「あれが……ザン・トゥスの、力か」
目に映ったのは、一瞬で炎に包まれ、消えた艦のこと。その力を目の当たりにし、冷たい汗が頬を伝う。気が付けば拳をしっかりと握り締めており、開いたときにはべっとりと汗に濡れていた。
銀河最強のエンジェル隊だと?とんでもない。今の全周囲攻撃はただのデモンストレーションだろう。それでも、明らかな力の差を感じてしまった。いかに紋章機を擁していようと、あれと同型の艦が大挙されれば、太刀打ちできるものではない。
二週間前、タクトたちが見つかったという通信が入ったものと同時期に、一つの通信が入った。
<マルク・シャトー将軍。率直に言おう。我らに従いたまえ。トランスバールでは、我らに抗する事は叶わぬ>
ただ、それだけの内容だった。勿論、鼻でせせら笑った。ヴァル・ファスクという敵は、今までにないほどに強大な敵だった。しかし、それ以上に我らの方が、強かった。
<ヴァル・ファスク程度に勝利を収めた程度で、慢心しては居ないだろうな?>
まるで、ヴァル・ファスクのことを知っているかのようなその口ぶりに、何かがないと思わない方がおかしいだろう。聞きたい事は他にもあった。
<ヴァル・ファスクは、我らが生みし存在。それに勝利を収めることが出来た所以は、紋章機であろう?>
<紋章機のH.A.L.O.システムは、人の感情の触れ幅を利用したもの。ならば、搭乗者の心を砕くとどうなるか、明白>
<結論。我らは、トランスバールという盤の上に、罠を仕掛けた。トランスバールという盤が、瓦解する一手だ>
<我らは君がほしいのだ。才能あふれる君がな>
<選択だ。我らに従うか、トランスバールに従うか。選択したまえ>
<その返答は、行動にて返してもらう。その時を、待っているぞ>
だが、聞きたいこと、その全てをあちらは包み隠さず話した。これを親友であるクロード・マイヤーズに話したところ、「面白い話だな」と答えただけで、他には何も答えはしなかった。
だが、こちらはエンジェル隊を擁している。さすがに皇国軍だけではどうにもならないだろう。だが、エンジェル隊ならば…
手を組み、机の上に置いて、モニタを見据え、マルクは呟いた。
「天使たちの心を砕くというか。どうするか、見せてもらおう。ザン・トゥス」
Galaxy Angel Vertas
Lovers
第四章「舞踏/destruction」
瞬時に、十の艦が火に包まれ、落ちた。その光景を目の当たりにした皇国軍は、目に見えて動揺を露にした。統制の取れた動きに、乱れが感じ取れるからだ。それは動揺の証であり、乱れた動きは無意識に逃げようと、舵を取った操舵士のかすかな指先の動きだ。
一撃。たったの一撃で、友軍が灰燼に帰した。その火力に、恐れをなさないほうがおかしいというものだ。
士気が挫ける。戦時にあって、存在してはいけない衝動。死への怖れが、それを生み出す。だが、軍人として鍛え上げられ、ヴァル・ファスクに勝利したという矜持がそれを許さない。それがあって、かろうじてとどまることができているという状態だ。
さて。一つの艦には、交代要員を含め、最低で五十人ばかりの人数が乗っている。そして、先の一撃で失われたのは、それに十倍する人の命。人の死を数字でしかみない上層司令部は、おそらくは十隻の艦が落とされたことによる戦力の減退しか頭にないのかもしれないが……また、人が死んだことに。エンジェル隊が、何も思わないわけがなかった。
宇宙海賊との小競り合いは別として、エオニア戦役では本当に多くの人がなくなった。手始めにトランスバール皇王ジェラール及びその側近たち、宮殿に勤めていた使用人、宮殿攻撃の巻き添えを受けた一般市民。続いて、トランスバールが始まって、もっとも多くの死傷者がでた、惑星ロームを砕き、人工衛星ファーゴを無用のものとした黒き月の一撃。100億に届こうかという犠牲が、出た。
ヴァル・ファスクとの戦争では…亡くなったのは軍人ばかりといっても差し支えはないが、それでも、人の命が失われたことに変わりはない。
それらと比べれば、圧倒的に少ない犠牲。だが…平和になった今では、考えることが色々とあった。今までの戦争で亡くなった人にも、家族がいただろう。それを考えると、もっと多くの人を助けられなかっただろうか、あの時、こうしていれば…たら、ればの話に意味はないと知りつつも、それでも巡らせることが、その機会が増えた。
今、失われた数百人の命。それぞれに、息子が、娘が、父が、母が、祖母が、祖父が、孫が、友人が、親友が――『家族』が、いただろう。彼らの悲しみを思うと、今またただ見ているだけだった自分が、歯がゆく…殺した敵と、助けられなかった自分と、その両方に、怒りを、彼女たちが覚えないはずがなかった。
「……どうして、こんなことを……するんですか!」
怒りと悲しみに、胸が押しつぶされ、見る間にテンションが下がっていくラッキースター。ミルフィーユのテンションは、普段道理でいることで、高まる。新作ケーキを作ることを考えたり、ケーキを作っていたり、それを食べてもらっておいしいといってもらえたり。そういうときに、彼女のテンションは最も高まる。
が、しかし。反面、怒りに一度支配されると、彼女のテンションは急激に低下する。
結果、ラッキースターはミルフィーユの思うような反応を返さなくなっていた。それ以前に、今にもクロノストリングエンジンが停止してしまいそうな、そんな状態。
「なんで、どうして力を貸してくれないの、ラッキースター…?」
長年の相方であるラッキースターが、応えてくれないことに動揺し、ますますテンションが下がる。すると、ますます反応が悪くなる。悪循環に、ミルフィーユは陥っていた。
感情が高ぶり、テンションが上がったランファが真っ先に飛び出した。
だが、その感情の高ぶりは紋章機のH.A.L.O.システムが求めるものでは、ない。確かにテンションは上がった。だが、これでは、怒りに支配された心では、周囲のものが何も見えはしない。カンフーファイターの性能を発揮することなく、落とされてしまう公算が高いだろう。
事実、単調で読みやすくなった相手の動きを、狙わないはずがない。紋章機のシステムが敵に照準されたことを警告する。だが、その音すらも、ランファの耳には届いていなかった。
発射されたそれを、ただ反射的に操縦桿を操り、回避する。回避したその先に敵が放った副砲による弾幕。
回避しきれるものではなく、やはり反射で応戦する。下部に設置されている機関銃を発射することで応戦するが、周囲が見えていないので、敵の主砲が、まっすぐに狙っていることに、ランファはひときわ高い警告音が響くまで、気が付かなかった。
気が付いたときには、敵の主砲がこちらをまっすぐに狙い、発射するところだった。
「……あの方たちは……ミルフィーさんも、ランファさんも……自分を、見失っていますわね」
かく言う自分も、己の心が生み出した負の感情に、支配されようとしていた。
人の心の裏側を否応なく見せ付けられ、感情をコントロールして、張り付けたように笑顔を浮かべていなければ、やっていられない時期もあったが、信頼できる仲間が出来てからは本当の笑顔も、感情も面に出せるようになっていた。
それだからといって、怒り、憎しみ、そういった感情をコントロールできなくなったわけではない。
冷静に、敵の動向を探る。先ほどの全周囲攻撃は、威力が高かった。おそらくは、ここに来る以前からエネルギーを充填していたに違いない。そして、今は再充填を計っているところではないのか。
「…無駄には、出来ませんわね」
失われた人の想いを鑑みるに、ここで怒りに囚われて迂闊な行動を起こすわけにはいかない。迂闊な行動は、その想いを、命を、無駄にしてしまうことに繋がるからだ。
冷静に、深呼吸し、自分を取り戻す。自分が自分だと思えるその瞬間を、思い浮かべ…そして、ミント・ブラマンシュがミント・ブラマンシュという一人の人としてあれる瞬間を、思い浮かべた。
ティーラウンジにおけるティータイム。ミルフィーユの自作のケーキに舌鼓を打ち、ケーキに合わせた紅茶を飲み、皆で談笑する。そんな、時間。
テンションが、高まっていくのが自覚できる。知らず、閉じていた目をゆるりと開いた。その瞳には、力強い光と共に、子供が浮かべるような、稚気が少しばかり浮かんでいた。
「フライヤーダンス!」
フライヤーが射出され、全ての狙いを、カンフーファイターを狙う主砲の一つに絞り込み、
「発射!」
フライヤーから、光が放たれた。
一足先に正気を取り戻していたフォルテは、ミントのフライヤーダンスを見て、口笛を吹いた。
「やるねえ、ミント」
放たれたフライヤーは、敵のシールドで防がれていたものの、カンフーファイターへの攻撃を阻止することに成功できたらしい。
「さて、と。……ミルフィーはちょっと落ち込んでるみたいだね」
怒りと憎しみは、本来の彼女には相応しくないものだ。故に、精神的に齟齬を引き起こす。いったん齟齬を引き起こせばテンションは却って下がる一方であり、ラッキースターは答えなくなる。どう声をかけたもんかね、と思案する。
もう一人、すっかり塞ぎこんでしまっているのがいる。
ちとせのことだ。家族を亡くした痛みはよく分かるのだろう。怒りが湧き上がり、その湧き上がった怒りの矛を収めようとして、失敗しているに違いがなかった。
と、白き月から通信が送られてきている。おそらくは、タクト。彼がシャトヤーンに頼み込んだからに違いがない。
だが、シャトヤーンからかもしれない。そういうわけで、彼女は通信をつなげ、
「どうかなさいましたか?シャトヤーン様」
そう、告げた。
『いえ、話があるのは私ではなく、マイヤーズ司令です』
『そういうわけだ。…他の皆も、話を聞いてくれると嬉しいかな』
炎に、包まれた軍艦。それを呆然と見ているしかない自分。このままでは、敵に攻撃をされて自分が殺される。そうなれば、もっと多くの人の命が失われる。それを頭の中では分かっている。感情が、抑え切れない。
思い出せ。怒りに支配されるな。明鏡止水の境地を。鏡のごとく静かに凪ぎ、光を映し出す水。心を沸き立たせるな。弓を左手で取り、矢を番えようとする、その一瞬前の間を思い出せ。そこで雑念を払え。
彼らには、家族がいたかもしれない。その家族の悲しみは、よくわかる。それが事故ではなく故意に引き起こされたものだとすれば、その悲しみは計り知れないものになる。彼らを許しては、ならない。
二つの思いが彼女の脳裏を駆け巡り、安定を失っていた。この状態では、シャープシューターの射程距離が長く、ピンポイントの射撃を可能にする照準の高さがあろうと、当たりはしない。雑念だらけの矢では、敵に当てるどころか、止まっている的にも当たりはしない。
乱れた心では、矢は当たりはしない。曇った心では、剣では切れない。
通信が、入ったのは、そんな時だった。
『敵がした事は、許せないことだ。それに、怒りを抱くのも当然のことだと思う。……でも、怒りに支配されちゃ、いけない。それは駄目だ。亡くなった人たちの、その想い。君たちは、それを無駄にしてはいけない。…銀河に、平和を。そんな大層な事は言わない。大事なのは、君たちの大切な人を、守れる力だ。それが、君たちの力だったはずだ。何を誓い、君たちは戦ってきた?トランスバール軍の人たち。君たちは、どんな思いで軍人になった?その気持ちを、忘れてはいけない。…今までの戦いは、自分の帰れる場所を守るための、戦いだったはずだろう?』
タクトの言葉は、静かに、全ての軍艦に繋がっていった。忘れていた。何のために、戦ってきたのか。そのために、何人の人の命が失われたのか。
『前に進むというのは、忘れることじゃない。顔も知らない人たちの、最後に残した思いを、心に刻み付け、戦ってきたはずだ。思い出せ。ヴァインが、最後にはどうあろうとしたのか。思い出せ。何故、ルナがいなくなってしまったのか。その理由を』
ヴァインは、心に嘘をつけることが出来ず、ヴァル・ファスクを裏切り、ただ一人でルシャーティを守り戦ってきた。
彼は、形はどうあれ、ルシャーティを愛していた。それは、ルシャーティも同様。彼女も、彼をヴァル・ファスクと忌み嫌う事は出来ず…彼の死を、悼んだ。
ヴァインは、彼女のあるべき場所へと返すため、命を懸けて戦ったのだ。結果的に彼は死んでしまったが、最後の彼の表情には……笑みが、浮かんでいた。
「そうだ。……私は、大切な人を……お父さん、お母さん、リコ……ランファ……」
今は遠く、会えない家族。そして、身近にいる親友。
「ミント、フォルテさん、ヴァニラ、ちとせ、タクトさん、レスターさん……」
大切な仲間。エルシオールのクルーも、一人の例外はいない。誰も彼もが、大切な人だった。
大切な人を守れる力を、手にしながら。大切な人を守れず、無念を残した故人に悲しみを覚えるという、自己陶酔の果てに、もっとも大切なことを忘れてしまっていた。
悲しむだけでは駄目だ。怒りを覚えて暴走するのも駄目だ。そうではない。そういった衝動を受け入れ、尚も前に進む。
また、皆でケーキを食べたい。タクトさんがいて、ランファがいて、ミントがいて、フォルテさんがいて、ヴァニラがいて、ちとせがいて、……ルナさんがいて、皆で笑って、テーブルを囲んで。
「ヴァインさん……ルナさん……」
彼らは、死ぬつもりはなかっただろう。生きて、皆と笑いあいたかっただろう。あんなことがあったけれど、ヴァインさんとは最後には仲間に、なれた。
「……ラッキースター、ミルフィーユ・桜葉、行きます!」
涙を払い、心を落ち着け、操縦桿を握り締めた。その瞬間だった。今まで沈黙していたラッキースターの反応が、全て活性化した。心なしか、輝いている。そんな印象を受けた。
「もう、見失いません!ハイパーキャノン、発射!」
頭にすっかり血が上っていた。思い返してみると、ミルフィーユのラッキースターには何の動きもなかった。それはつまり、彼女のテンションがとことんまで沈んでいたからに他ならない。そこに頭の回らなかった自分に、苦笑する。
何をしているのだろうか。一人でいきまいて。自分ひとりで、敵を倒さなければならないという思いに駆られて。
ミントに助けられて。そうだ。ミントに助けられなければ、今頃相手の主砲に打ち抜かれていたかもしれない。
まさに無駄死にだ。自分ひとりが死ねば、仲間が、友人が受ける衝撃は計り知れないものになる。そうなれば、最強を掲げていようと、あっさりとエンジェル隊は倒されていた。そうして、エンジェル隊という最強の矛を失った皇国軍は動揺し、あっという間に壊滅していたに違いがない。
そうなれば、自分たちの守るべき場所はどうなるか。ザン・トゥスの猛威の前に為すすべなく滅ぼされていただろう。父も、母も、弟たちも、写真でしか見たことのないミルフィーユの妹も、誰も彼もが。
右斜め上三十度の場所から発射された極太のビーム砲は、ラッキースターのハイパーキャノンだろう。
さて。以前の戦いで分かったことなのだが、エウリュアレというらしいそれは、攻防を極端化させているためか、どちらか一方しか実行できないらしい。
つまり、危険だが相手の攻撃中に攻撃をすれば大打撃を与えられるのだ。
「タクト、いい作戦があるんだけど」
ぱっと思いついたそれを、ランファはタクトに伝えた。
『エウリュアレって言うんだっけ?あの艦は、』
「攻撃、防御共に極端化しているため、どちらか一方しか実行できない。だろう?ランファ」
『あれ?なんで知っているの?』
『私が先に伝えたからですわ。ランファさん』
『あ、ちょっとミント!』
『ランファでも思いつけたんだ。ミントなら多分すぐに思いつけたんじゃないかい?』
『フォルテさんまで〜、もう!』
「…いや、さ。敵に集中しようね。何か作戦考えてみるから。相手がエネルギーのチャージを終わらせる前にさ」
なだめるが、
『そんなこと分かってるわよ!』
『そうかっかなさらないことですわ、ランファさん』
『そうそう。ここは冷静に行くべきだね』
そのまま通信が切れる。
「相変わらずにぎやかね。敵との戦いの真っ最中なのに」
「……安心しました。先ほどまで、皆さん我を忘れていたみたいなので」
「…なら、自分の手のひらがどうなっているかくらい、自覚したほうがいいわよ」
「…あ…」
言われ、自分の手を見ると、強く握り締めていた手が破れ、血が流れていた。
「ヴァニラ、大丈夫か?」
「…はい。大丈夫です」
胸の高さより若干上げ、手首を押さえて止血を試みながら、ヴァニラは答えた。それをみて、ノアは不思議に思い、ヴァニラに話しかけた。
「あんた、ナノマシンはどうしたのよ?」
「…ナノマシンを、今は持ち合わせていませんから」
そういえば、保護したときから、いつも彼女の周囲を漂っているナノマシンペットの姿がない。
あちら側にいた時に取り上げられたか。そう判断する。
「言ってくれればいいのに」
「気が回りませんでした」
なるほど。色々と動揺していたのだから、仕方がないか。そう判断付ける。
「後でナノマシンを渡してあげるわ」
「ありがとうございます」
礼をする。ぶつぶつと、何かを考え込んでいたタクトは、何かを考え付いたらしくレスターに通信をつなげるように、シャトヤーンに頼んだ。
「…そうか。分かった。つまり、一度攻撃を止めるというわけだな」
『ああ。こちらの攻撃は、多分何をしても通じないと思う。なら、相手に攻撃をさせればいい。敵は攻防を両立させられない。不必要に重たい剣と盾をもってきているものだ。盾を構えていては、盾が邪魔で攻撃できない。良く考えられているよ。気が付かなかったら、痛い目にあっていただろうね』
「しかし、どうする。相手はあの攻撃をするために、エネルギーをチャージしているんだろう?」
『怯えさせて、恐怖に駆られた皇国軍に攻撃をさせるのが目的だったんだろう。そうして、防御に専念してまた攻撃に移る。ただ、防御一辺倒じゃあいつか気がつかれてしまうかも知れない。紋章機が積極的に攻撃に向かって、反撃をしていただろう?しかも、全部さほどエネルギーを消費しない副砲による攻撃。主砲による攻撃を開始すれば、エンジェル隊の誰かが防ぐだろうことは、見えていたんだろう』
「つまり、今までの俺たちはソートの手のひらの上で踊らされていたということか」
『させない。俺がついている限り、相手に好き勝手はさせないさ。…それから、攻撃をするときに注意しなければならないことがある。照準機を作動させちゃいけないってことをね』
「照準をつけるならば、自らの手でか?」
『うん。そう。相手にこちらの作戦はけどられるだろうけれど、だからこそ攻撃に転じられなくなるはずだ』
「だが、問題は照準機を作動させないことで、狙いを定められないということになる。その問題をどうする気だ?」
『ちとせなら、そんなものに頼らなくても狙いを定められるよね』
確かに、と頷いた。彼女の集中力の高さは、エンジェル隊の中でも郡を抜いて高い。彼女ほどに集中力がある人物は、他にはいないだろう。
「それでも、厳しいものがあるな」
『相手の艦の弱点、形状からもう分かっているはずだよね、ノア』
『当たり前よ。いい?相手の艦の動力部はここになるはずよ』
と、相手の艦が映し出され、形状を残して余分なものを払う。そこにほぼ中心の位置に光点が点る。下部よりであり、中心よりも若干後ろ。そこに、心臓部がある。
『そうだ。この作戦は、レスターから直接伝えて。お前の腕前を信じるから、頼んでいる。そういえば、成功率は格段に上がるだろうね』
「何故、お前にそんなことが分かる?」
『さあ、ね』
モニタのタクトが悪戯っぽく笑い、通信が切られる。何か釈然としない感情を覚えたが…
「信号弾。撤退のだ」
「了解」
エルシオールから撤退の信号弾が発射される。
それをみて、エンジェル隊及び他の艦から通信が入った。
『何故、撤退を開始する必要があるんだ?レスター・クールダラス』
「簡単な話です。これから、紋章機でなければ――特に、6番機でなければ実行できない作戦を開始するからです。攻撃を停止し、撤退してください。相手の主動力を、破壊します」
『…6番機は確か、もっとも射程距離が長い紋章機であったな。故に、照準はもっとも正確にセッティングされている。…今まで見ていて思っていたのだが、相手は攻撃は攻撃、防御は防御のみ。つまりは、そういうことか』
「はい」
さすが、とレスターは賞賛した。若くして中将に上り詰めたのは、伊達ではない。コネクションではなく、自らの力で這い上がったが故の力か。
『了解した。それでは、我らは一時撤退させてもらう』
「いやはや、これは……さすがに、己のことは良く分かっているようだな。ソート」
常時エウリュアレから送られてくる通信を見やりながら、エオニアは楽しそうに、ルナに語りかけた。
「ラッキースターが動かなくなること、カンフーファイターが先走ること、先走ったカンフーファイターをトリックマスターが助けること。己の意思で動かないハッピートリガー。ラッキースターと同じく動揺して動けなくなっているシャープシューター。……私でも分かること。ただ、タクトは人の気持ちを利用する事は、考えない」
「確かに、そうだな。…相手が無人艦だからこそ、その程度でよかったのだろう」
けれど。
「ソートは、その縛りがない。必要があれば、平気で人の感情を利用する。…まさに、タクトとソートは、表と裏」
淡々とルナは告げる。淡々としているのは、感情を抑えているから。これから起こるだろう、こちらにとってはただの茶番…相手にとっては、この上ない悲劇。それを、止めに行こうと。心が訴える。
(まだ。…まだ、そのときじゃない。感情に任せて、心の赴くままに戦っていい時機じゃない)
軽く、分からないように奥歯をかむ。手を強く握り締める。そうでなければ、今すぐにでも駆け出してしまいそうだった。
「…………………」
その様子を黙って、エオニアは見る。かつて仲間だったからこその、今は何も出来ないでいる、己への抑え切れない苛立ち。もし、と考える。
もし、自分が同じ立場に置かれればどうなるだろうか。
(詮のない事だ。……私は、彼女ではない)
全てを失い、尚も生き続けなければならない無間地獄。正気に返ったときには、数え切れぬ人の命を死に追いやっていた自分。…実態のない怨嗟の声が、毎晩己を襲う。
何故、もっと早くに正気に戻れなかったのか。
簡単だ。己の理想を理解しようとしない愚鈍なる皇王ジェラール、そして彼に擦り寄る意地汚いハイエナどもに対する、復讐の為の力を欲していたときに、力を見つけてしまったからだ。力に目が眩んだ己こそが、最も愚鈍なる人物であると、分からなかった己の失態が呼び込んだものだ。
多くの人の命を奪い、生き続けなければならない。死に逃げるのは容易い事だ。容易い事であるが故に、償いになりはしない。生きて生涯を苦しみ続けるのが、罪を償う唯一の方法だと、口にしたのは……
ふっと、苦笑する。そして、業が深いな、と、エオニアは誰にともなく口にした。
その呟きが、空気を震わせることはなく、誰の耳にも届かなかった。
亀のごとく防御を固めている相手に攻撃をさせる。そのためには、ひたすらに相手をつついて後に、隙を見せなくてはならない。
目くらましの攻撃を始めたのは、カンフーファイターだった。アンカーが射出され、それが的確に相手の急所を狙う。そこにシールドを集中させておいて、別の方向からハイパーキャノンが放たれた。
アンカークローは、威力こそ高いものの単発の攻撃に過ぎない。対して、ハイパーキャノンは射出時間が比較的長く、アンカークローと比べれば長時間、シールドを集中させなければならない。
悠々とエネルギーのチャージを行っている場合ではないはずだ。エンジェル隊の攻撃が、どれも的確に主動力エンジンを狙ったものだからだ。あるいは、全体にシールドを張らなければならないのかもしれない。
それで相手はエネルギーのチャージが出来なくなるだろうが、こちら側はその予定でいるので、問題はない。
どういうことかといえば、相手はどうやらシールドを最小限に抑えていたようだからだ。エネルギーのチャージを行うために、シールドにまわす出力を最小限に、それで確実に防御するために、着弾地点に対してピンポイントにシールドを張っていたらしい。僅かな力で最大の効果を。そう考えての行動だろう。
人がやったとすればそれは神業としか言いようがないだろう。だが、相手は無人艦とほぼ同等だと分かっている。搭載されているAIの性能が恐ろしく凄まじいようではあるが…そうだと分かっていれば、やりようはある。
命令を出しているのは人だ。ならば、反撃しろと、エウリュアレに搭乗しているだろうソートが命令すれば、それでシールドは解除されるはずだ。
ハイパーキャノンが放たれ終わる前に、続いて、エウリュアレの全方向から、五機を一組として放たれたフライヤーが、それぞれの場所で一転集中攻撃を行う。
トリックマスターに搭乗しているミントは、フライヤーを操るために相当の苦労をしているが、不可能というわけではない。要は集中力の問題だ。己のそれが、ちとせに及んでいるとは思わないが、足元に届いていないという事はない。ならば、やらなければ、ならない。
フライヤーの攻撃の一撃一撃は大したものではないが、一点に集中となれば話は別となる。結果、エウリュアレはそれを危険とみなし、全く同時に放たれるそれに対処するために、シールドにまわしている出力を多少高めたようだった。
そこに、フライヤーダンスが終了する前に、ハッピートリガーのストライクバーストが放たれた。
全紋章機中攻撃力のもっとも高いハッピートリガーの、後先を考えない全力攻撃。全砲門を開放し、全弾を撃ち尽くす勢いで、フォルテは攻撃を加える。
それが終わる前に、別の場所から攻撃が加えられた。
下がった筈の、皇国軍の攻撃。事前に作戦を耳にし、またその作戦通りに手が出せないでいるエウリュアレのその姿に、士気を取り戻した皇国軍による遠慮呵責のない攻撃だ。
皇国軍の攻撃が、まるで息を合わせたようにぴったりと、同じ距離から放たれる。見れば、エウリュアレを中心に、まるで球体を描くように皇国軍が展開していた。
シールドを、少ない出力でやりくりしている場合ではなかった。シールドを全体に張りなおし、出力も相応に高めた。結果、相手にダメージが見られないのは、今までと何も変わらない。
その間に、エウリュアレの真下に、シャープシューターが移動し、狙いをつける。目で狙いをつけなければならないのが辛いところだ。何しろ遠くて見えない。が―――視覚が頼りにならないのならば、その他の感覚に頼る。それだけだ。見るべきは、どのように、戦場の空気が流れているのか。
皆の気が、何処に向かっているのか。
「…………」
一瞬が無限に拡大され、無限が一瞬に圧縮された。己以外何も映らない真っ白なセカイが、ちとせの目の前に広がる。色は、問題ではない。見るべきは、この白いセカイを、汚す存在。
「………見えました」
エルシオールに、それを伝える。途端に皇国軍の攻撃は、止んだ。同時に、下がるように指示を出した。ただし、下がる順番はランダム。すなわち、己の好きにしてもいいと指示を出されていたので、一糸乱れぬ連携から、統率の取れない動きを表現する。
同時に、皇国軍全艦に対して、通信が入った。
『もう終わりかい?それとも、ようやく力の差を感じたのかな?』
タクトの物と非常に似通った声が流れるが、ちとせの耳には入らなかった。
『なら、絶望を抱いて、落ちろ。エウリュアレ、攻撃開始』
『了解しました』
「フェイタル…」
エウリュアレの砲門が開放され、砲門に力が集中する。それが、開放されようと、するその直前に、
「アロ―――――――――――――――――――――――――!!!」
それは、光の矢のように飛来し、エウリュアレに、吸い込まれるように命中した。
しん、と静まり、ぽっと、華が開いた。その瞬間、エウリュアレを包み込むように、勢い良く華が広がり始め、遂にはエウリュアレを包み込んだ。
そして、エウリュアレがあった周辺には、何もない空間が、出来上がっていた。
(これで、終わりかな?)
そう、タクトが思った瞬間だった。
――――――――――いいや、これが始まりだよ。タクト・マイヤーズ―――――――――――
頭の中に声が響き、瞬間、タクトの意識は深淵なる闇に飲み込まれていった。