エルシオールのブリッジは静寂が支配していた。

いつもは他愛ない話に花を咲かせているクルー達もけして口を開こうとはしない。

そんな時間が数十分も過ぎた頃、その静寂を破る人物がいた。

 

「タクト…休んで来い。今のお前には休息が必要だ。」

 

タクトは頷く事もせず、黙ってブリッジを出て行った…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   天使、再び舞い降りて…

 

                   第九章 「苦悩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリッジを出た所で、タクトは自分に向けられている視線に気付き向き直った。

 

「…ランファ…フォルテも…。」

 

ランファはタクトの言葉に何も反応を示さないまま近づき、胸倉を掴んだ。

フォルテの制止の言葉も耳に入っていない様子である。

 

「…アンタ…何で撤退なんかしたの!!何でミルフィーを見捨てたのよ!?」

 

ランファの目を見つめたまま、タクトは口を開こうとしない。

 

「あの娘……アンタに『助けて』って、言ってた…。アンタ、聞いて無かったの!?」

 

「…聞いてたよ。」

 

淡々とした口調のタクト。

当然、ランファがその態度に怒りを覚えないはずが無い。

 

タクトの頬を鈍い痛みが走った。

ランファの拳が当たったのだ。

 

「最低…!!アンタ、何とも思ってないわけ!?」

 

「…部下一人のために全滅の道を選べというのかい?」

 

「………ッ!!!!」

 

再びランファが拳を握り締めた。

だが、その振り上げられた腕をフォルテが掴む。

 

「やめなランファ!!タクトは何も間違っちゃいないさ。……司令官としてはね…。」

 

「……………」

 

ランファは黙って腕を下ろすと、その場から走り去っていった。

 

「すまないね。あの娘、頭に血が上ってるんだよ。」

 

なおも表情を変えようとしないタクト。

 

「…いや、ランファの言う通り責任は俺にあるんだ。」

 

軽い溜息をつくフォルテ。どこか呆れた様子にも見える。

 

「いいかげん憎まれ役を演じるのはやめな。…今回の事は、あたしらにだって責任が無いわけじゃないんだ…。」

 

「はは…。」

 

タクトがようやく微かな笑みを浮かべた。

 

「タクトが悲しんでる事はランファだってわかってるさ。今は…そっとしといてやってくれないかい?」

 

黙って頷くタクト。

 

「じゃあ、ゆっくり休みなよ。…無理かもしれないけどさ…。」

 

そう言ってフォルテはその場を後にする。

タクトも再び歩き始めた。

 

「…静かだな…。」

 

ブリッジだけではなく、通路も火が消えたように静まりかえっていた。

彼女がいない――――――唯、それだけで…。

 

気がつくとタクトは走り出していた。その静けさから逃げるかのように。

 

やがてタクトは司令官室の前で脚を止めた。

自分の部屋まで来た事に気付いたからではなく、そこで待っていた人物が目に止まったからだ。

 

「あ、タクトさん。こんにちは。」

 

そう言ってその人物は微笑んだ。

 

「……ルシャーティ。」

 

「あの…ケーキを焼いたんです。それでタクトさんも一緒にどうで……」

 

「ごめん、ルシャーティ……今は…一人になりたいんだ…。」

 

「…あ…」

 

「…ごめん……」

 

「いえ…私の方こそすみません…タクトさんの気持ちも考えないで…」

 

「……………」

 

「また…来ますね…。」

 

ルシャーティの言葉には涙が混じっていた。   ・・

…普段のタクトなら呼び止めていただろう。そう…普段なら。

 

 

無言のままドアを開け司令官室に入るタクト。

ドアが閉まるのを待たずに、握り締めた拳を思い切り壁に叩きつける。

 

 

 

 

 

 

 

「…何が…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…何が、『皇国の英雄』…だ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…自分の大切な人も守れないで、何が……!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

膝を折り、その場に座り込む。

その時室内に電子音が響いた。

 

「通信……?」

 

ゆっくりとデスクに近づき、回線を開く。

 

「…シヴァ陛下……」

 

「酷い顔だな、マイヤーズ。」

 

完全に予想外の人物を前にしても、タクトには驚いた様子が無い。

 

「丁度良かった。…シヴァ陛下にお頼みしたい事があったんです…。」

 

「私に…頼み事?」

 

シヴァは話すよう目で合図した。

 

 

 

 

「俺を…総司令官から解任して下さい。」

 

 

 

 

まるでわかっていたかのように落ち着いた様子のシヴァ。

 

「…理由を聞こう。」

 

「俺は…」

 

やはり心苦しいのか、僅かな間が置かれる。

 

「俺は私情に流され撤退命令を遅らせました。結果、被害は増大した。」

 

「…………」

 

「更に、今も司令官としての職務を副司令に任せて自分は部屋で眠る気でいます。」

 

「…………」

 

「これらは、重度の軍規違反です。…よって、俺はタクト・マイヤーズ少将の解任を求めます。」

 

黙って話を聞いていたシヴァが口を開いた。

表情には不快感が滲み出ている。

 

「マイヤーズよ、それは逃げだ。」

 

「逃げ…?」

 

「クールダラスから何があったのかは聞いた。…大層な理屈を並べてはいるが、ミルフィーユを守れなかった事で全てに無気力になり、

 自らの負うべき責任を放棄しようとしているのであろう?…逃げでなければ何だというのだ。」

 

余りに強いシヴァの口調に立ちすくむタクト。

 

「そうかも…しれません。」

 

「マイヤーズ。お前に出来ない事をやってみせる者など今のトランスバールにはおらん。」

 

「………」

 

「辛い事を言ってすまぬ。だが…私だけでは無い。皆お前を信頼しているのだ。」

 

「………シヴァ陛下…」

 

「トランスバールの未来は、お前に託す以外ないのだ。頼む……タクト………!」

 

通信が閉じられる。

最後の方は涙の混じった声で、良く聞き取れ無かった。

 

薄暗い室内で未だ微動だにしないタクト。

 

「…シヴァ陛下…それでも…俺は……」

 

シヴァが、『タクト』と呼んだ意味はわかっている。

わざわざ本星より通信を入れてきた意味。

今の言葉はトランスバールを統べる者としてだけでは無く、シヴァ・トランスバール個人の言葉でもあると言う事を。

 

「ミルフィー…」

 

 

 

 

 

 

 

「タクト?入るぞ。」

 

ドアが開かれた。

 

「レスター…。」

 

「白き月が既にエラクリオンまで来ているらしいのでな。我々も向こうに着き次第、報告も兼ねて会議を…」

 

レスターの言葉をタクトが遮った。

 

「…好きにしてくれ。今から司令官はお前だよ、レスター。」

 

レスターが眉をひそめた。そして、威圧するかのような低い声で言った。

 

「何だと……!?」

 

「俺は、もう…疲れたんだ…」

 

次の瞬間、レスターの拳がタクトの顔面に直撃した。

背後の壁に倒れ掛かるタクト。

 

「…貴様…今、何と言った…!?もう、疲れただと!?」

 

「…ああ…。」

 

「一人で被害者ぶるのもいい加減にしろ!!!……お前は…!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「レスターに俺の気持ちがわかるのか!?…ずっと……ずっと一緒に居るって約束したのに!俺が守るって言ったのに…!!」

 

 

 

 

 

 

 

「彼女が…目の前で助けを求めていたのに……」

 

 

 

 

 

 

「何も出来ず逃げるしかなかった俺の気持ちがお前にわかるのか!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「俺が…ミルフィーを……!!」

 

 

 

 

 

 

 

「…お前が苦しんでいる事は知っている。…だが…!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「悲しいのが自分一人だけだとでも思っているのか!?」

 

 

 

 

 

 

 

「…今まで行動を共にしてきたクルー達が!同じ天使の名を冠する仲間達が!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前と同じように苦しんでいないと…本気で思っているのか!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タクトは全身を貫かれた気がした。

 

 

 

 

―――――そうだ。

 

 

俺に怒りを露にしたランファ。…もし俺も矛先を向けられる相手が居たなら同じ事をしただろう。

 

 

そのランファを抑えたフォルテ。…悲しくない訳が無い。苦しくない訳が無い。それでも…俺を気遣ってくれた。

 

 

自らの責任を感じ、部屋に閉じこもってしまったミント、ヴァニラ、ちとせ。…俺も同じ事をしようとしていたのではなかったか。

 

 

それを知っていながら、俺は―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の事しか考えられないのか!?他人の事などどうでも良いか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は……俺はそんな情けない奴の副官になった覚えは無い!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静まりかえる室内。

 

「レスター…」

 

「『勝敗は兵家も事期せず、羞を包み恥を忍ぶは、是れ男児。』」

 

「え…?」

 

「勝敗は兵法家でさえ予測できないもの。恥を忍び肩身のせまい思いに耐え、次に備えてこそ真の男である。…という意味の言葉だ。」

 

「………」

 

「耐えろ、タクト。」

 

「…お前が桜葉の無事を信じてやらないでどうする?」

 

「…レスター…」

 

「一時間後、白き月に入港する予定だ。それまで気晴らしをしてこい。…いつも通りにな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう…レスター…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

どうも。慣れないシリアスのみでの章と言う事で緊張気味の刹那です。

これからもこんなかんじの話は出てくると思うので、

変なところ等ありましたら雑談室の方へ書いてくださいな。

 

それでは、また。