夏の終わりと少年と少女
第1話
「恐れる少女」
夏の終わり、穏やかな風が流れていた。
遠くの方で大きな入道雲が千切れていた。
僕はクジラルームの植物園の入り口に美しく咲く、宇宙ハイビスカスのハイリに水を遣っている。
「ふふ、いつも綺麗だなぁ、ハイリは」
ハイリは水を受け止め、眩しい太陽にかざし、キラキラと光らせていた。
残り少ない夏の日を目一杯楽しむように。
花に水を遣って必要なところは肥料を蒔いて、動物達にもエサをあげて……いつものようにクジラルームでの時間は過ぎていった。
精密に作られた天候シミュレーターが、美しく西の空を朱に染めていく。
ふと海岸を見ると水色の髪と、愛らしい耳が特徴の少女―――ミント・ブラマンシュが海に向かって何かを呟いている。
どうやら宇宙クジラと話をしているようだ。
彼女も宇宙クジラと話すことができる。彼女は宇宙クジラの心を読み取ることができるし、宇宙クジラは人語を解しているのでちゃんと会話が成立する。
僕の宇宙クジラと会話できる能力も同じ。検査によると、ブラマンシュ家の人間のように色んな周波数の思念波は感じられないが、宇宙クジラの思念波だけは感じられる、いわば宇宙クジラ限定のテレパスなんだとか。
ひとしきり話が終わったところで、彼女はいつも暗い表情で深い溜め息を吐く。ここしばらくはずっとそうだった。彼女は恐れている。「その日」がくる事を。
ヴァル・ファスクとの戦いが終わった以上、軍縮なんて目に見えていたことだし、それに乗っかってブラマンシュ財閥も彼女を引き戻そうと躍起になっているに違いない。つまりその日とは彼女がエンジェル隊から出て行かなければならない日だ。
今までも幾度か抗議があったらしいけれど、目の前に最大の脅威がいる所で最大戦力を手放せ、という事は余りにも無理な相談だった。向こうも、もちろんそれを承知で抗議してくる。今、この戦いが終わった後の為に言い訳の弾数でも減らしてやろうとしているのだろう。
マイヤーズ司令とクールダラス副司令もその意図に感付きながらも、どうしようもなくて、言い分けの弾を減らして避けて来た。
「こういうの、得意じゃないんだけどなあ」
向こうの部下をなんとかやり込めた後、そう言って苦笑する彼らの奥にある疲弊した心は、この世の汚さをたっぷり浴びせられていた。
僕が歩み寄って「こんにちは」というと、先ほどの不安で堪らなそうな顔はどこへやら、飛び切りの作り笑顔で「こんにちは」と返事をする。
静かな波音と涼しくなった風が僕達を掠めていった。
しばらくどちらが喋るともなく夕陽を眺めていた。いよいよ眩しさのない太陽が水平線に姿を隠しだした頃、僕が尋ねる。
「……テレパスは辛いですか?」
しかし、彼女はいつものように――――
「辛くないと、お思いですの?」
――――はぐらかさなかった。
初めて明確な答え(答えどころか質問に質問が返ってきただけなんだけど、僕は勝手にYESと解釈した)が返ってきた気がした。
いつもは「さあ、どうでしょう」と鉄壁の盾ではぐらかす彼女。大分思い悩んでいるのだろうか。
「そうですね。僕はエルシオールに居る限り―――結構捨てたものでもないと思いますよ」
「そう、ですわね…」
僕は気付いていた。彼女はやっぱり恐れている。
そして彼女も気付かれている事に気付いている。
そう言う暗黙の了解の下、この会話は成立していた。
「…さて、私、そろそろ失礼致しますわ」
彼女は会釈をすると、出口に向かって歩き出した。
「あの、ミントさん…」
その後姿が今にも潰れてしまいそうに感じて、思わず呼びかけてしまった。
彼女が振り返る。僕が我に帰る。
「……あまり、思いつめないで下さいね」
少女は微笑んで、再び背を向けた。その笑顔が作り物ではない事が嬉しかった。
再び水平線に目を向けたけど、太陽の姿はもう無かった。代わりに映る空は、鈍い漆黒を立ち込めだしていた。
「あ、そうだ」
閉じてしまったハイリの花弁を見ながら、僕が呟いた。
「宇宙鹿にエサをあげないと」
僕はクロミエ・クワルク。15歳。
宇宙クジラと会話できる能力を買われて、エルシオールのクジラルーム管理人を任されている。
いつものように。
いつものように。
そう過ごしてきた僕の生活は、この日を境に、思いがけない方向に向かい出す。
林檎が萎びるように。細胞が生まれかわるように。
少しずつ、少しずつ。
僕の人生が変わって行く。