「……眠れなかった」
「ほう、珍しいな。いつも緊張感が欠如しているお前が。…天変地異でも起きたら、やっぱりそれはお前のせいだ。昨日からあり得ないことばかりやりやがって」
目の下に隈を作り、ふらふらと洗面所へと向かい、顔を洗って着替える。7:30の朝食の時間に向かい、朝食を片付ける。目玉焼きにサラダの挟まったサンドイッチ。そして、コーヒーだ。レスターは当然のようにブラックで飲み、タクトはシロップを入れて飲んだ。
「甘くないのか?」
「…糖分取らないと…眠気で頭が回らないかも…」
「なるほどな」
部屋に戻り、制服に着替える。軍服のものとよく似たデザインの制服。軍服を簡素化したものだから、似ていて当然だった。
それから、演習場へと直行する。この日のカリキュラムは卒業試験を兼ねた実戦演習。挨拶も何もない、本当の実戦だ。もちろん弾はペイント弾だ。墜落した、とAIが判断すれば、移動以外の一切の行動が出来なくなるシステムが搭載されている。
さて、適性検査により、タクトは指揮官に選ばれていた。レスターはすべてに同じだけの適正があったので、自由だったのだが、指揮官補佐を選択した。
「担ぎ上げるのはいいんだけど…担ぎ上げられるのは嫌いだっていわなかったっけ」
「お前は担ぎ上げられておけ。というか、お前は人を担ぎ上げることに向かない」
「…それはそうなんだけど」
だからいやなんだけどなあ、とその適性検査を受けた後、そのポジションに決定してしまったときは話したものだ。
さて。
「おい、寝るな!タクト!」
歩きながら寝るという実に器用な芸当を見せるタクトを、小突いて起こす。ぐらっとバランスを崩し、ばたりと倒れてからまた起き上がる。
「なんだ、何が起きた!?」
「危なかったな。タクト。今お前は撃たれそうになっていたんだ」
「え!?マジで!?」
もちろんレスターの冗談だ。そして、眠気で頭がうまく働いていないタクトは、しばらくなぞの踊りを見せた後、ようやく頭の回転が上がってきたようだった。
「…レスター。さっきの冗談は、笑えない」
「ようやく目が覚めたようだな。世話をかけさせやがって」
はあ、とタクトはため息をついた。普段レスターは冗談を言わない。眠気と合わせて、そういった先入観も手伝い、真に受けてしまった。でも、おかげでベストとはいえないが、頭の回転が戻ってきた。
もっとも、お礼を言う気にはあまりなれなかったが。
演習所に到着し、定時になった瞬間に警報が鳴り響く。本当に実戦訓練だ。もしこれが本物であれば、訓練生であるタクトたちはすぐにでも退去を命ぜられるだろう。足手まといだからだ。
ばたばたとそれぞれが担当する艦の中に入る。適性検査により、部署がそれぞれ振り分けられていた。そのとおりの部署に移動し、指揮官の椅子に座り、レスターが次々に命令を下す。訓練を何度も繰り返したためか、動きはスムーズだ。レスターの的確な指示もあり、真っ先に艦を動かすことが出来たのはタクトの艦だ。その後に続く形で、艦が続く。
「さすがだね、レスター」
「お前がやると、誰も言うことを聞こうとしないからな」
役割分担がしっかりしているわけだ。タクトはあえて軽薄に振舞ってきたがゆえの弊害。もちろんその気になれば、運動面はさておいて、レスターとほぼ同程度の能力を発揮することが出来るわけだが、そのことを知るのは、直感で見抜いたルフト将軍とレスター以外いない。
レーダーを立ち上げる。敵の艦隊は、分かりやすいようにあえて黒い塗装が施されていた。
『これより試験管であるわしが卒業試験を開始する。合格基準は秘密じゃ。挨拶はここまで。わしの指揮する艦隊を、打ち破ってみよ』
あちらには現役の軍人が乗っているのだ。普通に考えて、勝てるはずがなかった。
「で、どうする、タクト」
「ん〜。どうせなら、勝ちに行ってみるか、レスター」
「ふっ……聞くだけ無駄だったな」
そんな無茶な。クルーが全員そう考えた。が、しかし。その考えが、すぐに間違いだと知った。同時に、タクトの本当の姿も、知ることになる。
タクトの指揮は見事なものだった。レスターがタクトに指示を仰ぎ、それを実現するための的確な指示を出していたこともあるだろうが、それよりもまるで相手の動きをすべて把握しているように、タクトは指示を出していくのだ。
中には一見して的外れな場所を狙うように、と指示を出す。そして、そのすべてが戦略上に基づいたものであり、今目の前にはルフトの艦隊の旗艦があった。ついでに言うならば、作戦を読まれていたのか、物影から出た瞬間にはルフトの艦からは既にペイント弾が放たれていた。それは何の迷いもなく、タクトの艦に命中する。
『……惜しかったの、タクト』
「もうちょっとだったのになあ」
はあ、とため息をついた。かなり残念だった。ブリッジをまともに狙い撃ちされては、どうしようもない。
「帰艦する」
レスターの声に、クルーは従った。
ちなみに、結果は合格であった。
卒業後。タクトたちは軍属に入る。タクトとレスターは少尉に命じられた。タクトはマイヤーズという背景があるために。レスターは、その実力ゆえに。
第一方面軍の防衛艦隊第三防衛線の中でも小さな艦隊を任される。が、軍人になっても、日常に変化はない。
タクトは相変わらず軽薄に振舞うし、レスターは相変わらずタクトの後始末に追われ、頭痛に悩まされる。しかし、素行はともかくとして、仕事の内容自体にはミスはない。そつなくこなしていた。
そうしていると、二人とも半年に一度の昇進を重ねることになる。タクトはまあ、仕方がない。マイヤーズという家は貴族だ。それゆえに、入隊時より昇進は早い。レスターはしかし、一度昇進を断っている。というより、少尉のままでいらざるを得ない時期が一度だけ。レスターが飽くまでもタクトの副官でいることを決めていたからだ。
どうしても、というその姿勢に、仕方なく少尉のままでさせたわけだ。以降は、タクトと共に半年に一度、昇進をしていたのだが。
ともかく、軍に入隊してから、三年が経過した。
タクト・マイヤーズ、大佐。レスター・クールダラス、中佐。
「お前は一体何をやったんだ」
「身に覚えがないんだけど…どうして、俺は呼び出されたんだろう」
巡洋艦の中で、戸惑ったようにタクトは答えた。現在は、軍本部に出頭するために向かっている途中である。
「本当か?胸に手を当てて考えてみろ」
「だから、何も思い当たらないんだって」
軽口を叩きながら、司令官室でタクトは作業を続ける。レスターが書類仕事を持ってきて、見張っているわけだ。レスターも仕事を片付けているが。
ブリッジにいない理由は簡単だ。タクトの居場所がないからだ。艦内の見回りと称して、遊びまわっているのだから当然といえば当然か。偶にこうして我慢の限界に来たレスターがタクトを捕まえ、司令官で泣ければ出来ない仕事を片付けさせているわけだ。
机の前には、印刷された命令書が載せられている。形式があるため、色々と読み面部分があるが、概要をまとめるならばこうなる。
タクト・マイヤーズは軍本部に出頭するように、と。大佐に昇進するなり、いきなり来た通知だ。
「これでいいのか?」
「…書き直しだ。書類の形式が全く違う」
「……うう、書き直しか……」
涙を流しながら、タクトは仕事を再開した。ちなみに、仕事はあと100ほど残っていた。
「これ終わったら、休んでいいか?」
「構わないが、明日には倍に増えるぞ」
「ネズミ産式なのか!?」
「お前がためた仕事自体は、あと200ほど残っているからな」
「…サボるんじゃなかったよ」
「今頃分かったのか。…全く……」
るーるーるーとなくタクトに、自業自得だ、とレスターは答えた。
軍本部に呼び出されたのは、タクトだけである。一応途中までレスターは付いていったが、後はタクトの問題だった。
「場合によっては、ここでさよならか。…清々するな」
「…何気にひどいことを言うなあ、レスター」
ぼろぼろの風体で、タクトは返した。ためにためた仕事をすべて片付けたのだ。休む時間も、睡眠時間すら削り、食事の時間ですらもったいないとばかりに。レスターの苦労の一部が、なんとなく理解できてしまったほどだ。
「お前がいつもサボるからな。…大体、あれは本当にお前じゃないと出来ない仕事だったんだ。本来なら、あれの三倍は溜まっていたんだぞ」
「そんなに片付けてくれてたのか。ありがとう、レスター」
「……ここで死ぬか?」
「何でそうなるのさー!?お礼を言っただけなのに!」
「お前の仕事を何で俺がやらなくちゃいけないんだ!ずうずうしくお礼なんか言いやがって!」
ごほん、と咳払いが聞こえた。
「遅いと思っておったら、こんなところで油を売っておったのか」
びくぅっと、二人の背中が震える。
「ル、ルフト、先生…じゃなかった、将軍」
「す、済みません」
「まあ、よい。…三年前から変わらんの。お主らは」
やれやれ、とため息をついた。
「さて……タクト。付いて参れ。レスターは待機しておれ。すぐに済むじゃろうから」
「はっ、了解しました」
敬礼し、きびきびと去っていくその姿は、いつものレスターの姿であった。
「単刀直入に言おう。お主は、ライブラリというものを知っておるかの?」
「ライブラリ……ひょっとして、五年前に完成したけど、扱うことの出来る人材がいなくて、宝の持ち腐れとか言われていたあれですか?」
「そのとおりじゃが、三年前に見つかっての。管理できる人物が」
「そうなんですか?……(ん?三年前?)」
思い返されるのは、議院の前で交わした会話。
「うむ……そこでじゃ、現在スカイパレスにおるその人物の周囲を守ってほしいのじゃ」
「はあ………ひょっとして、ルシャーティですか?」
「ほう、よく分かったの」
感心するルフト。隠す必要がないと判断したのか、実に率直だ。
「どうして、俺なんですか?」
「なんじゃ、不満なのか?お前さんも会いたかろう。彼女に熱を上げているようだし」
爆発音でも響くような音で、タクトは顔を赤くした。が、不意に今の言葉の意味に気が付く。
「ん?俺『も』?」
「おおっと、口が滑ってしまったようじゃ。忘れてくれ」
「そんな無茶な…」
「それもそうじゃな」
しかし、と思う。ルシャーティも会いたかったのか。にへら、と口元がだらしなく緩む。
「辞令はお前さんが了承したことで、すぐに下るじゃろう。…このときばかりは、お前さんは感謝せんといかんの?」
「……マイヤーズだったことにですか。…確かに、そうでもなければ、こんな機会、巡ってこなかったでしょうしね」
苦い表情で、タクト。わだかまりはそう簡単に解けたりはしない。
「用事といえば、これだけじゃな。呼び出してすまなかったの」
「はい、ではこれで失礼します」
敬礼を残し、背筋を伸ばしてタクトは去っていった。
「にたにた笑うな。気持ち悪い」
レスターがタクトに向かって言うが、タクトは聞こえていなかった。
「〜♪」
「鼻歌を歌うな!」
「うわあ!?れ、レスター、いたのか」
「居たのか、じゃない!ここをどこだと思ってるんだ!」
「どこって…あ」
ブリッジの司令官席。ようやく、自分の居場所を確認した。
「何なんだ、昨日からずいぶんと機嫌がいいが」
「いいたいけど、軍事機密に触れるのでいえません」
「そうか……それは、嘘じゃないだろうな」
「心外だな。まるで俺がレスターに嘘をついたことがあるみたいじゃないか」
「む……」
押し黙る。そのとおりだったので、反論は出来なかった。
「まあ、いい。その調子で、仕事をさくさくと片付けてくれると、ありがたいんだがな」
「どーんと任せてくれ」
「そうか。それじゃあ……」
その後。タクトは、頷いてしまったことを後悔したという。