第三十章「断ち切った想い、結びなおす気持ち」
「君は・・・・・心を信じるかい?」
通路を歩いている自分の目の前に現れた金色の髪にヴァイオレットの瞳が目を引く少年の問いかけにレイヴンは首をかしげた。
服装を除き全てが彼と瓜二つの少年が放った疑問は彼の心を大きく揺らしたのだ。
「珍しいな。お前の口からその言葉が出るとはな」
「質問しているのは僕のほうだ」
感嘆の言葉を述べるレイヴンに少年―――ヴァインが冷静な口調で尚も続ける。
「君は心という物を信じるかい?」
しばし黙考した後、
「あぁ。心っていうのは全ての生き物にある。俺たちヴァル・ファスクも例外じゃない」
「なるほど・・・・君がヴァル・ファスクらしくないヴァル・ファスクって言われる理由が分かったよ」
「勝手に理解していろ。捕虜を殺すのか?」
「・・・・・・・」
黙り込むヴァイン。あの捕虜、ライブラリの管理者を連れてきてから彼は何度も悩んでいる様子だった。今になって思えば彼もあの時から心を理解していたのかもしれない。いつからだろう?ヴァル・ファスクから心や感情といった概念が不必要とされてきたのは。
「ヴァイン。もし心がなかったら・・・俺たちヴァル・ファスクは全員同じ生き物だ」
「・・・・・・・」
「心の数だけ生き物の違いがある。心があるから俺たちは違い、違う道を進むことが出来るんだ」
レイヴン。ヴァル・ファスクらしくないヴァル・ファスクと称され別名を『渡り烏』。
渡り烏のように奔放で作戦行動中にも関わらず独断で動く彼に対する皮肉の渾名。
「お前がどうしたいかなんざお前が決めろ」
「分かったよ」
俯き再び歩き始めたヴァイン。自分には確かにこう聞こえたのだ。
「今までありがとう。・・・・・・・『兄さん』」
今思えば彼が自分を兄と呼んだのはあの時を除いて何百年の話しになる。
それ以来、兄弟の絆などとっくに薄れていたから。
おそらくヴァインは自分の命を投げ出しても『彼女』を守り通す覚悟をあの時、あの会話で決めたのだろう。
「馬鹿な奴だよ。お前は・・・・・でもお前のそういうところ、嫌いじゃないさ」
ベンチに座り長くスラッとした足を組んで目の前の光景に目を移す。ライトパープルの物体。パーツ一つ一つを組み立てれば成人男性と同様の身の丈の機動兵器が出来上がる。もっとも腰に提げているスタンスティックの高熱によって蒸発した部品も少なくない。再び組みなおすのは不可能というものだ。
首を回した後、ベンチから立ち上がり歩き始める。行くあてなんて無い。
戦闘時に出撃するか彼女の依頼が入るかのどちらかだ。
「レイヴン」
後ろから可愛らしい少女の声が自分を呼ぶがとりあえず無視。物思いに老け込んだ所為で頭が痛い。彼女の会話まで付き合っていたらどうなるか自分でも分からない。
「ねぇレイヴン・・・・待ってよ。レイヴンったら」
歩きつづけるレイヴンに少女が小走りでついてくる。
「いちいちうるさい。気が散るだろう」
鋭い切れ長の瞳の奥に光る鷹のような眼光。今は亡き双子の弟の追憶に沈んでいたレイヴンを後ろから飛ばされる少女の声が現実に引き戻す。面倒臭そうに金色の頭髪をクシャクシャと掻いて振り向いた。水色を基調とした優雅な雰囲気を漂わせる少女の名前はルシャーティ。ここスカイパレスに存在するEDEN全ての技術が収められているライブラリと呼ばれる大規模なデータベースの管理者。
誰が想像できるだろうか?年相応の可憐な目の前の少女がこの広大なスカイパレスの一翼を担っていることなど。
「何か考え事?」
「何でもねぇからどこかへ行け」
「や!」
(や!って・・・・お前は子供か?いや子供か)
幼女のように首を頑なに横に振るルシャーティに内心で疲れ気味に語りかけた。
今、彼はルシャーティに雇われている形でここスカイパレスに居座っている。依頼内容はルシャーティの護衛、機動兵器の一掃及び敵部隊の殲滅。レイヴンとルシャーティの関係を知るのは一部の評議会議員のみで彼が依頼を遂行時はフードで素顔を隠している状態だ。
こうやってプライベートを楽しむか信用できる人間のみに素顔を明かすのだ。
「刻印機の様子はどうなんだ?」
気を紛らわすように話題を変えるレイヴン。一部の評議会議員曰く「ルシャーティ様は大分明るく女性らしくなられた」とのこと。彼自身、以前のルシャーティを知らない為、ただ「そうか」と返すしかできない。
「えぇ。順調に量産は進んでいるわ。流石にエンジェル隊のみなさんだけに押し付けるわけにはいかないもの」
刻印機。ライブラリで主戦力となる人型の有人機動兵器。
操縦兵はスカイパレスから集まる義勇軍や平和が進むに連れて生きる場所を失った傭兵達。
いずれはEDEN独自の軍隊として正式に認める予定だ。
「そうか。俺もこれで少しは気が楽になるな」
同胞たちとの戦いにレイヴンは特に何も抱かなかった。今のヴァル・ファスクを変える為の戦いだ。邪魔する奴は全て潰す。
自分の心に言い聞かせるようにしてレイヴンはルシャーティと共に歩いていった。
支給された部屋に少しの飾りを施した司令官室にてタクトは渋い表情を浮かべ首を捻りながら目の前の男に問い掛ける。
「どういうことだ?」
「お前も聞いての通り帝政軍はこの宇宙・・・すなわちEDEN全土に宣戦を布告した」
テーブルを挟むように置かれた向かいのソファに座り込む黒髪の青年が淡々と答える。
自分が身を包む、白を基調とし背中のマントに胸元の紅い紐飾りといった華やかな上級士官の軍服とは正反対に、黒系統等の色彩に一切の飾りも無く動きやすさを重視した地味な軍服を身に纏う青年―――天都伊織に向かって再び首を捻り、
「う〜ん」
と一言。
ヴァル・ファスクの襲撃部隊を退けたその日、伊織は司令官室に足を運び今後の状況について話し合おうと言い出し今に至る。
「帝政軍といったな?帝政国家ではないのか?」
それまでタクトの隣で座るレスターが守ってきた沈黙を破った。
「あぁ。おそらく帝政国家の国民は今回の宣戦布告について知らされていないだろう」
「じゃあ・・・軍部が独自に動いているということか?」
可能性は高い、と返し伊織はテーブルに置かれ芳ばしい香りと白い湯気を放つカップを手に取り口元に運び一口啜り顔を渋める。
相変わらずコーヒーや紅茶の類が苦手のようだ。
「どうしてEDENに対して宣戦を布告するんだ?」
「同感だ。“ガーリアン”はEDENと・・・・特にトランスバールと友好的な関係を築いた筈だ」
息を止め、顔を上に向けて一気に中身を飲み干してカップを乱暴にテーブルに戻し口元を拭った後、
「推測だが・・・・一つは軍部のメンバーが変わったこと。二つめは軍部そのものが制圧されたかのどちらかだ」
「軍部が制圧?」
頷き返し伊織は自らの推測を述べ始めた。特に二つ目の可能性が一番高いと伊織は言う。
“オルフェウス”と停戦条約を結んだ帝政軍は離反者の復帰を嫌々ながら歓迎したが、野心ある者が高位に復帰し帝政軍の最高会議を掌握、自らの欲望の為に軍を自在に操ろうとする者が出てきてもおかしくない。
「現にあのガイン郷が帝政軍を離反したんだ。彼がいない時点で何らかの異変が起きたに違いない」
軍最高会議で最も強い発言力を持つのが伊織の上司であるガイン・ゼーガルド郷だ。
数々の作戦を指揮し勝利に導き武勇伝が溢れ今や生きる伝説と化した彼は皇帝直々に“聖光騎士団“の設立を頼まれ総団長を務めるほどだ。
彼は自らの平和を愛する思想を唱えてきた。これからもそうであり続ける彼が自ら火種を撒き散らすことをしないはずなのは、伊織が一番理解している。
「ガイン郷が軍を離反した今、帝政軍は自在に操られているっていうことか?」
無言で頷く。
腕を組み唸るタクトとレスター。
ヴァル・ファスクのこともあるがこちらのほうが遥かに厄介だ。
EDENに溢れるロストテクノロジー程の技術は余り普及しておらずその殆どを軍事関連に注ぎ、日常生活においてはトランスバールを遥かに凌ぐ科学水準を誇る国家だ。苦しい戦いになるのは目に見えている。
(本当に面倒なことによく巻き込まれるなぁ)
内心で苦笑しながら今後の行動についてあらかじめ整理してみる。
ヴァル・ファスクの動きもまだ鎮静化していない今、下手に動くわけにはいかないし戦力を分断する事も出来ない。
だとしたらヴァル・ファスクとの一通りの決着をつけてからの方が望ましい。
それにこちらか“ガーリアン”に行くには向こうから転移してもらうしかない。
タクトの疑問を珍しく察知し、
「ガイン郷は現在、“ピースオーケストラ”という反帝政軍組織を設立し行動している。
彼からの協力は必要不可欠だ」
「“ピース・オーケストラ”?」
「平和の楽団・・・か」
更に伊織は続けた。
ガイン郷の離反と共に全ての各団艦隊が彼に同調し、事実上は“聖光騎士団”は帝政軍にとって反乱分子となったのだ。
「ガイン郷が軍を離反する以上、軍会議を掌握され今までの平和維持の理念が崩されたからだと俺は思う」
タクトも伊織と同意見だった。
実際、顔を合わせたのは片手で数えるほどしかないがタクトにはあの老人の瞳の奥に隠された慈愛や平和を象徴するかのような暖かい光を確かに見たのだから。
「俺も・・・・あの方が自分から平和を崩すような真似はしないと思う。その矛先が他国でも」
「そうだな。だが・・・・どうする?」
例え友好関係を築こうとも帝政軍の侵攻を皇国軍が容認するはずない。
「EDENに侵攻される前に俺たちが行くしかない」
タクトがキッパリと言い放つ。
エルシオールは皇国軍の象徴的存在であり国防の要だ。
帝政軍の狙いがどうであれ皇国を制圧するにはエルシオールは大きな壁になり崩そうと戦力を動員する。
「ガイン郷から“ガーリアン”へと入れてもらい詳しい事情を説明して貰おう」
「俺たちがEDENにいなければ・・・・EDENは無事だからな」
もし、エルシオールが“ガーリアン”に侵入すればEDENに対する攻撃も行われないかもしれないし、行われたとしてもそれは小規模な小競り合いといったところだろう。大半の戦力はエルシオール撃墜に動員されるだろう。
「このことはお前達の上官には教えたのか?」
「まぁ。一応」
「先生も事態を深刻に受け止めている・・・・だが、おそらくは」
レスターが重々しく言葉を区切る。もはや言う必要も無い。
軍上層部の対応が彼の言葉の続きから読み取れる。
――――エルシオールを“ガーリアン”に向かわせる。
彼らと彼らの上官であるルフト・ヴァイツェンは恩師と教え子という絆で結ばれているが今の彼は将軍でもあり宰相でもある。私情は挟みたくても挟めないのだ。
故に地位につく人間として命じられるだろう。
「エンジェル隊の様子は?」
「全員平常心を保っているが・・・・おそらくは」
突然の宣戦布告に銀河の天使といえど不安を隠し切れない。
レスターの言葉からそのことを察し、
「ふぅ・・・・・わかった」
ソファから立ち上がり大きく伸びをしてそれまで同じ体勢で硬直した筋肉をほぐすように腰を回す伊織。
「あいつ等には平常心でいてもらおう。出来るはずだろ?」
まぁな、と苦笑するレスターとタクト。
伊織よりも多くの時間を彼女達と過ごしてきた二人だからこそ返せる返事。
辛い時も楽しい時も過ごし乗り越えてきたのだ。
「そうだな・・・・アイツらなら出来るかも知れんな」
「何たって銀河の守護天使だからな」
口々に同意する二人を見て伊織は部屋を出て行った。
ビュッ!!!
銀色の刃が空を切り裂く。
長いロッドの先端に取り付けられた曲刃は横へ、上へ、下へ、そして前方へと緩やかな銀色の曲線を描く。
身の丈を超えるロッドを両手でしっかりと握り締め突きや斬る動作を何度も繰り返す青年の動きは次第に早まり洗練されていく。
青年が巧みに操る武器は俗に言う薙刀という武器。突いたり複数の敵に斬りつける能力を持つ。身の丈を超えるその薙刀を青年は苦も無く何もいない空間に向けてただ振るう。単純な動作だというのに見ていると感嘆の溜息を見る者に吐かせてしまいそうだ。
彼と同じ動作をするには何年もの歳月をかけなければ不可能だろう。
そう思わせるほど青年の動きは美しかった。
息を多めに吸い腹腔に力を溜め込み右脚と同時に薙刀を大きく前に突く。
「ハッ!」
再び豪快な風切り音がここ反帝政軍組織“ピース・オーケストラ”第二団艦隊旗艦『瞬爪』のトレーニングルームに響いた。
「ふぅ」
溜め込んでいた空気を気合と共に放出しまだ肺に残っている空気も吐き出し再び息を吸い込む。
「うぁっ」
突然、青年の茶色と黒が入り混じる髪の上に白いタオルがかぶさった。
「お疲れ、翔矢」
「千早か・・・サンキュ」
翔矢と呼ばれた青年がタオルを投げた千早という女性に礼を返し茶色と黒が入り混じった髪を乱暴に掻く。ここ数時間、ずっと薙刀の稽古の為に張り詰めていた神経が楽になったと同時に大量の汗をかいていることに遅れて気がついた。おそらく千早はそんな自分の事を気遣ってあえて稽古に一区切りを終えた今を見計らってタオルを投げたのだ。少し気恥ずかしい気もするが自分との付き合いが長い千早だからこそ出きるのだろう。
「どういたしまして」
暖かく相手を見守る黒瞳に満足そうな光をたたえて千早はニッコリと微笑んだ。
「ねぇ・・・・・ガイン郷は伊織を連れ戻す気なのかしら?」
「さぁな。あんな殺人機械のことなんて知るかよ」
「翔矢・・・・そんな言い方しなくても」
「千早はアイツを認めるって言うのか?」
「そうは言ってないわよ。・・・・・でも、伊織はただ不器用なだけだと思うのよ」
「あぁ!?」
嘲るような乱暴な口調。
――――またか、と嫌な思いが千早の脳裏を過ぎった。
(伊織の話を出すと翔矢はいつもこうなるんだから・・・・)
目の前の男は黒髪黒瞳の男の話をすると必ず機嫌を悪くする。
考えてみれば二人は思いっきり対極に位置する人間かもしれない。
悪を憎むもまだ幼く弱い者、力の無い者にまで手をかけない翔矢。
敵と認識したら徹底的に殲滅する伊織。
以前、彼はこう言っていたことがある。
「教官が言っていた・・・・戦闘とは相手を殲滅しなければ終わらないってな」
その言葉を聞いて目眩がした。彼が普通の生き方をしていないということは噂で耳にしていたが他の軍人とはまるで違う存在だった。
「千早・・・俺はあいつが嫌いだ。あんな小さい女の子を殺すなんて俺には出来ない。その意味であいつは立派な軍人だ」
「・・・・・・翔矢」
ここには居ない伊織に向かって皮肉を飛ばし翔矢はシャワールームへと向かって部屋を出て行った。
「伊織・・・・お前がどんな道を突き進もうとお前の勝手だ」
自分の身体に振り注ぐ冷水が火照った身体を冷やしていく中、翔矢はポツリと呟く。
「だけどよ・・・・・・お前は間違っている・・・・・・!!!」
壁に沿えた拳を思いっきり握り締めた。
「はい。どうぞ」
目の前の青年はちとせが差し出した湯飲みを見て少しばかり驚いたもののすぐに薄い笑みを口元に浮かべて受け取った。青年の名前は天都伊織。現在はエルシオールと行動を共にしているが別世界の住人らしい。『らしい』というのはちとせ自身に自覚が無いからだ。
別世界といっても同じ人間であることには変わりない。
こうして彼と彼の部屋でのんびりとお茶を飲んでいても何の違和感も無い。
また、ちとせにとっても彼がどこの世界の住人だろうと関係ない。
彼とこうして共に居られる時間こそ自分にとっての幸せなのだから。
「どうした?」
茶を啜る伊織が吐息をついた後、自分に問い掛けた。
恥ずかしながら彼の顔をじっと見つめてしまっていたらしい。
頬が火照っていく感覚を感じ取りながら、
「な・・・何でもありませんっっ」
視線を逸らし自分の湯飲みを口元に運び中に淹れた茶を啜るようにして飲む。
程よい温度と絶妙な渋味。我ながらとまではいかないが自分としては上出来だ。
「お味はどうですか?」
「あぁ・・・・美味いな。ちとせは茶を淹れるのが上手なんだな」
「ありがとうございます」
頑張ったわけでもないが誉められると嬉しくなる。それが彼ならば特に。
「伊織さんはお茶の方がお好きですか?」
「そうだな。紅茶を飲んでいるとガソリンを飲んでいる気分になるしコーヒーは泥水を湯で溶かした感じだ」
「分かりやすいような・・・・分かりにくいような例えですね」
冷や汗を浮かべながら再び茶を啜る。ふと視線の中に一つの写真スタンドが飛び込んできた。
写真に写るのは伊織と短い黒髪の少女。
伊織がポケットに手を突っ込み無愛想な表情を向け少女は彼の首に背後から腕を回し彼の肩から顔を覗かせている写真だ。
一見すると微笑ましい恋人との写真にも見えるそれをみてちとせは目を見開く。
映っている少女は紛れも無い自分自身だった。
「どうして・・・・私が・・・・?」
「同じだからだ」
「え?」
掠れ声で呟いた疑問に低い声の返答が返ってきた。声の主である伊織に目をやると彼は一層、目を細めながら呟いた。
「一条雪華は・・・・・“ガーリアン”のお前なんだ」
「雪華さんと私が・・・?どういう・・・・ことですか・・・・・?」
一条雪華。
その名前をちとせは知っていた。かつて伊織と共に戦い彼を愛し彼の目の前で息を引き取った女性の名だ。
並行世界とはパラレルワールドとも言われており多数の宇宙―――世界が存在しその数だけ自分もまた存在する。
つまり、一条雪華は“ガーリアン”の烏丸ちとせ。つまり自分と雪華は同一人物になる。
「話すが・・・・俺はお前はお前、雪華は雪華として見ている」
「そんなことは・・・どうでもいいです。話してください」
自分で驚くほど冷たい口調になっていることにすら気づかずちとせは問い詰めるように伊織を見つめた。
彼の話によると雪華は幼い頃一条家に養女として出された“ガーリアン”の烏丸ちとせで養女として一条家に迎え入れられちとせから『雪華』として生きるようになったのだ。といってもそれは彼女自身物覚えがつくか否かの時だ。
悲しい。悔しい。そして胸が痛い。
裏切られたような悲しさ。もう一人の自分、『雪華』に対しての悔しさと胸に刻まれた痛みが自分の身体を引き裂くほど大きさを増していくような気がした。少しずつ心の亀裂が音を立てて広がり壊れていくような不安と恐怖を感じる。
結局、彼は自分という人間など見ていなかったのだ。
「確かに同じ人間でも、結局・・・私は雪華さんの代わりだったんですね・・・・?」
「ちとせ・・・それは違――――」
「聞きたくない!!貴方の声も・・・・貴方の話なんて聞きたくないし信じたくもありません!!!」
叫ぶように声を荒げるちとせ。心配するように手を伸ばす伊織の手を
バシン!!
「・・・・・・ちとせ」
「・・・・・・・・・・!?」
気がつけば目の前の視界が滲み彼の手の甲が赤く腫れていた。そして、自分の手の平に残る微かな痺れに気付く。
それはハッキリとした拒絶の感覚だった。
想いを寄せる者を拒絶した自らの無意識に恐怖しちとせは震える身体から搾り出すように、
「もう・・・・どうすればいいかわかりません!!!」
それだけ告げると部屋を出て行った。
喧騒の余韻が残る部屋の中で伊織は複雑な想いを胸に秘め静かに立ち上がる。
「ちゃんと伝えておかなければいけないようだな」
部屋を出て彼女の後を伊織は追った。
伝えなければならない。後悔なんてしたくない。
自分の想いを・・・・大切な存在が失う前に。
伝える為に伊織は駆けた。
「ミルフィー・・・・!!」
「伊織さん?」
スカイパレスの一角、誰もいない児童公園のブランコに腰掛けるミルフィーユに伊織が駆け寄って来た。額に冷や汗を浮かべ焦燥が浮かんでいる。
「どうしたんですか?そんなに慌てちゃって」
「ちとせを見なかったか?」
やっぱり。
この人もあの娘をシッカリと見つめているんだ。
伊織を見て少しちとせが羨ましくなってしまった。汗まで浮かべて探してくれる人がいることに。
「さぁ・・・見ていませんよ」
フフッと笑いながら返す。
「そうか・・・じゃあ――――」
「伊織さんはブランコをどう思いますか?」
再び走り出そうとする伊織にミルフィーユが問い掛けた。
「ミルフィー・・・俺はそれどころじゃ―――」
「わたしはずっとブランコは寂しい物だと思っていたんです」
それどころじゃない、といった様子の伊織を尚も笑顔を浮かべて静止する。
「・・・・っ!・・・・ブランコなんて乗ったことが無いから分からない」
「そうですか。わたしはブランコってずっと一人で乗ってたから凄くつまらなくて・・乗っていても楽しくなかったんです」
「・・・・それで?」
頬を膨らませながら尚も続ける。
「でも・・・妹が後ろを押してくれた時・・・・凄く楽しかったんです。流れて戻っていく景色と風が全身に当たって」
フフッと笑いながらブランコから降りて伊織を真っ直ぐに見詰め、
「恋人同士って・・・ブランコのようなものだと思うんです。一人の時は寂しくて楽しくなくて」
どこか意味深な言葉を並べるミルフィーユ。
「でも・・・二人でいると凄く楽しくなるんです」
彼女が何を言いたいのか不器用な彼でも大体の察しはつき始めた。
「伊織さんは・・・・・ちとせとブランコしたいですか?」
真っ直ぐに自分を見詰めるミルフィーユの瞳。
彼女の双眸は叱責でも何でもないただ、後輩を・・・仲間を思いやる者としての瞳が真っ直ぐに自分に向けられている。
「あぁ・・・・・ブランコ・・・したいな。ちとせと一緒に」
数珠繋ぎのように一言一言を述べていく。
「ちとせは結構溜め込んじゃうタイプなんです・・・根が生真面目だから」
「そうだな・・・・あいつのこと良く見ているんだな」
「それはもう!後輩ですし・・・・大切な仲間ですから」
「俺よりも長くあいつといたからな・・・・お前達が羨ましいよ」
苦笑する伊織に釣られて笑った後、
「時間なんて関係ありません。ただ一緒にいて絆を深めれば時間は簡単に超えられます。伊織さんとちとせもそうですよね?」
言われてみればそうだ。初めてちとせ達と会ってからまだ半年過ぎだ。だが彼女との関係は他のエンジェル隊よりも深まっている。それがミルフィーユの言葉を裏付ける何よりの証拠だ。
「ちとせを探しているなら伝言でも預かりましょうか?」
「あぁ・・・・頼む。本当は俺自身の口から言わなければいけないのだが・・・頼めるか?」
「はい!」
ニッコリと微笑むミルフィーユ。何故タクトがこの娘に心を奪われたのか微かに分かった気がする。
そんな考えを慌てて消し去った後、伊織は自らの想いを彼女に託した。
ひょっとしたら伝えられないかもしれない大切な想いを。
「俺にとってのお前はお前だ。他の誰でもない・・・。
いや、誰かの代わりになれる人間は元からいないんだ。
俺にとって・・・・烏丸ちとせは俺の命よりも大切な存在だ」
「分かりました・・・伝えておきます。何か・・・・ちとせに妬けちゃいますね」
「どうしてだ?」
「そんな言葉・・・・恥ずかしくて誰も言えませんよ?」
そうなのか、と返す伊織。不器用な性格だからこそ着飾らずに想いを告げる目の前の男に後輩が何故心を奪われた気持ちが分かった。
日頃、何を考えているか分からないがシッカリと相手を思いやる心の持ち主であるのだ。
「じゃあ・・・よろしく頼む」
つい先程駆けて来たというのにその細身のどこにそんな力があるのかと疑うほど伊織はすぐにミルフィーユの視界から消えていった。
「だってさ・・・どうするの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ミルフィーユのすぐ傍の茂みから彼女の問いかけに反応し、物音を立てながらちとせが現れた。どうやら、彼から逃れる為にずっとこの場に隠れていたらしい。
黙り込むちとせに溜息を吐くミルフィーユ。
「伊織さんと何が遭ったか知らないけど・・・・伊織さん、本気でちとせのことを思ってるいるみたいだよ?」
「・・・・・ちゃい・・・・ましたっ」
「え?」
全身を小刻みに震えるちとせの唇から漏れた言葉を聞き取れず首を傾げる彼女にちとせは溢れ出すように続けた。
「酷いことを言ってしまいました!!・・・伊織さんは私のこと信じているのに・・・その思いを踏みにじってしまって・・・・!!」
両手で顔を抑えしゃがみ込む彼女の傍でミルフィーユもしゃがみ彼女の頭をそっと撫でる。
本当に生真面目な彼女だからこそ自分を責めてしまうのだ。
人より多く背負ってしまうのだ。
ならせめて・・・その重荷を背負う彼女の支えとなりたい。
ミルフィーユは撫でながら、
「ちとせはどうなの?・・・・伊織さんのこと好き?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい。好き・・・です」
かなりの間、黙った後、固い決意が込められた返事が返ってきた。
「なら、謝ろうよ。好きなら尚更、しっかりとちとせの口から謝ろう?」
「伊織さんは・・・・・許して・・・・くれるでしょうか?」
まだ涙が残る黒い瞳を、不安の色が浮かぶ顔を上げるちとせ。
「許してくれるよ・・・・・きっと」
彼女の目の前に・・・・そこには暖かい微笑みがあった。
『貴方の言葉も聞きたくないし・・・・信じたくもありません!!!』
「拒絶されるのは慣れているが・・・・流石に堪えるな」
普段は清々しい蒼穹を漆黒に塗り固めている銀河展望公園の小さな丘に腰掛け伊織は苦笑し、頭上を仰ぐ。生憎、天気は曇りである為星は見れず、ただただ漆黒の闇が無限に広がっているだけだ。
拒絶には慣れている。自分を殺人機械と呼ぶ人間からは化け物でも見るような目で見られた。
『テメェ・・・・自分が何をしてんのか・・・・・分かってんのか!?』
怒りの炎を瞳に宿す青年。
彼とは何度も衝突した。他人から見れば信念の食い違いに見えただろう。
別に自分には貫きたい信念も守りたい大切な何かも・・・その時にはなかった。
だから、その時の自分は心の奥底で信念を持ちそれを貫き通せる彼に憧れていたのだ。
人であるかどうかも危うい自分が持つ信念などカッターナイフで簡単に引き裂く事が出きる程、薄っぺらいはずだ。
しかし今は違う。
こんな自分の命が馬鹿馬鹿しく思ってしまう程、大切な輝きを手に入れた。
その輝きの影としてそれを守っていけるなら化け物にでも成り下がってしまっても良いくらいだ。
その存在からの拒絶は自分のちっぽけな心に穴を開けた。
「くくくっ・・・・」
思わず笑ってしまった。
何が大切な輝きだ。自分は化け物のような存在ではないか。いずれ彼女達も自分を拒絶するだろう。彼らと同じく。
そう思えば少しは心が安らいだ。
身体が寒い。芯から凍て付く感覚に思わず身震いする。夜風だけではないみたいだ。
「くくくっ・・・」
狂気にも似た笑いが夜の展望公園に響いた。
その時、
「あのっ!」
少し震え気味の凛とした声が立ち上がりその場を離れようとした彼の背中に投げかけられた。
後ろを振り向くとそこには長い黒髪を冷たい夜風になびかせるちとせがいた。
「え・・・・ちとせ・・・なんで・・・?」
捜し求めていた彼女が今、自分の目の前に居るその状況に対応できず途切れ途切れに言葉を洩らす。
ちとせは黒い瞳に透明の雫を溜め込み、今にも泣きそうな表情で自分を見つめていた。
鼻頭、両頬共に紅が差しこんでいる。
「ちと――――」
再び彼女の名前を口にしようとした途端、伊織の視界はフワリと広がった彼女の長い黒髪に一瞬だけ覆われた。
突如、冷え切った身体に温もりが注ぎ込まれていき、それがちとせにすがるように抱きつかれていることに気がついた伊織は顔にまで熱が上昇していく感覚を味わった。
「ち・・・ちとせ・・・・!?」
「・・・・ません」
「?」
「すみ・・・ません!・・伊織さん・・・す・・み・ません!!!本当に・・・私・・・私ぃ!!」
涙でぐしょぐしょになった顔を上げ必死に謝罪の言葉を告げるも嗚咽で上手くいかない。
小刻みに揺れる彼女の身体。ぎこちない動作で背中と頭にそっと手を回し抱きしめる。
タクトなら経験があるのだろうな、と場違いな感想を抱きながら泣き止むまで抱きしめ続けた。
「本当にすみませんでした・・・!!あんな酷いことを言ってしまって」
「いや。俺のほうこそ・・・・・悪かったな」
「伊織さん・・・・・」
少し頬を赤らめながら、
「俺にとっての雪華は雪華。ちとせはちとせだ・・・・色々と誤解させてしまって悪かった」
「良いんです・・・・本当にすみません。あの・・・・伊織さんに伝えなければならないことがあります」
「・・・・・・・・・聞こう」
ちとせの黒瞳に宿る硬質の輝き。迷いの曇りを完全に取り払った瞳だ。
「好きです・・・・・伊織さんのこと。世界中の誰よりも好きです」
刹那、世界が止まった気がした。
夜風に揺れる木々の動きが草の動き。この世の全ての時間が静止したような感覚。
唾を飲み込みいつの間にか乾燥した喉を潤す。
気持ちを整理した後伊織は真っ直ぐにちとせを見つめ返した。
「俺にとってちとせは・・・・もうただの『仲間』では収まらなくなっていた」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ちとせといると落ち着く。ちとせといると・・・・凄く安心するんだ」
おぼつかない口調で伊織は自分の思いを言葉に変えていく。
不器用な性格である彼にとって自分の思いを言葉に変えるというのは至難の業だ。
それでも、伝えたいという気持ちが彼をただ突き動かす。
「これは・・・・お前のことが好きだということなのかもしれないな」
「伊織さん・・・・・・っっ!!!」
「いや・・・『かも』じゃないな。俺も・・・・・お前が・・・・すす・・・好き・・・だ」
半ばヴァニラのような口調になりながらも伊織は何とか自分の思いを口にすることが出来た。凄く恥ずかしい。
自分の頬に宿る熱が一層、その強さを増した気がする。
「私も伊織さんが好きです。先程よりももっと・・・・もっと好きになりましたっっ」
その笑顔が儚くそして美しく見えた。
この笑顔を守る為なら自分はどんな道も突き進もう。それが自分を歪ませるとしても。
自らを歪ませる男が深い闇に向かって歩み始めたのを天使達は知らなかった。
常に殺戮を背負う男の恐ろしさを知るのはまだ・・・・先の話。
第三十章
完
後書き
えぇ・・・何か普通ですね。
クライマックスと言っておきながらよくよく計算してみたらシッカリと十話以上あるじゃないかorz。
一応、ここからが最大の見せ場です。最後までお付き合いくださいませ。