音が響いた。
エルシオールのBブロック―――エレベーターホールに、エレベーターの到達を示す音と、金属製のドアがスライドする開閉音が響く。
そして、直後に生まれる新たな音があった。床を発生源として、規則的に響くのは足音だ。
硬質な足音を刻むのは、真紅の服の上に白の軍服を纏い、腰まで伸びる長い金の髪を揺らして歩く少女だった。
ランファ・フランボワーズだ。
ランファはホール内の自動販売機には視線を向けることもなく、足早にホールを後にする。
区画を出て左に曲がれば正面には目的の場所、宇宙コンビ二が見えてくる。
短い距離、見慣れた通路を歩きながらランファが考えるのは、最近起こった周囲の流れだ。
『ヴァル・ファスク』の再侵攻、EDENから逃げてきた姉弟、コールドスリープから目覚めた600年前のEDENの民。
率直な感想を思えば、
・・・・・・・・・・色々あったわね。
そして、
「この間の戦い・・・・・か」
『ヴァル・ファスク』のナンバー2であるロウィルが率いる、トランスバール侵攻本隊との交戦。
あの戦いに勝利してから数日、両軍に目立つ動きはない。
敵襲もない代わりに、こちらから攻め入ることもない。
現在、エルシオールは本星にいるルフト・ヴァイツェン将軍からの新たな指令を待ちつつ、ガイエン星系の防衛に徹している。
早い話、現状維持だ。
・・・・・・・・・こういう状況って、あんまり精神的によくないのよね。
軍人である以上、上層部から正式な命令が降りない今はEDENを助けに行けない。
力を持つ以上、暴走しないための規律がある。それは正論だと、ランファも頭では十分に理解している。
だが、彼女の本心は全てを納得できていないのが現状だ。
本星の上層部とて遊んでいるわけではないのは分かっている。
政治という戦場において、女皇であるシヴァ、そして宰相でもあるルフトは、それこそ命がけで戦っているのだろう。
情報の操作、タイミングの推し測り、駆け引き。ランファが嫌いとする分野だが、確かな戦いの場がそこにはある。
ランファにしても無闇に戦闘がしたい訳ではないが、受身や後手に回っている感が消えはしない。
先日の戦いで叩き潰したとはいえ、敵がいつ再度攻めてくるかも分からないのだから。
そして、それはこの数日でストレスという形で少しずつ蓄積していっているのも確かだ。
・・・・・・・・・・あとでサンドバックでも叩こうかな。
本来なら司令官を叩くのが一番の解消法だが、最近の彼は珍しく本当に仕事に忙殺されているらしい。
ランファは残念に思いながら、宇宙コンビ二の金属製のドアを通過。
「いらっしゃいませー」
店員の声を聞きながら、ランファはレジに視線を移すこともなく、そのまま左に方向転換。
歩みの速度を緩めることもなく、ランファは壁際の本棚のコーナーから薄い女性雑誌を一冊引き抜く。
今日は定期購読している雑誌の発売日。
『白き月』がガイエン星系に来たお陰で、これらの商品の補充も通常と同じ周期で行ってくれているのはありがたいと思う。
買うことを前提としているため、立ち読みはしない。今月号の特集は占い関連で、今度ティーラウンジで集まる時にも話題として使えるだろう。
続いてランファが向かうのは、ジュースが陳列された大型冷蔵庫。
右隅上段に一列だけ入っているタバスコに近い、極限に赤い液体が入ったボトルを取り出す。
三週間前に発売された、宇宙ハバネロ濃縮還元ジュース『DA辛』。
個人的に非常に気に入っている味だが、何故か自分以外の購入者がいないらしく、今後の発注を止めると聞いている。
・・・・・・・・・・通販で取り寄せて、自分の部屋に置こうかしら。
雑誌と飲み物、目的の商品二つを持ったのを確認して、ランファは清算のためレジへ向かう。
エルシオールで長く過ごす間に、この宇宙コンビ二で一つのパターンとなっている動作だった。
今、レジに並んでいる客はいない。
途中で菓子類のコーナーを通過する際に気を惹かれた商品もあるが、ランファは商品を見るだけに留めてカウンターに商品を置く。
そして、
「いらっしゃいませー」
入店の時にも聞こえた店員の声を聞きながら、ランファは下を向いて制服のポケットから財布を取り出す。
「・・・・・・・・」
だが、ランファはこの時点で初めて気づいた。
何か違和感がある。それは、
・・・・・・・・・・・・・いつものメガネの声じゃない?
声質の違い、さらには声の間延びが少ない気がする。
思えば、自分は一度も店員の顔を見ていなかった。
入店した時には、レジに誰がいるかなど気にすることもなく雑誌の棚に向かっていたし、レジに向かう際は横の菓子に気を取られていた。
事実確認のため、ランファは顔を上げて前を見る。
カウンターの向こう側で彼女に正対して立つ店員は、商品のバーコードをレジで読み取ると笑顔で、
「お会計、2点で564ギャラになります」
「・・・・・・何やってんのよ、アーク」
第二章 癒えぬ傷、消えぬ咎 第1話
ランファの視線の先に、何故かアーク・レモネードがいた。
クロノ・クェイク以前のEDENの民であり、当時の『ヴァル・ファスク』と戦っていた少年は、あのー、と困ったように、
「お客さん・・・・・・564ギャラですけど?」
「あ、ゴメンゴメン。小銭でちょうどあるから、ちょっと待って・・・・・・・じゃなくて、なんでレジ叩いてんのよ、アンタは」
ランファがカウンターの上に並べた小銭を確かめながら、アークはコインの一枚を摘み、
「俺、トランスバールの通貨・・・・ギャラ持ってないだろ? つまりは、一文無しなわけで。
シャトヤーンやタクトは、気にするなと言ってくれたんだけど、やっぱりメシ代くらいは自分で稼がないとなーって思ってさ」
彼はかつてのEDENの軍服である黒のコートを纏っていない。その代わりに彼が着ているのは正規の店員と同じ、コンビ二の制服だった。
「アンタも随分と馴染んだわね」
先日の戦闘以来、アークは寝泊りこそ『白き月』の客室を利用しているが、日中の大半をエルシオールで過ごしているらしい。
ランファ自身、アークの姿をよくエルシオールで見かけるし、エンジェル隊や一般のクルーからもよく彼の目撃情報を聞く。
昨日所要でブリッジに行った時にも、ランファは彼がタクトと親しげに話しているのを見た。
・・・・・・・・・・なんか、変わったわね。
契機は間違いなく、先日の『ヴァル・ファスク』との戦いだろう。
その前にもアークは一度エルシオールに来ているが、あの時は来訪者としての姿勢を崩してはいなかったとランファは思う。
今の彼はこちらへの壁を取り払うと同時に、戦いの意志を持ってエルシオールに来た・・・・・・・否、戻ってきたというべきだろうか。
彼が搭乗していたEDEN時代の戦闘機、ゲイルトゥルーパーも今はエルシオールに7番目の戦闘機として格納されており、近いうちに正式に整備を受ける予定だと聞いている。
あの蒼い戦闘機は純粋な速度なら自分の乗るカンフーファイターよりも速いため、戦術の幅が広がるとランファは考えている。
そのパイロットは、レジから出たレシートをランファに手渡し、
「今の俺は正式なクルーじゃないし、かといって散歩するだけってのも居心地悪いから、昨日タクトに頼んだらOK貰えたんだ。
こういう雑用くらいなら手伝ってもいいってことで、とりあえずここでバイトしてる。副司令の方は眉ひそめて、なんか言いたそうだったけどな」
苦笑して告げるアークに、昨日ブリッジで話していたのはそれか、と納得するランファの視界に人影が入る。
店の奥、倉庫から出てくるのはアークと同じ制服を着て眼鏡をかけた男性、本来の宇宙コンビ二の店員だ。
「レモネードさん、問題はありませんか〜?」
店員の間延びした問いにアークは、ああ、と頷き、
「言われたとおり、雑誌と新聞の返却処理と食品廃棄、あと温度点検はやっといた。あと、そこのカップ麺の棚、埃たまってたから掃除しといたぞ。
・・・・・・で、約束どおり賞味期限切れの弁当もらってもいいんだよな?」
「仕方ないですね〜。他のお客さんには内緒にしてくださいよ〜?」
「サンキュな、これで昼飯代浮いたよ。食堂の飯あんまり大量に食うと、他の乗組員からの視線が痛くてさー」
伝説のEDEN文明、それも最盛期の住人がコンビ二の余り物弁当を貰って喜んでいる光景を見ながらランファは思う。
・・・・・・・・・なんか、コイツ見てると弟思い出すなー。
ルシャーティとヴァインから感じられたものが、今のアークには全くない。
オーラと言ってもいいかもしれないが、伝説とか神話とか、そういった神秘的な雰囲気が彼からは微塵も出ていない気がする。
・・・・・・・・・それだけ、素で接してくれてるってことかな。
悪いことではない、彼がこちらに対する壁を取り除いてくれた証拠だ、とランファはポジティブに納得しておく。
ならば、こちらからも歩み寄っていこうともランファは思い、
「ねえ、アーク・・・・・アンタ、この後の予定は?」
「ん? 13時にここのバイト終わって、それから食堂行って昼飯だけど」
店内の時計を見れば、12時半を過ぎたところ。
「ちょうどいいわね・・・・・つきあいなさい」
その部屋は闇に閉ざされていた。
広い空間でありながら、他者が入ることを拒絶しているような、強い圧迫感を入る者に覚えさせる。
だが、歩みを停めることも遅らせることもなく、真っ直ぐに部屋の奥へ向かって歩く者がいた。
暗い色調のマントを纏い、顔の上半分を隠す白い仮面を付けた青年―――ヴィーナだ。
部屋の奥には玉座にも似た椅子が一つ。
そこに座る眼鏡を掛けた男性に対し、ヴィーナは抑揚を感じさせない低い声で告げた。
「お呼びでしょうか、ロウィル将軍」
椅子に座るロウィルは、静かにヴィーナに問う。
「・・・・・艦隊の編成はどうなっている?」
「分艦隊の再配置は既に完了。この基地を防衛する艦隊も、既に86パーセントの再編成が終わっています」
明日には万全の状態で戦える、と結論づけて、ヴィーナは、
「エルシオールの中には彼が潜入しています。上手く事を進めているのであれば、おそらく近日中には攻め込んでくるかと・・・・・・・」
ですが、とヴィーナは付け加える。
「戦いの前に、先日の件の処罰を私に与えて頂きたい。艦隊をお借りし敵の不意を突いたつもりが、まさかこちらが全滅することになるとは・・・・・・」
「その必要はない。我とて、あの男・・・・・・・・いや、奴らの力を見誤っていたのだからな」
だが、と続けるロウィルの言葉には、鋭い視線もついていた。
ロウィル自身もまさかとは思うが、
「貴君は・・・・・・」
・・・・・・・・知っていたのではないのか、あの戦闘機・・・・そして、あの男の存在を。
結局、その疑問をロウィルは口にせず、
「・・・・・・・何でもない」
自分はどうかしている、とロウィルは疑念を切り捨てる。
仮に真偽がどうであれ、彼が正直に話してくれるとでも期待していたのだろうか。
「下がってよい。引き続き、艦隊の編成の準備は貴君に任せよう」
「・・・・承知しました」
ヴィーナが去り、再び音のなくなった部屋で、ロウィルは考える。
『ヴァル・ファスク』は他者に興味を持つことはない。しかし、ロウィルの中でヴィーナに対する一つの疑問が生じていた。
今までヴィーナがクロノ・クェイク以前の過去を話さないのは、戦場にいないことを恥じていたからだと思っていたが、
「何故だ・・・・・・・あの男、何処かで・・・・・・」
答える者は、いない。
エルシオールのトレーニングルームは、概ね静かだった。
時刻は13時40分。
普段なら非番や休憩中のクルーが集まり、機材を動かす音、サンドバックを叩く音、雑談の声など、多くの音に包まれている空間だ。
だが、今だけは大部分の音が停止。
多くの者が動きを止め、全ての視線が一箇所――――部屋の中央に集中していた。
「・・・・それで、状況は?」
その中の一人、上級士官の制服を着た青年が小声で問うた。
「えーと・・・・・・あたしたちが最初に見てから、もう20分くらい経ってますよ」
答えを返すのは、彼の右隣にいるピンクの髪の少女と、
「ランファが一度、勢い余ってリングアウトしてる。アークはまだ一本も取られちゃいないね」
左隣に立つ、軍帽を被った長身の女性だった。
視線の先、スパーリング用の四角いコートで高速で動く二人がいる。両者とも、青年がよく知っている人間だった。
ランファ・フランボワーズとアーク・レモネードだ。
ランファはトレーニングの際に着るウェアとシューズ、この部屋では見慣れた服装だ。
一方のアークは黒のタンクトップに黒のズボンと、軍服のコートだけを脱いだ姿だが、両足に履いているのは硬質なブーツではなく白いシューズだ。
互いの手にグラブはない。ランファは両手ともに素手、アークは右手の黒いグローブを着けたまま。
両者は間合いを詰め、
「―――――」
次の瞬間には一定の距離に離れている。
全ては一瞬だ。全身を連動させた移動も、腕や脚の各部位の動作も高速で進んでいく。
その動きは前もって約束をしていたかのようにスムーズで、高速の舞いにも見える。
ランファの右脚と、アークの左腕が衝突し、
「――――――」
場には唯一の音、打撃音が強く響き渡る。
ランファは遠慮ない蹴りを放ちながら確信する。
・・・・・・・・・・やっぱり強いじゃない、コイツ。
右脚、アークの左上体を狙った蹴りに対するアークの反応は、身を強引に捻る回避でも正面からの防御でもない。
受け流し。左下腕で受け、瞬時に身をわずかに左に回すことで衝撃を逃がす。
こちらの攻撃を正確に見極め、己の身体を精密に導かなければできない動作だ。
何気ない歩き方やノアの打撃を受ける際の動きから、何かが引っ掛かっていたが、自分の予想は正しかったと思う。
筋力や反射神経など、純粋に身体能力が高い上に、アークの動きには縛りがない。
力任せな素人同然の動きを見せる時もあれば、こちら以上に洗練された動作を見せることもある。
厄介なのは、おそらく無自覚にやっているので予測が難しいことだ。
手数はランファの方が多いし、総合的なスピードもランファの方が上だ。
しかし、連打の速度を上げてラッシュに持ち込もうとすれば、アークは隙を突いた一撃の鋭さを上げることで牽制してくる。
・・・・・・・・・勝ちたいわね。
もはやストレスなど吹き飛んでいる。
ただ、目の前のコイツに勝ちたいと、ランファは純粋に思う。
ランファの蹴りを捌き、アークは冷静に思う。
・・・・・・・・・何やってんだ、俺。
予定では、今頃自分は、
・・・・・・・・・ええと、確かコンビ二の売れ残りの弁当を食べてたはずだよな。貰ったのは焼肉弁当、牛丼、フライ弁当の三つだっけ。やっぱり遠慮しないでチャーハンも貰えばよかったかな。そういえば、最近ようやく食欲が3人分くらいで収まるようになったなあ。我ながらよく太らないもんだ。ああ、そういえば弁当冷たいままだっけ。食堂行けば、おばちゃん電子レンジくらい貸してくれるよな。まあ別に冷えてても食えればいいけどさ。えーと、何から食おうかなあ。ここは味の濃い・・・・・・・
よし、とアークは結論。
「まずは焼肉弁とぅわっ!?」
意識を戦いに戻せば、鼻先を高速でランファの脚が通過していた。
・・・・・・・・・ちくしょう、制限時間とか作るんだったなあ。
ともあれ、アークはこの20分を分析。
ランファの攻撃は蹴りを主体としており、大きく分けて二種類。
直線的な直蹴り、そして側方からの回し蹴りだ。
前者は槍と同じで、威力が高い代わりに命中箇所が狭く、怯えることなく見極めれば比較的回避もできる。
後者の回し蹴りは剣のような線の軌道だ。こちらは連撃も可能なため、時には受け止めることで相手の連撃の流れを止める。
防御する際に気をつけるのは、膝や足の甲など、蹴りの威力が一点に集中する部位での攻撃を受けないこと。
遠心力を弱めるように、怯えずに一歩前に出ることでポイントをズラせば、痛みには耐えられる。
「――――と」
新たな一撃が来た。
鳩尾から左脇腹を狙いとする直線的な右の蹴りだ。まともに当たれば飯が食えなくなるかもしれない。
アークは最小限のステップで右へ跳ぶことで、己の左側を通過させる。そしてカウンターの準備として、左拳を腰元まで引く。
だが、アークは見る。
ランファの目から攻撃の意思が消えていないことと、そして、
「―――――」
ランファの右脚が戻されることなく、止まっている。
これは、
・・・・・・・・フェイントか。
確信を含んだ疑問を思った瞬間、蹴りが強引に軌道を変えて頭に向かって飛んできた。
これまでの攻撃が長い伏線だったのか、咄嗟に思いついたのかは分からないが、虚を突かれたのは確かだ。
やべ、と冷静に思い見るのは既に、こちらの左側頭部を狙った上段回し蹴り。
もう、ステップを踏んでの回避はできない。
移動には沈めた体重を床に反発させる一拍を要し、その間に相手の蹴りは確実にこちらの頭に直撃している。
強引に上体を反らしたところで追加攻撃を回避することはできず、今から左腕を差し込んでもガードごと吹き飛ばされるだけだ。
「―――」
判断は刹那。
アークが選んだのは攻撃から遠ざかることではなく、向き合うこと。
こちらの意識を刈り取れる蹴りが近づいてくるのを両の目は正面からしっかりと捉える。
同時にアークは歯を食いしばり、下腹に力を入れることで全身の重心を瞬時に低くする。
これで、上体を蹴りで吹き飛ばされないようにする下準備はできた。
あとは、目前数センチに迫った殺人級の蹴りへの恐怖に、そして相手の攻撃の意思に、
・・・・・・・・・踏ん張れ―――!
絶対不倒の意思を上回らせることができたならば、それは十分な防御体勢となる。
「――――――っ」
直後、アークは自分の額から鈍い音を聞いた。
うそ、というのが、ランファの正直な感想だった。
自惚れでも油断でもなく、これで勝ったと思った。
だが、振り抜けるはずの右上段蹴りは、相手の頭を左方に5センチも動かすことなく止まる。
理由は分かっている。
アークは、被弾する直前に命中の箇所を側頭部から額へ強引に変えたのだ。
事実、ランファの脚にも、シューズ越しに硬いものを蹴った感触がある。
・・・・・・・・・・・なんて石頭よ、コイツ。
確かに額という部位は防御に適しているし、ランファも方法としては教わっている。
だが実際にやるには相手の攻撃を最後の最後まで見極め、眼球の至近距離で攻撃を受けることが必要となる。
アークは自分の蹴りに対し拒絶することなく文字通り向き合い、まともに喰らいながらも意識を手放すことなく耐え切った。
それが全てだ。
そして、
「――――」
己の右脚ごしに、こちらを見るアークの目からは、まだ光が失われていない。
ランファは理解する。
反撃が来る、と。
「・・・・・・・!」
アークが右拳を腰元に構えるのと、ランファが右脚を引くのは同時。
身を支えるのは左足一本と不安定な体勢だが、リーチの面で見れば、脚なら容易く届く距離でも拳を届かせるには難しい。
ランファは右足を振り戻すと同時に、左足で地面を強く蹴り、後退する。
これでいい。このまま下がり、体勢を整えれば仕切りなおせ――――
・・・・・・・・・・・え?
だがランファは見る。
アークが、これまでになく体勢を低くしていることを。
それはまるで、銃弾を装填した拳銃だ。
アークが選ぶのは、右拳のストレート。
基本であり、最も効率よく力を伝えてくれる攻撃動作の一つだ。
だが、拳では間合いが遠い。
既にランファの身体は、完全に射程から逃れて―――
・・・・・・・・・・諦めるかよ!
覆すために、アークは跳んだ。
前へ。
ランファの後退を上回る速度で、ランファのステップより低い姿勢で。
己のコントロールできる全ての運動エネルギーを前へ、ただ前へと突き進むために費やす。
もはや攻撃ではない。突撃だ。
そして、前方の空間ごと殴り飛ばすように、黒のグローブをはめた右の拳を前に突き出す。
牽制でも、カウンターでもない。
いかなる速さの回避も許さず、どれだけの堅さの防御も上回る。
本気の一撃だ。
渾身の力で地面を蹴った脚が、全身の勢いを乗せた右の拳が、そして、
「お・・・・・!」
意思を込めた叫びが最後の一押しとして、全ての動きにわずかな伸びを与える。
やや前傾しながら、強引に出した右拳は、
「・・・・・おお!」
今、確かに届いた。
アークの拳が届いたのは、ランファが咄嗟にした両腕のガード。
無理やりに伸ばした拳だ。こちらのガードを壊すには至らない。
だが、
・・・・・・・・やられたわね。
ランファが感じたのは腕の痛みよりも、全身の浮遊感だった。
身体が軽くなったのを感じ、ランファは確信する。
アークの狙いは、
・・・・・・・・・ガードを突き破ることじゃなく、ガードごと吹き飛ばすこと。
直後に来たのは、吹き飛ばされたことによる慣性と重力の縛り。
それにランファは従って、尻餅をつくように床に墜落。
衝撃で、は、という息とも声とも取れない音がランファの口から漏れた。
前を見れば、前傾姿勢だったアークが倒れこむように右手を床についていた。
互いに無防備の崩れた体勢。
しかし、両者の間には一本の線があり、線の向こう側にいるアークが身を起こすと、
「リングアウト・・・・これで2回目だから、俺に1ポイントだな。その前のキック、ポイントに入れると1対1か?」
正方形に引かれた、コートの線の外側で座るランファに対して告げた。
「アタシの負けでいいわよ・・・・・・やるじゃない」
「これでも、結構自惚れてたんだぜ? マジでやらなくても、なんとかなるって。
それに俺の方がダメージ大きいというか、頭スゲー痛くて泣きそうなんですけど」
言葉を示すように、アークの目には涙がにじんでいる。
それでも頭を抑えるより、こちらへ右手を伸ばすことを優先するアークに対し、ランファは彼の手を掴むと、
「当たり前じゃない」
笑顔で応え、立ち上がった。
シャトヤーンは『白き月』の一室にいた。
室内の景色は、壁も天井も全てが鋼の色。
同じ『白き月』内でも、神殿や客室とは違い、完全に機械に支配された空間だ。
その部屋の奥では、回転椅子に座りながらコンソールを操作する少女の姿があり、シャトヤーンは少女に声をかける。
「ノア・・・やはり、ここにいたのですね」
少女は、その声で初めてシャトヤーンの存在に気づいたらしく、こちらに振り向くと、
「・・・・・シャトヤーン、来てたんだ」
「邪魔をしてしまいましたか?」
「別にいいわよ、ちょっと煮詰まってたし」
ノアは、理論の組み立てや研究をする時、この部屋を使用することが多い。
先日の『ヴァル・ファスク』の巨大艦を倒した際に、ネガティブ・クロノ・ウェーブの相殺波長の検証や、決戦兵器の細かいシミュレーションをしたのもこの部屋だ。
『白き月』の中枢区画だから、情報が比較的引き出しやすいというのがノアの弁で、一ヶ月が経った今、この部屋は完全にノアの仕事場となっていた。
シャトヤーンは、こちらに振り向くまでノアの身体に隠れて見えなかったスクリーンを見て、一つの小型モニターで視線を止めた。
「これは、先日の・・・・・・」
「未練・・・・・みたいなものかな、あたしの」
返す言葉は、どこか疲れがあり、
「現状では実現不能なままであることには変わりないけど・・・・・・少しずつ進めて、ここまで来たわ。
外枠だけは大体完成してるけど、どうしても必要不可欠なピースが揃わないの・・・・・・・・まあ、こればかりは無理もないんだけど」
「ノア・・・・・では、これはアークさんの・・・・・」
「無理よ」
ノアは、シャトヤーンの告げた可能性を一息に切り捨てる。
「確かにあいつは戦うことを決めたわ、600年前の頃のように。でも、それは一人の兵士としての力と意思でしかないわ」
それじゃ足りないの、とノアは告げ、
「真実を封じている今のままじゃ、あいつは本当の意味での守人にはなれないわ・・・・・絶対にね」
トレーニングルームの壁際で、ランファは座っていた。
隣にはアークがいて、水分補給や息を整えながらの会話は、互いの技や動作に対しての評価や感想だ。
身振り手振りも交え、一通りの意見を交換した後、アークは落ち着いた声で、
「それで、ストレス解消にはなったか?」
「・・・・・・・・気づいてたんだ」
「最初から妙に動きの回転速かったからな、最初に分かった。ああ、こりゃなんかイライラしてるなって」
「・・・・・・・・ごめん」
「ま、自分で気づいてるだけマシだろ。中には自覚できなかったヤツもいるしな」
苦笑するアークに、あのさ、とランファは問いかける。
「アンタは怒ったり焦ったりしてないの? 自分の故郷が敵に侵略されてるのに」
「ん・・・・・・」
・・・・・・・・あ、馬鹿。
いくらなんでも直球な質問過ぎた、とランファは思う。
怒りの言葉が返ってくると思ったが、隣に座るアークからは、んー、という間延びした声しか聞こえず、
「・・・・・・少し、緊迫感ないかもしれないな。結局、俺が知っているEDENじゃないわけだし」
薄情者って怒られるかもしれないけどな、とアークは前置きした上で、
「難しいこと考えるのが仕事なお偉いさんはともかく、俺みたいな兵士が命張って戦場に出る理由なんてシンプルなもんだ。
近くにある大切なものを失いたくない、そして守りたい・・・・・・・・・単純だけど、だからこそ力になる」
「うん・・・・・・」
ランファも同意できる。
故郷にいる家族、エンジェル隊やエルシオールの仲間がいるからこそ、自分は戦場で常に最大の力を発揮できる。
「あ・・・・・・」
だが、それを裏返して言えば、
「今のEDENには、もうアンタを知っているヤツもいなければ、アンタが知っているヤツもいない・・・・・本気で戦う理由が見つからないってこと?」
「正直なところ、俺の故郷だったEDENと今、『ヴァル・ファスク』に占領されてるEDENが繋がっていないってのが本音かな。
離れてから10年や20年・・・・・・・せめて50年くらいなら、まだEDEN奪還に死に物狂いになってたかもしれないけど、600年っていうのは永すぎたよ」
だから、
「戦う理由を失っている俺が、過去の惰性や義務感だけで下手に戦場に出ても、足手まといになる気がして・・・・・・・だから土壇場まで戦うことを躊躇ってた」
だけど、とアークは言葉を告げる。
「ロウィルが実際に攻めてきて、600年ぶりにゲイルトゥルーパーに乗る時に思い出したんだ。
俺には託された力と思い・・・・・走り続けるっていう約束があったってことを。
そして、この時代でも一緒に戦っていきたいと思える奴らに出会えた・・・・・・戦う理由は、ここにあったんだよな」
「そう・・・・・・・・そう言ってもらえると光栄ね」
「まあ、一番のきっかけとしては・・・・・・」
何よりも、
「あいつに、前に進めって言われちまったからな」
アークの言う『あいつ』が誰を示すのかはすぐに分かった。
以前から思っていた疑問だが、
・・・・・・・・・アンタとノアの関係って・・・・・。
だが、ランファがそれを言葉にする前に会話は終わろうとしていた。
さてと、と言いながらアークは立ち上がり、
「食堂に行ってくるよ。いい加減腹減っちまってさ」
「あ・・・・・・・うん、つきあってくれてありがと」
シャワー借りんぞー、と言葉を残してアークは黒い上着を羽織る。
トレーニングルームから出て行くアークの背を見送るランファの、さらに後ろから声が聞こえた。
「お疲れさん」
男性、ランファのよく知っている声だ。
「ギャラリー多かったと思ったら、アンタ達までいたのね」
ランファはゆっくりと振り向くと同時に、彼の名を呼ぶ。
「・・・・・・タクト、来てたんだ」
「終わりの方だけど、見せてもらったよ。
妙に静かだから少し覗いてみたら、いきなりミルフィーに『すごいんですよ』って腕引っ張られた時は何事かと思ったけど」
「でもランファも惜しかったね。もう少しで勝てたのに」
「惜しかった・・・・か」
タクトの横に立つミルフィーユの言葉に、ランファは、ちぇ、と軽く不機嫌な顔になる。
「なんだい、納得いってないみたいだね」
やはりタクトの隣に立つフォルテの問いに対し、ランファは簡潔に答える。
「たぶん全力じゃないですから、アークの方は」
手加減とは少し違うと思う。
どちらかと言えば前もって自分に枷を着け、その上で本気を出していた、という感じだ。
だって、とランファは三人に対し、
「アイツ、一度もアタシの顔面狙ってないのよ?」
アークは、エルシオールの通路を一人歩きながら思う。
・・・・・・・・・・少し喋りすぎた、かな。
今更か、と苦笑して角を曲がろうとするアークの目に、一つの人影が写った。
淡い金の髪と青い瞳。EDENの正装の一つに身を包む少女だった。
『現在の』EDENの民であり、巨大データベースであるライブラリの管理者である少女。
だが、その少女は一人で周囲をおろおろと見渡している。理由は、すぐにアークにも分かった。
・・・・・・・・・絶対、道に迷ってんだろアレ。
どうするべきかと考える。
エルシオールのブリッジまで連れて行って、誰かに任せようか。それとも自分が部屋まで直接送った方が、手間が省けるだろうか。
確か彼女はエンジェル隊と同じ区画の客室を借りていたはずだが、位置と行き方ならアークも把握している。
考えながら、アークはとにかく一歩前へ、
「―――――」
踏み出せなかった。
心は一歩前に出たつもりなのに、足がまったく動いていない。
・・・・・・・・・・なんだよ、おい。
代わりに、声を出そうと――――したが、出ない。口を開いても、声どころか単調な音すら出せない。
・・・・・・・・・行けよ。困ってるじゃねえか、あいつ。
手も、顔も、気づけば全身が動けなくなっていた。
・・・・・・・・・何、ためらってやがる。
難しいことはない。ただ一言、彼女の名前を呼べばいいのだ。
ルシャーティと。
だが、
「姉さん」
響いたのは、アークではない声。
気がつけば、自分の身は隠れるように一歩下がっていて、ルシャーティの姿が壁で見えなくなっていた。
こちらの反対側から先ほど響いた、声の主をアークは知っている。
そして、既に死角となった位置でルシャーティが彼の名を呼んだ。
傍にいるべき人を見つけ、ほっとした声で、
「・・・・・・ヴァイン、ここにいたのね」
足音が響き、彼女の声が、気配が遠ざかっていくのをアークは感じる。
他には、何もしない。
「・・・・・・・・・・・」
アークは壁に背中を預けた。身体は自由に動くようになっていた。
「く・・・・」
アークは笑った。
うつむいたまま、くく、という声を漏らしながら低い声で、
「・・・・・・・・何やってんだかなあ、おい」
もはや苦笑ですらない。
「今更だろ。600年も経って、一人になったからって・・・・・・・・」
嘲笑を己自身に向ける。
「嘘を・・・・なかったことにでもしたいのかよ、俺は・・・・・・・・・・!」
『ヴァル・ファスク』前線基地。
ヴィーナは一人、その通路を歩いていた。
響く足音は最小限のもので、己の存在を隠そうとしていると思えるほど小さいものだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
ふと思い出したのは、かつての己がいた場所のこと。
そこにいたのは短い時間ではあったが、多くの場所が光に溢れ、すれ違う者は多かったとヴィーナは記憶している。
あまりにも対照的な廊下を歩きながら、ヴィーナは己に向けて告げる。
「裏返しの聖者は既に眠りから覚めている」
その声には、先ほどのロウィルとの会話にはない、確かな力があり、
「そして、偽りの守護者は再び剣を抜いた」
ならば、
「私も動き出すとしよう・・・・・・・輪廻を繋ぐために・・・・・・」
あとがき
みなさん、ご無沙汰しております。SEROです
二ヶ月の間を置いてどうにか再開した本作ですが、作者ともども忘れられていないか心底不安です。
私生活の方も大分落ち着いてきたので、ブランクを埋めると同時に少しずつペースアップしていきたいと思っています。
しかし、やたらランファとの絡みが多かった今回ですが、中盤の格闘(?)シーンの至らなさに何度凹んだことか。
主人公(?)のアークは、『それなりに闘える』って設定なので、迫真の戦闘シーンを書けるように今後も精進しようと思います。
それでは、今回はこのあたりで失礼します。