第六章「夢幻月夜」

 

 

 

 

 

 

「タクトさん・・・」

「はい?何ですか?」

休暇の最終日、そろそろトランスバール本星に戻らなくてはならず、帰りの準備中のことだ。

突然、ちとせのお母さんが優しげな微笑みを浮かべて話しかけてきた。

「――――――」

「・・・?」

躊躇いでもあったのだろうか、話し出したのに少し時間がかかった。

「ちとせは、本当にいい子なんです」

「・・・ええ」

「ですから、何があっても、あの子の味方でいてあげてください・・・」

「・・・はい、それは、もちろんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれは・・・・・・一体、どういう意味だったんだろう・・・)

椅子、正しくは司令席に座りながら、タクトはただちとせの母の言葉を思い返していた。

そんなタクトに怒ることもなく、レスターは声をかけた。

「休暇ボケか?タクト」

「・・・そんなんじゃないよ。―――ただ、ちょっとね」

「ふん?まぁいいがな。あんまり平和だからって気を緩めるなよ」

かく言うレスターも気を緩めてはいないが、随分寛大になっていたりする。

無理もない。今が平和すぎてヴァル・ファスクと戦っていた時のことが遥か昔のことに思えてしまう。

おかげで、エルシオールもこうしてロストテクノロジーの捜索という、至極平和な任務を受けている。

「なぁ、レスター」

「なんだ?」

「朧月って、知ってるか?」

「なんだ、いきなり」

「少し、聞いてみたいんだ。みんなの見方(・・)を」

「・・・?構わんが、知識で知っているだけだぞ」

「うん、いいよ」

レスターは知識を思い出そうと考え、視線がしばらく虚空を見つめていた。

「確か・・・春の夜に見られる、月が霞んで見える現象のこと・・・だな」

「うん・・・なるほど・・・」

「?」

納得したように頷くタクトに、レスターは首を傾げるばかりだ。

「・・・ココ、アルモ。二人にも聞いてみたいんだけど」

「え?」

「私たちに、ですか?」

急に話を振られ、二人は少し困惑する。

やがて、申し訳なさそうに謝ってきた。

「すいません、マイヤーズ司令・・・私たちもクールダラス副司令の仰った程度の知識しかなくて・・・」

「あ、あはは・・・私なんて朧月っていう言葉すら知りませんでした・・・」

苦笑いするアルモに笑いかけ、タクトは立ち上がった。

「タクト?」

「・・・レスター、しばらく時間をくれないか?」

「散々休暇でのんびりしたのに、か?」

鋭い視線と共に浴びせられる皮肉の言葉にも、タクトは真面目に返した。

「したのに、だよ。―――今日と明日、この2日だけでいい。それで、全て終わるから」

「・・・なに?」

レスターに背中越しで手を振り、タクトはブリッジを後にした。

「・・・・・・」

どうもおかしい。

タクトとちとせの二人、休暇中に何かあったのだろうか?

仲が一層良くなったのはわかる。ちとせのタクトに対する対応を見てれば、朴念仁と言われた自分でもその想いに気づける。

だが、タクトがおかしかった。

タクトもちとせをより好きになるのはわかる。

だが、ちとせのタクトへの想いはストレートに好意を表しているのに、タクトからちとせに対する想いは、好意以外の何かが感じられた。

だが残念なことに、親友をよく見ていてもその内に秘めた考えまではわからない。

ましてや朴念仁と呼ばれた自分、そして何を考えているのか理解不能なタクトではまさに無謀だろう。

(・・・まあいい。アイツはそれをなんとかするためにああ言ったんだろう)

2日だけ、と。何故2日なのか、何故確信する思いでそう告げたのか、レスターには知るよしも無かった。

「・・・でもさ、マイヤーズ司令とちとせさん、変わったと思わない?」

「あぁ、わかるわかる。なんていうか・・・雰囲気が変わったわね」

「初々しい恋人から信頼し合っている恋人にランクアップ・・・ってとこかしら?」

「いいなぁ〜・・・アタシもそういう恋したいな〜」

(・・・・・・)

まったく、どうして女というものはこうも他人の噂話をしたがるのだろうか。

自分には、到底理解できそうにないな。

「アルモ!ココ!喋ってないで仕事をしろ!!」

「は〜い・・・」

「わかりましたぁ・・・」

チラッとレスターを見つめながら、アルモは思わずぼやいた。

「そういう恋・・・まだまだ無理そう・・・」

しょんぼりするアルモに、ココはクスリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タクトは少し悩んだ末、トレーニングルームへ足を運んだ。

中に入ると、もはや見慣れた光景であるかのようにランファがサンドバック相手にパンチのラッシュを入れている。

「相変わらず凄いね、ランファ」

「あらタクト。アンタもトレーニングしに来たの?」

即座に首を振る。頷いてしまってはスパーリングに付き合わされボロボロにされるのがオチだ。

そんなタクトに、ランファは少し不満そうな顔をしながらパンチを止める。

「じゃあ何しに来たワケ?」

「んー・・・ちょっとランファに聞きたいことがあってさ」

「アタシに?・・・・・・あ、ならアタシもタクトに聞きたいことがあるのよね〜」

眉を細めながらランファが笑う。―――正しくは、ニヤリとした。

長い付き合いだからわかる。この顔は、ランファが何かを企んだ時の顔だ。

「ねえねえタクト。休暇中、ちとせとどーだった?」

「どうだったって・・・そりゃ、楽しかったよ」

「もう!そーじゃなくって!!――――――・・・ちとせと何か進展するようなことでもあった?」

進展。あれを進展と言えるのだろうか。

けれど、ちとせの気持ち、心を理解できて、それでいてちとせを笑顔にすることができた。

ならきっと、それは進展したと言えるだろう。

「帰ってきてからあの娘、随分幸せそうなのよね。この前も何かあったの?って聞いてみたら、『はい、タクトさんに・・・改めて恋をしました』・・・ってね」

(・・・そんなこと言ったのか、ちとせ)

なんていうか、今まで聞いてきた中で一番恥ずかしい気分だ。

「で、どうなのよタクト」

「うん・・・まあ、そういうことあったな」

途端、ランファの目が驚愕に開かれる。

「な・・・なんですって・・・っっ!?」

「え、ここそんなに驚くところ?」

直後、ランファの口から信じられない言葉が飛び出した。

「タクト・・・アンタ、ちとせを“食べた”わねっっ!?」

 

 

 

 

 

卒倒しそうになった。

というか、随分古い言葉だ。

 

 

 

 

 

「何言ってるんだ!?そんなことするわけないだろ!!」

「え!?何もしなかったの!?アンタそれでも男!?」

頭痛と熱に襲われそうだった。

「・・・ランファは俺にちとせを襲わせたいのか、襲わせたくないのか、どっちなんだ?」

「えーっと、本心としては襲ったら面白いけど、女としては襲うのは許せないわね」

随分な理屈だ。

自分にどうしろというのか。

そんな感情が顔に出てたのか、ランファはケラケラ笑いながら謝ってくれた。

「冗談よ冗談。―――あーおもしろかった」

「・・・・・・ハァ」

結局からかわれていただけである。

脱力したくなる気分にもなるだろう。

「ゴメンゴメン。・・・で?何が聞きたいのよ?」

突然話を戻されても、と思う。

だが半ば受け入れている。

エンジェル隊とは、そういうものなのだから。

思考を切り替え、クリアにさせる。

「あのさ・・・白夜って、知ってる?」

「白夜・・・?どしたの、急に。・・・まぁ、一応知ってるわよ」

「ん、ちょっと聞いてみたいだけなんだ」

「ふうん?まぁいいけど。・・・・・・えっとね、確か暖かい地方・・・寒い地方だったけ?―――そこで見られる、一晩中暗くならない夜のことよ。・・・多分」

自信なさげにランファは呟くが、充分だ。大方の意味を聞くことができた。

「・・・わかった。それだけなんだ。ありがと、ランファ」

納得したように頷いてから、タクトはさっさとトレーニングルームを後にした。

「・・・?なんなのよ一体」

気分が削がれてしまった。

今日はもうこれぐらいにして、シャワーで汗を流そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(朧月、それは月が霞んで見える現象のこと。・・・(かす)む?歪むとも、とれるよな)

タクトは考えを捻らせながら、通路を歩いていた。

(歪んで、霞む。・・・ぼやける?・・・なら、月が増えて見える・・・よな)

それだと朧月とは、七月を表している、という意味にとれる。

なら、白夜は?

(白夜・・・ずっと明るくて、夜が来ない・・・。だから、白夜。―――夜が来ない・・・終わりが来ない?ずっと、続く・・・)

ならば、白夜とは・・・

「あのー・・・タクトさん?」

「わぁっ!?」

突然声をかけられ、タクトは素っ頓狂な声を出してしまう。

振り返らずとも、声でわかる。この明るくて優しい声の主はミルフィーユだ。

「ミ、ミルフィーか・・・驚いた。どうかした?」

「どうかした、と言われましても・・・タクトさん、部屋の前でウロウロしてるから、私に何か用があるんじゃないかって思ったんですけど」

言われて初めて気づいた。いつのまにか自分はBブロックに来ていたのだ。

それもエンジェル隊の部屋の前をウロウロしていたとなると・・・・・・考えるだけで身震いした。

(・・・よかった、気づいてくれたのがミルフィーで)

心底ホッとしたが、ミルフィーユは首を傾げるばかりだ。

が、実際に考えるとなんと気まずい空気だろう。

会話しようと話題を考えても、こういう時に限って何も思いつかない。

と、不意に甘い香りがフワリと鼻を刺激した。

「あれ、いい匂い」

「あ、解ります?今、特製クレープ作ってるんですけど・・・タクトさん、よかったら・・・」

「うん、是非食べたい」

続きを言う前に即答したタクトに、ミルフィーユは笑いながら部屋に招き入れてくれた。

 

 

 

部屋に入ると、先ほどの甘い匂いでいっぱいだった。

薦められるままにテーブルに着くと、ミルフィーユがその匂いの正体を運んできてくれた。

「お待たせしました!特製十段重ねクレープです!!」

「また・・・凄いね」

とは言いつつも、味の保証は食べずともわかる。ミルフィーユが作るお菓子に、おいしい以外の感想を持ったことがないのだから。

「じゃあ、頂きます」

「どうぞです!よろしければ感想もらえると嬉しいです」

にこにこしているミルフィーユを見ながら、タクトはクレープにかぶりつく。

途端、口の中に広がるハーモニー。甘さとまろやかさとやわらかさが完全に一体となったクレープ。ここまでおいしいクレープなんて食べたことがない。

「うん・・・凄いおいしいよ、ミルフィー」

「えへへ、タクトさんにそう言ってもらえると嬉しいです」

言って、ミルフィーユも自分で食べ始めた。

それにしてもおいしい。このクレープは自分だけじゃなくて、是非ちとせにも――――――

「――――――」

思い出したように、クレープを食べる手を止める。

そうだ、自分はこんなことをしている場合ではない。

時間がないのだ。華狗夜が言った(時間)は七夜。だから、今日と明日で七つの夜を迎えてしまうのだ。

「タクトさん?」

急に手を止めたタクトに、ミルフィーユは不思議に思って尋ねてみた。

「どうかしたんですか?」

「あ、いや・・・うん、ちょっとね・・・」

上手く誤魔化したと思ったが、意外にもミルフィーユに通じなかった。

「・・・タクトさんって、いつでもちとせのことを考えているんですね」

「え・・・?」

「わかります。タクトさんを見ていると、そういうの」

何故か、ミルフィーユが少しだけ寂しげに呟いた。

何か、ミルフィーユを傷つけるようなことをしてしまったのだろうか。

「ミルフィー・・・?」

「タクトさん」

思わず尋ねたのに、ミルフィーユはしっかりした態度で逆に返してきた。

「ちとせのことで、何を悩んでるんですか?」

「え・・・どうして・・・」

「・・・わかりますよ。私だって、女の子ですから」

優しげにミルフィーユは微笑んでくれた。

そんな笑顔に聖母のような優しさを感じたのか、―――タクトは、ミルフィーユの気持ちに甘えた。

「少し、ちとせに関係していることでさ・・・。ちとせに害があるわけじゃないし、俺もよくわからないんだけど・・・なんとかしてあげたくて、ね」

全てを言えるわけがなく、随分抽象的な言葉になってしまった。これでは逆にミルフィーユを混乱させてしまうだけだ。

「あはは・・・これじゃ、よくわからないよな」

けれど、ミルフィーユは絶えず笑顔でいてくれた。

「そんなことないですよ」

「・・・?」

「わかります、タクトさんのそういう気持ち。誰かを想う、優しい気持ち」

ミルフィーユは言いながら、紅茶を注いでくれた。

それがなんだか、――――――ひどく、胸を貫いた。

「でも、タクトさんなら大丈夫ですよ」

「・・・どうして?」

「タクトさんは、自然と誰かの心をやわらかく、優しく包んであげられる人ですから。―――タクトさんの自然な優しさは、いつだって、誰だって、笑顔に・・・幸せにできるんですから」

言って、また優しげな笑顔をしてくれる。

タクトは切に想う。

自分よりも、きっとミルフィーユの方がそういうことの出来る人だと。

彼女の笑顔と、彼女のお菓子は、いつだって人を笑顔にしているんだから。

「ミルフィー・・・」

「だから、タクトさん。頑張ってくださいね!」

何に対して頑張ってと言われたかは、タクトも、きっとミルフィーユもわからない。

けれど、元気が出た。これなら大丈夫だ。

タクトは紅茶をゆっくり、静かに飲み干した。

「ごちそうさま。それと・・・ありがと、ミルフィー」

タクトは笑顔を見せて、部屋を後にした。

残ったミルフィーユはタクトと自分の皿とカップを重ね、洗い場に運んだ。

水を出して、スポンジを持って、食器を洗い出す。

「・・・焼けちゃうな、ちとせに」

苦笑しながら、スポンジに洗剤をつける。

「あんなに・・・タクトさんに想ってもらえるんだから」

それでも、嫌な気持ち一つ持たず、ミルフィーユは笑って食器洗いを続けた。

「―――さて!じゃあタクトさんにも好評だった特製クレープ、みんなの分も作ろっと!」

腕をまくって元気を出す。

さて、それじゃあ今日のみんなのお菓子作りを始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、タクトはちとせの部屋にやってきた。

するべきこと、交わす約束は唯一つ。そのために、ここに来た。

ちとせを騙すつもりはないけど、それ以上に不安にさせるのが嫌だから何も言わない。

彼女の泣き顔を、これ以上見たくないから。

(・・・・・・よし)

心を決めて、タクトは部屋のインターホンを押した。

が、何故か一向に返事が返ってこない。

留守かと思ったが、部屋のロックがかかってないとなると、ちとせはここにいるはずだ。

(そういうことか・・・)

半ば確信する思いで、タクトはちとせの部屋へ入っていった。

「ちとせ、お邪魔するよ・・・?」

一応、声を出しておく。せめてもの保険だ。

部屋へ入ると、耳に入ってきたのは風を切る音。そして、トス、という音。

間違いなかった。ちとせは部屋の庭で弓を引いていたのだ。

その集中力は、自分が部屋に入ってきているのに気づかないほどだ。

こちらに気づいていないちとせは、再び矢を持ち、弓を構えた。

その流麗なる動作、少しの乱れも感じられない視線に構え。タクトは自然と、ちとせに見惚れていた。

しっとりとした流れるように美しいちとせの長髪。その先が僅かに揺れた刹那、―――ちとせは矢を放っていた。

的の中心より、少し下にずれた位置に矢が刺さる。

それに首を傾げてから、ようやくちとせはこちらの存在に気づいた。

「あ、タクトさん。いらしてたのですね」

(・・・まさか、無意識のうちにこっちの存在を感じたの、か?)

でなければあの完璧な構えから矢がずれるなどありえない。

「すみません、もしかして私、また・・・?」

「うーん・・・相変わらずちとせは集中すると周りが見えなくなるね。―――インターホン、押したんだけど」

「あ・・・も、申し訳ありません!!」

けど、やっぱりちとせはちとせだ。こうして慌てて謝り、オロオロしている姿は正直、可愛い。

 

 

 

数分後、ちとせはエンジェル隊の制服に着替え、お茶を入れて来てくれた。

「どうぞ、タクトさん」

「うん、ありがとちとせ」

二人で向かい合って正座でお茶をすする。年寄りくさいと言われてしまいそうだが、これが自分とちとせの当たり前なのだ。他のエンジェル隊とでは到底味わえない、落ち着いた和みを味わえる。

しばらく、タクトはお茶を飲みながらちとせを眺めていた。

正しい姿勢でお茶を飲むちとせは、それだけで何かの絵画を見ているようだ。

と、ちとせと視線が合う。

「タクトさん、どうかしましたか?」

「え、いや・・・なんでもないよ」

下手な誤魔化しだったが、ちとせは首を傾げながら微笑み、追及はしてこなかった。

「・・・・・・」

本音を言うと、その優しさが辛かった。

ちとせの知らないところで何かが起きている。それは、ちとせ本人はまるで知らないのだから。

純真無垢なちとせは決して自分を疑ったりはしないだろう。

――――――だからこそ、踏み出せない。

(・・・・・・でも)

それでは、何にもならない。

華狗夜を、泣いていたあの娘になにもしてやれない。

それに、つい先ほどミルフィーユに励まされたばかりではないか。

彼女の気持ちを、無駄にはできない。

「・・・・・・・・・ちとせ」

「はい、なんでしょう?」

踏み出した一歩を、ちとせは暖かく笑顔で迎えてくれた。

自分を、何より、彼女を信じて。

「俺、さ」

「はい?」

「俺・・・ちとせが好きなんだ」

「は、い・・・・・・え?」

ちとせが固まり、顔がみるみる赤く染まっていく。

けれど、構わず続けた。

「何よりも・・・誰よりも・・・ちとせが好きなんだ。―――大切なんだ」

「え・・・タクト、さん?」

照れながらも、ちとせはタクトの意図がわからずに問い返してきた。

「だから・・・一つだけ、お願いがあるんだ」

「え、その・・・・・・わ、私に出来ることなら」

「今日の夜、11時に展望公園のトプカフの木に、来て欲しいんだ」

「あ、はい・・・わかりました。―――あの、けれど・・・どうして、ですか?」

タクトの様子が少しおかしいことに気づき、ちとせは不思議に思いながらタクトの顔を覗き込む。

その近づいた隙に、タクトはちとせを抱きしめた。

「えっ!?タ、タクトさん・・・!?」

「・・・・・・ありがとう、ちとせ。――――――ごめん、ありがとう・・・」

その時、ちとせにはタクトが泣いているように思えた。

抱きしめてくれているタクトが、まるで(すが)りつくようで、

―――――――――ひどく、幼く感じた。

「―――お茶、ごちそうさま、ちとせ」

「・・・・・・お粗末さまでした」

けれど、ちとせはタクトを信じて何も聞かなかった。

いつだって、この人のつく嘘は、優しい嘘だから。

だから、笑顔でタクトを見つめた。

タクトは、ちとせの笑顔に笑みを返した。

けど、それは何故か――――――――――――哀しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の時間より30分も前にタクトは来ていた。

けれど、ちとせは約束の時間を過ぎても来てくれなかった。

もうすでに、11時30分をゆうに過ぎていた。

けれど、確信する想いがあった。

だからタクトは、

迎えるような気持ちで、

空を見上げ、

月を見た。

 

 

 

月が、霞む。

まるで幻影のように月が揺れ、朧月を形成する。

ここに、夢幻の月夜が再現された。

 

 

 

直後、前から誰かがやって来る。

黒い長髪をなびかせながら、ちとせが―――――――――

―――――――――違う、華狗夜がやってきた。

真紅の瞳と蒼穹の瞳を持った少女が、ちとせの体を通じてやってきた。

 

 

 

「・・・綺麗な朧月、白夜のように、続けばいいのに・・・」

 

 

 

詩を歌ってくれなかった。

きっと、もう意味のないことだから。

だから、その願いを込めて、初めての言葉で逢いに来てくれた。

「・・・華狗夜」

「・・・ありがとう、タクト」

唐突に、華狗夜はそう言った。

「もう一度・・・逢ってくれて」

「約束したからな。ちとせを通じて、君と。君の夢のために」

「夢・・・」

途端、華狗夜の顔から笑顔が消失する。

変わりに、哀しげな顔になった。

その泣きそうな顔は、とてもじゃないが耐えられなかった。

「やめてくれ」

「タクト・・・?」

「君を悲しませるために、もう一度逢ったんじゃないんだ」

「けれどね、タクト。これ以上は無理なの。―――私は何も言えないし、あなたも何も・・・」

けれど、タクトは退くことは出来なかった。結末を見届ける義務があった。

 

 

――――――全てを知りながら、けれど、知ろうとしなかった者として――――――

 

 

「知ってる」

「え―――」

「本当は、全部知ってるんだ。俺ではない(・・・・・)俺が(・・)。けれど・・・今の俺は、気づいてもいないんだ」

嘘をついているわけでもなく、虚像を作っているわけでもない。

全てが本心だ。

だが、どこまでの言葉が今の自分なのか、そうではない自分なのかは、タクト自身、わからなかった。

言わば、一種のトランス状態に近いのかもしれない。

これも、幻影の月夜を影響なのだろうか。

「だから・・・華狗夜。君から始めてくれ」

「タク、ト・・・」

「この、幻影の月夜は、君が作ったんだろ?―――なら、俺からは何も出来ない。だから、華狗夜・・・」

「・・・・・・うん、わかった。―――これで、最後だから・・・」

「ああ、気づかせてやってくれ。今の、俺に」

素直に、華狗夜は頷いた。

「・・・これが、これが・・・本当の、詩・・・・・・」

哀しげに言って、華狗夜は月を(あお)いだ。

そして目を閉じ、静かに詩を紡いだ。

 

 

 

紡がれし、月の揺りかごの詩を。

 

 

 

 

 

――――――その想い  ため息にのせ  捨てた

      そばに居て   遠い昨日の向こう側

      見つめ合った一瞬は  きっと永遠で  光になれる

      もしもいつか  見失っても  いつか、きっと届くように

      愛しい子よ  いつまでも  たくさんの愛につつまれて

 

              月の揺りかご(クレイドルムーン)

 

 

 

 

 

 

その詩が、真実の詩だった。

だから、わかった。

今までの言葉のピースが、一瞬にして埋まっていく。

繋がる。

繋がっていく。

同時に、自分が自分でないかのような感覚になる。

まるで、本当に全てが幻影のように感じられるほどに。

 

 

 

「・・・か、ぐ・・・や・・・・・・?」

「・・・・・・」

華狗夜は何も言わなかった。

ただ黙って、信じている。

タクトを、月を、奇跡を、幻影を。

ただただ、白夜のように。

「―――君、は・・・・・・?」

タクトは驚愕のまま、華狗夜を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻影の月夜の、終曲が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

どうもお久しぶりです、八下創樹です。

凄いですね・・・・・・。何って私の投稿の遅さにですよ。前回の話から実に約二ヶ月近く経ってるんですよ!?

えっと・・・なんというか・・・すみません。まさかここまで遅くなるとは・・・

 

さて、今回はいかがだったでしょうか?

さすがに今回でそろそろ華狗夜の正体に気づいた人もいるのではないでしょうか。ええ、最後に埋まった詩の歌詞にご注目して頂ければわかるかと思います。(それでも解らない方・・・ごめんなさい、ややこしい文章で・・・)

ですが、華狗夜の本当の理由は難しいかと思います。なにせノーヒントですから。それはまぁ、続きをご期待ください。

朧月白夜も残すところ、最終章のみになりました。

タクトと、ちとせと、華狗夜が織り成す、幻影の月の物語。

彼らの結末にご期待頂ければ、幸いです。

 

ではでは。