天使、再び舞い降りて…
第十九章 「束の間の休息」
――――エルシオール、展望公園――――
「…えーそれでは、ヘルハウンズとキィのエルシオール来艦を祝して…乾杯!!」
『カンパーイ!!!』
雲一つ無い快晴。時たま不快感を与えられる偽物の青空も、こんな日には心地よい。
タクトの挨拶で食事が始まった。ピクニックに挨拶というのもどうかとは思うが。
それに、相変わらずここの景色には似つかわしくない程の重装備で不測の事態に備えている者もいる。
「今日のお弁当は自信作です!どんどん食べてくださいね!!」
ミルフィーユがそう言う前に既に高(光?)速で箸を振るっている人物が一人。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!美味い!!!この卵焼きもこのエビフライも!!このミートボールも…」
次々と料理を口に運ぶギネス。が、やけに赤いミートボールを口に入れると…
「ぐはっ!!…ま、まだだぜぇ!正義は…絶対に勝つんだからなあぁぁあぁ嗚呼ぁぁぁ!!!!!!!!(?)」
意味不明な事を叫びながら二つ目を口に入れた瞬間、声にならない呻き声を漏らし力尽きた。
そのままランファに撤去(?)される。
「ランファ…」
「なんか…五月蝿かったから…」
そんな理由で有無を言わさず排除されるなどたまったものではないが、最早手遅れか。
ハッキリと明言はしないが、あのミートボールはランファお手製だろう。
ギネス・スタウト、二階級特進。合掌。
「さて…畜生の如く愛しいマイハニーの料理を漁る馬鹿は放っておいて、僕も料理を頂くとするかな」
「そうね。ほら、タクトも食べなさいよ」
この二人、ギネスの扱いに関してはすっかり意気投合したようである。
最早タクトには笑う道しか残されていない。
(いつの間にそこまで選択肢が狭まったんだ…。とりあえずギネス、安らかに眠ってくれ)
ギネスの眠る方角に向けて合掌すると、タクトは向き直った。
これでようやく落ち着いて食べれると思ったのもつかの間…
「あ、タクトさん。お砂糖はどこに…?」
キィが話し掛けてきた。
本人は凄く真面目なのだろうが、右手にスプーンと共に砂糖の子袋を握っている姿は中々に笑える。
こう言う場合、本人が真剣であればあるほど笑いが込み上げてくるのでタチが悪い。
「うん…多分、今キィが右手に持ってる袋だと思うんだよね」
「え?」
キィはよくわからないと言った顔で自分の右手を見詰めたまま硬直する。
一秒……二秒……三秒…
四秒が経過したあたりでキィが叫んだ。
「あ…。す、済みませんタクトさん!!僕とした事が…!!!」
顔を真っ赤にして大声を上げるキィ。
(なんかちとせに似てるなぁ…)
おそらくはタクトだけで無くそこに居る殆どの人間がそう思ったのだろう。
いくつもの笑いが漏れ、和やかなムードが辺りを包む。
「キィ君もやっぱり子供なんだね」
ルシャーティがほんの少しだけからかうような語調でそう言うと、キィは頬を膨らませて呟いた。
「…ルシャーティさんには言われたくないです…」
本人は不機嫌そうな表情のつもりなのだろうが、まだあどけなさの残るその姿は何とも可愛らしい。
それを見て再度笑みを漏らす一同。勿論年下に何やら言われてしまったルシャーティは、別の意味で違うが。
「…それはどういう意味?キィ君」
満面の笑み。その笑顔の後ろに隠されたものを感じるか、そのまま受け取るかは人によって違うだろう。
…どうやらキィは前者のようだ。
「…怖いです…」
「どうして?」
身を竦めるキィと極めて冷静なルシャーティ。
こんな表情のルシャーティが見られるのは極めて稀である。
「ま、まあ二人共落ち着いて。まだ始まったばかりなんだし」
二人の間に、半ば割り込むような形でタクトが体を滑り込ませた。
その笑顔が引きつっているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
「あ…済みません、タクトさん」
「タクトさんがそう言うんでしたら…」
そう言ったルシャーティは不自然な程の笑顔を崩していない。
子供っぽい、というのは自覚しているようだ。キィはキィで、黙って料理を口に運んでいる。
「大人びてんのかガキっぽいのかわかんないねぇ」
少し離れた場所から様子を眺めていたフォルテが言った。隣にはレッド・アイが座っている。
「…両方だろう…」
さらにその隣、ヴァニラ。こうして見るとかなり妙な取り合わせだ。
「大人びている…とは、どういう事を指すのですか…?」
「なんだお前、わかんないのか?しょうがないなぁ、このベルモット様が教えて…」
ヴァニラの声に反応して声を上げるベルモットだったが、アッサリ身内に撃墜される。
「…ベルモットとは正反対の性格の子供の事だ…」
そう言ったレッド・アイの口元には良く見なければわからない程の、微かな笑みが浮かんでいた。
「…うう、レッド・アイの兄貴非道い」
微笑を浮かべたままグラスを傾けるレッド・アイの耳に、次第に大きくなる足音が聞こえた。
唇からグラスを離し、音の方向へ上半身をひねる。
「変わったな。お前が笑うなんて…」
その人物はそのまま、驚いた、と言葉を続け腰を下ろした。
「…リセルヴァ…」
自らの名前を呼ばれたその人物は、フッと軽く息を吐き笑みを零す。
「何年振りかな、こんなに穏やかな空気に触…」
「お話中失礼しますわ」
妙に黄昏れているリセルヴァの声を遮るように響いてきた音。
二人はほぼ同時にその声が聞こえてきた方へ目を向ける。いつもの、悪戯っぽい笑顔を浮かべるミントの方へと。
「何か用か?」
まるで表情を変えないリセルヴァの返答に少なからず動揺を覚えるミント。
普段なら突っかかって来てもおかしくはないのだが。
「それを取って頂けません?」
そんな感情は一切表情に出さず、言葉を続けるミントが指した先にあったのは飾り気の無いカップ。
それを見つけ、拾い上げたリセルヴァが口にした言葉はまたしてもミントの予想を裏切るものだった。
「ん? …ああ、これか。ほら」
決して愛想が良い訳ではないが、リセルヴァは笑みを浮かべたままカップを差し出した。
ポーカーフェイスで通すミントも、さすがに表情が崩れる。
「…どうしたんだ?」
何とも言えない表情のまま固まっていたミントにリセルヴァが声を掛ける。
本当にわからない、という感じだ。
「あ…いえ、まさかこんなにアッサリ取って頂けるとは思っていなかったもので…」
ミントの言い方は酷く歯切れの悪いものだった。
そのせいかどうかは知らないが、リセルヴァは訳がわからないと言った表情をしている。
そんな彼を見かねてレッド・アイが呟いた。
「お前も…変わった」
瞬間、電気ショックでも食らったのかと思う程リセルヴァの体が跳ねた。顔に大量の汗をかいて。空の青さに負けぬ程の顔色で。
ようやく自分の行動を理解したようだ。
「バ……だ、誰が貴様の頼みなど聞くか!自分で取れ!!」
言い捨て、カップを元の場所に戻すと逃げるようにどこかへと逃げるように消えた。
「あらあらあら…」
「…あれほどひねくれた奴も珍しいな」
レッド・アイは誰かに話し掛けるというより独り言に近い調子でそう言うと、カップを取ってミントに渡した。
ありがとうございます、と言って背を向けるミントに向かって彼は言葉を続ける。
「…ブラマンシュ、一つ聞きたい」
まさか言葉を掛けられるとは思っていなかったのか、意外そうな表情でミントが振り向いた。
その彼女の両手が、まるで握られたカップを隠すかのように動いている。
「…何ですの」
「そのカップ、何に使うつもりだ?」
そう言ったレッド・アイの指はカップの底面を指していた。
なるほど、確かに底には小さな穴が開いていた。リセルヴァは気づいていなかったようだが、その穴の事についてミントとランファが協議した結果、何故かタクトが代わりのカップを取りに行くという結論に落ち着いていたりする。
「え………」
しばしの沈黙が降りるミントとレッド・アイの間を、ザァッという音と共に一陣の風が吹き抜けた。
舞い踊る数枚の木の葉が髪や顔に当たり、二人共に顔をしかめる。
「…あら!私としたことがカップを間違えてしまいましたわ!!」
沈黙が、唐突に断ち切られた。見ればミントが不自然なほどの笑顔を浮かべたまま、わざとらしく口元を押さえている。
こう言うのもなんだが、彼女らしくもない、かなり下手な演技だ。
「あらあらあら、お恥ずかしい所をお見せしてしまいましたわね。でも誰しも間違いというものはありますわ。物忘れを若い人がしてしまう事だって…」
全く視線を動かさないレッド・アイの前でミントが矢継ぎ早に話し続ける。
今の彼女を一言で言い表すならば『慌てている』というのが一番正しいだろう。…かなり考えにくい事ではあるが。
「そ、それでは失礼いたしますわ!私はカップを取りに来ただけですし…」
聞いているのか聞いていないのか、さっぱりわからない無愛想男相手に長々と演説していたミントは、最後にそう締めくくり踵を返す。
そんな彼女の背に、レッド・アイは一言だけ言葉を投げ掛けた。また、微かな笑みをその口元に浮かべて。
「お前も…十分にひねくれ者だな」
「……大きなお世話ですわ……」
正直、ミント自身も何故こんな事をしたのかはよくわかっていなかった。
強いて言えば、興味があったのだ。
敵だった頃のリセルヴァと、今のリセルヴァ。同じ人間である筈なのに、テレパスで受ける印象は全く違う。
どちらが正しいのか、彼女は悩んだ末に直接確かめてみようと思った。
そして結果は、面白い程に一目瞭然だった。だが…
(はぁ…納得できませんわね…)
彼女の中で結論が出るのは、まだ先の話。
「う〜〜〜ん、いい気持ちですね〜」
そう言って、思い切り手を伸ばしてみる。何かを掴んだ感触は無かったけれど、浴びた光が暖かかった。
エンジェル隊の面々が談笑している場所から少しだけ離れた小高い丘。
そこに、タクトとミルフィーユは並んで座っていた。後で冷やかされるのは目に見えていたが、今はそんなことはどうでも良い。
最近、珍しく忙しかったから――
最近、忙しそうだったから――
本当は理由すらどうだっていいのかも知れない。
ただ、二人の時間が欲しかった。
「何だか、久しぶりですね。こうやって二人でいるの…」
立ち上がり、空に手を伸ばしていたミルフィーユは視線を落とし言葉を掛けた。
空いた手で足元の草をもてあそびながら、その彼女を見上げていたタクトと視線が交わる。
「そうだね。 …レスターは休憩をくれないからなぁ…死ぬかと思ったよ」
言いながらタクトも立ち上がり、ゆっくりと並んで歩き出す。バックミュージックは小鳥たちの交響曲だ。
そのまま司令官室に監禁された話や、ブリッジのシートに縛り付けられた話等、他愛無い話を繰り返しながら二人は歩き続けた。
振り返ればさっきの丘が遠目に見える。
「…それでレスターの奴がアルモに捕まってさ、お陰で何とか脱出出来たんだ」
「へぇ…何だか大変そうですねぇ…。でもお仕事を溜め込むのはやっぱり良くないですよ?」
ハハハ、と苦笑しつつ足を止める二人。
「そろそろ、戻った方が良くないですか?」
「そうだね。それじゃ…」
タクトはそっとミルフィーユの肩へと手を伸ばし、抱き寄せた。
一瞬、何が起きたのかわからないミルフィーユが体を硬直させる。
「…た、タクトさん…?」
「ミルフィー、動かないで」
タクトの腕に少しずつ力が込められ、それに比例して距離も縮まってゆく。
「ん…」
互いの息さえ感じられそうな程の距離になり、目を閉じる。
甘い香りがタクトの鼻をくすぐる。
その時――――――――
ガサッ
「…ん?」
妙な音のした方向へ同時に振り向く。
そして草陰に潜んでいた集団と目が合い、数秒硬直する。
そんな事は聞くまでもないが、タクトは一応社交辞令的に尋ねた。
「…何やってるのかな、皆は?」
その一言で、固まっていた集団が動きを取り戻した。
「ア、アハハ〜…二人していなくなってるから様子見に来たんだけど…」
「まさかこんな事になっているとは…お邪魔してしまいましたわね」
ゾロゾロと現れるエンジェル隊の面々。
「ハイハイ、撤収、撤収〜!ボサっとしてんじゃないよ!!」
気まずそうな表情のランファとミントを半ば突き飛ばすようにして、フォルテが声を上げた。
両脇にはいつも通りのヴァニラと、真っ赤になったちとせが立っている。
「つうことで、邪魔して悪かったね。続けとくれ」
それだけ言い残すと、フォルテは疾風の如く消え去った。無論、他のメンバーも一緒だ。
残されたタクト達は呆気に取られたまま、固まっている。
やがて、どちらからともなく溜息をついた。
「…まあ、仕方が無いか。ミルフィー、俺達も戻…」
言いかけ、振り向いたタクトの唇に、柔らかい感触があった。ぶつかりそうな程の距離にミルフィーユの瞳がある。
「…さっき驚かされたお返しです」
ミルフィーユは、そう言ってすこし恥ずかしそうに笑うと、背を向けて駆け出していった。
その場で立ち尽くすタクト。
「…やれやれ…」
そのミルフィーユを目の端で見送ったタクトは観念したとばかりに頭をかき、その場に座り込んだ。
「俺が不意をつかれるとはね…」
しばらく自嘲気味に微笑んでいたタクトだったが、やがて空を見上げ呟いた。
「いつから居たんだい?」
足音が聞こえた。近くの木の陰から一歩ずつ、歩み寄ってくる。
タクトは、その方向へと視線を下ろす。そこには、一人の少年が立っていた。
濡れたように艶やかな黒い瞳。首の付け根辺りまで伸びる、男性にしては長めの金髪。中性的で整った顔立ち。
どことなく非現実的な、作り物のように思える程美しい少年だった。
そんな姿とは対照的に、いつも人懐っこく無邪気な笑みを浮かべている。
「……キィ」
「すみません…盗み見るつもりは無かったのですが…」
「構わないさ。隠すような事じゃないしね」
キィは軽い会釈をした後、タクトの隣に腰掛けた。
その目はタクトではなくどこか遠くを見つめている。
「俺に何か用でも?」
そう問いかけられたキィは、少し困ったような表情を浮かべ、口を開いた。
「いえ…用と言う程の事では。ただ少しお聞きしたい事があって…宜しいですか?」
「ああ。なんだい?」
「では…」
コホン、ともったいぶった咳払いを一つしてからキィはタクトと視線を合わせる。
いつもの無邪気な笑みは無く、何も感情が読み取れない、そんな目だった。
「タクトさんは、どうして戦っているんですか?」
一瞬、タクトは言葉に詰まった。予想外だったのだ。
軽い内容の質問でない事は彼の表情から容易に予想できたが、こんな事を民間人の、しかもたかだか14の少年に問われるとは思いもしなかったのだろう。
厄介だな、とタクトは思う。
わざわざ聞いてくるぐらいだ、それが仕事だからでは通用しないだろう。
「う〜ん、難しい事聞くなぁ。そんなの、普段から意識している訳じゃないし…」
「でも皆さんにはそれが必ずある。そうでしょう?」
キィに言葉を切られたと言う事に驚きつつも、タクトは続けた。
「まあね…『自分の居場所を作ってくれる人…そしてその人の居場所を守りたいから』…こんなんで、良いかい?」
「…ご立派な理由ですね」
真顔でそう言うキィを見て、タクトは苦笑した。
言葉なんて、言おうと思えばいくらでも格好良く言えるものだ。そしてそんな言葉ほど、実は不確かで中身が無い。
独裁者の多くが掲げている理想がその典型だろう。
「そうでもないよ。自分と繋がりのある人以外はどうでも良いと言ってるのと似たようなものさ」
「そうなんですか?」
「…まあ、どうでも良いわけじゃないけど…」
タクトは立ち上がった。そろそろ人工の陽が沈み始めている。
夕焼けが辺りを赤く染める。
「正直、皇国の人々って言われてもあまり実感はわかないし…それが『皇国の英雄』なんてものになるともっとかな。結局は戦う理由なん て自分の為だしね。誰かを守りたいってのも自分の願いなんだから。その人に、無事で居て欲しいっていう…」
「ミルフィーさん…ですか?」
ほんの少しだけ、タクトは照れたような笑みを浮かべた。
それが、答えだった。
そして、それを見たキィも笑った。無邪気で、純粋で、でもどこか寂しげな笑み。
「貴方には愛すべき人、愛してくれる人がいる…。
…とても、羨ましいです」
それは本心から出た言葉だったのか、タクトにはわからない。
ただ、その綺麗な笑みの裏に見え隠れする寂しさは、きっと本物なのだろう。
理由も根拠も無く、そう、思った。
「キィ…君は…」
言いかけたタクトの言葉を、非常事態を報せる警報が断ち切った。
「敵…ですか」
キィは少し残念そうにそう言いタクトに背を向ける。
「…部屋に戻ります。また、お話してくださいね」
駆けて行くキィの背中を、タクトは見えなくなるまで見つめていた。
「わからないな…」
一人そう呟くと、タクトもまた、駆け出していった。
今はわからなくても、いつかきっとあの少年の事を理解できるだろう。そう、自分に言い聞かせて…。