルはコミュニケーションを拒絶するかのような態度をとっているのだ。

けれど、タクトは特に気にはしなかった。

自分があの娘をわかってやれないのは辛いが、その分、正樹と彩がキャロルをわかってやれている。

なら、心配する事は無い。

彼らに任せておいても問題ないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無言、無表情のまま黙々と格納庫を歩いていたキャロルだが、不意に上から呼び止められる。

「おい、キャロル」

足を止め、その場で見上げると、正樹が上から飛び降りてきた。

「―――っと、びっくりしたか?グランディウスの整備を手伝ってんだ」

呼びかけたが、相変わらず返事はない。

けれど、正樹はそんなこと気にしなかった。

「・・・ところでキャロル、さっきのことなんだけどよ」

正樹はちらちらとタクトとクレータの方を見ながら続けた。

「・・・ちゃんとお礼を言いたいなら、お辞儀はしとけよ」

正樹は先程、キャロルが少しだけタクトとクレータの方を見ていたのを確認していた。

つまりそれは、お礼を言おうとしたのだろうと解釈できたわけである。

と、少しだけキャロルの目尻が下がったような気がする。

「あ・・・・・・いや、怒ってるわけじゃねぇからな?」

慌てて取り繕ったが、誠意が通じたのか、下がりかけた目尻は元に戻ってくれた。・・・気がする。

「・・・何やってんのよ、正樹」

今度は足元のデッキからにゅっ、と彩が現れた。

「私が必死に改造しながら修理してるのに、アンタって奴は・・・」

「サボってねぇよ。・・・な?キャロル」

「・・・そうなんですか?キャロルさん」

証人であるキャロルになげかけたが、相変わらず無表情だ。―――だが、

「そうですか・・・わかりました」

彩はキャロルの目尻が僅かに左右に揺れたのを見逃さず、伝えたい意図を読み取った。

「信じろよ、少しは」

「・・・・・・」

「・・・彩?」

「・・・別に、なんでもないわよ」

いまいち彩の気持ちが理解できず、正樹は首をかしげた。

「なんだったんだろうな?」

キャロルに尋ねてみたが、相変わらず何も応えてくれなかった。

けれど、気のせいだろうか。

キャロルが、どこか微笑んで見えるのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・そういうことか」

「何かわかったの?」

ヴェインスレイ内の裕樹と美奈の部屋に、彼ら二人とヴァニラ、ちとせが居て、機動しているパソコン画面を見つめた。

「何となくだけど・・・・・・シャトヤーンの正体が掴めた気がする」

「・・・え?」

「本当なのですか?裕樹さん」

先日、京介が苦労して持ち帰ってきてくれた白き月から入手したデータ。それらを統合して整理してみると、おのずと真実が見えてきたのだ。

「ああ。まずシャトヤーンの本名・・・―――推測でしかないけど、多分“アーク”だ」

「アー・・ク?」

「どうして、ですか?」

首を傾げる美奈とヴァニラに、裕樹は順に説明する。

「それは・・・白き月と黒き月に込められた想いと、黒き月の管理者が“ノア”だからだ」

と、ちとせがピンと来たようだ。

「ノアの箱舟・・・ですね?神話の」

「あ、そっか。―――そうだよね、ノアの箱舟、“ノア・ザ・アーク”って呼ばれてるもんね」

「ああ、だから対を成す意味で、多分そうだと思った。―――二つの月にもその流れが組み込まれているからな」

「白き月と・・・黒き月に?」

ヴァニラの言葉に合わせるように、裕樹はパソコンの画面に二つの月の画像を展開した。

「・・・黒き月の管理者は、ノア。つまり箱舟に乗る“人”。だから黒き月は無人兵器をメインとする道具を生産した。――――――それに対して白き月は管理者がシャトヤーン、要するにアークだ。つまり人を乗せる“箱舟”。だから白き月は有人機をメインとした道具を生産した。・・・と、こう考えると辻褄が合うだろ?」

「なるほど・・・」

「これは・・・盲点、でしたね・・・」

「―――ということは」

ヴァニラも理解したのか、続く言葉が真実めいている。

「・・・昔のEDENの方々は・・・二つの月を、自分たちを救う箱舟・・・ノアの箱舟に見立てて作ったのですね・・・?」

「そういうこと。冴えてるな、ヴァニラ」

だが、これだけではまだ何も見えてこない。

そう、正体が解っても、その目的はなんら掴めていないのだ。

「後は、シャトヤーン様の目的ですね・・・」

ちとせの言うとおりだが、今回はこれまでだ。あまりに情報が少なすぎる。

「・・・今までのシャトヤーンとは違い、今のシャトヤーンだけに、何か起こったのか?・・・・・・今のシャトヤーンだけが、過去のシャトヤーンと違うところ・・・・・・?」

「・・・EDENに行けば何かわかるかもね」

「裕樹!!そのEDENが危ない!!」

美奈の提案に答えるより早く、京介と完治したミントが駆け込んできた。

「ミント先輩!?京介さん!?」

「危ないって・・・どういうこと?」

「EDENに・・・プレリュード軍、それもエルシオーネが侵攻しようとしていますわ!!」

「!!」

「・・・ファクトリーからの情報だよ。エルシオーネがEDENに向けて侵攻すべく、発進したらしい」

「軍の規模は・・・!?」

「・・・エルシオーネ一隻。油断しているのか、それだけの自信があるのか知らないけど・・・。―――裕樹、どうする」

「迷う事なんてあるわけない。・・・EDENに行くぞ!!」

「うん!」

「わかり、ました」

「了解です!」

「わかった!」

「私も、行きますわ!」

その場の全員が頷き、それぞれ駆け出した。

その中、裕樹はブリッジへ走りながら通信を繋げた。

「和人!!まずはEDENのスカイパレスのルシャーティに通信を取ってくれ!!でないとエルシオールが来た時にイロイロ面倒だ!!」

返事を待たずに、裕樹は通信ボタンを切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プレリュード軍、エルシオーネの格納庫で、みさきは心斗と新型AGを見上げていた。

「英樹・・・これ、なんて名前だっけ・・・」

そのIG以上に巨体であるAGを呆然と見ながら心斗は呟いた。

「機体コード、PRUD−13X、“レイレックス・ノヴァ”よ。プレリュード軍が開発した、大気圏内戦闘をも可能にした最新鋭のAG。ロールアウトされたばかりの機体ね」

言われるままに、みさきはAGを見上げた。

緑色の装甲板に、背中の巨大な突起物や、その身に装備されている様々な武装はまるで悪魔か化け物を思わせた。

(こんな、こんな機体で攻撃したら・・・)

とてもじゃないが、そこらの防衛軍など話にならないだろう。

だが、侵攻先はEDENだ。スカイパレスの反対に位置するポイントから大気圏突入をかけるというものだ。

それも、僅かエルシオーネ一隻で、だ。

あまりにも無謀とも思える作戦。

だが、搭乗員のだれもがこの作戦の本筋に気づいていた。

これは、トランスバール軍の目を反らさせるための作戦。言ってしまえば、成否の基準は侵攻をしかけた、という時点で成功なのだ。そのために、新型機が二機、ロールアウトされたのだろう。

「・・・じゃあ、心斗、みさき、調整するわよ。時間もないし」

「・・・ああ」

「うん・・・」

二人は無理でも納得するしかなかった。

言われるがまま、人形のように、みさきは化け物の一部になることを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みさきに、昔の記憶はなかった。

けれど、気にしたことはなかった。

みさきの周りにはかけがえのない、仲間が居てくれたから。

けれど、本当は違った。

それが、仲間からの気遣いだとわかっていたからこそ、自ら話すこともなかった。

けれど、少しずつその日常が崩れてきた。

考えなくてもわかる。あの人、たった一人の人物が原因だった。

あの人の声、あの人の目、あの人の顔、その全てがみさきの昔の記憶を呼び起こし、そして何より懐かしく、暖かい気持ちにさせた。

 

 

 

――――――だから、考えないようにしていた。

 

 

 

あの人は敵、敵なのだと。

何度となく自分に言い聞かせ、説得してきた。

戦場で何度となくすれ違い、刃を交えた。だから、敵なのだと。

けれど・・・・・・本当はわかっていた。

あの人は、敵ではない。むしろ、そう扱うこと自体、おかしいのだ。

ハッキリと記憶が戻ったわけではないが、本能が告げていた。あの人は自分にとって、何よりも、誰よりも大切な人なのだと。

 

 

 

――――――タクト・マイヤーズ――――――

 

 

 

あの人の事を思うだけで心が安らいだ。その感情は、家族に向けるものに似ていた。

だからこそ、みさきは助けを求めた。

プレリュードに入ったのはかけがえのない仲間が居たからだ。滅ぼすために入ったのではない。

滅ぼしたくない。

止めて欲しい。

誰か、自分を止めて欲しい。

だから、祈った。

あの人に、タクト・マイヤーズに。止めて欲しいの祈った。

今の自分は、どうすることもできない、化け物の人形でしかないから。