第三十三章「邂逅と決別」
「いやぁ。敵さんも中々やるなぁ」
レーダーマップと広範囲モニターの両方に目を配りながら男は口笛を吹いて一部拡大したウインドゥに向かってわざとらしく感嘆の溜息を吐いた。
男の双眸の先には六色の大型戦闘機と白銀の巨人。そして、昏い銀色の機体は太古から蘇った戦神の如くAFを屠っている。
昏い銀色の機体―――帝政軍からは“ノクターン”と称されるそれは正に容赦無しにこちら側の戦力を殲滅している。短時間で五機編成の三小隊が一瞬のうちに撃破されたと聞いた時、男は搭乗者が殺戮の為に生まれた戦闘マシンであると直感した。
「フォートさんは出なくてよろしいのですか?」
「シルヴァンス。私の機体は・・・・“ディサイダー”はまだ完全とはいえないよ」
傍らに立つ長い銀色の髪の女性、シルヴァンスの問いかけに苦笑を含めた返答を返す。
見た目はフォートよりも少し年上で23、4歳といった所だろうか。あくまで見た目で推測するならの話だが。
フォートと呼ばれた男は黒い軍服の上からマントのような物を羽織り指揮官席と思わしき座席に身を預けている。
「フォートさんなら・・・充分勝てると思います。それに――――」
シルヴァンスの熱心な言動にまたしても苦笑し彼女の言葉を途中で遮った後、
「シルヴァンス。私はそう立派な人間じゃないよ。いや・・・・立派な人間なんて初めからこの世に存在しないよ」
気負いでも何でもない。事実を述べているフォートの発言にはどこか実際にそれを見てきたような物が含まれていた。
「それに・・・・なんだい?」
「万が一、フォートさんが危険に晒されるようなこととなれば・・・・・」
途中で言葉を切った後、決心した顔つきで、
「この命を捨ててでも・・・・私が貴方を御守りします」
サファイアを嵌め込んだ美しい蒼の瞳に輝く強い光。
その言葉にはフォートを崇拝し敬愛し、そして彼に対する特別な感情が含まれていた。
誰かを守ろうとする意思は人や兵器も関係ないのかもしれないな、と思いながら、
「ありがとう。でも・・・・私は君が必要なんだ。例え死ぬ時だろうとも、ね?」
「フォートさん・・・・・。はい・・・どこまでもついて行きます」
戦闘中であるにも関わらず座席を立ち、自分よりも長身のシルヴァンスの胸元に顔を埋めるようにして抱きしめるフォート。彼の抱擁にどこか満足そうな表情を浮かべ彼の茶色の髪をそっと優しげに撫でた。
歳相応の女性のような笑顔を浮かべるシルヴァンスが生体兵器であることを誰も見抜けることは出来なかった。
「あの・・・・・。お取り込み中、申し訳ないのですが・・・・熱源が一つ接近してきています」
申し訳無さそうに報告するオペレーターに顔をしかめるフォート。
「やれやれ」
「フォートさん。私が・・・・・フォートさん?」
シルヴァンスを手で静止した後、ツカツカと通信担当オペレーターへと近づきマイクに顔を寄せて、
「雨宮部隊長補佐。本艦に熱源が一機接近している。発進の後、迎撃。撃破しても構わん」
「了解しました。各駆動系問題無し、各火器管制問題無し。システム全系統問題無し」
格納庫に待機しているコバルトブルーの巨体の胸部――――すなわちコックピット内の操縦座席にてまだ幼さが残る顔つきのブリッジから下された指示を実行する為に青年はコンソールを叩きながらブリッジと管制室に向かって返答する。すかさず、
『了解。ロックアーム固定。カタパルトへと移動します』
コバルトブルーの巨体の両肩に備わっているハードポイントに銀色のアームが接続され前方のブロックへと移動させる。
コバルトブルーの機体は背部に大型の射撃兵装。両肩には銀色の細長い物体――――遠隔操作機動兵器が取り付けられ、左の腰には西洋剣に酷似した剣が鞘に収められており、それらの武装構成から考えると遠距離、中距離、近距離の敵にバランス良く対応できる汎用機であることが伺えた。
『カタパルトへの移動完了。進路クリア。雨宮部隊長、発進どうぞ』
「雨宮流水、“トリニティ・パニッシャー”発進します!!!」
スロットルを踏み込み開かれたゲートの向こうに広がる無限の漆黒へと“トリニティ・パニッシャー”は飛び立っていった。
「“トリニティ・パニッシャー”出撃しました!!!」
ブリッジの右をフルスロットルで駆け抜けていく蒼き処刑人をフォートは楽しそうに見つめていた。
「目標は・・・・やはり“カンフーファイター”。君か・・・・ランファ!!!」
嫌な思いが的中したように流水は毒でも飲み込んだ表情を浮かべてスロットルを強く踏み込む。
加速した“トリニティ・パニッシャー”は左に備えてある長剣、≪バシリクス・ブレード≫を鞘から抜き放ち前方から速度を緩めず猛進する赤い紋章機、“カンフーファイター”に向かって肉薄した。
機銃弾を超高硬度のオリハルコン鉱石製刀身で弾き返し、中型ミサイルを一振りで切り伏せる。空間防壁を使用する必要など無い。
自分自身の力で、技で相手をねじ伏せる。それが例え淡い恋心を抱いた女性であっても。
今、この瞬間。一人の男である雨宮流水は存在しない。
帝政軍特殊戦闘部隊長補佐として、一人の軍人としてドライに割り切った心を宿し流水はスロットルを一層強く踏む。
「この程度の攻撃で!・・・・・なッ!?」
赤いレーザーファランクスを切り払い眼前に視線を戻した後、目の前に銀色の爪が大きく開かれ接近していた。“カンフーファイター“の主要装備である電磁式ワイヤーアンカーだ。あと反応が少しでも遅れれば”トリニティ・パニッシャー“は大きな被害を被っていただろう。胸部コックピットに向かって一点に集中するアンカーアームを”トリニティ・パニッシャー“は後退して≪バシリクス・ブレード≫で弾き返し僅かに空いたアーム同士の隙間を駆け抜け≪バシリクス・ブレード≫の刃を真っ直ぐにコックピットに向かって伸ばす。このまま行けば”カンフーファイター“のコックピット内に刃は突き刺され搭乗者であるランファは一瞬で身体を押し潰されて死ぬだろう。
本当にそれでいいのか?自分が愛した女性を自らの手で殺めてしまっていいのか?
僅かな躊躇いが一瞬で膨れ上がりその感情は“トリニティ・パニッシャー”に反映してしまった。
「くっそぉぉぉぉぉぉ!!!!」
アームを接続する二本のワイヤーを切断し“カンフーファイター”の右肩に向かって蹴りを放ち反作用の勢いで間合いを開ける。
しかし、“カンフーファイター”はその機会を狙っていたかのように切断されたワイヤーに繋がれて漂うワイヤーを切り離し遠隔操作を行って“トリニティ・パニッシャー”を両方から押し潰そうとアームを素早く動かしたのだ。
「ち!」
小さく舌打ちをした後、空間防壁を展開。
捻じ曲げられた空間に飛び込んだアンカーアームが音を立てて拉げる。アンカーアームの異変に逸早く気がつき全壊寸前にアームを呼び戻す“カンフーファイター”。
どうやら本気で自分を落とす気だ。もっとも自分も彼女を本気で撃墜する気だった。
そのことにようやく気がつき流水は恐怖した。自分自身に。愛する女性を兵器で殺そうとした冷酷な自分に。
手が震え全身の毛穴からドッと冷や汗が吹き出る。体調は悪くないのに寒気がする。
「僕は・・・・僕は」
このままではいけない。自分が彼女を殺してしまう。雨宮流水ではなく一人の軍人としての自分が。そんな念が脳裏を過ぎる。何度も何度も。
怯えた子供のように両腕で肩を抱きしめ身体を振るわせる。
無意識に豹変する冷酷な自分の存在から逃れるように。
『雨宮部隊長補佐!応答してください!!雨宮部隊長補佐!応答してください!!脳波に異常が見られます!大至急帰還して下さい!!』
「はっ!・・・・はい!!!」
通信担当オペレーターからの指示に慌てて我に返り機体を旋回させ帰還しようとした矢先、
『待ちなさい!』
ゾクンと全身が脈動した。額からヌルリとした液体が流れる。
『アンタ・・・・中々やるわね。名前だけ聞いておくわ。アタシはランファ・フランボワーズ。アンタは?』
武道を嗜む彼女から見れば敬意を表したつもりなのだろう。
自分と互角に渡り合った者の名くらいは聞いておきたいのだろうか。
そこが彼女らしいと思いながら、
「帝政国家中央特殊戦闘部隊所属、雨宮流水」
「嘘・・・・。流水・・・・・なの?」
『そうだよ、僕さ。久しぶりだね、ランファ』
あの温かい笑顔がモニタを通してそこあった。突然の別れで心が壊れそうになりながらも必死になって探し、欲したあの優しく温かい笑顔がたった今、死闘を交えた機体の中にいるのだ。
「流水!どうして!?どうしてアンタがそっちにいるのよ!!!」
叫ぶように問いただすランファ。
『それは・・・・・僕が帝政軍の軍人だからだ』
「帝政軍の軍人だから・・・・アタシたちと戦うっていうの?」
今の状況で彼女に冷静になれと言っても不可能に等しい。
半ば錯乱状態のランファに重々しい顔つきでゆっくりと頷く流水。
「そんな・・・・どうして・・・っ・・・えっ・・・どうしてなのよぉ。・・・うっ」
『・・・・・・ランファ』
気がついたら涙を零していた。心が冷たい何かに突き刺され凍っていくような感覚。淡い恋心が消えていく恐怖。
優しかった笑顔が、自分を受け止めてくれた彼が心の中から消えていく恐怖。
しゃくりあげ、身体を小刻みに震わし両手の平で目を抑えて必死に堪えようとするも返って嗚咽が酷くなる一方だ。
『ゴメンね。・・・・・・・・ランファ』
「待って!!待ってよ・・・・・流水ぃ。待ってよぉ・・・・・うっ・・・・うっく・・」
申し訳無さそうに目を細め通信が途切れる。
長剣を左腰の鞘に収めた後、背を向けてブースターを吹かし点となっていく“トリニティ・パニッシャー”をランファは今にも消えてしまいそうな声で呼びかけた。
指示を下した後、長い間座って溜まった疲れを解すように腰を回し、
「戦闘終了。残存戦力に帰還するよう指示を出してくれ。シルヴァンス」
「はい。何でしょうか?」
「少しハインへと出かける。二人を迎えに行かなければならないから警護を頼むよ」
気さくな笑顔を浮かべるフォートにシルヴァンスは満ち足りた気分になり穏かな笑顔を浮かべて頷いた。
思っていたのと違う。
それがミルフィーユの初めて自分自身の目で彼を見た印象だった。
「大丈夫ですか、ミルフィーユ・桜葉さん?」
差し出された手をミルフィーユは受け取るかどうか悩んだ。彼女の瞳の先には茶色の髪の青年が路地裏に差し込む陽光を背負い朗らかな笑顔を浮かべ、冷たい路地にしゃがみ込む自分に向かって手を差し伸べていた。
「タクトさーん!大丈夫ですかぁ!?」
机に突っ伏すタクトにミルフィーユが血相を変えて駆け寄る。そんな彼女に漫画のようにげっそりとやつれた顔で力なく笑うタクト。
「ゴメン、ミルフィー。チーズケーキを食べれば元気になるよ」
「もう!素直に『チーズケーキが食べたい』って言ってくださいよ!今、材料を買ってきますから!」
ぷぅ、と頬を膨らませるミルフィーユにタクトは朗らかな笑顔を浮かべて、
「ありがと!楽しみにしているよ」
子供のように無邪気な笑顔を見せた。
「あの!ランファは大丈夫でしょうか?」
思い出したように訊ねる。
「分からない。敵は流水だったって言っているけど」
その名前を聞いてミルフィーユは目を見開いた。驚きと同時に悲しみや不安が入り混じった感情を味わった。
ランファと流水。二人の熱愛ぶりはエルシオールでも話題になった。
しかし突然、愛璃と共に帝政国家へと帰還したその後、何も連絡がない。
恋人が突然姿を消したこと。ランファは必死にその衝撃に耐え、その事実を受け止めた。
いつか再び笑い会う日を夢見て。
だが、今回はどうだ?再会と引き換えにその夢が音を立てて崩れたのだ。
ランファは一人の女性であると同時に皇国軍人。
流水は一人の男性であると同時に帝政軍人。それも特殊戦闘部隊の部隊長補佐だ。
いくらランファであろうともこれは堪えるはずだ。
「大丈夫さ。ランファなら。ミルフィーが一番それを知っているはずだろ?」
自分の知っている友人を思い出す。負けず嫌いでいつも勝気。でも、芯が強く本当は優しい心の持ち主であることを知っている。
「それは・・・・そうですけど」
「なら信じて待ってよう。それとチーズケーキは2人分頼むよ?ランファの分も」
「タクトさん・・・・はい!待っていてくださいね!!!」
元気よく飛び出していくミルフィーユの後姿をタクトは温かい笑顔を浮かべて見つめていた。
それからエルシオールを訪れていた千早達の情報により“ガーリアン”のシェトス星系の惑星ハインにミルフィーユは来ていた。タクトの為に作るケーキの材料を買う為だ。
「へへっ!お姉さん!俺達と遊ぼうよ!!!」
タチの悪いゴロツキが自分を取り囲み助けを呼ぶ暇も無くミルフィーユは狭く暗い路地裏に引っ張られてしまった。
男の数は合計、六人。獲物を目の前にした獰猛な肉食動物の目をしたように彼らの目は狂気で光っている。生理的嫌悪がミルフィーユを包もうとした先、
「はいはーい。邪魔ですよぉ」
愉快そうな言葉が飛んできた。直後、一番後ろの男がミルフィーユと彼らの頭上を放物線を描いて飛んでゴミ箱に顔を突っ込んだ。ゴロツキが振り向くと陽光をバックにした二人分のシルエットが腕を組んだように佇んでいた。
一人は先ほどゴロツキを文字通り一蹴して吹き飛ばした人物でその傍らには前者を超える長身が直立不動の体勢で立っている。
「フォートさん。お下がりください」
(え?フォートって・・・・・)
確かに長身のシルエットはその言葉を呟くように言い放った。
「分かった。シルヴァンス、後は任せたよ」
フォートと呼ばれた男は朗らかな口調で長身のシルエットに声をかける。
一方、長身のシルエットは声から見て女性のようだ。
「御意」
長身のシルエットが前に一歩出た。するとゴロツキどもが数歩後退した。シルエットから発せられる威圧感。それがゴロツキどもの精神を追い詰めているのだ。また一歩、そして数歩後退することが繰り返され、
「破!」
「うわぁ!!」
気合が長身の喉を割った。
自分の後ろに後退したゴロツキから悲鳴が聞こえ振り向くとミルフィーユは我が眼を疑った。何と何も無い空間から槍が現れたのだ。そしてそれは間違いなく意思を持つかのようにゴロツキの一人に襲い掛かった。
それを合図に路地裏の壁から地面から槍が浮き上がるように姿を見せ、合計十二本の槍が宙に浮いて今にもゴロツキ全員に鋭い刃を突き刺そうと待ち構えている。
人外の恐怖に怯えゴロツキは悲鳴すらも上げずにただ闇雲にしゃがみ込むミルフィーユとシルエットを通り越し表通りに向かって走り去っていった。
「やれやれ。ここも物騒になったものだ・・・・ありがとう。シルヴァンス」
「いえ」
後方にて待機していた男が冷たい路地にしゃがみ込むミルフィーユにツカツカと歩み寄り、
「大丈夫ですか?ミルフィーユ・桜葉さん?」
朗らかな笑顔を浮かべて手を差し伸べた。路地裏に差し込む陽光が微かに男の顔を照らした。
ミルフィーユは差し出された手を受け取るかどうか悩んだが早くこの場所から離れたい、という感情が彼女を動かしていた。
「“ガーリアン”に来て早々悪い印象を与えてしまったようですね」
カフェテラスで男は申し訳無さそうな表情を浮かべ逆にその態度がミルフィーユの心を揺らした。
「いえ・・・そんな」
男、フォート・マイヤーズは人当たりがよさそうな笑顔を浮かべて表通りにミルフィーユを連れて行った。その時、繋いだ手をミルフィーユは何とも言えない感覚を味わった。これまで彼女はフォートを何度か映像でだが見たことがある。そのどれも相手を貫く冷たい光を茶色の相貌に宿しており彼女自身、フォートに恐怖の念を抱いているのだが今の彼は違う。
恋人であるタクトと同じように優しく受け止めるように温かい笑顔を浮かべているのだ。
仮にもタクトとフォートは父子の関係にある。故に顔立ちや細かい動作まで似ているのだろう。
ミルフィーユには目の前の優しそうな人物が故郷に火種をばら撒いた本人にはとてもじゃないが思えない。
「あの!」
「はい?」
思い切ってそのことについて聞いてみるもキョトン、とした顔を返されグッと詰まってしまう自分が情けないと思った。しかし、こればかりは聞かなければならない。自分の大切な両親や妹を巻き込む戦火の原因について。
「どうして!EDENやトランスバールに戦いを仕掛けるんですか!!!」
「・・・・・・・は?」
「いや・・・はって」
ミルフィーユの決死の覚悟はフォートの呆けたような表情によって砕かれてしまった。
「<マスターデバイス>の摘出ですかね?」
「<マスターデバイス>?」
「EDENに転がり込んだ“ガーリアン”の人間が『どこか』にいるはずです。帝政軍はそれを血眼になって探しているんですよ」
EDENに転がり込んだ“ガーリアン”人間―――――フォートの言葉にミルフィーユはある少女を思い浮かべた。肩甲骨の辺りまで伸ばした澄んだ水のように美しい緋色の髪の少女を。ならば彼女がフォート達、帝政軍が探している<マスターデバイス>なのだろうか?
再びミルフィーユは悩んだ。今ここでフォートに麻衣の存在を教えればEDENへの攻撃を中止するかもしれない。代わりにエルシオールや“ピース・オーケストラ”に襲撃する部隊の数が増えてしまう。
麻衣の命が危険に晒されてしまう。
故郷を救うか一人の少女を救うか。どちらを取るかミルフィーユは悩んだ。
「ミルフィーユさんは・・・・不思議な人です」
「――――え?」
「貴女といると・・・・失った物を取り戻している気がします」
どこか遠い過去を思い出しているようなフォートの悲しげな顔。
いくら父子とはいえ、タクトにあそこまで悲しい顔が出来るのだろうか。
「どういうこと・・・・ですか?」
「死んだ・・・・母親に雰囲気でしょうか、良く似ているんですよ。ミルフィーユさんは」
「私がですか?」
えぇ、と頷き拳をギュッと握り締め目を憎々しげに細める。まるで誰かを憎みその時までをも思い返しているような感じだ。
「話してくれませんか?お母さんや“ガーリアン”のタクトさんのこと―――――」
「あんなクズ・・・父親じゃありません!!!」
ドン!!と音を立ててテーブルに拳を叩きつけ憎悪の眼差しを向けるフォートにミルフィーユが身を強張らせ、それまで二人のやり取りを傍らに立って傍観していた銀髪の人物が彼の拳にそっと手を寄せた。
初めて見た時は陽光をバックに背負ったシルエット姿だったが今はハッキリとその容姿を見ることが出来る。
絹糸のように滑らかな長い銀髪とサファイアが嵌め込まれたような蒼い双眸。先ほどの声、体格から見てやはり女性のようだ。
ミルフィーユは知らなかった。彼の傍らに立つ女性がかつて行動を共にし一人の少女の為に姿を消したブラウンの髪の青年と同じくBBHW、造られた存在であることを。そして、その中の頂点に君臨していることを。
イレギュラーナンバー・アイン。シルヴァンスであることを。
「フォートさん」
落ち着きを払い諭すような口調。
「すまない。すみません、ミルフィーユさん。あの男のことを思い出すと・・・つい」
頭を下げるフォートにミルフィーユは慌てて、
「いえ!私のほうこそ・・・嫌な思いをさせてしまってすみません!!!」
そんな初々しい二人の様子をシルヴァンスは何故かブスッとした様子で眺めていた。
「本当に合っているんだろうな?」
顔は真っ直ぐに前を向くも目は右に歩く自分よりも背の低い少女に向ける。睨むつもりはなかったのだが少女から見れば充分、威圧感を与えてしまったようだ。ビクリと身体を強張らせる。
「いや。睨むつもりは無かったんだ」
「いえ、大丈夫です」
慌てて顔の向きを変えて謝る男に少女が気にしていない、と言った様子で返し両手に握る地図に白く整った顔を近づけて凝視する。
「以外だな。ちとせはこういのにはシッカリしていると思っていた」
「わ!私だって・・・苦手な物はあります!!!」
ちとせと呼ばれた黒い長髪の少女はぷぅと紅くなった頬を膨らませた。そこがまた可愛らしい。
「伊織さんだって、コーヒーとか紅茶とか苦手じゃないですか!?」
「むっ」
少し頬を引きつらせる男―――天都伊織はちとせが握っている地図に目を細めて彼女の手から取る。
「やっぱりな・・・・・」
「どうしたんですか?」
一通りページをパラパラとめくり呟く伊織に問い掛けるちとせ。返事の変わりに折って表紙を見せる本を軽くちとせの手の中に放る。
「また地図を間違えたな?」
「ひぇ!?えぇっと・・・これはそのぉ・・・あのぉ」
ちとせが握っていたのは『東京23区』と書かれたコンパクトな地図。
明らかに今、二人がいる惑星ハインとは違う。
恋人の前でまたしても同じ失態をしてしまい恥ずかしさで頬の赤みが一気に増した。
「ちとせ。失敗は誰にでもあることだ。雨の中の東京マラソンは凄かったがな」
「あぅ〜。はい」
恥ずかしさで頬を紅潮させ涙目になりながら落ち込むちとせ。その様子がまた凄く可愛らしい。
伊織がそう思った時、
「どうかしましたか?」
「ん?」
後ろからの声に振り向くと一組の男女がそこにいた。男の方の背は小さ目という訳でもないのだが女の長身故か小さく見えてしまう。
男は涼しげに切り込んだ黒髪と黒い瞳。服装は黒いシャツの上から白いジャケットを羽織っている。
一方、女の方はセミロングの茶が混じる黒髪に軽くウェーブをかけた髪で男と同色の双眸。空色を基調とした明るいイメージの服装だ。
「実は少し道に迷ってしまって」
「そうですよねぇ。ここんとこの道って・・・・複雑ですからね」
恥ずかしそうなちとせに男が子供のような笑顔を浮かべる。そんな男に、
「アンタだって道に迷ったでしょうか!!」
「イタぁ!」
スパーン、という音と共に後頭部を叩かれる男。目を丸くしてその光景に目をやるちとせ。
まるで夫婦漫才を見ている気分だ。
「どこへ行くんですか?案内しますよ」
女が丁寧な笑顔を浮かべる。
「あ、ありがとうございます!!!実は『ラ・ホルデ』というケーキ屋に行こうとしているんですけど」
ちとせの言葉に目を輝かせて、
「そうなんですか!?私達も丁度そこに行こうとしていたんです!あそこのガトーショコラって凄くおいしいんですよ!!!」
「本当ですか!?私、ガトーショコラ大好きなんです!是非連れて行ってください!!!」
女同士、甘い物に興味があるようだ。共通の趣味に意気投合する女性陣はそれぞれの相方を置き去りにし歩いていってしまった。
「洋平!さっさとしなさい!!!」
「うへ!?わーっかりましたぁ!!!」
洋平と呼ばれた男が顔をしかめて女性の後を追い、伊織も自分を忘れて早歩きで去っていくちとせを慌てて追いかける。
「ガトーってジ○ン軍将校の名前か?」
という場違いな思いを抱きながら。
伊織の脳裏には大型バズーカを持った人型兵器に乗ったとある将校が、
「ソ○モンよ!私は帰ってきたぁぁぁぁ!!」
と叫んでいる光景が浮かんでいた。
「すげぇ」
「まったくだわ」
翔矢の呟きに千早がポツリと返す。二人の目の前に広がっている白い砂浜と青い海。自分達の世界の戦艦では一生お眼にかかれないだろう。
この艦だからこそ見れる場所なのだから。このエルシオールに。
「満足頂けましたか?」
「本当に凄いわ!ありがとね、ミント」
「すげぇ・・・・未来都市だな」
目を輝かせて辺りをウロウロする翔矢。子供のようにも見える。
砂浜を行ったり来たりと行動も子供っぽい。
ミントからみた翔矢の第一印象は余り良くなかった。自分の仲間、伊織を侮辱した者だからだ。だが、それは逆に言えば伊織を良く知る人物とも取れる。
実際、彼と関わり話すこと数時間。ミントから見れば彼は思ったよりも悪い人間ではない。
自然と使ってしまうテレスパスがそう告げているから。
「何か・・・子供っぽいですわね」
「あれでも第二団筆頭を務めているんだけどね」
呟くようなミントの言葉に苦笑いを洩らす千早。
「あれ?ミントさん、どうしたんですか?」
「私は二人にエルシオールの案内を。クレータさんこそどうかしたんですか?」
クジラルームに一人の女性が入ってきた。エルシオールの紋章機面整備担当であり整備班長のクレータだ。その仕事への熱い情熱と誇りを持っていることから機体を預けているエンジェル隊のメンバーからは絶大な信頼を、部下である整備班員からは尊敬の眼差しを得ている。
「初めましてクレータさん。神居千早です」
「御丁寧にどうも。クレータです」
丁寧にお辞儀する千早に明るい笑顔で返す。
「ちょっと!翔矢!アンタも挨拶しなさい!!!」
「ったく。散華翔矢でぇす」
明らかにやる気の無い意思を表すように視線を宙に泳がせて棒読みで自らの名前を名乗る翔矢。
「リッキー・・・・くん?」
「はい?」
驚いたように目を見開くクレータの唇から漏れた言葉に翔矢は首を捻った。
「リッキーくん!!!」
「うぉ!アブね!!!」
いきなり瞳を輝かせて抱きつこうとするクレータをかろうじて避ける翔矢。何がなんだか理解できない。
(誰だよリッキーって。俺はライダーの曲なんて歌った事ねぇぞ!)
とりあえず逃げるしかない。今はこの理解が出来ない状況から。
「言われなくてもスタコラサッサだぜぃ!!」
熱が入った感じの媚びるように輝く瞳で追いかけてくるクレータから翔矢は全速力で逃げていった。
「ミント、リッキーって誰?」
「トランスバール皇国では結構有名な美少年アイドルのことですわ。言われてみれば翔矢さんはそのお方に似ていますわね」
頭に生える人外の耳をパタパタとさせ微笑を浮かべるミントに千早は、
「アイツが美少年ねぇ」
目を細めて逃げ回る翔矢の後姿を見つめていた。
「あの。つかぬことをお聞きしますが・・・・千早さんは翔矢さんとどういう関係なんですの?」
「え!?」
いきなり何てこと聞くのよ!!―――と言葉の変わりに表情で返す千早。そんな彼女にミントは淡く微笑みながら続けた。
「いえ。ただ千早さんが翔矢さんを凄く暖かい目で見ていたものですから・・・・つい」
「うぅ!」
そんな目で見ていただろうか、と心の中を探り記憶を辿る。
「お互い素直になれないんですの?」
「!?どういうこと・・・・?」
額に冷や汗を浮かべる千早。
「好きなんですのよね?翔矢さんのこと」
この娘に嘘はつけない。そんな考えが瞬時に彼女の脳裏を駆け抜ける。
「分かんないわよ・・・・そんなこと。でも・・・・」
「?」
頬を赤らめる千早。今まで彼を恋人の対象として見てこなかった。ただ、いつもいっしょにいるのが当たり前と思ってきた。
離れたくないとも思ったこともある。一緒にいたいと思ったことも。
もしも、この感情が恋ならば自分は彼に恋心を抱いてるのだろうか。
ただただ、むぅ、と唸りながら千早は自身の揺れ動く感情を必死に整理するだけだった。
「助けてくれぇぇぇぇぇ」
悲痛な叫びを上げる翔矢にも気がつかず。
「これも何かの縁ね。私は桐生優美。よろしくね」
「宮間洋平でっす」
セミロングの女性がにっこりと微笑み、洋平と呼ばれた災難続きの男が明るい口調で自分の名前を告げる。
「烏丸ちとせと申します」
「・・・・・・・・・・・・・・天都伊織」
どこか居心地の悪そうに名乗る伊織。声がいつもより低い所為かドスを利かしているともとれてしまう。
「天都さん、どうしたんですか?」
「いや。別に何でもない」
優美の問いかけにいつも通りの口調で返す。そうですか、と場を紛らわせるようにはにかむ優美。
「すみません。伊織さんはいつもこの調子なんです」
二人のやり取りを見ていたちとせが申し訳無さそうに割って入る。
「何か気難しい人ですね」
紅茶を飲んで一息吐いた洋平が明るい笑顔を浮かべて話しかけた。
場のムードメーカー的存在である彼は見た限り誰にでも接しており交友関係が豊富のようだ。
話していて楽しい、というのがちとせの正直な感想だ。
おそらく洋平は忘年会といった宴会席の司会を務めているのだろう。
「そうですか?良い人ですよ?」
「へぇ。ちとせさんは天都さんの恋人さんですか!?付き合っているようにも見えますけど・・・」
「ひゃあ!?」
十八年生きていてこれで何度目かと思えるほどの裏返った声をちとせは上げてしまった。事実なのだが今更それを聞かれると顔から火が出るように恥ずかしくなってくる。それまで恋愛とは何かと疑問に思うほど彼女は恋愛から遠く離れた場所で生きてきた。しかし、伊織と出会ってから人を好きになると言う事を理解し結果、ちとせは彼に自らの想いを告白したのだ。
その時は無我夢中といった感じで余りそのときの記憶は残っていない。
いや、残っている。それも見事なまでに鮮明に。優美の発言にちとせはそれらの光景がフラッシュバックしてくるのを感じた。
互いに頬を赤らませ、天蓋の下で告げる自らの想い。
「ひゃ・・・・あっ。はい・・・・」
「そうだな。言われてみればそういう関係だな」
ちとせの赤面ぶりとは正反対に『冷静』という言葉を表情で表すかように余り動揺していない伊織。
平然と事実を肯定する彼にちとせは頬に灯った熱の温度がましていく気がした。
「あぅ〜。伊織さ〜ん」
「否定しなくてもいいだろ?事実なんだからな」
しごく当たり前のようなことを言っている態度。
「・・・・・はい」
顔を赤らめて小さく頷く。
「へぇ!!うらやましぃなぁ!!!」
「うらやましーだろー・・・・・ハハハハハハハ」
瞳を輝かせる優美に向かって棒読みで返す伊織。ちとせは彼に気付かれぬようそっと、その横顔に視線を注いだ。
心に秘めた嬉しさに彼女の黒い瞳は光っていた。
「良い人でしたね。伊織さんったらお茶を飲みながら頷いていただけでしたよねぇ」
談笑を終えた後、二人は優美、洋平と分かれてエルシオールへの帰路を辿っていた。
満足そうなちとせとは正反対に、
「・・・・・・・・・・そうだな」
「伊織さん?」
顎に手を当てて何かを考え込む伊織。とはいっても表情はいつも通りなのだが。
「いや、何でもない」
どこか腑に落ちないながらも伊織はこれ以上、考えるのをやめた。もし自分の予感が正しければいずれ会うだろう。
オレンジ色の光に照らされる街並みを二人は歩いていった。
「どうだった?休暇は」
司令室の執務用デスクの近くに設置されているチェアに身を任せながら一組の男女に訊ねるフォート。デスクはスッキリしており書類が溜まっていることは無いし溜まらせない。
フォート自身、こまめに仕事を短時間で終わらせているからだ。
「はい。とても楽しめました」
女性の返事にそうか、とフォートは目の前に立つ一組の男女に笑いかけた。
「これから激戦になる可能性が高い」
一旦、言葉を区切った後、
「よろしく頼むよ。桐生少佐と宮間大尉」
にっこりと笑う茶色の双眸の先には真面目そうに敬礼をする優美と洋平の姿があった。
絡み合う連鎖と憎しみ。
悲劇が始まるのはそう遠くない。
第三十三章
完
続く