暗いところだった。前が分からない。後ろが分からない。右が分からない。左が分からない。上も分からない。下も分からない。上下左右前後が全て曖昧だった。
そもそも自分が立っているのか。それともうずくまっているのか。それも分からない。
自分がどういう状態にいるのか、分からない。どうしてこんなことになっているのか、分からない。
―――――――――いいや、これが始まりだよ。タクト・マイヤーズ――――――――
その言葉が脳裏に響く。そうだ。この言葉が響いた瞬間、こんな世界に自分はいる。
ここは何なのだ。
「…前にも、来たことがある……?」
分からない。そのような気がするが、しかしその時とは印象が違うように思える。気のせいとは思うが、気のせいではないようにも思える。
だから、タクトは混乱する頭をなんとか静めながら思考する。
「ここは、境目だよ。タクト・マイヤーズ」
・・・・・・・・・・
不意に声が響いた。驚いて後ろを見る。そのように意識をする。
「久しぶりだね。タクト」
「お前は……誰、だ?」
戸惑う。タクトは戸惑う。自分以外いないのではないか、そう思ったこの世界に、自分と同じ姿かたちをした誰かがいる。
「誰か、だって?…酷いな。僕は君と元々一つだったのに」
「何を、言って」
「だから。 僕と君は、かつては一つの人格を形成していたって言っている」
「………」
「そういうわけだから。 僕はもう一人の君ともいえるわけだね。 …ああ、だけど僕達は二人に分かれちゃったからね。
もう僕たちは別の存在だ。 …タクト・マイヤーズの名前は君のものだからね。 だから、僕の名前は―――――…」
それは、時間にして一秒にも満たない、僅かな時間だった。ふらり、とタクトが体を揺らした。そのようにしか見えなかった。
だが、隣にいたヴァニラは、それが何を意味するのかを全て悟っていた。
悟り、僅かに俯いた。ほどなくして、無感動に面を上げた後、左の耳につけていたイヤリングを外し、口元に近づける。
同時に、タクトはゆっくりと、中指と親指をこすり合わせながら肩の高さまで右手を上げた後、ぱちん、と指を鳴らした。
「マイヤーズ殿?」
「…ヴァニラ?」
指を鳴らしたタクト、あるいはヴァニラの行為を不思議に思い、シャトヤーンとノアが同時に振り向いた瞬間、
「こちら、ファリア。エウリュアレがやられました。至急応援をお願いします」
Galaxy Angel Veritas
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第五章「反転/chasm」
『こちら、ファリア。エウリュアレがやられました。至急応援を要請します』
「…へえ。まさか本当に、僕達の出番が来ることになるなんてね」
「ますます楽しみに鳴ってきたぜ!」
「一発当てただけだろうけど…ふん。あの防御を突破するとはね」
「……殲滅する」
「おいらとしては、あのへちゃむくれとやれないのが残念なんだけど…」
五人はそれぞれ勝手なことを口にしながらその場から立ち去る。目の前には、黒い五つの戦闘機の姿があった。その姿は、どこか紋章機に――――
『あんた。さっきなんて口にしたの?』
『聞こえなかったのか? それとも、理解したくないのか?』
唐突に白き月につなげていた通信回線からそのような内容の口論が流れてきた。
白き月に通信をつなげているのは現在ではエルシオールのみだったが、同時にそれは紋章機にも流れていたので、必然、エンジェル隊全体に聞こえていた。
「…なんだ?」
レスターが疑問に思い、それを質問しようとする前に、
『エウリュアレがやられちゃったから、応援を要請しただけだけど?』
『っ!!……あんた、誰よ』
『ザン・トゥス軍特務部隊所属、ソート・ハイアス』
『同じく。ファリア・カシスです』
一瞬、彼らが何を口にしているのか、すぐに理解できる人物は、いなかった。
我に返ったノアは、至極まっとうな質問を彼にぶつけた。
『あんたがソート・ハイアスだって言うなら、エウリュアレにいたのは誰?』
『無人だよ。アークの艦隊を倒した時はともかく、君たちと始めて接触した時からエウリュアレには誰も乗っていない』
『―――そう。どんなトリック使ったのか知らないけど、随分と手の込んだことをするわね』
『ハイアス殿にお聞きしたいことがあります』
『何ですか?シャトヤーン様』
ソートはノアからシャトヤーンへと視線を変え、聞き返す。質問を導き出す、そのために。
『あなたは、一体何者ですか?』
『…どういう意味の質問なのか、少し分かりにくいですね』
率直に何者か、と訊ねているのか、それとも、タクト・マイヤーズと同じ姿かたちを持つソート・ハイアスが何者なのかを訪ねているのか。
『マイヤーズ殿とあなたの遺伝子は一致していました。これは一体どういうことですか?』
『簡単な話です。僕はタクト・マイヤーズのクローンだからです』
それを聞いて、ノアとシャトヤーンは眉をひそめるが、互いに何かを分かり合ったのか、一つ頷いて更に質問を繰り出す。
『マイヤーズ殿は、無事なのですか?』
『それは分かりません。ええ、本当にただの一度も会ったことがありませんから』
『…随分私とは態度が違うのね。あなた』
『黒き月の管理者と白き月の管理者とでは、扱いが違って当然だろう?…トランスバールに最初の災厄をもたらした者よ』
びくりとノアは体を震わせるが、直後にきっ、とソートをにらみつけた。それ以上のことをいうのは許さない、と。
ノアの苛烈な視線に対して、ソートはただ肩をすくめるのみだった。
『……あんたたちは、初めからこうするつもりでタクトたちの振りをしていたって言うわけ?』
『そう』
『…わざわざエウリュアレの弱点を教えたのも、その一環というわけ』
『敵を騙すには味方から、というだろう?』
それはそうだ。敵を完全に騙したければ、まずは味方から騙すのが定石だ。行為が嘘だとしても、仲間がそれを知らない以上、嘘をついた人物以外の行動は全て真実だからである。
「……俺が感じていた違和感は、そういうことだったのか」
『君にだけはばれるんじゃないかとひやひやしていたんだけれど、ね』
人を食ったような笑みを浮かべるソートに対して、レスターは吐き捨てるように告げた。
「タクトの偽者が、そんな顔を浮かべるな」
『偽者だと気がつけなかった君が言う台詞かな』
ちっと、舌を打つ。不意に、疑問が浮かび上がってきた。
・・
「前にあれと遭遇した時、生命反応が二人分あったが、どういうことだ」
『僕が言えるのは、その時僕はエウリュアレに乗っていなかった。それだけさ』
嘘ではなさそうだ。事実を言う気もないらしい。まあ、いい。誰がエウリュアレに乗っていようと、関係ない。その時ソートがエウリュアレに乗っていなかったことが確認できれば、それだけでよかった。誰が乗っていても関係がないからだ。少なくとも、レスターにとっては。
『そろそろ、来る頃かな』
「何?」
「新たな反応を確認!……っ!? そんな、筈…」
ココの様子がおかしい。どうした、とレスターが問いかけると、
「これは…!!エウリュアレです!」
「…!!」
ありえない。トランスバール軍の誰もがそう考えた。有り得るはずがなかった。確かにシャープシューターが放ったフェイタルアローは、エウリュアレを貫いたはずだ。―――良く考えれば、分かりそうなものだと言うのに。フェイタルアローに当てられた瞬間、エウリュアレはただ紅い光に包まれ、消えただけ。四散したわけではない、ということが。
しかも、今度は艦隊でやってきた。エウリュアレと同型の艦が八隻。一個小隊が二つといったところか。その全てがエウリュアレと同等の能力を持つとすれば……今のトランスバール軍では、勝ち目がない。たかだか八隻の艦隊が、百隻から成るトランスバール皇国軍第一方面軍防衛艦隊を、圧倒すると言う馬鹿げた現実。
また、同時に五つの大型戦闘機の姿も確認された。しかも、この識別信号は、過去に記録されているものと一致していた。
「ダークエンジェルだと!?」
「生命反応、確認しました!」
無人機ではない。では、誰かが乗っているということか。まさか、という思いがエンジェル隊全員に走る。
そう、そんなはずはない。確かに、彼らは自らの手で、倒した、筈だった。
だというのに、どうして―――
『久しぶりだね。マイハニー。今まで生きていてくれたことを、嬉しく思うよ』
―――彼らは、生きているのだ。
『何で、何で!? どうして、生きているんですか!!確かに、あなたたちを倒したはずなのに!!』
『忘れてもらっては困るよ。マイハニー? 僕達はヘル・ハウンズ。地獄の番犬さ。その名を持つ以上、僕達はそう易々と死んではやらないよ』
それに、とカミュ・O・ラフロイグは続ける。
『僕達の盟主も、同様にね』
ヘル・ハウンズたちの盟主。それが誰なのかを理解した瞬間、レスターは立ち上がりながら叫んだ。
「馬鹿な!!廃太子が生きているはずがない!!」
『いいや。私は確かにこうして生きている』
新たにモニターが立ち上がり、その姿が映し出された。鮮やかな金色の髪と、長い放浪で焼け付いてしまったらしい褐色の肌、そしてその身を飾る紫のマントは、在りし日の彼の姿を彷彿とさせた。
それも当然である。何故ならば本人だからだ。
『その表情は、信じられないといわんばかりだな。レスター・クールダラスと言ったか』
「………エオニア・トランスバール」
『いや。トランスバールの名は捨てた。どうも私はトランスバールの名を関するのに相応しくなかったようでな。今の私はただのエオニアだ』
同時に、白き月の通信システムからエルシオールを介して、エオニアが乗っている艦『スバル』に接続された。
『見たところ。紋章機の動きが止まってしまったみたいだね』
『……あんた、何が目的なの』
ぎりっと、拳を握り締めながら、ノアは尋ねる。これ異常ないというほどに、苛烈な視線を受けながら、ソートは告げた。
『僕達の目的は取引だ』
『……そう』
『ダークライトとハーベスター。二つを渡してもらおうか』
認められるはずがない。紋章機をただで渡すことが出来るはずがない。しかし……
『…断れば、どうするつもりなのかしら?』
その返答に満足そうにソートは頷き、再度指をぱちん、とこ気味良く鳴らした。
同時に、ヘル・ハウンズはダーク・エンジェルを動かし、エンジェル隊に攻撃を加え始めた。
それは、あまりにも一方的な戦いになった。
エンジェル隊は、いま初めてヘル・ハウンズ隊と遭遇したちとせを除き、ほぼ全員が動揺していた。いや、ちとせも動揺するにはしていたが、その度合いが違うと言うだけだ。
『どうしたんだい、マイハニー!? 手ごたえがなさ過ぎるよ!』
「動いて、動いてよ、ラッキースター!!」
必死に操縦桿を動かしても、その動きは通常の半分以下にもならなかった。多少は動いてくれるが、それだけだった。かろうじて急所に当てないように動かすのが精一杯であり、ミルフィーユが持つ強運ゆえか、敵の攻撃の大半は不発に終わっていたが、当たっている攻撃が問題だった。
確実にラッキースターの武装だけにダメージを与えていくのである。普段と比べれば亀のごとき機動性しか持たないラッキースターは、カミュ・O・ラフロイグにとってはただの的に過ぎなかった。
だから、手を抜いているのである。
こんな形で、ミルフィーユ・桜葉と決着を付けたいわけではない。そう、彼女とだけは、互いのしのぎを削りあうような互角の戦いを以って、倒したいのである。それはカミュにとっての、誰にも犯すことの出来ない至高の願いであり、同時に目的だった。
もちろんその至高の戦いの果てに倒されるのであればよしである。どうせ、倒すにしろ倒されるにしろ、彼女との戦い以上に心が躍る戦いなどありはしない。
好都合なことに、今回与えられた指令は一つだった。
『武装を使えなくするだけでいい』と。
だから、ラッキースターに致命的なダメージを与えないように、その武装を的確に攻撃していく。造作もないことだった。
『全く、つまらないね!…人を大勢僕達は殺してきたんだ!そんな僕たちを放っておけば、もっと多くの人が死んでいくと言うことが、何故分からない!!』
それでも、カミュは叫んだ。ミルフィーユ・桜葉の取り乱した、醜い姿など、見たくもない。しっかりとした意志を持ってこちらを睨み据える。カミュが知る限りでもっとも美しい姿だ。笑顔を見てみたいような気もするが、彼女たちに対して敵対行為しかしてこなかった自分に、そのような姿が見れるなどとは思っていない。
だから、凛々しい彼女の姿を、この目に再度焼き付けたいだけである。
「……それは、私にあなたをもう一度、殺せと言うことですか」
『……そういう意味で、口にしたわけじゃないんだけれどね』
帰ってきた返答と、モニタに映し出された表情とに軽い失望を覚え、カミュはラッキースターが航行不能となる一撃を加えた。
ランファとギネス・スタウトの戦いはあっさりと終了していた。
元々防御力が低いカンフーファイターである。容易く航行不能の打撃を与えられてしまった。
その事実に悔しい思いをしながら、勝ち誇っているだろうギネスの姿を想像して、ギネスを睨みつける。
だが、ギネスはただ、詰まらないという表情を浮かべていた。それは、あまりにも、予想外のことだった。
「…この程度じゃないだろう、お前は」
『…あんたに、あたしの何が分かるっていうのよ』
『少なくとも、いまのお前を、強敵(とも)と呼ぶことなんて、俺には出来ないことだけは確かだぜ』
「そう。結構なことだわ。あんたのそれ、うっとうしかったから清々したわ」
『…弱い奴を、強敵(とも)なんて呼ぶこと、俺は一度もなかったんだがな。拍子抜けだぜ』
かちん、と頭にきた。が、同時に通信はふっつりと切れていた。
「……言って、くれるじゃない」
ふつふつと、ギネスに対する怒りがわいて出てくる。お前は弱い。期待はずれだ。そういわれたことに、我慢できる性格をしていない。
女だからと、ただそれだけで見下す輩を見返すために、武術の腕を磨き上げてきたし、紋章気乗りとしての腕前も上げてきたつもりだ。
ヴァル・ファスクを倒して多少気が抜けていたかもしれないが、弱くなったなといわれて、我慢できるはずもない。
「今度会った時は、見ていなさいよ」
私を、ここで見逃したこと、絶対に後悔させてやると。ランファは、心の裡でギネスに向かって叫んだ。
期待はずれだ。あれから三年と少し。少しは強くなったかと思ってみれば、逆に弱くなっていた。
まさか、倒したはずの相手が生きていた、なんていう詰まらない理由で動揺し、弱くなるとは思いもしなかったのである。
これでもヘル・ハウンズと言う名前の傭兵に長くいるのである。宇宙での戦いでの敗北が死を意味するのは知れ渡っていることだが、どういうわけか知らないが、主に海賊と言う連中の中には悪運がやたらと強い人物もいるらしく、なんどか対峙したことがある。
最終的には、確実に死んだことを見届けたが……だから、ギネスにとっては、死んだと思っていた相手が生きていたなどということは、大した出来事ではないのである。
自分の価値観と同じ価値観を他人が有している、などということは有り得ないということを考えもしていないがゆえに。
失望して背を向けたが、不意に背後から凄まじい気を感じ取った。
通信をつなげるような真似はしなかったが、ギネスは不意に笑みを浮かべ、叫んだ。
「次を楽しみにしているからなあああ!!強敵(とも)よおおおおおおおお!!」
次こそは、ランファという強敵と、心が躍る戦いが出来るという予感を感じたが故に。
フライヤーユニットが的確に撃ち落とされていく。予想外の方角からの攻撃を防ぐためか。確かに、副砲は装備されているものの、トリックマスターのそれは、リセルヴァ・キアンティの操るダークエンジェルに当たりはしない。
それよりも、問題は、トリックマスターのエネルギーさえもてば実質無限に攻撃を放つことが出来るフライヤーユニットが、撃ち落とされていると言うことだ。ユニットの数に限界があるが故に。
それよりも、問題はどうして相手に思考を―――否、二手先も三手先も読まれてしまっているのか。
簡単な話だろう、と冷静なミント・ブラマンシュは告げる。あなたが動揺を隠し切れていないから、その動きがフライヤーユニットに如実に現れているのよ、と。
なるほど。それは正しかった。自己分析の結果としてこれ以上に的確な事実は存在しないだろう。
では、何故動揺しているのか。決まっている。殺したはずのリセルヴァが生きていたからだ。おかしな話だと思う。レゾム・メア・ゾムだとか言う倒したはずの人物が実際に生きていて、目の前に現れたときはそうならなかったというのに。
少なからぬ罪の意識があったと言うのか。それとも、リセルヴァを倒したと言う事実は、ミント・ブラマンシュの精神にそこまでも深手を負わせたというのか。
いや、違う。人としての死を迎えることが出来なかった彼を悼んだ結果、知らずに心に深く刻み付けてしまっていただけだろう。
だから、心が痛いのだ。
『三年と四ヶ月、遊んでいたわけではないだろう』
「あら、よくそこまで覚えていらっしゃいますわね」
『僕がいいたい事は一つだけだ。…失望させてくれるな、ブラマンシュのお嬢様』
この僕を一度は倒したのだから、死にぞこないなどに心を乱されたお前の姿など見たくないと、そういっているように感じ取れた。
死に損ねた。なるほど、確かにその通りかもしれなかった。
『あなたの希望に応える義理も義務もありませんわ』
『……責任を放棄するか。これだから、成り上がりは嫌いだよ』
「没落しても尚無様に誇りを持ち続ける方に言われたくはありませんわ」
『―――君には、貴族として生まれた人間が背負わなければならない義務は理解できないだろうね』
義務、とリセルヴァは口にした。今の今まで、ミントはリセルヴァのことを何処にでもいる、民衆を家畜と見下す腐った貴族だとばかり考えていた。
口では相手を誉めそやしておきながら、内心で口汚く罵り、姦計をめぐらせる彼らの姿しか知らない。
だから、考えたこともなかった。貴族として生まれた人間が背負わなければならない義務、とは一体何か。
『それに、誇りを忘れた豚どもと一緒にされるのは不愉快だ』
どうやら、リセルヴァも『腐った貴族』のことを毛嫌いしているらしい。思わぬところで同意を得ることが出来たが、口に出す事はしなかった。
「…そうですか」
だから、そうとだけ答えた。これ以上語り合うことはなかった。既にフライヤーユニットは打ち止めだ。まだ数はあるが、今の精神状態では無駄に撃ち落とされるだけだ。
『ふん。今回は不意打ちだったからな。今度は正面からお前を叩き潰してやる』
「後半の言葉を、そっくりお返しさせていただきますわ」
『出来るなら、そうしてくれ』
眉をひそめたが、ともかくこれでリセルヴァは後退していった。さて。絶好の機会で倒さずに引き返したのは、一体どのような意図の下なのだろうか。
白き月に繋がっているモニタ映像に映し出されているソート・ハイアスの映像からは、はかり知る事は出来なかった。
「……それにしても、一体どういうことですの?」
テレパスである自分を芝居で騙すことなど不可能だ。確かに、彼らはタクト・マイヤーズとヴァニラ・H《アッシュ》だったはずだ。
少し考えてみる。
「……まさか、そんな」
ほどなくして至った結論に、ミントは愕然とする。
「タクトさん、あなたは……」
そして、同時にヴァニラの意図も、おぼろげながら理解した。
「………今度の敵は、あなた方がそうしなければならないほどの……」
『さすがにやるな』
「あんたもいい加減しつこいねえ!!」
二人は撃ち合っていた。文字通り、撃ち合っていた。互いが向き合い、弾をひたすら撃っていく。フォルテとレッド・アイは、全力で撃ちあっていた。
好敵手と呼んでも差し支えない相手が、その瞳を輝かせながらその爪と牙を研ぎ澄ませてきたのだ。全力で相手をしないでどうするというのか。
動揺がなかったわけではないが、まあ、そんなこともあるだろうと自己暗示に近い形で納得させた。
エンジェル隊の中にあって、もっともドライな一面を持つ彼女ならではの自己制御法だ。
死んだと思っていた仲間が敵になって現れたときの驚愕を思えば、そう大した衝撃ではない。初めから敵視していたのだから、今更現れたところでさしたる感慨も抱かない。
「そんなに未練たらたらだから、閻魔大王に追い返されたんじゃないのかい!!」
『かもしれん。貴様との決着は、不本意な形でついてしまったからな…』
ダークエンジェル、否、黒き月のテクノロジー。有機生命体、つまり人をも機械の歯車となし、人がもつ潜在能力を無理やりに引き出し、反応速度を極限まで高めた黒い紋章機。それは同時に、人の意志を奪うものだった。
故に、彼らは死んだ。肉体は生きていても、意志がない。心がない。
「ああ、あたしの記憶にもまだそれは鮮明な記憶だね。それで、どうやって生き延びたんだい!?」
『答える義務はない。…知りたければ、俺を倒して聞け』
「そうしたいのは山々なんだけどね……生憎、もう弾切れだよ」
『……そうか。…貴様とは、万全な時にもう一度戦おう』
「見逃すってのかい? 勝利は拾える時に拾うのが、傭兵のやり方だろう?」
『生憎。今の俺たちは、傭兵ではなくてな。命令に逆らえん』
ふむ、と頷く。
「見逃したこと、後悔することになるよ」
『面白い。させてみろ』
レッド・アイはそのまま立ち去っていく。
とりあえず、エルシオールに戻ろう。そうしようとしたその瞬間、シャープシューターとつなげていた回線から、ちとせの悲痛な声が聞こえてきた。
『どうして、何故あなたがそちら側についているんですか!!』
「…ちとせ?」
すぐさまトリックマスターとレーダーをリンクし、情報を手に入れる。レーダーの中心がハッピートリガーになるように自動的に補正され、同時にエルシオールのカメラから映し出されている映像を入手した。
シャープシューターは、反撃をすることなく、ただ一方的に撃たれているだけだった。
状況は最悪だった。ラッキースターとカンフーファイターは航行不能。トリックマスターとハッピートリガーは航行不能になりはしなかったものの、その武装を使えなくされた。
そして、シャープシューターは、そのパイロットの烏丸ちとせは、戦意を喪失し、ただの一度も反撃をしなかった。
「それで、どうする?」
「……………これ以上の手出しはしないことを誓いなさい」
「誓いは出来ないよ。約束ならできるけれどね」
「なら、彼女たちに手出しをしないことを約束しなさい」
「承諾と受け取るよ。…約束しよう。今回は、もう彼女たちに手出しをしない」
そうして、ソートとファリアは、ダークライトとハーベスターを受け取り、立ち去っていった。
「それで、何を見たんだい?ちとせ」
「………言えません」
フォルテが問いただすが、ちとせはただ硬く口を結ぶだけで、その言葉を繰り返すだけだった。
「ミント」
「出来ません。……分かりましたけれど、これはちとせさんの口から聞くしかありません」
びくりと体を震わせたが、ミントはどうやら教える気はないようだった。ミルフィーユ・桜葉はすっかり落ち込んで自室に入ったままだし、ランファは機体の点検もそこそこにそのままトレーニングルームに直行していた。
今白き月の作戦室にいるのは、レスターとノア。フォルテとちとせ。ミント。そして、トランスバール皇国の大宰相であるルフト・ヴァイツェン。最後に、トランスバール皇国最初の女皇、シヴァ・トランスバールであった。
「クールダラス。烏丸は情緒不安定にあるようだ。…時を改めて問いただしたほうがよいと思うが?」
「了解しました。…烏丸中尉、退室しろ」
「…了解しました」
そのまま、顔を俯かせたままで、ちとせは立ち去っていく。
「…何があったんだ?」
「交信記録は残っていないのかい?」
「…残っていれば、こんなふうに尋問する場所を整えたりはしない」
「……そうかい」
つまり、何が起きたのかは、ちとせ以外分からないと言うことだ。どうやら交信記録を全て抹消したらしい。
「今はデータの復旧中だが…どうなるか分からんな」
目下データの復旧中だが、完全に元に戻るのかは分からない。だが、復旧作業は白き月のコンピュータならばすぐにでも完了するだろう。
もし復旧できなければ、ちとせから聞き出す必要があるかもしれなかったが……。
「それで、どうするんだい?」
「…今のままじゃトランスバールに目はない。トランスバール軍全体の力を底上げしないと、太刀打ちできそうにない。…エウリュアレのシールドがなんなのかは、分かった。その対策も大体頭の中に出来ているけど、まだ具体化していない。…それに、紋章機をもって言ったという事は、紋章機を解析して量産するのが目的なのかもしれないしね」
「解析できるかできないかは、この際問題ではなかろう。…最悪の事態をこれ以上起こすわけにもいかんからな」
ルフトが補足説明するように告げたあと、ふう、とシヴァは溜息をついた。
「…EDENに協力を請おう。これは、トランスバールのみの問題ではない。EDEN全体の問題だ。…クールダラスよ。そなたに指令を与える」
「はっ」
「ムーンエンジェル隊のケアを頼む。…今のままの彼女たちでは、使い物にならない」
それを、一体どのような思いで口にしたのか。タクトとヴァニラの事もあり、それを耳にしながら尚シヴァは毅然としていたが、一体その毅然とした表情の下に、どのような思いが渦巻いていたのだろうか。
「拝命、承りました」
「……さて。いくぞ。ルフト。問題は山のように積み重なっている。全く、余計なことをしてくれたものだな。ザン・トゥスとやらは」
そして、マイヤーズとH《アッシュ》は、と。口調こそしっかりしていたが、声を震わせながらシヴァは口にした。