第四章「虚月七夜」

 

 

 

 

 

 

優しい月光を背に、一人の少女が振り返った。

長い、黒髪の優しげな少女。

少女は、少しだけ寂しげに微笑んでからお辞儀をした。

何も言わなかった。

けれど、何を言いたいかはわかっていた。

だから、こちらも何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、二人は少女と別れた。

 

 

 

空には、月が優しい月光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っっ!?」

声も出さずに、タクトは悪い汗をかきながら目を覚ました。

ひどく目覚めが悪い。

なんだというのだろうか、今の夢は。

少なくとも、今、起きることではないことは確かだ。

「・・・ん・・・・・・タクト、さん・・・?」

旅行船のシートに眠るちとせは、不思議そうに目を擦りながら身を起こそうとした。

「ごめんちとせ、起こしちゃったか。―――なんでもないから寝よう、な?」

「―――・・・?」

不思議に思いながらも、ちとせは眠気に逆らうことなく、再び目を閉じた。

「・・・ふぅ」

思わずため息をつく。

ちとせには、余計な心配はかけたくない。

これは、ここではない、いつかに、自分に降りかかる問題だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(・・・というかさ)

タクトは悶々としながら無防備で、なおかつ無邪気な寝顔を見せているちとせをチラチラと見ていた。

シートに座りながら毛布を被さり眠るちとせ。

時刻は決して夜ではない。むしろ、昼間と言える時間である。

が、少し疲れが出てしまったのか、ラクエーンを出発して、すぐにちとせは眠りについてしまったのだ。

仕方なく、タクトは毛布を借りて、ちとせに被せてあげたのだ。

 

―――――――――それが二時間前。

 

無邪気、というか可愛い寝顔を見せているちとせは、どうしようもなく可愛かった。

しいて言うならイタズラをしたい気分に近い。――――――無論、そんなことはしない。・・・つもりだ。

が、もはやこれは拷問とも言える時間に成りつつあった。

「・・・可愛いなぁ、ちとせ・・・」

まさに天使の寝顔。

ちとせの整った顔が、安らか寝顔になっているのがどれほどの破壊力を備えているかなど、説明するまでもない。

言うなれば、それは間違いなく「フェイタルアロー」である。

ストライクバーストやハイパーキャノンのような破壊力ではなく、男心をしっかり撃ち抜くフェイタルアローに他ならない。

「・・・・・・なんて例えをしてるんだ、俺・・・」

正直、もっとまともな例えはないものだろうか?

何故、恋人の寝顔を紋章機の必殺技に例えてしまうのか。

(・・・・・・職業病?)

都合のいい言い訳に聞こえるが、それより他ならない。

タクトは馬鹿馬鹿しい考えを振り払い、シートに大きくもたれかかった。

自分も少し眠気を感じる。やはり少し疲れているのだろうか?

タクトは最後にちとせの寝顔を見ながら、ゆっくりと瞼を閉じていった。

 

 

 

 

 

ちとせの母星に着くまで、あと数時間のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ、ここが・・・」

旅行船から降り、目の前に広がる景色に、タクトは言葉を詰まらせた。

緑の惑星とはよく言ったものだ。

整えられた町並み、華やかとまではいかないが落ち着きのある緑、まさに和の雰囲気を形にした風景といえる。

感動したように周りを見渡しているタクトを見て、ちとせは思わず微笑する。

「タクトさん、そろそろ行きませんか?」

「あ、そうだね。ごめん、つい夢中になってさ」

「いえ、私も嬉しいです。私の母星をタクトさんにそう思ってもらえて」

振り返りながら微笑むちとせ。

大きく靡いた髪に、思わず見とれる。

(・・・ああ、そっか)

漠然と、タクトは理解する。

この景色に見とれていたのは、景色がいいだけではない。そこにちとせの姿を映していたからだ。

微笑んでいるちとせの手を、タクトはそっと握った。

「あ・・・」

「・・・行こう、ちとせ。案内よろしく」

「は、はい!こっちです、タクトさん!」

頬をほんのり朱に染め、ちとせが笑ってくれる。

だから、当然のように自分も笑みを返した。

自分の頬が赤くなっているように感じるのは、多分夕日のせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、一時間程歩くと、立派な瓦屋根を持つ家に着いた。

表札に書かれている名前は『烏丸』。

予想はしていたが、ここがちとせの実家ということだ。

「・・・ここ?」

「はい。私の・・・実家です。」

話しかけても、ちとせはどことなくぼんやりしているように感じる。

まぁ、久しぶりに帰って来た家なのだ。そうなってしまうのも無理はない。

やがて、タクトはちとせの後に続き、家(というか屋敷)の門をくぐった。

と、玄関からそれたところにある庭で、随分と若々しい女性が、箒で庭掃除をしていた。その服装はまごうこと無き着物であった。もしや、と思うより早く、ちとせはその女性に声をかけた。

「ただいま、母さま」

その女性はゆっくりと振り返ると、驚きもせずに優しく微笑んでくれた。

「おかえりなさい、ちとせ。それに・・・タクト・マイヤーズさん、ですね?」

(わ、若すぎないか・・・?)

ちとせと同じく、黒髪を肩元まで伸ばしており、どこか落ち着いた雰囲気をかもし出している。

そのあまりの風貌に、タクトはしばらく返事をすることを忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

「改めまして、初めまして、タクトさん。ちとせの母です」

「こ、こちらこそ。タクト・マイヤーズです・・・」

正座しながらの丁寧なお辞儀に、タクトも慌てて正座して返す。

庭で挨拶を交わした後、ちとせの家にお邪魔させてもらっているのだが、ちとせは家の奥にいったきり戻ってこず、タクトはいきなりちとせの家に放り出されてしまったようなものであった。

が、そこはタクト。緊張もそこそこに、固い表情を徐々に崩しつつあった。

「本当に・・・よく来てくださいました。休暇中、でしたのに・・・すみません」

「い、いえ!気にしないでください。おれ、えっと、自分だって一度来てみたかったですから」

「ふふ、気を使わなくてもいいんですよ」

まるで菩薩のような笑みに、タクトは言葉を失ってしまう。

言われたことも正しく、やはりどこか気を張っているのだろう。タクトは改めて、遠慮なく気を抜くことにした。

が、その一瞬の油断が命取り。直後の不意打ちにタクトは何も出来なかった。

「お待たせしました」

襖を開けてやってきたのは、母と同じく着物に着替えたちとせだった。

「!!」

白い生地に淡い水色が配色された着物。足元は紺色をしている。

シンプル極まりないのだが、この配色(特に白)はちとせに似合いすぎる。というか、少なからず巫女衣装に見えてならないのは気のせいだろうか?

(ふふふ・・・狙われてるのかこんちくしょう!!)

わかっていても視線はちとせに釘付けになる。

当然、ちとせもタクトの視線を受け、服装におかしなところがあるのかと勘違いし始めた。

「あらあらあら・・・」

そんな二人の心境などお見通しなのか、ちとせの母は和やかに微笑んだままだった。

 

 

 

ちとせの家に着いた時刻は夕暮れ。となれば必然的に夕食を御呼ばれすることになる。

メニューは決して豪華なものではなく、焼き魚、味噌汁、おひたしなど、普段と変わりない内容だった。無論、それはタクトをお客様として歓迎しつつも、壁を作らずに受け入れていることの表しであり、タクトもそれを理解していた。

 

 

 

そして、食後のお茶の時だった。

「そういえば、今日は泊まっていかれるんですよね?」

「はい。よろしければ、ですが」

「どうぞどうぞ。遠慮しないでくださいね」

本当にいいお母さんだな、と思う。

常に笑顔を絶やさなくて、その上、人を気遣うことを忘れない。

こんな人の娘なら、ちとせみたいな娘が生まれるのも納得だ。

「さて、ちとせは自分の部屋として・・・・・・タクトさん」

「はい?なんですか?」

「タクトさんのお布団も、ちとせの部屋に敷きましょうか?」

「―――っっっ!!!」

「―――っっ!?」

タクトとちとせ、二人同時に咳き込んだ。

「あらあら、息ピッタリね」

「い、いや!その、それはちょっと・・・」

「か、母さまっっっ!!!!」

「あらちとせ。大声を張り上げてみっともない」

「そういう問題ですかっっ」

顔を真っ赤にしながら全力で叫ぶちとせ。対して笑顔を崩さないちとせ母。

まさに鉄壁の笑みと言えよう。

「まあまあ、ほんの冗談ですよ」

「そ、そうですよね」

「・・・・・・ふぅ」

ため息をつくちとせ。見たままに振り回されてるなぁ。

というか、なんかちとせのお母さんのイメージが崩れてきたんだけど。

気持ちを落ち着かせるために、お茶を一口。うん、落ち着くし、この緑茶の渋みがおいしい。

ほう、と息つくと、ちとせのお母さんが再び動く。

「タクトさん。その、ちとせはどうですか?」

「へ?」

突発的な質問に、タクトは思わずちとせの母を凝視する。

「か、母さま!?」

「えっと、どうとは・・・どう?」

「いえ、きちんとお勤めしているのかと思いまして」

なんだかちとせの評価をするような席になってしまった。が、ちとせの母の顔は優しいものであり、決して叱ったりはしないと思う。・・・・・・多分。

「とても真面目ですよ。素直で礼儀正しくて、僕が助けられることもありますし」

「タ、タクトさん・・・」

「―――そうですか」

ほんの一瞬の躊躇。

そこに感じる違和感。

けれど、タクトはあえて気づかないフリをした。

「ああ、けれど」

ふと思ったこと。

――――――今思えば、何故それを口にしてしまったのだろう。

「え」

「はい?なんでしょうか?」

気のせいだろうか。ちとせのお母さんを中心として、部屋の温度が下がっているような・・・

視界の端で怯え出したちとせも気のせいだと信じたい。

「いえ、その・・・」

どうかしましたか?タクトさん?遠慮せずに言ってくださいませんか?

え!?字赤い!?

(うわぁぁぁぁぁっっっ)

ぞくッて、今ぞくってきた!!

ちとせのお母さんから放たれるおぞましき冷気。これが母のオーラとでもいうのだろうか。

ちらりとちとせを見ると、逃げ出したいのに逃げられない状態にあり、完全に怯えている。

ちとせがどういった教育を受けてきたかが垣間見えるなぁ・・・

「さあ、どうぞ」

あくまで笑顔のまま話すちとせのお母さん。

今では、その笑顔が怖すぎる。

「え、と・・・ちとせ、よく人ごみの中だと迷子になるなぁって・・・」

そう、どうしてかちとせは迷子になりやすい。かといって方向音痴なわけでもない。随分離れた場所にある建物を待ち合わせ場所に指定すると、ちとせは必ずやってくる。なのに、人ごみだと5メートル程離れるだけで迷子になってしまう。

ヴァニラ曰く、―――ちとせさんは、狙撃(遠距離)のスペシャリストですから・・・―――である。なんとも的をえた言葉だ。

というか、この話は本来笑い話なはずなのだが。いつからこんな張り詰めた緊張感に包まれているのだろうか。

「ああ、それですか。それには理由がありまして」

「えっ、あるんですか!?」

それは是非とも聞きたい。なんていうか、そういうネタの一つは握っておきたいのだ。

「か、母さま!!その話は・・・っっ!!」

「あら、そうでしたね。―――・・・で、ちとせ?ちょっといいかしら?

瞬間、羅刹のような表情に変貌するちとせ母。

「ひっ!?」

これはちとせでなくても怯えたくなる。ちなみに、タクトが無反応なのは、驚きで凍り付いているからだったりする。

「あらあら、親に向かって「ひっ」はないでしょう。これは久しぶりに・・・・・・フフフ」

あくまだ。あくまの微笑みだ。

普段は優しいお母さんなのに、スイッチが入るとこうなってしまうのか。

「あ、あぁぁぁぁぁ・・・・・・」

上品な笑顔のまま、ちとせの襟首をむんず、と掴み、奥の部屋へ引きずっていく。

無論、そこにちとせの抵抗は欠片もなかった。

「失礼、タクトさん。少しちとせをお借りしますね」

「あ、えっと・・・ど、どうぞ」

「あぅぅぅぅぅぅ〜〜〜タクトさん〜〜〜」

ちとせが本気で泣きながらこちらに助けを求めてくる。

だが許してくれ、ちとせ。ちとせのお母さん、本気で怖い。一体誰がこの人に逆らえようかっっ!!

やがて襖に遮られた部屋の奥へと引きずられていくちとせ。

 

 

 

―――それが、惨劇の始まりだった。

 

 

 

『あれほど言いましたのに!!どうして直そうとしないんですかっっ!!』

『ひみゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!!!!』

とてもちとせの声とは思えない悲鳴。

一体、襖の向こうで何が行われているのか。

それはあまりも怖くて、考えたくなかった。

『訓練で忙しかった?そんなことが言い訳になると思ってるんですかーっっっ!!!』

『うきゃぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!』

思わず助けに行きたくなるが、不覚にも足が震えて動けない。

というか、烏丸家の教育方針とは一体どういうものなのだろうか?

『あろうことか皇国の英雄と呼ばれる人の前で・・・・っっっ!!!』

『ひあっ、うあっ、ちょっ、ま、しぬっ、死んじゃいますっっっ!!!』

『今日という今日は許しませんっっ!!!!』

『たすけっ、たすけてぇっ!!』

「・・・・・・・・・・」

隣の部屋から飛んでくる悲鳴(もはや断末魔)と、ちとせ母の怒声。

そんな中、完全に逃避したタクトはふと思った。

「そういえば、結局どうしてちとせって近くだと迷子になるんだろうなぁ・・・」

お茶をすすりながら、のほほんと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて完全に悲鳴が止まった頃に、隣の部屋へ足を運んだ。

そこには、完全にボロ雑巾と化したちとせの姿があった。

ピクピク痙攣しながら意識を完全に失っている。

――――――タクトさん。すみませんが、この子の部屋までお願いできますか?――――――

無論、即答で頷いた。

ニコニコ微笑んでいるちとせのお母さん。

その笑顔の下には羅刹が潜んでいるのだと、あらためて理解した。

俺も、怒らせないように注意しよう。

 

 

 

「ちとせ、大丈夫?」

今だに痙攣しているちとせを背に、ちとせの部屋へと向かう。

まぁ、着物越しの胸の感触は気合と理性で気にしない。

「うぅ・・・久しぶりなので、堪えました・・・」

「あはは、楽しいお母さんだね」

「・・・はい」

そう、なんだかんだ言っても、ちとせは母親が好きだし、ちとせの母親もちとせを愛しているのだ。普段の会話から充分に読み取れる。

「・・・タクトさん」

「ん?」

窓から差し込む月光を受けながら、ちとせは背中越しに尋ねてきた。

耳に微かに感じられるちとせの息遣いが、少し頬を赤くした。

「私、幸せです」

「・・・うん」

「タクトさんが私の家に来てくれて、母さまと一緒に笑ってくれて、本当に幸せです」

「・・・うん」

「・・・だから、明日・・・」

「・・・ちとせ?」

徐々にちとせがうつらうつらと眠気に誘われている。息遣いも規則正しくなってきており、眠る一歩前といったところだ。

「・・・・・・と、う・・・さまの・・・は、か・・・・・・」

言って、ちとせは眠ってしまったようだ。

最後の言葉。

それは、ちとせが言ってくれた、一つの決別の意志。

彼女が忠告したことは、ちとせ自身が言ってくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タクトは、確信する気持ちで、空を見上げ、月を見た。

ハッキリとした月が、ゆっくりと霞んでくる。

それは、“彼女”が現れる、朧月の現象。

タクトは、ちとせを背負いながら、ベランダへ向かった。

 

 

 

 

 

――――――その想い  ため息にのせ   捨てた

      崩れた心の破片   漂い続ける

      そばに居て   遠い昨日の向こう側

             刻まれた印を

      見つめ合った一瞬は  きっと永遠で

             あなたのためなら  孤独奈落へと

      もしもいつか  見失っても

             いつまでも  たくさんの愛につつまれて

 

             月の揺りかご(クレイドルムーン)

 

 

 

 

 

再び、この月の夜が再現される。

頭に響き、胸に染み込んでくる詩が背中から流れてきた。

昨夜とは違い、少しずつ、歌詞が埋まっている。

この詩を歌う少女の声。

 

 

 

七月(ななつき)翔る、七夜(ななや)過ぎ去りし、儚き白夜(びゃくや)

 

 

 

挨拶じみた、理解できない言葉の配列。

背に乗るちとせを下ろす。

振り返り眼に映る、真紅の瞳と蒼穹の瞳。

けれど、今夜は少し様子が違っていた。

「・・・・・・」

いつまで経っても、彼女は話しかけてこなかった。

「・・・やあ」

耐え切れず、なんとも素っ気無い言葉をかける。

 

――――――なんで。

 

なんでだ。

なんで、そんな泣きそうな顔をするのだろう。

少なくとも、ちとせの顔で泣くのはやめてもらいたい。

「――――――あ・・・」

何かを言いかけて、彼女は黙り、いつもの表情に戻った。

「こんばんは、タクト。挨拶が遅れたわね」

「・・・別にいいけど」

ただ、タクトは解らなかった。

この少女は、一体何がしたいのだろう。

まだ会って三回目だが、悪い人ではない。それを見抜く洞察力は持っているつもりだ。

だからこそ、余計に。

気になった。

「・・・前に、俺たちが月に認められた人だって言ったよな」

「ええ、それが?」

「あれは、どういう意味だ?月といっても、白き月じゃないのはわかる。けれど、―――その、君は・・・」

「・・・やっぱり、無理だよね。都合、よすぎたか」

その寂しそうな眼。

それは、“君”という言葉に反応したのだと即座に理解した。

 

―――直後、不思議な感覚に襲われた。

知らないはずの記憶が、―――いや、タクト・マイヤーズの記憶としては正しい。

けれど、違う。これはおかしい。―――思い出すのではなく、引きずり出す。

今、この瞬間が異常なのか、それとも全てが異常なのか。

そもそも、異常と正常の境界線など、どこにあるというのか。

本来、タクトが知ることになるはずの記憶を、―――今のタクトが理解するなど

まるで、この場に時間の束縛がないかのように。

―――だから、わかった。この、少女の名は・・・

 

「か・・・ぐ、や」

「えっ」

「君の名前は・・・華狗夜(カグヤ)?」

ズバリ言い当たったのか、彼女、華狗夜は驚愕の眼を向ける。

「ど、どうして・・・?」

「・・・そんなの、俺が聞きたいくらいだ」

憮然として言い返す。華狗夜は、苦笑した。

「そうね。あなたにわかるはずないもの」

少しムッとしたが、事実極まりないので何も言わないでおいた。

「・・・綺麗な月」

スッと空を見上げ、つられて月を見る。

言われた通り、確かに見事に綺麗な蒼い月夜といえるだろう。

「七夜だけの、朧月。ただそれだけが、白夜であればいいのに・・・」

これ以上話すことはないのか、華狗夜はただ月を見ていた。

「・・・華狗夜」

「なにかしら、タクト」

「君は、どうしてこんなことをするんだ?何が、目的なんだ・・・?」

と、華狗夜は蒼い月光を背に、試しているかのような笑みを見せた。

「あなたに会いに来ている、ではダメかしら?」

「ふざけないでくれ」

真剣に返したのに、なんで。

「ふざけて見える、かな・・・」

そんな、悲しい顔をするのだろう。

「そもそも、君が来るたびにちとせを媒介にしないでくれ。ちとせに何かあったら・・・」

「・・・そんなの、仕方ないじゃない。だって・・・!!」

途端、華狗夜の瞳が、淡い緑、ちとせの瞳に戻った。

体を支えていた意志が無くなり、ちとせが前のめりに倒れ出す。

「・・・っと」

それをタクトは優しく受け止めた。

ちとせから伝わる体温が、やけに気恥ずかしい。

起きる気配もなく、ちとせは規則正しい寝息を立てている。

ちとせの知らない所で、不可解なことがちとせの身に起きている。

タクトは、思わずちとせを抱きしめた。

愛しく思う気持ちと、何も出来ない不甲斐無さを誤魔化すように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜の月光は、寂しい光を放っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

どうも、随分久しぶりの更新となってしまった朧月白夜です。

今回は、うーん・・・ほのぼの色は少し薄かったでしょうか?徐々にシリアス色が強くなっているような気がしてならないです。

さて、想像と妄想の果てに書いてみましたちとせ母ですが、どうでしょうか?まぁ皆様思う所はあるでしょうが、私なりに吟味した結果、こんな人かな、と思う人物にしてみました。・・・でも、今回は少しギャグが目立ってしまったような気がします。基本は温厚な方ですよ?

 

さて、ついに“彼女”の名前が明らかになりました。

が、ここで勘違いしてほしくないのは、名前が明らかになっただけで、正体は明らかになっていないということです。謎解きに挑戦してくださっている方、むしろこの名前がヒントですからね?

ところで、今回からなんだか“彼女”、華狗夜の雰囲気が少し変わったように感じたかたもいらっしゃると思います。もちろん理由あってのことで決して私の手抜きではありませんので。その理由としては、前までの話と比べて、タクトが特別なことを体験しています。気づかれましたでしょうか。

そもそもこの「朧月白夜」、いつにも増して、無駄となるセリフが一つもありません。どんな些細な言葉にも、伏線を張り巡らしているので、よろしければご注目ください。

 

さて、次も引き続き烏丸家との話です。

次はもう少し早く更新できるように頑張りますので。

それでは。