展望台に取り付けられた大きな窓から、彼女は宇宙を見る。息が詰まりそうなほどに窓という窓が排除され、ブリッジにはモニタ越しに見えるだけという状態だ。時にはこうしてのんびりと外を見る時間がなければ、人という生き物は窒息してしまうのだろう。

 

 しかし、例えばこうして見える宇宙にひとたび出れば、どこに行けばいいのかも分からず、何処にでも行くことが出来るために何処にも行くことが出来ないという事態に陥るのも、また人なのだ。要するに、人には標が必要なのだ。目標がなければ、何をしていいのか分からなず、また生産的な行動も取ることが出来ない。

 

「……今は、ただ黙ってみているだけ。……今私たちが取れる最善の行動。…彼女たちにとって、酷な道になるわね」

 

「ならば、どうする?今動くかね」

 

「馬鹿いわないで。今動けるわけがないでしょう。獅子身中の虫を気取ろうって言うのに、表に出たら逆に叩き潰される。それこそ、希望も何も残らない」

 

「そう。まさしく君の言うとおりだ。…皮肉なものだな。感情の高ぶりに任せて勝利を得てきた君が、感情を殺さなければ希望も何も得られないという」

 

「…そうでもしなければ、誰も救えない。なら、そうするしかないのは明白でしょう?」

 

 感情の赴くままに、手を出せば失敗する。もちろん、今まではそうすることで勝利を得てきた。標を司令官が与え、場合によってはその標を得てきた。後は、その標に向かい、行動すればよかった。だが、今回の敵は、そうは行かないだろう。

 

 技術力はまだいい。軍事力も、不正規部隊である自分たちが全てを知る事は出来なかったが、与えられた情報から推し量る事は出来る。

 

 問題は、相手の執念だ。千年の執念など、人が持てるものではない。もてるとするならば、それは人であることを捨てたものである。己にただ一つの標を課し、それ以外の全てを捨て去ったものたち。

 

 確実な滅びを与えるため、あらゆる策を取るだろうことは、一度だけだが、会話を交わしたことのある彼女には、容易に知ることが出来る。なぜならば、それと同じ類の人物を、一人知っているからだ。知らなければ、暗黒、というより虚無に誓い彼らの心情を知ることなど、出来なかったろう。

 

「…休憩時間は、終わり、か…」

 

「そうだな。……後は、彼女たちが傷つかないことを、願うばかりだ」

 

「…そうなることを知っていて、傷つかないように祈るなんて」

 

 完全な欺瞞よ、と彼女は吐き捨てるように、口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもね、そうと分かっていても、私の願いはあなたと同じなのよ。エオニア・トランスバール」

 

「やはり、君もそう願うか。ルナ・マイヤーズ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        Galaxy Angel Veritas Lovers

                        第三章「日常/fictitious」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクトたちが倒れた後、すぐさまケーラが処置を施した。心室細動を起こし、倒れた彼らに適切な処置を施し、なんとか命に別状がないことを伝えたが、すぐに目を覚ますわけではない。仮にも生命維持機能の一つが不全を起こしたのだ。それが心臓であれば、深刻なダメージを肉体に与えたことになる。なら、そのダメージが回復するまで目を覚まさないのは、必定だろう。

 

 心室細動とは、簡単に言えば心臓麻痺の一種。通常、心臓はそれぞれ、右心室、右心房、左心室、左心房と呼ばれる心臓の"部屋"を作る筋肉が連動することで、ポンプの役割を果たしている。だが、何らかの原因でその運動が連動せず、不規則になることがある。これが心室細動である。

 

 すぐにでも処置を施さなければ、死に至るのは明らかだ。故に、すぐさまレスターはケーラを呼び、すぐに医務室に運ばれ、すぐに処置を施すことが出来たわけだ。エルシオールという艦が元々儀礼艦であり、通常の軍艦と比べれば医療施設が整っていたことが、幸いしたがそれでも、油断ならない状況に変わりはない。急に体調を崩したのとは訳が違う。心臓という、人が生きるために必要不可欠な器官が異常を起こしたのだ。ならば、すぐにでもより施設の整った病院に連れて行くのが正しい応対だ。

 

 だから、ブリッジに飛んで帰ったレスターはブリッジのクルーに、すぐに白き月に向かえと指示を出した。病院など、探している時間はない。それに、まがりなりにもタクトとヴァニラの両名は皇国軍において、英雄と伴侶という、いわゆる象徴として重要な位置にある。事後承諾で構わないだろう、と、タクトとヴァニラの容態が一応の安定をしたと耳にしてから決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エルシオール、ドライブアウトします」

 

 ココの声がブリッジ内に明瞭に聞こえ、目の前に白き月が見えた。ここに至るまでの道のりで事情は白き月にも、辞令を下したマルク・シャトーにも通じている。

 

 通信をつなげた際、怪訝そうに眉をひそめた気がしたが、本当にそうかは分からなかった。モニタ越しに相手の感情を読み取るのは、難しい。とはいえ、事情は分かってくれたらしく、またレスターと同じ結論に至ったのか、白き月に向かうことを許可してくれた。象徴として、タクトの存在は軽んじる事は出来ない。それを利用しなければならない己に歯がゆさを感じるが、これを口にしてもタクトは笑って答えるだろう。「そんなに気にするなよ。おかげで助かったんだから、寧ろ感謝しているよ」と。

 

「随分久しぶりに見た気がするな」

 

 白き月のその姿を見るのは、確かに久しぶりだといえた。何しろ半年以上見ていなかったのだ。それに、白き月の外観は記憶できているが、何度見てもどこか気圧されるものを感じる。気後れする、というか。トランスバール皇国の象徴なのだから無理もない話だ。

 

 しかしエンジェル隊は、家に帰ってきたかのような表情を浮かべる。それも当然か。白き月は、エンジェル隊にとっては第二の家、故郷なのだから。それは他の月の巫女であり、今はエルシオールのクルーとなっているブリッジの人員も変わらないらしい。気後れを感じるのはレスターだけらしかった。

 

 ともかく、白き月に連絡を入れ、入港の許可を得てから中に入る。

 

 いつもと比べ、どことなく騒がしい音が聞こえるような気がしたが、しかし耳を済ませてもいつもと変わらず静けさだ。

 

 シャトヤーンとノアと、その背後に白き月に常駐し、最先端の医療を学んでいる医師が並んでいるのを見たときには、とまどった。こんなところにまで迎えに来られたのか、と。

 

 もっとも、運び出す用意はこちらとしても済んでいたので、タクトとヴァニラの二人を引き渡すのに不都合はなかった。

 

「しかし、シャトヤーン様がこちらにまで迎えに来られたのには、驚きました」

 

「当然じゃないの?長らく行方知れずだった二人が見つかったんだから」

 

 ノアがレスターを見上げながら答える。身長の差でそうなってしまうのは必然だったが、そのことをノアはあまり気に入っていない。知識はともかくとして、肉体の方は十代に入ったばかりの少女だ。昨年に比べると随分と伸びたが、もっと伸びてほしいと思う。が、背丈はそんなにいらない。理想としてはミルフィーユくらいの身長かな、などと心の中で呟く。

 

 とはいえ、レスターは気が付かなかったが、ノアの背丈が伸びた事にエンジェル隊はすぐに気が付いた。ミントは少しばかり複雑な気分になっているように見える。

 

「ノアさん、背、伸びましたか?」

 

「うん、前と比べると高くなったわね」

 

「…追い抜かれてしまいそうですわね」

 

「伸びたといえば、ヴァニラも少し大人っぽくなったように見えたね」

 

「そうえいば、そうでしたね」

 

 見舞いに行った際に、そう見えたのだ。幼さ、あどけなさはまだ残っているが、それでも大人の階段を着実に上っているように見えた。

 

「ちょっと、今はそういう話をしている場合じゃないでしょ」

 

「あらあら、本当は喜んでいらっしゃるではありませんか。背が伸びたと仰られて」

 

「ちょっと、いい加減なことを言わないで!ミント!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしくなる。その喧騒を、シャトヤーンは特に止めるでもなく、愛娘達を見るようなまなざしで様子を見守っていた。

 

 レスターは我関せず、を貫く。下手に手を出せばどんな火傷を負うことになるか、分からない。よくこれにタクトが参加していたな、と感心するくらいだ。

 

 とはいえ、いつまでもそうしているわけにも行かない。

 

「皆さんに、少しお話があります」

 

 機を見計らい、シャトヤーンが口を挟んだ。途端に空気が引き締まる。程よい緊張感に包まれる。

 

「ここで話をするのもなんだから、謁見の間に行くわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謁見の間にたどり着く。すぐに、今回の話が始まった。

 

「あんたたちの話だと、敵は"ザン・トゥス"って、名乗ったのね?」

 

「その通りです」

 

 レスターが代表して答える。

 

「ソートとファリアだっけ?タクトとヴァニラに良く似ていたの」

 

「うん。別人とは思えないくらいに」

 

「声も記憶にある声と寸分も変わらないように聞こえましたわ」

 

「口調も、二人の関係も、全く同じように見受けられたしね」

 

「それで、ザン・トゥスについて何か分かったのですか?」

 

 少し話がそれたので、ちとせがさりげなく元に戻す。その疑問はちとせだけではなく、エンジェル隊が抱いている疑問そのままだ。

 

「……そのものについては、何も。EDENにひょっとしたらあるかもしれないけど…不可侵条約を結んでいるヴァル・ファスク当たりなら何か分かるかもしれないんだけど、今のところは情報がないわね」

 

「ルシャーティさんに調査を依頼しましたが、見つかるかどうかは、分かりません。…検索していただいたのですが、何も見つからなかったようです。簡易検索でしたので、見つからなかったのかもしれないと、今データを全部洗いなおしていただいているところです」

 

「近いうちに、私たちも手伝いに行くことを約束したから…でも、トランスバールをそいつらは狙ってきているのよね…」

 

 ヴァル・ファスクも十分厄介だったのに、情報がない分、もっと厄介かもしれないと、ノアは首を振る。

 

 しかし、ライブラリのデータを全部洗いなおすというのは……軽く見積もって、千年近い情報だ。

 

 いや、ヴァル・ファスクが襲来してより、ただの一度もザン・トゥスの記述はなかった。ならば、それ以前。軽く見積もっても、四百年分の記録だ。最初に記録された情報順に並べなおし、探し出す。範囲を狭めたとはいえ、膨大な情報量からそれを見つけ出すのはとてつもない苦労なのでないだろうか。

 

「…敵の戦闘力は強大なものだと感じられました。紋章機五機で、ようやく互角。いえ、敵には余裕があったように感じられます」

 

「みたいね。送られてきた戦闘データを全部解析したけれど、あんたたちがエネルギー切れを心配していたとき、相手の残量エネルギーには余裕が感じられた。推定だけど、残り半分というところかしら」

 

 どうやら、相手のいった言葉は本当だったらしい。『半分を切った』から撤退したといっていたが、もし相手がこちらを倒しにかかっていたら、危なかった。

 

「今回のは様子見みたいね」

 

「情報収集が目的だったということですか…なら、あちらにしてみれば早々に調査を切り上げ、撤退したのは正しい判断だったのでしょう。奇妙なのは…」

 

「タクトとヴァニラが乗ってきた船ね。敵に追われてきたはずなのに、敵の増援はなかった。それに、目標を切り替えたと口にしながら、脱出艇が傷つかない程度に攻撃を加えていたみたいだから」

 

「罠……ソート・ハイアスと、タクト」

 

「ファリア・カシス、だっけ?…と、ヴァニラ・H《アッシュ》。相似していた関係。ひょっとしたら、あの二人は」

 

「偽者…」

 

 沈黙が、場を支配した。まさかと思いながら、不安が拭いきれない。

 

「念のために、遺伝子を調査してみるわ。ヴァニラの方は分からないけど、タクトのほうなら、分かる」

 

 家族が、いるからだ。血の繋がった家族が。家族であれば、どこか似通った遺伝子の螺旋が見つかるはずなのだ。

 

「対象にするのは、そうね。クロード・マイヤーズ。タクトの、兄に当たる人の血と髪の毛を、少し分けてもらおうかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な、空気が漂っていた。疑いたくもない人を疑わなければならない。タクトとヴァニラがあの艦に乗ってきたのがいけないのか。どうして、病人を疑わなければならないのか。ソートとファリア、二人は何者なのか。ぎすぎすとした雰囲気が、談話室から発せられている。それは主にレスターに向けられていた。

 

「何故ですか?」

 

 不意に、ちとせが口を開いた。

 

「何故、あの二人を疑うんですか?」

 

「…偽者を、タクトだと認める気はない。だが、あの二人がそうと決まったわけでもない。だから、確かめる。私情を排してでも…だ」

 

 淡々と、レスターは答える。その答えに、間違いはない。だが、果たして親友と恃む男を、疑う必要があるのか。己の感覚で、タクトだと、一度判断した。それを、どうして否定しなければならない。

 

 だが、ヴァニラが本当にヴァニラなのか、疑う自分たちも居る。本人であってほしい。本人でないのならば、性質の悪い冗談だ。

 

 本人だとは、思う。翠の髪も、特徴的な赤い瞳も、記憶にあるそのままと……

 

「ファリアも、翠の髪と赤い瞳をしていたねえ」

 

 寸分たがわぬその姿を見ると、その確証も薄れて来る。

 

 そこに、ノアが入ってきた。

 

「なんて空気出してるのよ、あんたたち。皆怖がってるわよ」

 

 割り込み、そして告げた。

 

「あの『タクト』の遺伝情報は、クロードと兄弟関係にあることを示した。…一応、彼が皇国軍に入った際に取られた網膜と指紋を調査したけれど、一致したわ。つまり、本人ね」

 

 ほう、と安堵の息が漏れる。そうか、とレスターは一つ頷いた。懸案が一つ晴れた。なら、あとは目を覚ますのを待って、

 

「なら、色々と質問をしなければならないな。どこで何をしていたのか…いや、どうしてあちらに居たのかを」

 

 ザン・トゥス側に、何故居たのかを。どんな経緯で、あちらがわに居ることになったのか。唐突に行方知れずになったその理由も含めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、何故あの時、「一度死んだはず」と口にしたのか。問いたださなければ、ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『起きろ。いい加減、体は回復したはずだ』

 

「…誰だ、お前」

 

『僕は…今は、誰でもないさ。しかし、折角皆と再会できたのに、いつまで眠っているんだい?』

 

 呆れたような声に、タクトは思い出したように、答えた。

 

「…そうだ。レスターと、会ったんだ……」

 

『そう。レスターと、君は再会した。なら、他の皆も一緒に居る。早く会いたいだろう?』

 

 それに、タクトは肯定の意味をかねて、頷いた。しかし、この声の主は、誰だろう?…自分の声と、同じ声は…。

 

『今の君じゃ、分からないよ。僕が何者かなんてね……ああ、そうだ。君に探してもらいたいものが――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ここは…」

 

 体を起こそうとする。ずきりと、心臓が痛んだ気がするが、なんともない。だが、それで体を起こそうという行動を、止めることにした。多分、よくないことが起こる気がする。

 

 はあ、と横になって、最近の記憶を掘り返してみる。

 

「確か、どこかの施設から脱出して、ヴァニラと一緒に……ちょっと、敵の脱出艇を拝借して、ああ、軍服もだっけ……それで、見つかって、追いかけられて…で、色々弄っていたら、エルシオールと何かが交戦していて……見ていることしか、出来なかったなあ」

 

 うん、それで、レスターとあって…記憶が、そこで途切れている。

 

「……なんで、牢みたいなところに居たんだろう……」

 

 記憶が途切れる直前に、何かを見たような気がした。

 

 ゆっくりと、体を起こしてみる。特に異常は感じられなかった。先ほどまで感じられていた予感が、薄れている。もう、体を起こしても大丈夫らしい。

 

 それにしても……体が、重いと、感じた。いや、だるいというべきか。体を動かすのが億劫だ、と。

 

 しゅいん、と音がして、白いナース服に身を包んだ女性が入ってきて、それはタクトを見ると驚いたように目を見開いた。

 

 それかわ慌てたように部屋から出て行き、足音がどんどんと小さくなっていき…そして、先ほどの数倍に値する足音が響いた。

 

 その音を聴いた瞬間、思わずタクトは逃げようと考えた。それからふと、思い至る。

 

「ヴァニラは…」

 

 いない。個室のようで、この部屋ではなさそうだった。

 

 どたばたと、エンジェル隊が入ってきて、一気に彼に詰め寄った。

 

「タクトさん!」

 

「心配したんだからね、タクト!」

 

「…思ったよりも、元気そうで何よりですわ」

 

 どこかをみてそう呟くミントに、タクトは「?」と疑問符を浮かべ…慌てて毛布を被りなおした。

 

「何でいきなり隠れるんですか?」

 

「……ちとせはしらなくてもいいよ」

 

 そう返すだけが精一杯で、彼女はミルフィーユと共に首をかしげた。聡明なようで居て、どこか抜けたところがある。

 

「そうだ、ヴァニラは?」

 

「さて…まだ目を覚ましていないみたいだね。でもま、タクトが目を覚ましたんなら、直に目を覚ますだろうね」

 

 と、フォルテが答えた。

 

 と、そこにレスターが歩いてきた。

 

 入ってきたのをみて、タクトは手を上げた。

 

「や、レスター」

 

 無言で歩み寄り、レスターはすうっと息を深く吸い込み、吐き出した。

 

 怒鳴ろうとしたが、それを自粛したように見えた。代わりに、地獄のそこから響くような声で、問いかけた。

 

「貴様、今まで何処で何をしていた?」

 

 ひいい、とタクトは心の内に悲鳴を上げる。今すぐに何もかもを放り出して逃げたい。多分、今ならば人類最速にでも何でもなれるだろう。

 

「それが……良く覚えてないんだ」

 

(…待て。ちょっと待て。いや、それは本当だけど、何で勝手にしゃべるんだ〜!?)

 

「どこかの施設に掴まっていたみたいなんだけど、覚えてないんだ。どうしてそこに居たのかも、分からない」

 

「…待て。お前、本当にタクトか?」

 

「やだなあ、何言ってるんだよ、レスター」

 

 あはは、と笑って返す。そのことに、タクト自身が、ぞっとした。

 

(俺、そんなこと言おうと…)

 

 

 

 

         ――――――――――――――いいや、言おうと思ったはずだ――――――――――――――

 

 

 

 

(…そういえば、言おうとしたんだ。なら、問題はないかな)

 

「ただ…そこは、俺たちにとってよくない場所だ。それを判断して、ヴァニラと一緒に逃げたんだ。…でも、追っ手をかけられて、そのショックで通信機器は故障しちゃうし、でも救難信号だけは壊れなかったみたいだけど。なんとか振り切って、ええと、モニタにARKDRIVEって、表示されて、エルシオールの前に現れた。…何か思い出すかもしれないけど、今はまだ何も思い出せない」

 

「そうか。…なら、いい」

 

 嵐は過ぎたらしい。

 

「そういえば、どうして俺は…ヴァニラも寝てるのか?」

 

「そうだ。…心室細動といえば、分かるか?」

 

「心臓麻痺?…俺たちが?」

 

「簡単に言えば、そうだ。原因は…なんだろうな。不明のようだ。解剖してみないと分からないらしいが」

 

「か、解剖って……」

 

 顔色を青ざめるタクト。

 

「冗談だ。気にするな」

 

「真顔じゃ冗談に聞こえないよ、レスター」

 

 なんとか、それだけを返す。なんだかんだで、レスターもそうは見えないが、タクトの帰還を喜んでるらしい事は、分かる。

 

 ぱたぱたと足音がして、扉が開く。

 

「ヴァニラ・H《アッシュ》さんが、目を覚ましました!」

 

 それを聞いて、まず真っ先に動こうとしたのはタクトだ。だが、一週間ほど眠り続けていた体は、節々が凝り固まっており、急に動かそうとすると、うまく動かないのが当然だ。ようするに、さび付いているのである。

 

 だから、当然のように、ベッドから落ちて倒れた。

 

「無理するな!…お前の気持ちも分かるがな。幸い、ここは白き月の病棟だ。車椅子くらい、持ってこよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タクトさん」

 

「ヴァニラ…」

 

 そのまま、見詰め合う二人。その背後についてきたエンジェル隊は、その様子を黙ってみること以外に、することがなかった。

 

「あたしらの中で一番若いヴァニラが、ねえ…」

 

 レスターはさっさとその場から退散していた。どうやら、気を利かせたらしい。…うがった見方をすると、逃げたといえるかもしれないが。

 

「その話は言わない約束ですよ、フォルテさん」

 

 ミントが素敵な笑顔で答え、そういえばそうだったねえ、とフォルテもまた惚れ惚れしそうな笑顔を浮かべて答える。

 

 その様子に、ちとせはがくがくぶるぶると震える。

 

「ふぉ、フォルテ先輩と、ミント先輩が…先輩がっ!」

 

 バイオレンスな気配が漂い始めるさなか、タクトたちのほうは別の空気を広げていた。

 

「……ごちそうさまとか、そんなレベルじゃないわね」

 

 唐突に、ミルフィーユがぽつりと、特大の爆弾を放り投げた。

 

「いつキスするんだろう?」

 

 絶対零度を、肌で味わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクトとヴァニラが目を覚ましてから、更に一週間が経過していた。その間、二人はリハビリを行う。まずは凝り固まった関節を延ばす作業から行い、歩き方を思い出させるように、ゆっくりと歩かせる。けっして急がせず、ゆっくりとリハビリは順調に行われ、一週間が過ぎる頃には以前と変わらない様子で歩けるようになっていた。

 

 健康診断その他も行い、問題なしと、二人は診断された。

 

 それから、しばらく平和なときが続いた。

 

 そんな、ある日の夜。

 

「そんなところで、何をしている。タクト」

 

「レスター……いや、これ、何なのかなって思って…」

 

 目の前にあるのは、カラーリングされては居ないものの、シルバーメタリックの機体があった。見覚えのある形状だった。

 

「…なんで、これがここに…」

 

「…お前に気を使って教えなかったんだがな。これだけ、戻ってきたんだ。…搭乗者の姿は、消えてなくなっていた。…ただ、役目を全て終えたように、一切の機能を停止したそれが見つかった。……修復は完了して、後は塗装だけという状態だな。…件のテネブラリスモードは、排除されたようだがな」

 

 それを聞いても、タクトはなんとも思わなかった。ただ、小さく、答えた。

 

「そうか。……こんなの、戻ってきてもしょうがないんだけどなあ…」

 

 沈黙。

 

「誰も、誰の代わりにはなれない……」

 

 そう呟いたタクトは、寂しげだった。

 

 その言葉が意味するのは、何か。…ルナも、ヴァニラも、どちらもタクトにとっては大切な人だろう。それはレスターや、ミルフィーを初めとするほかのエンジェル隊も同様のはずだ。そして、その誰が欠けても、誰かが代わりになる事はない。

 

 だから、ルナの代わりをヴァニラが務める事は出来ないし、ヴァニラの代わりを他の誰が出来るわけではない。ヴァニラにルナの代わりなど、だから求めていなかったし、また、そうすることを許さなかった。ただ、少し、ヴァニラを蔑ろにしてきたかもしれない。

 

 ―――色々と、辛い思いをさせたかな?

 

 ふっと、自嘲する。そうして、目を閉じた瞬間。

 

 

 

 

 金色の髪

 

 

 

 

 

                                                    漆黒の肌

 

 

 

 

 

                    怜悧とさえいえる、知的な瞳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                      その男の隣に、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             ――――――――――――まだ、その時じゃない――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、タクト、タクト!」

 

「……あ、レス、ター?」

 

「…夢でも見ていたのか?」

 

「……そうかも、しれない……」

 

 とにかく、その場から、タクトは立ち去る。その後、レスターは小さく、呟いた。

 

「あいつ、どうやってここまで入ってきた?」

 

 それに答えるように、一瞬だけ、タクトの左耳に、小さなイヤリングが、きらめいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて。ダークライトの存在が、確認できた。もうここには用はない』

 

『それでは、どうするんですか?』

 

『……あちらは、僕たちのことを疑っているみたいだからね。手土産を持っていこうかな、って考えてる』

 

『…気が重たいです。あの方たちに、何の落ち度もみられないのですから』

 

『そうだね。……でも、仕方がないよ。俺《タクト》は、こういうことには向かない。もう、昔の僕とは違う』

 

『はい。私《ヴァニラ》も、変わりません…それでは、私たちが過去に生み出した存在として、為すべきことを行いましょう…』

 

『僕たちの成すべき事は?』

 

『…非情に、徹すること』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それの襲来は、唐突だった。単艦でそれは向かってきた。

 

 紅い輝きがモニタに映し出された直後に、警報が白き月内を駆け巡る。その警報に、久しぶりに皆と歓談していたタクトたちは、タクトを除いた全員がエルシオールへと向かった。何故タクトは行かないのか。簡単な話だ。タクトの軍籍は、まだ戻っていない。死亡扱いされたままである。

 

 そういうわけで、実はヴァニラもエルシオールには登場できなかった。身分証明書その他を全て紛失した状態なので、下手に軍籍の艦に乗ることが出来ない。後日、再発行してもらえるそうだが、まだそれは出来ていない。そのことに気が付いたのが、間抜けなことに昨日であり、まだ仮の身分証明書もなかった。

 

 ただ、万が一を考え、残しておいて入るらしい。ハーベスターを。ハーベスターは、結局ヴァニラ以外に適合する人物は、見つからなかったのだ。それゆえに、内装も武装も、変化はなかった。

 

 そんなわけで、今は謁見の間で、エルシオールと、該当敵艦の様子を、モニタを通して見ていた。

 

『やれやれ。君たちを、待たせちゃったかな?』

 

「「!?」」

 

 その姿を見た瞬間、タクトとヴァニラは、動揺した。まるで、鏡に映したように、相似した相手の外見特徴。その相手が、モニタを通してこちらを見る。

 

『やあ、君がタクト・マイヤーズかな。…そして、君がヴァニラ・H《アッシュ》。…本当に、そっくりだ』

 

「…俺も驚いているよ。君たちが、僕たちにとてもよく似ているのは話に聞いていたけれど」

 

『「まさか、ここまでとは思いませんでした」』

 

 同時に、口を挟むヴァニラと、ファリア。

 

「あんたたちがソートとファリアね。…確かに、そっくりだわ。まるで双子みたいに」

 

『双子、か。…あながち、間違いじゃないかもね』

 

「どういう意味ですか?」

 

 シャトヤーンが問いかける。

 

『さあね。彼らなら、知っているかもね』

 

 と、だけソートは答えた。

 

『そうそう。言い忘れていた。…僕の任務は、僕たちの手から逃れた人を殺すことなんだ。下手に僕たちのことを話されては、困る。…そして、君たちがここに向かったことも、了解していた』

 

「…スパイが居るの?」

 

『居るよ。皇国中にね。敵の情勢を知りたいのに、指をくわえていたって分かるわけがない』

 

 そう答えるソートに、ノアは挑戦的に尋ねた。

 

「なら、あんたたちのことを教えなさい。目的も、何もかもを」

 

『…君が、何だっけ?』

 

『検索。…判明。その少女の名は、ノア。今も昔も、黒き月の管理者である少女です』

 

「な!?」

 

「…最重要機密に位置するノアの情報を!?」

 

 それは、おそらくは一生涯を通して公開されるはずのない情報。

 

『黒き月の管理者…ノアか。……悪いけれど。君の問いには答えられない。さっきのスパイが居るって言う発言だけでも、十分情報漏れなんだから』

 

 わざと口にしたくせに、今更何を言うのか。だが、それよりも気になるのがあった。明らかに、向こう側からソートでもファリアでもない人物の声が聞こえたからだ。

 

「…今の、誰の声よ」

 

『そういえば……紹介を忘れていたっけ?』

 

『はい』

 

 ファリアは、答える。それに、ソートは肩をすくめた。

 

『…教えてあげようか?エウリュアレ』

 

『私の名前は、エウリュアレ。この艦、エウリュアレと同名の名を与えられたAIです』

 

「……なんで、私のことをしっているのよ」

 

『情報のプロテクトはしっかりとかけたほうがいいよ。さすがに白き月の機密にまでは触れなかったけど、人員その他の情報は奪えたから』

 

 ほら、とばかりにモニタに表示される、データ列。それを目にした瞬間にシャトヤーンが白き月のデータベースと比べると、寸分たがわぬそれが表示された。

 

『管理者の合言葉のいらない情報程度なら、こんなものだね』

 

「…ありえないわ。白き月のプロテクトを、破るなんて」

 

『エウリュアレを甘く見ないことだね。自動学習機能がついているから、常時成長をする。そして、あらゆるプロテクトを破るように、こちら側で散々鍛え上げられたんだ』

 

「…会話が出来るのは、そのせい?」

 

『そう。僕たちの会話のパターンを記憶して、パターンにない場合は推測をする。一見して、感情があるようにも見えるかもしれないね』

 

 所詮プログラムに制御された働きだ。だが、人の感情を表現するという、複雑怪奇なアルゴリズムを作り出したのには驚嘆する。

 

 そして、それを僅かな遅延もなく、表現できるCPUの性能も、恐るべきものがあるだろう。

 

「道理で、紋章機の攻撃を、防御できたんだ。見てから、というレベルではない、尋常じゃない速さでシールドの展開が間に合っていたんだから。そして……前回の戦いは、紋章機の性能を情報収集するため。…ところで、聞きたいことがある。何故、俺たちの乗っていた脱出艇を攻撃しなかった?口では俺たちを狙うといいつつ、紋章機を中心に攻撃していたのは」

 

『紋章機は無視できる相手じゃないからに決まっている。先に紋章機を片付けてから、ゆっくりと君たちの乗っていた脱出艇を攻撃していたさ』

 

「だから、おかしいと感じるんだ。あの時、エンジェル隊の目標は、俺の乗ってきた脱出艇の護衛に切り替わっていた。なら、俺たちを攻撃すれば、エンジェル隊の負けは確定していた。動揺した彼女たちを攻撃するのは容易かったはずだ。その絶好の機会を何故逃したんだ?」

 

 その質問に、くっと、ソートは答えた。

 

『その問いの答えは、君たちだ』

 

「…どういう意味だ?」

 

『すぐに分かるさ』

 

 通信が切れた。同時に高まるエネルギー反応。その時には既に、エンジェル隊はエルシオールを中心に展開し、エルシオールは白き月とエウリュアレの斜線上にあった。同時に、皇国軍がその場に集結していた。第一方面軍本星守護艦隊。その数は、二十や三十ではきかない。百を超える、大艦隊だ。

 

 勝ち目があるようには、見えなかった。しかし、相手に逃げるそぶりはない。

 

 奇妙な紅い輝きに包まれ始めるそれは、唐突に行動を開始した。

 

 全方位に放たれる、幾条もの光線。それが、射線上にあった軍艦を、全て撃ち落とした。

 

 その、紅く輝くその姿は、妖しく、死の気配に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ―――――エウリュアレのブリッジに、声が響く。その声に感情はなく、事実を再確認するものでしかなく―――――――

 

 

 

 

 

 

                       『第一作戦、「舞踊」、開始』

 

 

 

 

 

 

 

                ―――――それを、聞き届けるものは、誰も居なかった―――――