そこは自然に包まれた場所だった。
木々もあれば花もあり、来る途中には家庭菜園のような畑まで見つけた。
青空と太陽はドーム型の天井に映る映像だが、噴水は人工の光であることに構わず反射し、眩しい飛沫をあげている。
一通り歩いてそれらを眺めた後、アークは芝生に横になっていた。目を閉じてはいるが、眠りに落ちてはいない。
適当な昼寝場所にと食堂でミルフィーユに紹介されて、辿り着いたこの場所。
600年前―――アークが乗艦していた時代のエルシオールには存在していなかった施設だ。
・・・・・・・・・昔住んでた家に、他人が住んでる感じだな。
嫌な感覚だ、と思うが消えてはくれない。頭で考えないようにすればするほど、無意識に『過去』と『現在』の差異を感じてしまう。
理不尽な感情だということくらいは分かっている。今のエルシオールにとって、どう考えても異分子は自分の方なのだから。
タクト・マイヤーズやエンジェル隊、この艦に乗る彼らのことも嫌いではない。
だが思考の中に、暗く、重いモノが積みあがっていく。その根底にあるのは、
・・・・・・・・・知っていた時代が上書きされて、消されていくことへの恐怖か。
そこに抗えない力を感じ、アークは目を閉じたまま内心で舌打ちする。
・・・・・・・・・約束、したのにな。
「――――」
だが、アークの思考はそこで中断された。
目を閉じた状態でも分かる、聴覚からの外部情報―――音をもって。
頭の右側数メートル先で生じた乾いた音は、誰かが芝生を踏んだ足音だ。
アークはゆっくりと目を開けて音の方向を見る。
・・・・・・・・・誰だ?
内心で浮かんだ疑問は、口に出す必要は無かった。
逆光で若干薄暗くはあったが、人物の識別はすぐにできる。
知っている人間だ。故にアークは上体を起こしてその人物を呼ぼうとした。
自分が目を細めたままでいることが、逆光の影響なのか、相手を警戒しているからかは己でも判別できぬままに、
「・・・・・ヴァイン」
視線の先に立つ少年は、名を呼ばれてそのまま一礼し、
「起こしてしまいましたか? アーク・レモネードさん」
彼、ヴァインは小さく微笑した。
第一章 疾風は目覚めて 第7話
シャトヤーンは一人、白の光に包まれた空間に立っていた。
彼女の前方の空中には巨大な青い水晶体が浮き上がっている。
場所は『聖域の間』。
『白き月』のコアが安置された最深部であり、アーク・レモネードが600年眠りについていた場所でもある。
シャトヤーンはコアに対して何もしていない。ただ、彼女は静かに眼前のコアを見ているだけだ。
その顔に今、《聖母》としての笑みはなく、
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
考えるのは昨日、この場所で起こった出来事。
・・・・・・・あの時。
眠りから覚め、自分を見たアークは驚きの表情を見せた。
その理由についての推測は既にできている。そして彼が自分を見て、思っているであろうことも。
それらをシャトヤーンは一つの疑問に集約した。
シャトヤーンは、目を伏せて呟く。
「本当は・・・・・・・・・・・なんと呼ぼうとしたのでしょうね」
誰かに、己の外側に向けたつもりの言葉ではない。
だが、その言葉に応えるように、ある変化が起きたことをシャトヤーンは知る。
伏せていた視線を前に戻せば、
・・・・・・・コアが・・・・・・!?
『白き月』のコアが青い光を放とうとしていた。
光は一瞬で展開され、シャトヤーンが対処するより早く彼女の視界を覆い尽くした。
エルシオールの銀河展望公園。
その一角でアークはヴァインと向き合っている。既にアークの身は近くにあった木に寄りかかっている。
先に話を切り出したのはヴァインの方だった。彼は自分の名を改めて告げた後、丁寧な口調で、
「昨日、『白き月』では挨拶もろくにできませんでしたから。改めてと思いまして」
「・・・・・・ご丁寧なこった。別に俺に社交辞令尽くしてもいいことないと思うけどな」
皮肉を含んだ言葉を返してみても、ヴァインは微笑の表情を維持したままだ。アークはそれを見て、
・・・・・・・・うわー、やっぱコイツ苦手かも。
内心でそう思いながら、アークはヴァインの言葉を聞く。
「僕はお会いできて光栄ですよ。かつてのEDENを護っていた・・・・・・・それも、最高位の存在である《守人》である方に」
「実際は見てのとおり、ただのガキだ。変に気を使わなくていい」
・・・・・・・何を言っとるんだ、俺は。
自分が先ほどから、ヴァインに取ってしまう態度が露骨過ぎることをアークは自覚している。
仮に自分が彼と不仲になったとしても、トランスバールやEDENに損失は無いだろうが、余計な問題はない方が良いに決まっている。
・・・・・・・・なんかあったら、ノアに怒られそうだしなあ。
少し落ち着こう、とアークは内心で深呼吸を一つ。口調を意識して穏やかなものにして、
「あー・・・・・・・そういや、ルシャーティはどうしてる?」
「姉さんなら、今は部屋にいます。もしかすると、マイヤーズ司令と一緒かもしれませんが」
「ああ、タクトもルシャーティの所に行くとか言ってたっけ。そういえば、一つ聞きたかったんだが・・・・・・・・・・」
それは昨日、ルシャーティが詩をもって『白き月』の深層領域にアクセスした時に生じた疑問だ。
アークは、質問というよりも確認の口調で、
「ルシャーティがライブラリの管理者ってことは、お前ら・・・・・・・・・スカイパレスにいたんだよな?」
かつてのEDEN文明の中心、惑星ジュノーの大気圏上層に浮かぶ首都施設をアークは思い出す。
ライブラリが現存しているなら、その母体であるスカイパレスも健在なはずだ。
ヴァインは頷いて、
「ええ。姉はライブラリのあるスカイパレス最深部に、僕は中層の『ヴァル・ファスク』の基地に幽閉されていました。
アークさんも、EDEN本星・・・・・ジュノーの生まれですか?」
「ああ、ガキの頃はスカイパレスで育ったよ。軍人になってからは、ほとんど帰らなかったけどな」
共通の話題で、会話がスムーズに繋がっていく。
そのことにアークは安心しつつ、それと、と続けて、
「気になってたんだが、弟のお前にはライブラリの管理者としての資質はないのか?」
「ええ、残念ながら・・・・・僕には管理者としての適性はないみたいです」
「・・・・・・・・・・本当に、か?」
何故、食い下がって聞いたのかはアーク本人も分からない。ただ、とても大切なことのような気がした。
アークは慌てて言葉を付け足す。
「あ、いや・・・・・・・・管理者の資質ってのは、一人だけが持つものじゃない・・・・・・・・って聞いたことがあってな」
「ええ。親子や兄弟など、血縁関係であれば同時に複数人に資質が表れることもあるそうですね。
僕も子供の頃にライブラリにアクセスした事はありましたが、一般人以上の権限はありませんでした」
そう告げて、初めてヴァインが落ち着いた微笑以外の表情を見せる。
眉尻を下げた笑み。
力ない、だが演技ではできない表情だとアークは思う。
「残念・・・・・・というより、僕は悲しいんでしょうね。
僕も管理者の資質さえあれば、もっと姉さんの傍にいて、姉さんの負担を軽くすることもできたかもしれない」
「・・・・・・・・・・悪かったな、変なこと聞いて」
昨日『謁見の間』でも見た、ヴァインがルシャーティのことを語る時の顔。
・・・・・・・・・・本心からの言葉・・・・だよな。
そう思える表情を見ることができて、アークは素直に思っていることを言った。
「お前はルシャーティのこと、本当に大切なんだな」
ヴァインは応えた。
即答と呼べる反応で、ええ、と頷いてヴァインは肯定してくれた。
「とても大切な人ですよ。姉さんは」
迷いのない口調、奇麗な笑顔で。
「・・・・そうか」
かすれた声でそれだけを言って、アークはヴァインに背を向けた。
背後からは、突然去ろうとするアークに少し困惑したヴァインの声が聞こえ、
「アークさん、どちらへ?」
「『白き月』に戻る。俺はお前らと違って、正式にこの艦に招かれている訳じゃないしな。
タクトに会ったら、俺は戻ったって伝言頼むわ」
ヴァインからの返事を聞かぬままに、アークは芝生から舗装された道に合流。
公園の入り口へ向かいながら、ヴァインからは見えない角度で、アークは左手で制服の胸部を強く掴む。
その左の掌は汗をかいていて、
・・・・・・・なんで・・・・だ。
先ほどのヴァインの言葉に、寒気がしたのは。
望んでいた答えなのに、震えを覚えたのは。
・・・・・・・・この感じは。
一瞬、既視感に似た何かを覚えたが、アークはその思いを打ち消す。
気のせいだ、と。
迷いの感情ごと外に出すように、大きく息を吐きながらアークはふと上を見る。
映像の太陽を見て思い出したのは、何故か今朝目覚めた時に見たノアの髪で、
「さてと・・・・・・・・戻ったらノアに折檻か。今のうちに、いい言い訳考えとこう」
小さくなっていくアーク・レモネードの背をヴァインは見ていた。
彼の表情に、代弁される感情はない。
彼は冷めた瞳で、遠ざかっていくアークを見て呟く。
「・・・・・・・・・・・・・少し、計画を変える必要があるかもしれないな」
シャトヤーンは、白の光に包まれた空間に立っていた。
彼女の前方の空中には巨大な青い水晶体が浮き上がっている。
室内の景色は、先ほどまでと何も変わっていない。
しかし、その場所でシャトヤーンは困惑していた。
・・・・・・・・これは。
契機はコアの放った青の光だということは間違いない。
反射的に目を閉じて次に開けた時、シャトヤーンの前に彼らはいた。
彼ら、とはシャトヤーンとコアの間に、向かい合って立っている二人の人物――――男性と少年だ。
シャトヤーンが先に注目したのは、彼女から見て右に立っている少年だった。
黒い服を纏い、茶色の髪に紅の瞳を持っている。シャトヤーンはその人物を見て、
・・・・・・・・・・アークさん!?
だが、意識と共に放ったつもりの疑問の声はアークに届いていない。
そこでシャトヤーンはもう一つの変化を知った。
・・・・・・・・声・・・・・・・いいえ、身体が・・・・・・・。
今、この場にシャトヤーンの身体はない。
彼女は意思だけで存在し、外界への干渉能力を持たない。そのことにシャトヤーンは意識で息を飲む。
視界の中のアークはシャトヤーンに気づくこともなく、右手を自身の左肩へと伸ばす。
シャトヤーンは視線でアークの右手の動きを追い、彼女の知るアークとの違いに気づく。
自分の知る彼の軍服には存在しないものが、今の彼にある。
エンブレムだ。翼を広げた竜を模して作られた銀の紋章が、アークの上腕の部位に装着されている。
アークは右手の黒のグローブ越しに指先で竜をなぞった後、指をかけて、
「――――――――」
勢いよくエンブレムを取り外す。
シャトヤーンからは距離があるので細かくは見えないが、取り外しが利く構造なのだろう。
アークは右手に移ったそれを眺めた後、シャトヤーンから見て左側に立つ男性に差し出して、
「アーク・レモネード特務兵。ここに・・・・《翼竜の紋章》を返上する」
声ははっきりと聞こえる。
しかし、肉声にしては声の主と妙な距離感をシャトヤーンは感じる。どこか現実味を感じない、敢えて言うなら無音のノイズが走っている。
景色にしても改めて見れば、実際の世界ではなく精密に構築された立体映像を見せられているような、そんな気がする。
それらを踏まえて、シャトヤーンは現状を推測する。
・・・・・・・・これは、『白き月』の過去・・・・・?
意識を左側に集中すれば、男性がエンブレムを右手で受け取っていた。
男は低い声で、ああ、と頷いて、
「これでお前を縛る物は無くなった。心おきなく冬眠してこい」
男性の年齢は20代後半で、背は190センチ前後あるだろうか。巨躯とも言える、完成した体格だ。
シャトヤーンの位置からは彼の右半身しか見ることはできず、分かるのは彼が紫の髪をサイドバックにして、碧色の右目の下の頬には10センチほどの傷痕が縦に走っていることくらいだ。
彼が着ているのはアークの軍服に似たコート型の制服だが、その色は白をベースにして青いラインが入っている。
・・・・・・・・・・・これも、EDEN軍の制服でしょうか。
「・・・・・・・・・・・なあ」
声を元に、注意を右に戻せばアークはうつむいていた。降りた前髪によって表情はよく見えない。
しかし、シャトヤーンには泣いているように見えた。少なくともそれに近い感情を持っている、と判断。
アークはもう一度、なあ、と男に呼びかける。絞り出される声には若干の震えがあり、
「本当に・・・・・・・これで・・・・・・・・・」
力がない。
「俺一人だけ生きて・・・・・・・・次に目覚めた時は、みんな墓の下なんて・・・・・・・そんなのありかよ」
シャトヤーンは、ふと思う。アークはきっと、この男性を信頼しているのだと。
男性が何者かはシャトヤーンには分からないが、アークが自分の弱さを見られてもよいと、そう思える相手なのだと。
「俺は――――」
アークの言葉を止めたのは、彼の頭に置かれた男の左手だった。
男は手を置いたまま苦笑して、あのなあ、と前置きした上で
「馬鹿言ってんじゃねえ。俺たちだって無駄に残りの人生過ごす気はない。しっかり濃い人生送ってやるさ。
俺たちはこの時代でやり遂げるべきことに巡り会えた。お前は、まだそれを見つけちゃいない。だから、それまで眠るだけだ」
眉尻を下げたままのアークとは対照的に、男性は力ある声を放つ。
大丈夫だ、と元気付けるような強気な笑みで、アークの髪を左手でかき混ぜながら、
「約束してやる。どれだけの時が流れても、お前が走り出すことを諦めないなら・・・・・・・・・・・」
男は真剣な声で告げた。
「俺たちはお前に応えてやる・・・・・・・・・必ずだ」
アークはうつむいたまま何も言わない。男も左手を離してアークを見るだけだ。
もはや、必要なのは言葉ではないのだろう。
無言の静寂が続く。しかしシャトヤーンはそれを長いとも辛いとも思わない。
やがてアークは無言のまま、言葉ではなく動作で応じた。
最初に彼は顔を上げた。その目に、先ほど声から感じた迷いの色はない。
シャトヤーンの知るアーク・レモネードがそこにいる。
次にアークは五指を広げた左手を胸の位置まで上げる。その動作が意味するものをシャトヤーンは知っている。
アークの一つの言葉と共に、左袖の中から見える腕輪が光った。
「―――――――《再構築》」
金色の光がアークを覆う。
同時に、アークが着ている黒の服は金に色を変え、小さな粒子となって腕輪に吸い込まれていく。
シャトヤーンはその光景を見て、
・・・・・・・・昨日の逆ですね。
文字通り、『謁見の間』でEDEN軍の制服になった時の映像を巻き戻しているかのようだ。
そう思った頃には、アークの服装は既に変わっている。
黒い肩口までのシャツに、白のハーフパンツ。付属品のグローブや銀のネックレスは、目覚めたアークが着けていた物と同じだ。
シャトヤーンは理解した。今、自分が見ているのは、
・・・・・・・・・・アークさんが『聖者の眠り』でコールドスリープをする瞬間。
そして、
「アーク、準備はいいかしら?」
不意に聞こえた新しい、女性の声にシャトヤーンは息を飲む。
・・・・・・・・・・この声は。
声に反応して、前方の男性とアークの視線が一斉にこちらに向けられた。
首だけを動かしたアークに対し、男は身体ごとこちらを向き、シャトヤーンは今まで見えなかった彼の左半身を見る。
目を引いたのは、男の左肩にある、
・・・・・・・・・・・・アークさんが着けていた物と同じ紋章?
シャトヤーンの疑問に男性は答えない。
彼はただ、こちらに、
「それじゃ、ひとつ頼むぜ。ド派手にやってくれ」
「地味っつーか、普通でいーからな。いや、マジでお願いします」
アークの焦った声での訴えは、やはりこちらを見てのものだ。
自分の存在が彼らは認識できているのかとシャトヤーンは思ったが、答えは否だ。
彼らの声に、ええ、と応えたのはシャトヤーンではなく、
「安心しなさいって。ちゃんと不具合ない状態で送り届けてあげるから。
説明したとおり、精神を一時的に凍結してコアと同化させるから、時間経過による精神へのダメージを軽減できるはずよ」
「よかったじゃねえか、アーク。新鮮ピチピチで未来に直送してくれるってよ」
「宅配便かよ・・・・・・・・・・・・どうせなら、壊れ物扱いも加えといてくれよ。俺、繊細だし」
「・・・・・・・うん。その調子なら、もう大丈夫ね」
自分と全くの同座標から、女性の笑い声が響く。
まるで、自分自身が声を出したような、錯覚に陥る。
彼らが見ているのはシャトヤーンに重なるように同じ位置に立つ、身体を持った人間。
シャトヤーンは今になって気づいた。
自分が見ている光景が、この女性の視点からの記憶を元にしているのだと。
・・・・・・・・・・・この身体の持ち主は・・・・。
視線の先、アークはこちらに向けて真剣な声で、
「君との場合は、『さよなら』か『またな』・・・・・どっちになるのかな?」
そしてアークは、シャトヤーンの意思と目を合わせたまま、『彼女』を呼ぶ。
「マリア」
その言葉をきっかけに、シャトヤーンの視界が再び青く染まる。
シャトヤーンは、白の光に包まれた空間に立っていた。
彼女の前方の空中には巨大な青い水晶体が浮き上がっている。
場所は『聖域の間』。
そこに、彼女は一人で立っていた。
「・・・・・・・・・・あ」
漏れたのは紛れもなく彼女自身の声だ。
そして、シャトヤーンは自身の身体が意思どおりに動くことを知る。
シャトヤーンは呆然とした声で呟く。
「今のは・・・・・・・・・・夢?」
あながち間違いではないと思う。
『白き月』・・・・・いや、あの女性の記憶を映像と音にした、人工的な夢。
あの光景は、かつてこの場所であった事実。
「アークさんが眠りについた日の・・・・・・・・別れ・・・・・・」
既にこの場には二人・・・・・・・いや、三人の姿は無い。
しかし、一つの変化があった。
シャトヤーンの傍で、呼び出した覚えのない一枚のモニターが浮かんでいた。
彼女はモニターの上部に記された一文を読む。
「・・・・・・・・・『時を越えて流れる風が、今一度虚空を駆けるための翼を』」
その一文の下に描かれた図。
『白き月』の区画を示す間取り図で、一箇所だけ異なる色を放つのは、
「これは・・・・・・・・」
暗い虚空を突き進む赤の光がある。
艦隊だ。
その形状は、どの艦も棘が生えたように鋭い。
その中で、一際巨大な艦が存在した。
『ヴァル・ファスク』 トランスバール侵攻艦隊旗艦、オ・ケスラ。
その巨大な艦のブリッジに存在するのは、椅子に座るロウィルだけだ。
他、ブリッジには誰もいない。
理由は簡潔なもので、不要だからだ。
この艦も、付随している艦隊も全て『ヴァル・ファスク』である自分なら一人で動かすことが可能だ。
複数のインターフェースの同時遠隔操作。人類にはない、『ヴァル・ファスク』特有の能力をもって、ロウィルは全艦に指示を与えた。
―――――――全艦、クロノ・ドライヴ準備。
全ての艦が同じタイミングでクロノ・ドライヴの準備に取り掛かる。
しかし、オ・ケスラのクロノ・ドライヴの経過を知らせる音とは別に、通信機器から響く電子音をロウィルは聞いた。
同行者が存在する証拠だ。
オ・ケスラではなく他の艦にいるその人物は、映像回線を開くことなく声のみで、
『ロウィル将軍、よろしいでしょうか』
その低い男の声に、ロウィルは目を細めて、彼のいるクルザ・ジオ巡洋艦に通信を繋げる。
「ヴィーナ、何用だ」
問いに対し、音声だけの回線で相手は簡潔に要件を告げてきた。
『この度のトランスバールとの戦い。私に艦隊の一部をお貸しいただきたい』
・・・・・・・別働隊を率いる・・・・・だと。
ロウィルは鋭い視線を姿なき通信の音源に向ける。
そして、低いというより鋭い声で、
「・・・・・・・・・・・・貴君は、我に人間ごときに策を講じろと言うのか?」
言葉に意識して不機嫌を多分に込める。
だが、通信越しの声は引かない。むしろ、より饒舌になり、
『無論、正面から攻めても我々の勝利は揺るがないでしょう。
ですが、人間というのは追い詰められればその分だけ、思いがけない反撃を見せてくれるもの。それは、あなたの望むところでもあるのでは?』
忌々しい、とさえ呼べる感覚すら覚えながら、ロウィルは一言だけ応えた。
「・・・・・・・・・・好きにするがいい」
『感謝します。それでは』
それだけを告げ、通信は切れた。
ロウィルは思う。
・・・・・・・・・・・・気に入らぬ男だ。
今の言動だけではない。
元々ヴィーナは、600年以前のEDENとの戦いには参加していない。
有能な人材であることは確かだが、クロノ・クェイクの影響が収まった頃に突然現れた彼をロウィルは信用していない。
誰も彼の仮面の奥にある素顔を知らないのも、ロウィルが彼を嫌う理由の一つだ。
素顔を見せないことがではない。もともと彼は仲間と呼ぶ存在を信頼していないのだから。
不気味なのだ。白の仮面の奥にある、見たこともない彼の目が全ての運命を見通しているようで。
・・・・・・・・・・・くだらん。
――――――――クロノ・ドライヴ開始。
全ての艦が光に包まれる。
次の瞬間、オ・ケスラを中心にして全ての艦が宇宙から消え去った。
・・・・・・・・ヒマだなあ。
アークは『謁見の間』で暇を持て余していた。
シャトヤーンとノアに対して、時間つぶしの質問をするだけだ。
「で・・・・だ、あの二人からの情報提供から2日経った訳だが、結局トランスバール皇国はどうするんだろうな。
EDENや『ヴァル・ファスク』に対して」
アークはトランスバール皇国について、それほど深い知識はない。
皇制で、今はシヴァという少女が皇位についていること。
EDENから飛来した『白き月』によってロストテクノロジーと呼ばれているEDENの技術の恩恵を受けた文明圏であること。
全盛期のEDENほどではないが、それなりに広い版図を持っていることくらいだ。
「今はまだ分かりません。お二人からいただいた情報で議論しているようですが・・・・・・・・・・・」
シャトヤーンからの返答を聞くまでもなく、アークも実際のところ答えは分かっている。
現状維持。昨日エルシオールに行ってから、さらに1日が経過しても状況は変わっていない。
・・・・・・・・・正直、やることがないよな。
「EDENに関してはまだ灰色の段階ってところね。
さすがに『ヴァル・ファスク』とは徹底抗戦の構えを取るみたいだけど」
ノアの言葉に、そりゃそうだろ、と頷きながら、アークは柱に背をつける。
「あいつらにとっての破壊と殺戮は、戦争に勝つための手段じゃない。むしろ・・・・・・・そっちが目的みたいな所あるしな」
・・・・・・・・・・・そんな奴らが迫ってきてるのに、な。
アークは苛立ちを覚える。
トランスバールの対応にではない。組織とは規模の大きさと機動力が反比例するものだということくらい分かっている。
アークの表情から、何か思ったのかシャトヤーンが声をかける。
「どうかしましたか、アークさん」
「ん・・・・・・・いや・・・・・・・・この状況で、俺は何ができるんだろうなって思ってさ」
彼の苛立ちの対象は、自分自身だ。
「EDENの技術に関して、人に教えられるほど詳しくもない俺が、この時代で何をやるべきなのかって思ってな」
ここでは、皆が戦っている。
シャトヤーンも、ノアも、タクトも、エンジェル隊も、エルシオールや『白き月』にいる多くの者が戦いに備えて動いている。
そんな中、自分だけはまだ答えを出せていない。
コールドスリープから目覚め、黒の軍服を纏い、かつての呼び名まで引っ張り出しておきながら、明確な行動に出ていない。
・・・・・・・・・・踏ん切り、ついてないのかもな。
「迷ってるの? 力を振るうことを」
突然のノアの問いかけに、アークは硬直する。
図星だ。言葉に詰まるアークに対し、ノアは続ける。
「あたしだって『黒き月』が破壊されて、今できることなんて知れてるわ。だけど、あたしは『黒き月』の管理者として、できるだけのことをするつもりよ。
あんたはその気になればあたし以上の力を使えるのに、自分で可能性を閉ざしてる。役立たず以外の何者でもないわね」
アークは、その一方的な物言いに苦笑して、
「きっついなあ・・・・・・これでも色々考えては―――」
アークの言葉は頭上から響いた音に上塗りされる。
場にいる者たちに最大の警戒を促すための太く響く大音。警報だ
それが意味するものをアークは知っている。彼は、言いかけていた言葉の代わりに、
「――――敵襲か!?」
その叫び終わる頃には、シャトヤーンが『白き月』にアクセスして一枚の巨大なモニターを浮き上がらせていた。
光学映像だ。そして、そこに映されたモノをアークは見る。
彼は瞬きせずにモニターを凝視し、低い声で、
「・・・・・・・なあ、ノア」
「なによ、あたしは忙しいんだけど?」
「・・・・・・・本当に、戦いは続いてたんだな」
そこには敵がいた。
まるで全身から棘を生やしているような鋭いフォルム。
高密度の闇と血を混ぜ合わせたような、闇に染められた赤。
その全てをアークは忘れていない。
忘れるわけがない。忘れてはいけない。忘れることはできない。
見ているだけで、鼓動が、呼吸が、意思が、全てが戦いを思い出していく。
アークは、己に刻み込むように、そこにいる者の名を呟いた。
「・・・・・・・・ヴァル・・・・・・・・ファスク」
○あとがき
ご無沙汰しています、SEROです。
トラブルで全ての原稿が消えてローギア状態から抜け出すのに1週間。細かい文面が思い出せずに悶えて1週間。書き直しに納得がいかずに半狂乱の1週間な、計3週間でした。
やっと敵も本格登場して、戦いが始まる今作品。
よろしければ、その中で主人公(?)が色々迷ったり凹んだりしながらも、どう決断するのか、見届けてあげてください。