『謁見の間』では、部屋の奥に設置された椅子の周囲に幾枚ものモニターが浮き上がっている。
シャトヤーンとノアの操作で表示されるのは、先ほど現れた『ヴァル・ファスク』艦隊と、迎え撃つべく出撃したエルシオールの詳細だ。
アークから見て正面、最も大きいモニターには通信映像が流されていた。
縦に二分されたモニターの右側に映るのは、ブリッジの椅子に座ったエルシオール司令官、タクト・マイヤーズ。
左側には、エルシオールの通信相手である一人の男がいる。
外見から歳を重ねているのが分かる男の顔には、幾筋もの紋章―――彼が『ヴァル・ファスク』である証が浮き上がっている。
男はエルシオールに向けて、低い声で、
『我はトランスバール侵攻艦隊総司令官、『ヴァル・ファスク』の・・・・・・』
しかし、彼が名乗り終える前にアークは一つの名を呟く。
「・・・ロウィル」
『白き月』は通信を傍受して見聞きしているだけだ。こちらからの声は、届きはしない。
故にロウィルは、通信相手であるエルシオールに一方的に、
『貴君らに告ぐ。我、我が名にかけて、立ちはだかる全てを打ち砕き、トランスバールへの道とする。
止めたくば、参られよ。我はただ、蹂躙するのみ』
それだけを宣告し、タクトの返事を待つまでもなく一方的に通信を切った。
黒一色となった左側のモニターを見たアークは呆れともいえる声で、
「なんつーか・・・・・キャラ変わらねえな」
「知ってるの?」
「・・・・・・まあ、それなりに」
それだけをノアに応えると、アークは右手側の一枚のモニターを見る。艦の位置や周囲の小惑星帯などを簡潔に示した戦域図だ。
敵艦を示す赤の点が、エルシオールを示す青の点に向かって動いている。
その数は多く、アークは眉をひそめる。大丈夫だろうか、と。
「―――――」
だが、アークは見た。エルシオールから6つの新たな青の点が生じたのを。
エルシオールを囲むように展開された青の点は、赤の点を迎え撃つべく高速で散開。
瞬時に各々の点は光学映像に映し出される。
虚空を突き進む6機の大型戦闘機。その力の呼び名をアークは知っている。
「エンブレムフレーム・・・・・・・いや、紋章機か!」
叫びの直後、青と赤の点が激突した。
第一章 疾風は目覚めて 第8話
展開された戦場から、エルシオールとは反対側に位置する『ヴァル・ファスク』の本陣。一際巨大な艦がある。
ロウィルは一人、旗艦オ・ケスラのブリッジで戦況を見ていた。
・・・・・・ネフューリアが敗れた訳だ。
オ・ケスラの観測システムは、一つの状況を彼に報告していた。
劣勢。
光学映像に映る『ヴァル・ファスク』の艦は敵旗艦であるエルシオールに近づく前に撃墜されていく。
戦況図に表示された自軍の点は次々に消えていく。
破壊の担い手は、敵であるトランスバール―――否、EDENを含めた人類でも最強の力である紋章機。
「・・・・・・これがEDENの落とし子たちの力」
だが、
「なかなかやる」
ロウィルの表情に焦りや怒りの類はない。
むしろ逆だ。自軍の艦が撃破されることに比例するように、彼の顔には薄く冷たい笑みが浮かぶ。
EDEN侵攻では得られなかったもの、手ごたえとも言うべきものがこの戦場には、この敵にはある。
ロウィルは彼らを評する。実に楽しめる『玩具』だと。
だが、彼の思考を邪魔するように、通信を知らせるアラームが突然響き、
『――ロウィル将軍』
声に、ロウィルは眉をひそめる。
通信越しにいる者は、どこまで自分の楽しみを邪魔すれば気が済むのだろうか。
ロウィルは通信を繋ぐと低い声で、
「何用だ、ヴィーナ」
通信の向こうにいる仮面の男に問う。
『確認を・・・と思いまして。手筈通り、第一陣が壊滅し次第、私も出陣させていただきます』
よろしいですね、という確認の声にロウィルは、
「・・・・好きにしろ。ただし、奴らは我の獲物だ」
それだけを告げ、ロウィルは前もってヴィーナに指定されていた一部の艦隊への支配を解く。
『承知しています。それでは』
ロウィルは、解放された艦隊が自分の意思とは別に動くのを知る。
ヴィーナの乗る巡洋艦に率いられ、戦闘機や攻撃機がクロノ・ドライヴの準備に入ったのだ。
ロウィルも、己の指揮で旗艦の周囲に待機する艦を操作。
「・・・・・第二陣、クロノ・ドライヴ用意!」
戦いは、まだ終わらない。
『白き月』にあるモニターが、戦闘が始まって10分経過を知らせる。
アークから見ても戦局は順調と言えた。
タクト・マイヤーズの指揮は的確なものだ。
エルシオールに近づく機動性の高い戦闘機や対艦攻撃機を優先して撃墜し、その後で後方に構える巡洋艦を倒す。
艦と、そして後方の『白き月』の守りに重点を置いた戦術だ。
速度、火力共に安定した戦いを見せる1番機ラッキースター。
機動力をもって敵の懐に飛び込む2番機カンフーファイター。
遠隔操作プラズマユニット、フライヤーで死角なき攻撃を放つ3番機トリックマスター。
多種・圧倒的な火力をもって、敵を瞬時に炎の塊にする4番機ハッピートリガー。
敵の射程範囲外から致命の一撃を放つ6番機シャープシューター。
その全てが、EDEN時代の制式戦闘機を上回る性能を見せ、パイロッであるエンジェル隊もそのスペックに応えている。
彼女たちはタクトの指揮の下、時に機体の長所を伸ばし合い、時に欠点を補い合うことで確実に敵艦を撃墜していく。
だが、アークが見る限り6機の中で特に目立つ活躍を見せているのは、
「GA−005・・・・ハーベスタ―か」
本来ならナノマシンを散布する、修理やサポートを主眼にした機体だ。
しかし、映像に映されるハーベスタ―は他の機体に劣らぬ攻撃力・機動力を見せている。
パイロットであるヴァニラ・Hの操縦はもとより、精神状態が良い証拠だろう。
・・・・・・・・・・・司令官が恋人ってのが、H.A.L.O.にとっていい方向に働いてるってことか。
そのことを思うアークに、こちらを見たノアが眉をひそめ、
「・・・・なに笑ってるの、あんた?」
「は・・・?」
「ニヤニヤ笑いするの止めてくれる? 不気味で作業の邪魔なの」
抗議の言葉を放とうとしてアークは、確かに自分の口元が緩んでいることを知る。
しばらく考え、その理由は分かった。
「悪い・・・・・でも、嬉しくてさ」
「嬉しい? 自分が乗っていた機体を他人が乗っているのに?」
「紋章機に関して、俺はただのテストパイロットだよ。どちらかというと、相棒というよりは親の視点から見てるんだろうな。
あいつらは自分の翼を宿すパートナーを見つけることが出来たんだ」
アークは、最後の巡洋艦に、火力を集中して攻撃する紋章機を見ながら、
「時代が流れても、忘れられても・・・・・・・人は護りの意思と力を受け継いできた」
最後の赤の点が消失したのを確認し頷いた。
ノアとシャトヤーンの表情にも、安堵の色が見え、
「―――――――」
だが、次の瞬間には『謁見の間』にいた全ての者が息を呑む。
全滅のタイミングを待っていたように、戦域図に新たな赤の点が生まれたことに。
「これは―――」
新たな敵艦隊がドライヴ・アウトした証明。敵の増援だ。
問題は第二陣が現れたことだけではなく、その位置にある。
敵はエルシオールや紋章機の前方だけでなく、その裏側―――『白き月』との中間地点にもドライヴ・アウトしてきた。
その意図を瞬時に分析したのはアークで、
「――――別動隊か」
その構成は瞬時に解析され、自動で新たなモニターに映し出される。
巡洋艦一隻を旗艦とした戦闘機や攻撃機の群れ、機動力を重視した艦隊だ。
その数は先ほど紋章機が倒した数の半数にも満たないが、問題は赤の点が近づいていくのがエルシオールではなく、
「狙いはこっち・・・・・『白き月』ね。突撃してくる気よ」
ノアの呟きにアークが頷きを返しながら、
「こっちが、この宙域に疎いのを突いてきたか。ロウィル・・・・・いや、『ヴァル・ファスク』にしては珍しいじゃねえか」
「のんきに感想言ってる場合? エルシオールが撃墜のために、こっちに戻ろうものなら」
「前方の敵本隊と挟み撃ち・・・だろうな」
「『白き月』にも防衛システムは備わっていますが・・・・・」
決して状況は良くない、というのがシャトヤーンの言葉の続きだろう。
アークは沈黙する。
「・・・・・・・」
どうすればいいか、などと誰かに聞くつもりはなかった。
自分は最善の答えを知っているから。それを成す力も自分にはあるのだから。
あと必要なのは行動だけだが、
「・・・・・・・・・・」
アークは言葉を出せない。頭では答が分かっているのに、心は拒否している。
思い出すのは、かつてのこと。力があれば全て守れると自惚れていた自分だ。
守ることが正義だと単純に信じこんでいた馬鹿な自分の罪と、その結果傷つけてしまったものが過去にある。
同じことを繰り返してしまわないだろうか、という恐れ。
情けない、言い訳としか思えないような要因でアークは衝動を押さえ込み、彼は『白き月』に近づく赤の群れを睨むだけだ。
そんな彼の硬直を解いたのは、
「アーク」
目の前に立つノアの声だった。
ノアが自分を名前で呼ぶのは目覚めた時以来ではないだろうか。
ふと、そんなことを思いながらアークはノアの言葉を聞く。
「もし、あんたが・・・・・・あたしに何か遠慮をしているとしたら、言ってあげるわ。『馬鹿じゃないの』って」
その言葉の意味をつかめないまま、アークはただ、彼女の名を呼ぶ。
「・・・・・・ノア?」
「あんたは前に、ここで言ったわね。後悔はしていない、と。だったら・・・・・・・」
ノアは、意思ある瞳、
「見せなさい、あんたが『ヴァル・ファスク』・・・そして『黒き月』を叩き潰すために用いた力を。証明しなさい、あの日のことは無駄じゃなかったって」
力ある声で、
「懺悔なんかいらない。喪に服す必要はないわ。あたしの要求はただ一つよ」
告げた。
「―――前に進みなさい」
ノアは内心でため息。
・・・・・・・本当に、馬鹿なんだから。
彼が何を望み、何故それを叶えようとしていないのか。それくらいは分かる。
彼とは、それだけの付き合いをしてきたのだから。
・・・・・・どうせ、あたしに気兼ねしてるんでしょ。
自分を傷つけたと思い、勝手に己を責めているような馬鹿だ。
ノア自身も、当時の出来事を過去にするには、まだ時間と決意が足りないが、
・・・・・・できるかぎりのことをするだけ。
目覚めてから、少しだが変わることの出来た自分だからこそ、目覚めたばかりの彼に言える言葉がある。
「ちゃんと、ここで見ていてあげるから」
・・・・・ここまで言われちまったら、なあ。
情けないな、とアークは自分を叱咤。
そして、これ以上は彼女に無様なところは見せられない、とも思う。
アークは、己より身長の低いノアの顔を見ていたために若干うつむき具合だった表情を上げ、
「シャトヤーン、今から言う区画にアクセスしてくれ」
それまで沈黙して、自分とノアのやり取りを見ていたシャトヤーンに、一拍の沈黙を置いて言葉を続ける。
「第一開発室――――」
「―――――エンブレムフレーム計画、兵装実験区画ですね?」
今度はアークが沈黙する番だった。
彼は目を細めて、
「・・・・・・調べたのか?」
シャトヤーンは問いに対して頷くと、
「『白き月』が教えてくれました。あなたが再び飛ぶことを望んだ時の翼・・・・あなたの力を」
笑みを浮かべる。
アークは見る。強さと優しさ、力と慈愛の共存した、
「あなたの翼は今でも待っています。主が自分の力を求めて戻ってくることを」
かつて、一人の女性が自分に向けてくれたものと同じ笑顔を。
「どうする、タクト?」
エルシオールのブリッジに、副司令であるレスター・クールダラスの鋭い声だけが妙に響く。
ブリッジは緊張した空気に包まれていた。
最後の敵艦を沈め、ブリッジの皆が安堵の息をついた直後の『ヴァル・ファスク』の第二陣だ。
敵の陣営は厚く、先ほどよりも困難な戦いが待っていることが予測される。
「・・・・・・・・・・・」
タクトは答えない。
策が無いわけではない。
きっかけは、第二陣のドライヴ・アウトの直後、ブリッジに現れたヴァインから渡されたデータだった。
敵艦隊の詳細なデータ、さらには周辺宙域の詳細な見取り図は、皇国の領域外で戦うエルシオールにとってこれ以上ない宝だ。
タクトが考えたのは、小惑星によって形成された回廊を回りこむことで相手の虚を突く戦術だ。
少なくとも、敵の『主力』を叩くには最善の策だろう。
だが、それを未だ実行に移さない理由は、
「まさか、エルシオールを無視して『白き月』に向かうとはね」
作戦を行った場合に生じる一つのリスク、後方の『白き月』に向かう『ヴァル・ファスク』の別動隊を無視することになるからだ。
『白き月』にも相応の防衛機能はあると聞いているが、タクトとしては敵を近づけること自体避けたい。
エルシオールとそれほど離れていない今なら、紋章機の機動力をもって後方の艦隊を追撃することは可能だろう。
だが、その場合エルシオールは後退し、問題の回廊から遠ざかる結果となる。
紋章機を二手に分けることも考えたが、それはエンジェル隊が危険すぎるので既に却下していた。
エルシオールに残された選択肢は二つ。
『白き月』の守りのために陣を引いて敵を正面から迎え撃つか、ロウィルの乗る旗艦の裏に回りこむかだ。
前者を選べば敵の裏をつく機会は失われ、後者を選べば『白き月』を危険にさらす。
タクトが小さく息を吐き、
「――――」
口を開いた時だ。
通信担当のアルモの声がブリッジに響く。
「マイヤーズ司令、『白き月』から通信です!」
タクトは出しかけた言葉を戻し、即座に通信を繋ぐように指示。
正面のメインスクリーンに映された少女の名を呼ぶ。
「ノア!」
『白き月』側も状況は分かっているだろう。
だが、ノアの表情には焦りも憤りもない。
『大丈夫よ、タクト』
ノアは、ただ静かに笑って、
『こっちはこっちで対応するから。それより、前方の敵をちゃんと倒しなさい』
タクトは思う。
状況とは裏腹に、今のノアはどこか嬉しそうだと。
「さてと・・・・・・・」
エルシオールとの通信を切り、ノアは『謁見の間』の景色に視線を戻す。
そこに、アークの姿は既にない。
ノアがエルシオールに通信を送る前、彼は一言、行ってくる、とだけ告げて『謁見の間』から飛び出していった。
そのことに彼女は満足を覚え、
「さあ、あたしたちも動くわよ、シャトヤーン」
ノアの声に対する、シャトヤーンの頷きと共に表示されるのは、『白き月』の中央区画の見取り図だ。
紋章機やエルシオールの整備に用いる区画と別に、点滅する区画がある。
シャトヤーンの笑みには穏やかなものがあり、
「では参りましょう。かつて『白き月』とEDENを護った《疾風》が、今一度戦場を翔けるための手助けに」
『白き月』の中枢、兵器生産プラントの一角。その通路を走る者がいる。
アーク・レモネードだ。
彼は全力疾走をもって、停滞した空気をかき回す。
走ることは嫌いではない。
風を切る感覚も、速くなる鼓動も、加速する意識も、全てが自分の存在を確かなものにしてくれるから。
元々は大型の機材の運搬も想定して設計された通路だ。その幅は広く、天井は高い。
迷路のように入り組んではいるが迷いはしない。この辺りの区画は記憶にある景色と大差ない。
・・・・・・・・・・きっと、平和だったんだな。
アークは、この600年の無変化をそう評する。決して悪いことではないと。
「―――――――――」
そしてアークは速度を落とす。
ダッシュは小走りへ、さらに歩みと減速し、最終的には速度はゼロになる。
息は荒く、汗が出る。それらの疲労を深呼吸数回で消化し、アークは前を見る。
そこにあるのは白の扉だ。
兵器生産プラントの壁に、巨大な鉄扉が埋め込まれている。
・・・・・・・・・・やっぱり、閉鎖されてるか。
左右にスライドすることで開かれる全高30メートルの白の二枚扉は、閉ざされている。
まるで、こちらを拒むように。そのことに、アークは小さく身震いする。
だが、アークは深呼吸をもう一度。呼吸を整えるためではなく、意志を固めるための儀式だ。
震えの無い声で、左手をかざし、
「我―――楽園を守りし、《守人》の権能を預かる者。楽園の子たる白き星に告げる」
アークは息を吸い、真剣な顔で、
「――――今、我は力を欲する。虚空に一陣の風を起こす翼を。故に・・・・・・・・・」
言葉を止める。
アークは真剣な顔で、
「故に・・・・・・・・・ゆえに・・・・・・・」
・・・・・・・・・なんだっけ?
疲労とは別の汗が背筋に流れる。
両腕を組んで、あれー、とか、うぬー、とか呟きながらアークは考え込むが、最終的に不機嫌をあらわにした顔で、
・・・・・・・めんどくせえ!
そう結論付け、
「さっさと開けコラァ!!」
扉に右足で思い切り蹴りを放った。硬いブーツの裏を正面からぶつける前蹴りだ。
重く、鈍い振動が扉に響く。
扉にはっきりと残った足跡を見て正気に戻ったアークが、やべ、と呟くが、時間が経っても揺れは止まらない。
アークは二つの変化に気付く。
一つは、左袖に隠れた腕輪が光を放っていること。服装を変える時の金色の光ではなく、青の光だ。
もう一つは、揺れが蹴りの反動である受動の反応から、いつの間にか扉自身の能動の動きへと変わっていること。
そして、二つの扉に隙間が生じた。
重低音を立てながら、ゆっくりと、しかし確実に扉は両側に開いていく。
人が一人入るだけの隙間が生まれたのを見て、アークは中に入ろうとする――――が、止まる。
「・・・・・・・・・・・暗いな」
記憶の中のこの場所は、常に眩しい光に覆われていた。
しかし視線の先、扉の向こう側にあるのは限りなく黒に近い闇。
そのことにアークは震えを覚えるが、
・・・・・・・前に進めって言われちまったしなあ。
握り拳を作ることで震えをごまかし、アークは扉の中に左足から踏み込んで、
「・・・・・・・・・・・・・・お?」
何か、足元で妙な感覚がした気がして、アークは下を見る。
糸だ。
扉が開く事で張られるようになっていた細い糸が、通過した自分の左足で切られている。
同時に、アークは頭上に一つの音を聞く。乾いた、何か装置の作動したような音だ。
不思議に思い、音源である上方を仰ぐと、アークは直径1メートルほどの金ダライの底面が迫ってくるのを確認。
タライの底には何か文字が書いてあり、それが何かを読み切る前に、
「ぺぎょ」
顔面に直撃した。
アークは顔を抑えながらその場にうずくまり、タライは耳障りな音を立てながら底を上向きにして地面に落ちる。
「・・・・・・・・な・・・・・なんだ、コリャ・・・・・」
涙目で後ろを見れば、扉に設置された糸の先には金属のワイヤーが取り付けられ、扉に沿って上まで伸びている。
張られた糸を切る事を契機として、上に固定したタライが外れるようにされている仕掛けで、
・・・・・・・・まさか。
タライの底に直に書かれた文字をアークは今度こそ読む。
通路側から入り込んだ光で薄く照らされる字は、600年の時を経てもかすれていない。特殊な技術を用いて保存しているのだろう。
太く荒い筆跡で書かれた文字をアークは棒読みする。
「・・・・・大成功☆てへ byサガ」
一瞬の間をおいて、アークが立ち上がり、
「あ、あんにゃろっ! 人がせっかくシリアスにキメてるのに、こんなくだらねえトラップを・・・・・・なにが、『てへ』だ!」
タライを全力で蹴り飛ばしたアークの叫びを無視して扉が閉まり始める。
扉の外、白の廊下の照明が線上の光となって室内を細く照らす。
だが、アークは見た。
蹴られた反動で裏返ったタライの内底に、竜をかたどった銀色のエンブレムが貼り付けられていて、
「《翼竜の紋章》・・・・・・・・あの時、渡した・・・・」
扉が閉まっていく鈍い金属音を背後に置いていき、アークは持ち上げたタライからエンブレムを取り外す。
竜の貼られていた傍には、別の文字が書かれていた。
部屋の内側に、強い光源は無い。故にアークがそれを見たのは扉が閉まりきる一瞬前で、しかし読みきった。
再び闇が大部分を支配する空間でアークは呟く。
「派手にいけ、馬鹿・・・・・・・か」
その表情には、小さい笑みがあり、
「うるせえよ、バカ」
それだけを告げ、アークはタライを床に置くと空間の中心部に向けて歩き出す。
手に、もう震えはない。
宇宙空間を高速で移動する艦隊がある。
『ヴァル・ファスク』の別動隊であり、向かう先はトランスバール皇国軍の拠点、『白き月』だ。
艦隊を構成するリグ・ゼオ戦闘機やバルス・ゼオ攻撃機は、人工知能に下された命令どおり最高速度をもって『白き月』に近づいていく。
だが、その後方の小惑星帯の陰に控えているクルザ・ジオ巡洋艦は無人ではない。
ブリッジに立つのはただ一人。
仮面の男、ヴィーナだ。
「―――――」
彼は自分の仮面に右手の指を当てる。
感じるのは冷たく、硬質な感触だけだ。
彼は小さな声で、この戦場に存在するものを呼ぶ。
「エルシオール・・・・紋章機・・・・『白き月』・・・・・そして――――」
それ以上は音を伴わない短い呟き。
ヴィーナは、モニターに頼らずとも肉眼で確認できるほどに接近した巨大な白の建造物を見て、
「さあ、どうする・・・・」
拳を強く握る。
そこは薄暗い空間だった。
小さな赤や黄色の灯が点滅しているが、周囲を照らすには至らない。
だが、闇に慣れたアークの目で見え始めた物もある。
空間の中心部に存在する巨大な、数十メートル規模の細長い物体だ。
その色も詳細な形状も分かりはしないが、確かにそれは存在する。
物体は金属のアームで、上下左右の四方から十字を描いて固定されていた。
下側のアームの支柱に接続されているのは、大人2、3人が立てるスペースだけを囲ったリフトだ。
アークは硬い足音を立てて近づいてリフトに乗ると、腰元に設置されたコンソールを手馴れた動きで操作。
リフトと支柱の設置点から生じる鈍い駆動音と共に、アークを乗せてリフトは上昇する。
物体と同じ高さ、手を伸ばせば触れられる近さでリフトは止まり、アークは左手を伸ばし、
「・・・・・・・・・・・よお」
声にも、触れた指先にも物体は応えない。
触れた左手には硬く冷たい、金属の感触があるだけだ。
「・・・・・・・・・・」
かつて己と一心同体だった力の証が、自分を拒んでいる。
そのことにアークは眉尻を下げて、
「悪かったな、600年もほったらかしにして」
だが、謝罪に留まらない。
「行くよ」
ここから先がメインなのだから。
「もう一度、俺は走り出す。答えはまだ出せないけど、出すために行く。だから・・・・・・・」
その左肩には、かつて外した銀の竜があり、
「貸して欲しい、お前の力を。委ねて欲しい、お前の翼を」
アークは自分の本心を吐き出す。
「罪ある過去をなかったことにするためじゃなく、罰として未来を変えるためでもなく―――」
600年離れていた力に、もう一度担い手として認めてもらうための儀式。
「――――ただ、現在を翔けるために」
それが始まりだった。
最初に応じたのは光。
空間の各部に設置された照明が今こそ全開の白の光を放ち、全ての影が消える。
光に照らされるのは、一辺が数百メートルで構成される巨大な白の空間と、そこに配置された幾つもの機材やテーブル型のコンソール。
格納庫だ。
空間の中央には漆黒の衣を纏うアークと、そして、彼の左手の先にある、
「疾風の突撃者」
名に込められた意味を彼に呼ばれた戦闘機がある。
細長い形状のそれの下側は銀の地色で、上部には晴天の空を思わせる蒼のカラーリングが施されている。
次に応えたのは音。
テーブル型の制御装置は自動で動き出し、幾重もの機械の駆動音や電子音を奏でる。
それらの動きを感じ、アークの口から、は、という声が漏れる。
続くのは、喜びの声だ。
「はは・・・・・・・!」
アークは知った。いかに自分が空回りしていたか。
昨日訪れたエルシオールでアークが感じたこと。
自分の知っている時代と違う景色を見て、知っている景色でも知らない者たちがいるのを見て。
置き去りにされた、そんな感覚を抱いていた。
・・・・アホか、俺は。
違ったのだ。自分がそう思っていただけだ。
待っていてくれた。
かつての仲間が、目覚めた自分を送り出すために。再会を果たすために。
その結果として目の前の翼が残っている。
変わったのはただ一つ、これからの自分は彼らの意志も翼に宿して飛ばなければいけない。
それは、翼を重く感じる事にもなるが、
・・・・・・・・・・きっと、前より速く飛べるよな。
「・・・・・・・・・サンキュな」
この部屋にある全てに対してアークは小さく礼を告げる。
だが、声に力はある。目に力もある。意思の力もある。
あとは目の前にある翼をもって、それらを速さに変換すればいい。
「ご要望に応えてやろうじゃねえか」
その声と、向けられた視線に応えるように、戦闘機の中心部――――ゲイルトゥルーパーのコックピットへの扉が開いた。
中は暗いが、駆動音と電子音が聞こえる。既に起動している証拠だ。
アークはリフトの淵に手をかけると、
「ハデにいかせてもらうぜ、600年ぶりにな!」
迷いなく中に飛び込んだ。
コックピットに入った彼が最初に見たのは、正面のモニターに表示された文字だ。
―――Genius Wing
――――Gale−Trooper
「プロトH.A.L.O.システム起動!」
―――――System Open
叫びと共に、輝きを放つのは、アークの頭上にある白の輪だ。
コックピット内の全ての光が灯る。
『謁見の間』で戦況を見ていたシャトヤーンとノアの元に、一つの通信が送られた。
通信は映像を伴わない声だけのもので、
『こちらレモネード。シャトヤーン、ノア、応答頼む』
「・・・・・起動したのね」
ノアの問いにアークの、ああ、という肯定の言葉だけが返ってくる。
『機体のシステム起動はこっちで済ませる。お前らは『白き月』の管制システム使って、『白き月』側の発進シークエンスと敵の詳細な位置を送ってくれ』
声に迷いはない。
だから、ノアの顔には小さい微笑があり、
「半端な戦いしたら、『白き月』に入れてあげないからね」
『そいつは恐えなあ。そんじゃ、真面目に適当にいくか』
「アークさん・・・・・・お気をつけて」
『ああ、必ず帰る』
『白き月』の発進シークエンスは発進までの所要時間―――ジャスト1分をカウントダウン。
それは、敵の射程圏内到達にぎりぎり間に合うタイミングであり、その間にノアとシャトヤーンは聞く。
通信越しにアークの声で聞こえる『それ』は詩だ。
この地、未だ混沌に包まれていた時
彼方より方舟に乗った救世主と守人現れる
ゲイルトゥルーパーのコックピット。
コンソールを操作しながら、アークは詠う。
かつて自分と共にあり、戦場でさえも手放そうとしなかった詩。
そして、その詠い手は、決して自分一人ではなかったことを思いながら。
救世主は人々に知識の泉を分け与え、世を楽園へ誘う
守人は翼と剣をもって、救世主を護る
『謁見の間』。
敵艦隊の詳細な情報を操作していたノアは、通信の向こうから聞こえる声に一瞬だけ指を止め、
「あの馬鹿・・・・・・・・まだ、覚えてたの」
すぐに作業に戻った。
彼の者ら、楽園の地に大いなる災い来たる時
黒と白、対の月が生まれることを告げて眠りにつく
その隣。
ゲイルトゥルーパーの格納庫から『白き月』の外壁への道を繋ぎながら、シャトヤーンは告げられた内容を思う。
・・・・・・・・・・・・これは、二つの月の伝承。
そのことに、新たな疑問を抱きつつ。
双子星は楽園を護る番人となり
かつてといつかを結ぶための欠片となる
ゲイルトゥルーパーを支えるアームのうち下方と左右の3本が離れ、機体正面の壁では、重なっていた隔壁が横にずれることで一辺50メートルほどの四角い穴が完成する。
大気防護のフィールドの先に見える真空、無重力の通路は、宇宙、そして戦場へ繋がる一本道だ。
唯一残った上方からのアームが前にスライドして、機体を隔壁の向こうへ運ぶ。
『過去』を受け継いだ自分は、『未来』の決着のために、『現在』を行く。
アークの頭上にある白の輪―――H.A.L.O.のリングが光り、彼は右手でコンソールを操作することでアームの拘束を解除。
続いて左手側のスロットルを前に押し出す事で、後部から蒼の光を吐き出させ、アークは右足でペダルを踏み込む。
そして、
黒き子は過去を失わないため輪廻を創り
白き子は未来を生み出すため輪廻から放たれる
「アーク・レモネード――――――行ってくる」
蒼に塗られた戦闘機が、弾けるように飛び去った。
無人の格納庫のモニターには、一つの文が刻まれる。
楽園の加護があらんことを
エルシオール率いる紋章機と『ヴァル・ファスク』艦隊が最初に激突してから27分。
戦場にある全ての力が、次の戦いに向けて動いていた。
『ヴァル・ファスク』艦隊オ・ケスラはエルシオールを追撃し、エルシオールは回廊を抜けてオ・ケスラの裏側に回りこみ、『ヴァル・ファスク』別動隊を率いるクルザ・ジオ巡洋艦は『白き月』に近づく。
そして今、『白き月』から一つの力が飛び出した。
戦場が新たな局面に突入する。
○あとがき
みなさま、ご無沙汰していますSEROです。
投稿小説や私生活の都合、実に一月以上の間が空いてしまいました。
第8話目にして、ようやく主人公(?)が戦場に。本来ならもっと早く引っ張り出すつもりが、技術の未熟さ故にここまでかかりました。
つたない文ではありますが、これからもおつきあいください。
では、今回はこの辺で失礼を。