今日ほど、無意識の存在を感じた日はない。

今日ほど、恥ずかしかった日はない。

 

今日ほど、タクトの気持ちを汲むことが出来た日は無い。

 

レスターの日記より。

 

 

夏の終わりと少年と少女

 

 

第3話

「自覚」

 

 

 

モニターは淡々と作業の結果をつづっている。

こちらの大ハプニングなど気にも留めずに。

 

「え〜〜〜〜〜〜〜〜!!!?」

ココの驚愕による叫びが先刻のアルモの悲鳴以来にブリッジを賑わせた。

普段は鋭く人を睨んでいるような隻眼も、ただ皿となるばかり。

それでもやはり機械は黙々と作業を続けるのだった。

 

「何でそんな事が言えるんだ」

青年は全く腑に落ちない様子で少女に問い掛けた。

それでも、少女は微笑んだままだった。

微笑んだまま、こう答えた。

「昔の貴方にでも聞いてみてくださいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の昔。学生時代。

一部の妬んだ男子が「女嫌い」と後ろ指差すほど、彼はことごとく女性からの誘い及び告白を断っていた。

まさに、

 

「付き合ってください!」

「スマン。無理だ」

 

一撃である。それでも犠牲者が後を断たなかったのは、彼の余りにも整った外見と、そこはかとなく有する「何か」を感じていたに他ならない。

実際、彼は何事も冷静にこなしていたが、譲れない事は徹底的に行動していた。

いつも白けた顔をしながらタクトに信念を語った。

しかしタクトのような、およそ信念とは無縁の青年とも付き合いがあった事はエルシオールの中で不思議がられているが、事実である。腐れ縁なんて言葉で説明するが、腐ってぼろぼろな縁を断ち切ろうとしなかったのも、やはりまた事実である。それはどこかでタクトに「何か」を感じていたのだろう。

 

 

そんなレスターは、女性に惚れた事など一度もなかった。

何故か。単に面倒くさかったのだ。しかし本当に面倒くささが先立って、今まで恋をしなかった事は、一種の異常とも呼べるだろう。

 

 

「分からん。昔も今も余り変わった覚えなど無いぞ」

もちろん客観的な考えは余り得意ではなかった。冷静沈着さがあるにも関わらず、主観的な面も同居している。これがレスター・クールダラスという人物だった。

 

「仕方ありませんわねぇ...」

呆れた溜め息一つ。

微笑み一つ。

質問一つ。

 

「でしたら副司令、どうして貴方は戸惑っているのです?」

 

狐につままれた表情のまま、彼は返す言葉を探してみたが見当たらなかった。それもそのはず、適する理由が今までの彼の人生経験の中にはどこにも無かったのだから。

少女は続けた。

 

「……昔の貴方ならキッパリ拒否したはずですわね?」

 

「……」

 

沈黙に伏しながらも、何となく分かったような気がした。

不本意とは言え彼女の告白を受けて、水面下に潜んでいた想いが「戸惑い」と言う形でやっと姿を現したのだ。なんとも虚を突かれた気分だった。意識的な思いより先に踏み出してくる無意識的な思いの存在を感じた。

 

「貴方は間違いなく彼女に好感を持っていますわ。……とはいっても、その想いは酷く淡いものですわね。自覚すらなかったのですから」

しかし、知ってしまった。淡くても、確実に存在する自分の想いを。

そして、彼女の想いを。

 

確かに初めてだっただろう。これほど心許せた女性は。

 

 

 

 

 

カタカタとキーボードを叩く音だけが鼓膜を揺さぶっていた。

シュゥ――――――――

「副司令……まだ起きているんですか? もう皆寝ていますよ」

「皆ではないだろう。少なくともお前は起きている」

新鮮な肉声にも画面を向いたまま無愛想に返答する。振り向かずにキーボードだけを動かす彼の後姿には鬼気迫るものがあった。


「とにかく休んでください。もう数日間ほとんど寝てないんじゃないですか?」

「不思議なものだな。眠くないんだ。いいからお前は寝ろ」

新たなモニターが次々と現れる。彼がキーボードを叩くたびにそれが次々と姿を消していく。

 

ダン!

 

「………」

 

「…いいかげんに」

彼女は感情の昂ぶりを抑える事ができなくなっていた。叩かれたデスクの上の何本かの空き瓶が少し浮いて倒れた。

「いいかげんにして下さい! このままでは体を壊しますよ! 何が眠くないんですか! 無理に脳を覚醒させる薬まで飲んで!」

コロコロと机の端へ転がり行く空き瓶をレスターが無造作に止める。ラベルには「眠気スッキリ」と愛らしい文句が記されていた。

振り返った青年の顔。なんと言う様だろうか。やつれて疲弊した顔の目には隈が。

どこの女性が今の彼の姿だけを見て告白など考えようか。

 

「………止めないでくれ……」

その声は余りに小さくて聞こえなかったが、切実たる思いでの発言だということは一目でわかった。

「……止めないでくれ……」

もう一度彼が言った。少し大きな声で。

 

「俺には、こんな事しか出来ないんだ…これくらい、やらせてくれ……」

声が震えていた。

 

 

歯軋りが聞こえた。

 

 

 

 

「こいつにかけましょう! 俺の最高の親友であるこいつに!」

「……ありがとう、レスター」

 

 

「行って来る。後は頼んだよ、レスター」

「ちょっと待て、お前、まさか……?」

 

 

―――――――――カァッ!

 

大いなる災厄を包み込みながら、銀河で最も美しい色を放ち、親友とその恋人は漆黒に消えた。

 

 

レスターが膝を着いたのは、光が完全に消え去った後だった。

 

 

 

 

「俺に何が出来る! あいつほど指揮も上手く執れない、あいつほどエンジェル隊のテンションを上げる事も出来ない俺が!」

眼帯から涙が溢れてくる。彼は、それを拭う事無く、子供が喚き散らすように叫びつづけた。

「あいつらを一刻も早く救い出す事しか出来ないんだ! そんな事くらい出来なくて何が最高の親友だ!」

 

彼がノアに任された異次元空間特定の情報整理と位置特定。一見、皇国の執務専門の役人に任せたほうが早いのではと思われるが、皮肉にもエルシオールで今まで彼がタクトの自由時間確保の為に請け負った雑務をこなして、培った仕事のノウハウは、既に彼の執務能力を皇国でも指折りの腕にさせていた。更に本人の強い要望もあった結果、専門知識を要する事のない範囲だけを彼に任せることとなっていた。とはいっても、その量は膨大で、少しの時間では出来るわけが無い。

 

「だからって、少しくらい休んでもいいんじゃないですか! ノアさんが言っていたでしょう!? 向こうは時間が止まっているから、空腹にもならないし、歳もとらないって! 早く助けるに越した事はないですけど、そこまで副司令がボロボロになるまで急がなくてもいいじゃないですか!」

何故だか、彼女も涙を溢していた。これがあのレスター・クールダラスなのか。それくらい、今の彼には覇気がなかった。何だか見るにも耐えられず涙がこぼれる。

 

違う。私の好きな彼は―――――――

 

彼女の涙をみて、幾分落ち着いてきたレスターは、こともなげにこう言った。

 

「知っているか、人間って言うのはな、密室に閉じ込められて何も代わり映えしない環境でいると、その内発狂するんだ。確かに時間が掛かっても死にはしないかもしれない。けれど、その前にあいつらの精神が壊れちまうかもしれないんだ。その前に……!」

彼はそう言うと、デスクに向き直った。まだ、終わりは程遠い。だが、彼はやめない。それが、彼の親友を名乗るための義務なんだといわんばかりに。

 

対する彼女のボルテージは限界だった。

「…………バカッ!!!」

 

頬をはたく、乾いた音がブリッジに響いた。

怯むことなく鋭く睨みあげた彼のまなかいには、ただ、一人の少女が、涙を流して愛する男を案じている姿があるだけだった。

「今なんて言ったか分かります!? 密室でずっと同じ環境でいると発狂する!? まさに今の副司令が発狂するに最も近い状態じゃないですか! 寝ずにずっとデスクに向かって、ほとんど何も食べないで! しかもそんな、やつれた顔でマイヤーズ司令を迎えるつもりですか!? マ、マイヤーズ司令がそんな姿をみ、見てどんな顔するか分かってるんですか…!? 冗談じゃ、っく、冗談じゃ・・ひっ、ない……っです……!」

しゃくりあげが邪魔をして言葉が紡ぎ出せない。彼女はとうとうへたり込んで、声をあげて泣いてしまった。

 

自分は何をやってるんだ。レスターは思った。

 

客観的な見方は苦手だ。ヴァル・ファスクの再来時もそうだった。

ヘラヘラしているタクトに憤って、

「悪いな、俺はお前ほど図太い神経は持っていないんだ」

なんて口に出したが、

「俺だって結構ビビッてるんだけどね。ほら、両手なんて冷や汗でビッショリだろ?」

ひょっとしたら、彼が一番怯えていたのかもしれない。悪夢の後に、似た光景が現実に広がったというのに。

 

 

今度はこのザマだ。親友である彼は、この戦いで大きく変わったのに、自分は何も変わっていない。

挙句、自分を案じてくれている少女を前に、子供みたいな態度で。

 

 

「……すまない。どうやら、俺が間違っていたみたいだ」

すすりあげ、泣く彼女の肩に、手を置いた。

彼女のすすり泣きは続いた。

 

「…頼みたいことがあるんだが…」

 

面を上げた少女の顔は、紅潮して、目もにわかに充血していた。彼の顔も、僅かに紅潮して、充血していた。

 

「…近くで何か飲み物を買ってきてくれないか。何か飲んで、寝たい気分だ」

 

「は、はい! すぐに買ってきます!」

 

元気を取り戻して、立ち上がった彼女は、花のような笑顔を見せた。花といっても、バラのような美しさではない。何気なく道に咲く春紫苑のような美しさ。

 

 

「アルモ」

 

ブリッジを出て行くアルモを呼び止めて、微笑みと共にこう言った。

「…ありがとう」

 

少女は顔を真っ赤にして、残りの涙を払い、笑顔で応えた。

 

 

 

 

「……何か、とんでもない事しちゃったなあ……」

二つの清涼飲料水を抱えて、アルモは戻りの道を歩いていた。

「副司令を引っぱたいちゃったし、私も副司令も泣いちゃうし…」

自分の行動の大胆さを今更ながらに驚愕する。も、束の間。

「でも、あんな風に笑えるんだ、副司令……」

やつれていても、最後の彼の心からの微笑は、彼女をドキリとさせるものがあった。

 

そう。これが私の好きな―――――――

 

シュゥ――――――――

 

「副司令、買って来まし……?」

 

パソコンがシャットダウンされて、少し明るみを失ったブリッジの隅にベッドがある。タクトがレスターの為に購入したもので、特例で備品として置くことが許されている。そこに一人の男性が倒れこむようにして寝ていた。

死んだように、泥のように。彼はここ数日の内、初めて何のためらいも無く眠る事が出来ていたのだ。その寝顔が安らかで、無防備で、子供のようで。

アルモは何だか嬉しくなって、ベッドに付いている抽斗の中から、代えの毛布を一枚出して掛けてやった。

側に飲料水を置き、宿直者要らずのオートメーション管理システムを起動した。機械の仕事だけにいささか不安があるが、彼の安眠に代える事は出来ない。彼女はゆっくりブリッジを後にした。

 

 

彼の提出した資料は、目標の日を大きく塗り替え、ノアを驚愕させたのは言うまでも無い。

 

 

 

 

 

「……少し、行って来る」

 

青年はそう言ってブリッジを後にした。

 

「……まさか、副司令がアルモの事好きだったなんて未だに信じられません…」

ココが二人だけになったブリッジで呟いた。

「ええ、けど間違いありませんわ。それよりも、少し気がかりなのはアルモさんの方ですわね……」

「…? どういうことですか?」

合点のいかないココを尻目に、ミントは少し悩むような表情を見せると、クロノ・クリスタルのスイッチを入れた。

「…もしもし、…………」

 

 

 

 

――――クジラルーム

 

「ハァ、ハァ、ハァ! ………どうしよう……!!」

なんて事だろう。こんな形で告白が成立しようとは。

恥ずかしさと居心地の悪さに思わず飛び出してしまったが、今頃ブリッジはどうなっている事やら。向こうでのやり取りなど知る由も無く、彼女は何とか落ち着いてきた頭で事態の大きさを把握する。

 

「お、いたいた」

突然の声にビクッとして息を吐く為に曲げた腰を上げると、フォルテが歩み寄ってきた。

 

「あ、フォ、フォルテさん……」

 

「早速だけど、アンタに聞きたいことがある」

モノクルが太陽に反射して目元が見えないため、表情は分からなかったけれど、有無を言わせない態度だった。

「な、なんですか?」

 

彼女の影に、アルモが覆われる。

 

 

 

 

「アンタさあ、本当に副指令どのの事が好きなのかい?」