――――――ここは、どこだ?
暗い。何も見えない。深遠なる闇というものがあれば、果たしてこのことを言うのだろうか。まるで、何もない。自分がどこにいるのか
も分からない。
「――――――!!」
叫んだ。だが、喉から声は出なかった。恐怖が体を支配する。一体ここは、どこだ。目印になるものはない。立っている場所もなんだか
不安定で、今にも崩れ落ちそうだ。
誰か、ここがどこだか教えてくれ。叫んだ。相変わらず、声は出ない。
走り回った。反響音もしない。途方にくれて、座り込んだ。
ふと、自分が誰なのかを、考えてみた。
(……タクト・マイヤーズ……うん、俺の名前は、タクト・マイヤーズ……)
それから、大事な人のことを思い出してみた。
(ルナ……ヴァニラ……)
思い出す。そうだ。突然撃たれて……それから、どうなった?
(ヴァニラ!!どこにいる!?)
走り回った。何もない空間を、走り回る。
走る。
―――走る。
―――――――――――走る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――走り続けて、気が付いた。
どれだけ走っても、息が切れない。自分の体を見てみた。恐ろしく、ふわふわとしている、様な気がする。
良く、考えてみた。撃たれた。気が付いたら、何もない、この場所に立っている。体はふわふわと頼りない。
(俺は……死んだ、のか?)
笑いたくなった。まだ、何もしていないのにとさえ思う。まだ、ヴァニラと過ごしたい時があったのに。これで、終わりか。
――――――――――しばらくして、灯りを感じた。
その灯りが何か、考える暇も与えられなかった。ただ、その明かりに向かって駆けた。ついでに、その灯りに引き寄せられているような
気さえする。
まもなくして、視界一杯に光が満ちて――――――
「報告します。23時間13分前に捕獲した人物、タクト・マイヤーズ及びヴァニラ・H《アッシュ》両名の生命レベルが安定しました。まもな
く、目を覚ますと思います」
「そうか……しかし、心臓を撃たれ、死亡したというのに、その心臓を再生させ、蘇生させてしまうとは、恐ろしい技術があったものだな ……それとも、全盛期の頃のEDENならば、可能だったことかな?」
「ナノテクノロジーの集大成です。五分以内であり、かつ肉体的損傷による生命活動停止であれば、障害を残さずに蘇生することが出来ま
す。あなたの言う、六百年前のEDENならば可能だったでしょう」
「ふん……つまり、こちらは全盛期のEDEN以上のテクノロジーを備えている、ということか」
「…当時のEDENを私は知らないので、分かりませんが………分かる事は、それらのテクノロジーは、軍事力に偏り、一般にはほとんど普及しておりません」
「仕方あるまい。最先端技術というものは、どうしても軍事力に偏ってしまう。…全く、皮肉なものだ。三千年前に出来上がった、今の星
間ネットワークの基礎になった技術…何といったかな?」
「インターネットと呼ばれていたものですか?」
「…そう。それだ。それも、三千年前の大国が、戦争を制するために作り出したものだったが、後に世間に広まったと記憶している」
「良くご存知です」
「これでも、元……いや、私の話はもういいだろう。…そろそろ目を覚ますといっていたな。案内してもらおう」
「かしこまりました」
苦しい。呼吸が出来ない。心臓の鼓動が、痛い。心臓が壊れてしまったのだろうか。
そこまで知覚して、タクトは気が付いた。
(生きている……のか?俺は……ヴァニラは……どうなったんだろう……)
目をあけようと思うのに、開けられない。意識がどろどろとしている。目を開けようとすると、そのどろどろとしたものがまとわり付い
て、意識を引き戻す。
それも、時とともに開放されていく。水圧を感じる。耳が少しだけ圧迫されている気がする。
(水の、中……?何で……)
瞼を開けようと思うのに、開けられない。ぴくりと、動くだけ。
「意識レベルが、順調に覚醒しようとしています」
なぜか、外の声が妙に良く聞こえた。水の中にいるとすれば、聞こえるはずがないのに。
ひょっとして、水とは違う何らかの液体の中にいるというのか。…だとしても、外の声が聞こえるはずがない。では、いったいなんだというのだろうか。まるで、検討も付かなかった。
「…タクト・マイヤーズか……こうして、再び出会うことになるとは、思わなかったな」
誰だ、と思う。聞き覚えのある声だ。瞼が、動く。ゆっくりと、開ける。
視界は焦点を結べない。翠。見慣れた色。…ナノマシンによる、治療。その際に見受けられるナノマシンの輝きと同色。
だんだんと焦点が結ばれる。
視界に入った人物の姿に、タクトは目を見開いた。
「お前……は……!!」
ぼこり、と空気が出され、目の前を通る。口元には、酸素を送り込むための機械と思われるものがあった。そこから、声を出そうとした
ために吐き出された空気が、出て行ったのだろう。
「お前……は……」
視界が、暗くなる。
「無理をするべきではない。一時的とはいえ、君の体は死んでいた。ナノテクノロジーを結集させて作ったリフレクターによって蘇生した
としても、君の体力は著しく落ちている。……愛しの姫君の安否ならば、心配する必要はない。君が、次に目覚めたときに会わせよう。タ
クト・マイヤーズ」
「………」
最後まで聞けず、タクトは意識を失った。
「もっとも、君が君のままでいられる保障は、どこにもないのだが、な…」
Galaxy Angel Veritas Lovers
第一章「英雄、消失/新たな敵」
「行方不明。誰がですか」
「聞き取れなかったのかね。ならば繰り返そう。…我が皇国軍の誇り、英雄であるタクト・マイヤーズ大佐の行方が知れなくなったのだ。…理解できるかね、平民でありながら、持ち前の優秀さでもって、異例の出世を成し遂げた男、レスター・クールダラス中佐」
目の前の品評などどうでも良かった。そのように評価されていることなど、当の昔に理解している。値踏みされるように見られることも、一度や二度ではない。不愉快だが、だからといって表に出すほど馬鹿ではないし、今しがた聞いた話の方が、レスターにとってははるかに重大な話だ。
「一体、どういうことですか」
「どういうことも何もない。…タクト・マイヤーズは、階級はどうであれ、功績は凄まじい。こういえば、彼の親友であり、副官であった君は怒るかもしれないが、皇国軍のプロパガンダとして使うのに不都合はない。まして、彼はマイヤーズという貴族の家柄だ。反対するものもいない。…その素行に問題はあるが、能ある鷹は爪を隠すということわざもある。普段の素行の問題など、問題にはならない。有事の際に、その能力を発揮してくれればいいのだから。…まあ、この話は君にはどうでもいいことだったな。では、本題に入ろう」
レスターを見やり、彼が話を一字一句聞き漏らすことのないようにしていることを見ると、その男は話を続けた。
「先日、タクト・マイヤーズとヴァニラ・H《アッシュ》の両名は、休暇を取った。件の彼女の墓参りに行くという理由だ。私は許可した。機密の一部に触れるだけの権限は持っていたのでな。件の彼女と、タクト・マイヤーズの関係も把握していた。だから許可したわけだ。…そして、彼らは彼女の墓があるエルダートへと向かい……そこで、行方が分からなくなった。彼女の墓のある教会の駐車場には、彼らに貸し出した車があり、荷物もそのままであった。……行方は捜したよ。教会に宿泊した形跡がなければ、最寄の街の宿泊施設に宿泊したという記録もない。捜索範囲を広げ、エルダート中のあらゆる宿泊施設を周り、聞き込みをし、……成果は得られなかった。今は星間ネットワークを用い、捜索中だが……見つけられる可能性は、低いだろう」
エルシオールにて。
白き月の儀礼艦であり、しかし実際にはクロノ・ブレイク・キャノンと呼ばれる主砲を外してあるだけで、実際には戦闘艦である大型艦。これを発見した科学者たちが、あまりにも大きすぎる力に封印することを決定し、主砲を外して儀礼艦としたもの。
実際に目にすることが出来るのは、皇族の式典・祭典の際にのみ。それも、白き月の管理者であり、通称"月の聖母"と呼ばれるシャトヤーンが出席する際に民衆の目にすることが出来るのみであった。
皇族が白き月に向かうという用事がある際に、送迎の為にも用いられているが、こちらは民衆の目に触れる事はない。
とはいえ、使用するのは何も皇族やシャトヤーンばかりではない。月の巫女と呼ばれる白き月に在中している技術者たちのための生活空間にもなっているのだ。中にはコンビニ、ビーチ、ティーラウンジ、展望公園などの施設もあり、トレーニングルームやシミュレーションルームもある。運動不足を解消したい方、紋章機を疑似体験したい方にお勧めの施設……といいたいところだが、生憎と紋章機を用いるシミュレーションは紋章機のパイロットにのみ許可されている程度で、そのほかの、例えばシルス級高速戦闘機などを疑似体験できるだけだ。
トレーニングルームは、ストレスの解消をするために、軽い運動をする人もいる。そして、その数は少なくない。
さて、そのティーラウンジに、レスターは幹部の一人であるマルク・シャトー少将から聞いた話をエンジェル隊に告げた。
「タクトさんとヴァニラが行方不明って、本当ですか?レスターさん」
「…ああ、そうだ。全くもって気に入らないことにな」
言いながら、ミルフィーユが焼いたと思しきシフォンケーキを口にする。身内で食べるためで、あまり大きなサイズではなかった。一ホールの直径は二十センチほどだろうか。今は六等分されているが。
正直、うまかった。甘すぎず、しかし甘さが足りないという事はなく、ちょうどいい甘さで、おいしかった。甘いものは好みではないレスターでも食べられる。クリームにオレンジのエキスでも入れているのだろうか、少し甘酸っぱい感じがしたが、それもまた舌を楽しませてくれた。店に置かれていても不思議ではない。
それからコーヒーを飲む。シロップも砂糖も、ミルクも入れないブラック。ちなみに浅煎り。味に深みはさほどないが、こちらの方が好みだ。もっとも、甘いものを口にしてから飲んだので、多少苦く感じられたが。
「…エルダート中を探して、見つからなかったの?」
「そうらしい」
「嘘である、という事はありませんの?」
「俺みたいな下士官に嘘をつく理由がない。タクトが行方不明になったという嘘をついたとして、それでなんの役に立つ?」
「それもそうだね。……それで、誰がタクトの後釜をするんだい?」
不敵な、いつもの笑みを浮かべ、フォルテはレスターに問いかける。その質問に、ミントを除く、三名のエンジェル隊は驚く。
「フォルテ先輩、それは…」
代表して、ちとせが問いかけようとして…尻すぼみになった。現実的に考えれば、フォルテの言うとおりだからだ。
「分かっているだろう?今のあたしらの司令官は、タクトだ。…今は形だけだけど、上からの命令を伝える役目を背負っていたわけだ。そのタクトが行方知れずになった。いつまでも司令官不在でいるわけには行かない。あたしらは皇国やEDENにとっての切り札だからね。率いる人物も相応しい人物でなければならない。…紋章機のパイロットも新たに選出されるかもしれない。見つかるとは思えないけど、低いながら見つかる可能性もある。…ヴァニラ以外を、五番機のパイロットとして、認めたくはない気持ちはあるけど、こればかりは仕方がないことだからね」
そう、仕方がない。いくらがんばったところで、エンジェル隊は階級から見れば下位の存在だ。年長者であり、もっとも階級の高いフォルテ・シュトーレンであってもその階級は大尉。ミルフィーユ・桜葉、蘭花《ランファ》・フランボワーズ、ミント・ブラマンシュの三名は中尉であり、エンジェル隊の中では一番の新参者である烏丸ちとせは、少尉。
大体、大佐であるタクト・マイヤーズでも上層部からの指令には逆らえないのに、それ以下の階級であるエンジェル隊に逆らうことが出来るわけがなかった。気持ちの上では認められなくても。
ところで、このままタクトたちの行方が分からなければ、法に従って死亡とみなされ、タクト・マイヤーズとヴァニラ・H《アッシュ》の両名は二階級特進するだろう。タクトは大佐であるから、少将に。ヴァニラは、中尉から少佐に。
もっとも、歴史書にそうと記されるだけなので、今この場において、また彼女たちにとっては、無意味な話だ。
「……タクトともっとも長く関わり、エンジェル隊ともそれなりに交流のある俺が、タクトの後釜となるだろう。シャトー少将はそのように仰っていた。近いうちに、辞令が下るだろう」
「ま、そのあたりが妥当だろうね。そうなったら、よろしく頼むよ、クールダラス副司令」
「出来れば、お前たちの相手は頭が痛くなるから、やりたくはないんだがな…」
その声には、実に切実な響きが混じっていた。
それから、一年が経過した。
こめかみから血が吹き出るのではないかというほど、レスターは何度となくいらつかされ、叱る際にも言葉を慎重に選ばなければならないという事態を幾度となく潜り抜けてきた。
正直、やれ辺境の調査をしろだの、やれ要人の護衛をしろだの、そういった指令でエンジェル隊がそばにいないときのほうが、正直楽だった。
一体何度、医務室の年齢不詳の美人女医(レスターはそういったものに興味なかったが)、ケーラの世話になったことか。胃薬のことで。あと、睡眠薬。ノイローゼになりかけ――――たりはしなかったが。
ようやく、エンジェル隊の操縦の仕方というものを体で覚え始めたそのときに、件のマルク・シャトー中将(少将から昇進した)から、指令を受けた。
『幽霊船を調査してくれ』
「お断りします」
思わずそういいかけたが、やめた。下手に逆らって、タクトの帰る場所をなくすわけにはいかなかったからだ。だから、代わりに問いかけた。
「幽霊船とは、穏やかじゃないことを仰いますね。一体、何があったのですか?」
『不思議な話でな。目撃情報も無視できない数に上ってきている。具体的には、かつて君たちが駐留していた星系、クリオムでの目撃情報が多数だ。初めは悪戯として無視していたのだがな』
その無視の内容を鑑みるに、おそらく、担当者を何度も変えたのだろう。変えられた士官を首にして。口には出さないし、出せないし、出したくもない政治。仕方がないといえば仕方がない。和を乱すものがいれば、連携がうまく取れなくなり、重要な作戦で失敗しかねないからだ。
いや、士気にも関わるだろう。そうなれば、簡単な作戦や任務にすら失敗するだろうことは、目に見えている。故に、必要な措置であることは分かる。エンジェル隊が全員、そう受け止められるかどうかは別だ。フォルテとミントだけは、受け止められそうだが。
『突然レーダーに映る。そう、突然。警告を与え、威嚇射撃をすれば消えるという。思い当たる航法はクロノ・ドライブしかないが、しかしその反応がないのだ。ドライブイン反応も、ドライブアウト反応も』
「だから、幽霊船であるというわけですか」
『船籍はない。信号もない。解析しようにも、データがハッキングされているのか、まるで残らない。まるで悪い冗談だろう?悪戯にしては酷すぎる』
「同意します。…無視できなくなったのは、何故ですか?」
直後に、レスターは耳を疑った。信じられない内容が、彼の口から発せられたからである。
『いやなに。クリオム星系駐留艦隊が全滅しただけの話だ。戦闘の痕跡もなく、な』
そう、信じられない。こんな馬鹿な話はない。通信をする暇もなく、一瞬でやられたというのか。ありえない。なぜならば、エオニア戦役、ネフューリアとの戦い、ヴァル・ファスクとの決戦という三度の大戦を経験したため、訓練されているはずなのだ。辺境艦隊ですら、例に漏れないというのに。
更に、一瞬でやられたとなれば、それだけ巨大なエネルギーが使われたのだから、何らかの痕跡が残っていても不思議ではないのだ。その痕跡がないという。
痕跡も残さず出現し、去ることなど技術的に『ありえない』、訓練された皇国軍の仕官が一瞬でやられることは『ありえない』、一瞬でやれたとしても、痕跡も残っていないというのは、『ありえない』。ありえない、ありえない、ありえない、だ。
『定期連絡が来なくなったので、調べてもらったのだが……残骸しか残っていなかった。幸いにも、クリオム星系自体には何の影響もなかった。…だが、遂に見過ごせない事態と相成った。…異常だ。請けてくれるかね?』
逆らえるはずもないのに、あえて訊ねてくる。答えなど一つしかないのだから、引き受けるしかなかった。
「分かりました。船籍不明の艦の調査の任、拝命いたします」
『よろしく頼むよ』
通信が切れる。アルモが顔を真っ青にして、問う。
「司令、本当に調査するんですかぁ?」
「…どうした、アルモ。そんなに顔を青くして」
「だって、幽霊船ですよぉ。何が出来てもおかしくないじゃないですかぁ」
泣きそうになっていた。やれやれ、とレスターは溜息をつく。人知れず、だ。おおっぴらにやったら、ココに怒られる。ついでにココの口からエンジェル隊に伝わり、詰め寄られ、好き勝手言われるだろう。あることないこといわれるかもしれない。
悪評が立つのだけは避けたかった。勘弁仕りたい。御免こうむりたい。タクトと関わってきて、『眼鏡をかけた未亡人の先生が好き』だの、そういったうわさを立てられて散々な目にあってきたのだから(その分、タクトに散々な目をあわせさせたのだが)、これ以上は避けたかった。
「幽霊が、人を攻撃できるはずがないだろう。せいぜい脅かすのが精一杯だ。それに、脅かされた程度で皇国軍の艦隊が何もすることなく、全滅するわけもない。なにか、からくりがあるはずだ」
「……そ、そうですよね」
徐々にアルモの顔色が戻ってくる。これで、多少はましになっただろう。
「厄介な相手には、違いないがな…」
小声で、レスターは呟いた。
その日もまた、平和な日常を過ごす筈だった。
「本日もまた、異常なし」
皇国軍パーメル級巡洋艦ジュピトルを預かる、第3方面軍クリオム星系駐留艦隊司令官アーク・ラウンジは報告書に記す。いつもの定時連絡の時間だ。といっても、異常なしという報告書を書いて送るだけだ。添付するものはない。
「暇ですね」
「いうな。…こんな辺境に左遷されたのだから、言いたくなるのも無理はない。…幽霊船のうわさがあるところなど、冗談ではなかったのだが…」
「そうですけれど…」
溜息をつく。だが、どうしようもなかった。自分は失態をし、その結果こうしてここに左遷されたのだから。
だから、不満はあるが文句はなかった。
そろそろ交代の時間だ、とブリッジの空気が緩み始めたその時。
「レーダーに反応確認!…船籍照合、該当なし!」
「うわさの幽霊船の登場か…!」
アークは叫び、第二次警戒態勢をとるように指示を出した。まだ戦闘配備できる段階ではない。
確かに、唐突にレーダーに映る。映像を確認しても、突然現れていることが分かる。そして、ドライブイン/アウト反応が確認できない。
幽霊船と呼ばれるわけだ、と心の隅で納得する。
波長が分からないので、全周波通信を行う。範囲を限定し、例の幽霊船に繋げる。
そうしようとした。その前に、相手から通信が強制的に割り込まれた。ジュピトルの通信オペレータはまだ何もしていないというのに。
だが、それ以上に、モニタに映し出されたその姿に、誰もが驚愕した。
『…再三の警告にもかかわらず、艦隊の数は変化がない……二年間平和だっただけで、ここまで平和ボケするものなのか…』
「あ、あなたは……」
『…僕を知っているのかい?……それとも、僕に良く似た人を知っているのかい?』
彼は、笑みを浮かべた。それは不敵な笑みだった。怖いものなんてないさ、というような笑み。その傍らには、小柄な少女。二人の耳には、小さなイヤリングがされているが、本当に小さいため、モニタ越しではわかりづらかった。現に、アークは気が付いていない。他のクルーも同様だ。
「…違う、のか?」
アークは、呆然とする。その口調は、まるで違っていた。雰囲気も違う。風のうわさでは、普段は仕事をサボり、副官に任せきりでエンジェル隊とよろしくやっているそうだが、しかしあのときの―――ヴァル・ファスクとの決戦のときに目にしたときは、英雄らしい貫禄すら感じられた。
今、目にしている人物には、そんな気配はない。
『僕の名前は、ソート・ハイアス。彼女の名前は―――』
『ファリア・カシスと申します……』
青い軍服に身を包んだ男性、ソートはのんびりと自己紹介を済ませる。それに付き合い、赤い軍服に身を包んだ女性、ファリアも自己紹介を行う。これが、幽霊船に乗っている人物の正体かと思うと、毒気を抜かれる。見れば、他のクルーも同様だった。だが、その抜かれた毒気も直後に取り戻すことになる。
『ああ、君たちの事はいいよ。パーメル級巡洋艦ジュピトルを預かるアーク・ラウンジだろう?』
「…何故、知っている」
『何故って…おかしなことを聞くね。状況判断力が足りないんじゃないかな?君たちの自慢のコンピュータをハッキングして情報を入手したからに決まっているじゃないか』
「…ハッキングした、だと…?馬鹿な、ファイアウォールは白き月から提供されたものを用いているんだぞ、そう簡単に進入できるはずが」
『ない、とは言い切れないだろう?…こちらのコンピュータの演算速度が君たちの自慢のファイアウォール、その他の防壁をを打ち破れるほどに早かった。ただそれだけの話さ』
押し黙る。その通りかもしれない。情報部は何をやっているんだ、と舌打ちをしたくなる。
『それはそうと……気は進まないけど、やるしかないみたいだね』
『はい。…これでも動かなかったら、彼らが愚かだったというだけです』
『そうだね。それじゃあ…やってくれよ』
途端、船籍不明の間から、何らかのフィールドが広がり、あっという間にジュピトルを初めとする艦隊を包み込む。
脳裏に危機を知らせる信号が走る。これは、なにか、恐ろしいというより、とんでもないことが起きようとしている。これだけの艦で対処できるものではないと、また、脳裏の虫が知らせる。
「救援を要請しろ!」
「…駄目です!通信がつながりません!」
砂嵐のような音が、通信オペレータの耳をざわつかせるだけ。ありとあらゆる回線を試しても、無駄だった。唯一繋がる回線は、敵の艦にだけ。救援を要請したくても、通信がつながらないためできない。これだけの艦で対処しろというのか。
『無駄なことはしないほうがいい。…その前に、僕の艦を落とした方が早いんじゃないかな。数はそっちが上なんだし』
いわれてみればそうだった。何を恐れる必要がある。三対一なのだ。こちらのほうが数が多い。だが、気になることがある。ならば、どうして、彼はそれほどまでに冷静でいられるのだ。
「…お前は、一体何がしたいんだ!」
『力試し。…この艦の戦闘力、スペックでは知っているけれど実際とデータには食い違いがあるかもしれない。データからでは分からない用法があるかもしれない。それを、知りたいだけさ。戦うことでね。さあ、どうする?このフィールドは、クロノスペースとは違う亜空間に繋がる道だ。早く僕の艦を落とさないと、トランスバールでもEDENでもないどこかの領域に放り出されるだろう。例えば……君たちにとっての敵のど真ん中、とか。ああ、そうそう。制限時間は、十分だ。それを過ぎれば……アークドライブに突入する。そうなったら、僕の勝ちだ』
遊ばれている。それを、アークはソートとかいう人物から受ける印象は、それだ。大体、あの余裕綽々と言った笑顔が、気に入らない。また、その隣にいるどこまでも無口で、無表情な、まだ少女と呼んでも差し支えない人物も気に入らない。
そう、気に入らない。いくらどんなに、あの英雄と似ていても、もう知ったことではない。
「全艦、第一戦闘配備!一斉射撃用意!…砲撃、撃てええええええええええ!!」
ジュピトルを初めとする小隊が、一斉攻撃を開始する。ビームが走り、マシンガンも放たれる。大口径のマシンガンだ。貫通力のある徹甲弾も放たれる。出力を全開にしたビーム砲撃。
当たれば、ただではすまない。唯一つの艦を打ち落とすのに、あまりにも不釣合い。蜂の巣などという生易しい事態にならないことは明白。
弾を撃ち終える。まだ第一波だ。弾を込めなおし、エネルギーの再充填を図る。油断してはならない。相手は未知の敵だ。やるからには、徹底的にやらなければならない。
「……てえええええええ!!」
まだ足りぬとばかりに、煙ではっきりと見えない敵めがけて再び一斉射撃を試みる。これでは、かけら一つたりとも、残しはしないだろう。
そうして、全ての弾を撃ち終える。最低限航行に必要なエネルギーだけを残し、ビームも打ち止めになる。
だが。
「…まだ、終わりではないというのか……!?」
空間は、まだ赤いままだった。爆煙から、敵の艦が抜け出してくる。同時に、赤い空間が元の漆黒の闇と、星の輝きのある宇宙空間へと戻る。しかし、そこは元の位置とは全く違う場所であり、データベースにも該当する座標はなかった。
つまり、ここが、敵地の真ん中ということか。
『無駄な努力だったみたいだね。ご苦労さん。…僕もびっくりしているけれど。あんなに苛烈な攻撃だったのに、無傷で済んだんだから、ホント、びっくりだ。予想以上の結果だよ。さすがは、ザン・トゥスが作り出した最新艦エウリュアレだ。……さて、と。…防御面では文句は付けられない出来だ。それじゃあ、攻撃面はどうなのかな?』
『…了解しました。エウリュアレ。あなたに告げます。あなたの力を、見せてください』
『…了解』
滑らかな合成音が響き、エウリュアレから三条の光が放たれる。最低限のエネルギーしか持たないため、シールドを張ることも出来ず、ジュピトルその他の巡洋艦が貫かれる。
真っ先にやられたのは、駆動系。これでは、回避することも出来ない。
「……なんだ……お前たちは、一体!」
『…ザン・トゥス。僕たちの…いや、上の目的は、EDENと、トランスバールを滅ぼすこと。僕達は、それを遂行するだけ。さようなら。三度の大戦を生き残った、アーク・ラウンジ。君たちの事は、僕が覚えておいておくよ』
―――――――――――そうして、抵抗する力も与えられず、クリオム星系駐留艦隊は、全滅した。
『さて……それじゃあ、元の場所に返そう。これで、動くといいんだけど…』
『……本当に、これでよかったのですか?』
『もう、後には戻れないよ。……俺たちは、もう……』
『…………はい』
そうして、再び戦争が始まる。この、誰にも知られない戦いは、その始まりに過ぎなかった。