――― 第8話 凶つ龍 ―――

 

 

 

 

 

 迫り来るプロトレギオンの姿を見つめながら、アルマは急速に昂ぶりが無くなっていくのを感じていた。

 確かに目の前の相手は、並みの相手なら裸足で逃げ出すほどの気迫を纏って向かってきてはいる。

 それでも、所詮は怒りのあまりに我を忘れた結果の産物に過ぎない。

 経験上、これほど殺しやすい相手はいない。そして、目の前の敵はその程度でしかなかった。

 

「どいつもこいつも……。アタシの見込み違い、か」

 

 アルマは心の底から失望したような声でそう呟いた。

 この狂った体を、心を満たしてくれるかもしれない相手と、望みをかけた自分が非常に馬鹿らしく感じられた。

 

『アルマぁぁぁぁぁぁっっ!』

 

 レヴィン(ガキ)の喚き声がコクピットに響く。

 それは今のアルマにとっては、非常に不快なもの以外に他ならなかった。

 剣士の刃がこの身を切り裂かんと迫り来る。

 だが、このような怒りに曇った一撃など、アルマにとっては身構える価値も無いものだった。

 

『だぁぁらぁぁぁぁっっ!!』

 

 雄叫びと共に振り下ろされる剣の軌道を異常発達した直感で感じ取り、最低限の動きで剣撃を避ける。

 左肩から袈裟懸に斬り裂こうとする斬撃、そこから機体を反転しての横薙ぎ、姿勢制御をブースターに任せ強引にこちらを貫こうとする突き、それら全ての動きを本能が感じるままにかわす。

 無論、レヴィンとても怒りに我を忘れているとはいえその剣の腕に関しては師匠であるアルマも認める程。

 並みの相手だったら避ける事も、受ける事も叶わない達人じみたものであった。

 

 虚しい。

 

 それが、この攻防の中でアルマの出した答えだった。

 やや右に向かって振り上げられる刃を僅かに機体をずらす事でやり過ごした後、アルマはムシュフシュの加速力を持ってプロトレギオンの背後に回り込ませようとブースターに火を灯した。

 レヴィンの驚きの声を拾うより先に、蛇は剣士の背後に音も無く滑り込む。

 正しくは音よりも早く。周囲で発生しているそれ(音)を置き去りに、およそ生物では到達できない領域をもって……!

 プロトレギオンがこちらに振り向くよりも早く、ムシュフシュのレーザーメイスが禍々しき輝きを持って振り落とされんとしたその時だった。

 

「……!?」

 

 ゾクンと、アルマの背筋に寒気と言う本能からの警告が発せられた。

 寒気の発生源はムシュフシュを囲むようにおよそ3箇所。

 寒気が頂点を迎えるその瞬間、アルマは機体を加速させその場所から左に向かって退いた。

 先程までムシュフシュがいた場所に、3条の光線が器用にプロトレギオンを避けながら光り輝く。

 

「《フライヤー》とか言う奴かい? となると、邪魔立てしたのは青い奴だねぇぇぇ!」

 

 アルマの読みの正確さに答えるように、ムシュフシュのレーダーに青く塗られた紋章機の機影が捉えられる。

 機体の形状、搭載されている兵装を見る限りでは他の機体よりは索敵能力が優れている可能性がある。

 だが、如何に索敵能力に優れていようともこの機体をレーダーに補足する事は叶わない。現に、目の前の紋章機はこちらの動きに全く反応してはいなかった。

 既に相手はこちらの間合い。アルマが照準合わせをするために僅かながらに速度を落したその時だった。

 

『見えましたわ! ランファさん!』

『よっしゃあ! 任されて!!』

 

 少女の言葉に別の少女が答えると同時に、アルマの寒気が更に強まる。

 照準あわせを中断し、またも全速力をもってムシュフシュはその場から離脱した。

 それに大きく遅れてカンフーファイターから発射されるミサイルを見ながら、アルマはトリックマスターを忌々しげに睨みつけた。

 そう、あの機体はこのムシュフシュを補足したのだ。アルマの想像以上に、トリックマスターの索敵能力が高かったのだ。

 

「流石は紋章機、と言ったところかね……!」

 

 今すぐにでも、あの青い奴を落したい。彼女の本音はこれなのだが、今はそれどころではない。

 何故なら、未だに彼女の背筋を走る寒気は治まらない。真後ろに感じる寒気に向かって、左腕を伸ばしガトリングガンを発砲する。

 着弾する事など元から期待していない、相手の体制を崩す牽制目的の発砲だった。

 

『わわっ! よかった〜、なんとかわせました』

 

 真後ろの寒気が薄まると同時に聞こえてきた能天気な声を置いていきながら、アルマは機体を真下に向かって加速させた。

 次に強い寒気は右斜め上。機体を回避させてから遅れること1秒、その方向から大量のミサイルと共に二筋のレーザー光がムシュフシュを追う。

 紋章機屈指の火力を持つ、ハッピートリガーの攻撃だった。

 ミサイルを振り切る事などムシュフシュにとっては造作も無い事だが、アルマはここで相手の思惑に気づいた。

 

「さっきの攻撃は囮かい。全く、手の込んだ、事を、する、ねぇぇぇぇぇ!!!」

 

 そう叫ぶと共にアルマはブースターの向きを変え、強引に進路を変更した。

 ムシュフシュが進路を変えてから秒にも満たない遅れで、黄色のレーザー光が当初のムシュフシュのコース上に襲いかかっていた。

 その光の渦に、振り切られたミサイル達が次々と飲み込まれていった。

 

(囲まれたかい……。一旦仕切り直しさね。あぁ、忌々しいねぇ……! 小娘共がぁぁッッ!)

 

 速度を落さずに、アルマはレヴィン達の元から離脱した。

 ムシュフシュは常識を超えた速度を得た代わりに、その装甲を大きく犠牲にしている。

 レールガン等を始めとする実弾兵器、レーザー等といった光学兵器は勿論、牽制用のバルカンであっても直撃すればムシュフシュにとってそれは致命傷になりうる。

 もしも相手が並みの兵器であったのならこの欠点は考える必要も無い。

 何故なら現状の皇国軍軍用艦に搭載されているレーダーでは、この機体を補足される恐れが無いからだ。

 仮に補足されたとしても、レーダー上に映るのはほんの一瞬。この人外の領域に位置する速度こそがムシュフシュ最高の武器なのである。

 だが、今回の相手はどうか。

 最大戦速では無いとはいえ、あの青い紋章機はこちらを正確に捉えたのだ。

 さしものアルマも、「今の状態」では最大戦速、若しくはそれ以上の速度を長時間継続させる事は難しい。

 ムシュフシュにとって、あの青い紋章機がいる限り、首には常に死神の鎌を当てられているのだ。

 

(忌々しい、本当に忌々しいよ。このアタシが、《あれ》に頼らざるを得ないなんてねぇぇぇぇぇぇ……!)

 

 再び膨れ上がる狂気を抑えようともせず、アルマは更なる力を欲していた。

 そしてその狂気に応えるかのように、コクピットの後部から黄色い端子が出現し、触手のように動き始めていた。

 

 

 

 

 

「逃がすかぁぁぁぁっっ!」

 

 怒りによってアルマという存在に対して鋭敏化している直感が告げるままに、レヴィンはアルマが退いた方向へとプロトレギオンを向かわせようとした。

 だが、怒り狂う狼の行動を窘めるかのように3基のフライヤーがその進路を塞ぐ。

 

『落ち着いてくださいまし、レヴィンさん!!』

「止めるな、ミント!! あいつだけは……俺が殺す!!!」

 

 レヴィンはミントの制止に応える様子を欠片も見せずに、進路を塞ぐフライヤーを振り払い強引に突破した。

 平時の彼からは想像もできない行動は見て、ミントは驚きとも呆れとも取れる声を上げた。

 

『まぁ……! 仕方ありませんわね。そちらがそういうおつもりなら、私にも考えがございますわ』

 

 態度を改めないレヴィンに業を煮やしたミントは少しばかり、強硬な手段を取る事を決意した。

 ミントの思念を受け取り、フライヤーは再びプロトレギオンの目の前に躍り出る。

 それと同時に、プロトレギオンに三筋の光線が襲い掛かってきた。

 フライヤーがプロトレギオンに向かって発砲したのだ。

 

「うぉっ!?」

 

 予測もしない味方からの攻撃にレヴィンは、いつもよりもオーバーアクションで辛くも光線を回避する。

 そして回避を終えてレヴィンは気づく。無駄の多い回避行動の隙に漬け込まれ、プロトレギオンの周囲をフライヤーに包囲されている事を。

 

「ミント、てめぇ……!」

『ですから、落ち着いてくださいレヴィンさん。今の貴方が彼女に挑んでも、返り討ちに遭うのは目に見えていますわ。

 現にこうして、私の罠に見事に嵌ってくださったわけですし。何か申し開きはございますか、レヴィンさん?』

 

 ミントの冷ややかでありながら、自分の身を案じてくれている声を聞いた途端、レヴィンの中で暴れ狂っていた衝動が少しであるが影を潜める。

 それに伴いレヴィンの精神もまた、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 レヴィンは、ハァァァ、と胃の腑の底から空気を押し出すかのような深い溜め息を吐き、ささくれ立った心を鎮めた。

 

「すまん、ミント。余計な迷惑をかけた。確かにこんな状態じゃ、あいつには勝てねぇ。だがなミント」

『マリーさんを傷つけられて頭に来ているのは私達も同じですわ。まして、マリーさんの兄であるレヴィンさんのお気持ちは良く分かりますわ。

 ですが、だからといってお一人で飛び出すのはいただけませんわね』

 

 まったくもって彼女の言う通り。マリーを傷つけられて、怒りを感じるのは何も兄であるレヴィンだけではないのだ。

 出会ってまだ日は浅いとはいえ、仲間である彼女達もまた、妹の身を案じ、妹のために怒りを感じてくれるのだ。

 身内可愛さに、そんな当たり前の事を失念した自分が酷く狭量な者だとレヴィンは思った。

 「仲間と共に生き残る事」が戦う理由であるにも関わらず、仲間の気持ちを察する事が出来なかった。いや、察しようともしなかった。

 そんな状態でアルマに向かっていっても……いや、どんな敵と相対しても勝つ事はできないだろう。

 

「そうだな。お前の言うとおりだ。はっ、情けねぇね。昨日から、お前の世話になりっぱなしだ」

『いいえ。レヴィンさん、貴方と私達は仲間なのでしょう? でしたら、これくらいの事は当然ですわ。

 それと言い忘れていましたが、マリーさんは今の所はご無事ですわ。機体からの生体反応は途絶えていませんし。

 ですが、機体の損傷状況から考えますと、あまり楽観視は出来ませんわね』

「そういうことは、早めに言って欲しいもんだ。そうか……、無事か」

 

 マリーが無事である事を知ったレヴィンは、心の底から安堵した。

 4年前、唯一生き残った大切な妹(家族)を失わずに済んだのだから。

 

「なら、さっさと俺達でアルマを倒して、マリーを医務室まで引っ張ってくか」

 

 そういったレヴィンの瞳には、先程までの怒りによる濁りはもう無くなっていた。

 瞳孔の形も、獣化のそれから通常時の形へと戻っていた。

 

『どうやら、落ち着いたようだね。レヴィン? ミントに感謝するんだね。

 ミント。お前さんも、さっきみたいな無茶は今回限りにしておくれよ』

「フォルテか。迷惑をかけてすまん」

『ん、素直でよろしい』

 

 両機の一番近くにいたフォルテから呆れたような声で、窘めを伴った通信が入る。

 元凶であるレヴィンは特に言う事はせず、フォルテに向かって頭を下げた。

 フォルテの方もそれを見て、取立て言う事もせずにミントのほうへと視線を移す。

 フォルテの無言と視線による催促に応えミントもまた、口を開く。

 しかし、その口から出てきたのは意外なものだった。

 

『私はレヴィンさんなら、あの程度の攻撃くらい回避してくださると信じていましたから、それほど無茶をしたとは思っていませんわ』

「なっ!?」

 

 そう言い切ると同時に、こちらに向けて微笑みを向けるミントの顔を見てレヴィンは開いた口が塞がらなかった。

 彼女から自分に対する意外なまでに高い評価に加え、俗に《美少女》と呼ばれる程の華やかさを引き立てるかのような、余りにも柔らかい笑み。

 周りにいる女性がマリーのようなタイプばかりだったレヴィンに、ミントのこの表情は彼に対して大きな威力を発揮していた。

 

(何を恥ずかしがってんだ、俺は……!? 相手はマリーと、そう歳も変わらねぇのに)

 

 先程の発砲を上回る不意打ちを受け、レヴィンは大いに混乱した。

 その様子を見ながら、フォルテの口の端がつり上がる。表情には、意地の悪い笑みが張り付いていた。

 

『へぇ……。随分とレヴィンのことを信頼してるねぇ、ミント。お前さんにしては、珍しいじゃないか』

『あら、珍しがられるなんて心外ですわね。私、レヴィンさんだけではなく他の皆さんの事も信頼していますわ』

『そうかい。それじゃ、レヴィンの方はどう思ってんのかねぇ?』

 

 ミントからは聞き出せないと悟ったフォルテは、その意地の悪い笑みをレヴィンへと向けた。

 モニターに映るそれは、今のレヴィンからすればムシュフシュ以上に手強いものと感じざるを得なかった。

 しかし、ここに来て天はレヴィンを見捨てなかったようである。

 

『レヴィンさん、大丈夫ですか?』

『レヴィン! なに勝手に一人で飛び出してんのよ!』

『焦っては……いけません』

 

 アルマの追撃を諦めたのか、ハーベスターを始め、他の紋章機もトリックマスターとプロトレギオンの元に集まってきた。

 それと同時に、ミルフィーユからは確認が、蘭花からは怒鳴り声が、ヴァニラからは先程の行動を諌める言葉が一気にプロトレギオンのコクピットに流れ込んできた。

 

「あぁ、俺が悪かった。俺が悪かったから、一人ずつ喋ってくれ……」

 

 コクピット内に怒涛の勢いで流れ込んでくる仲間の声に対し、レヴィンは安堵と疲れが混ざった声で返事を返した。

 モニターの隅で舌打ちをしているフォルテを、極力見ないようにしながら。

 それと同時に、それらの言葉の奥底にある自分を心配してくれた優しさをレヴィンは噛み締めた。

 ならば、その優しさに応え得る自分になろう。共に生き残る為の障害(獲物)を狩り尽す餓狼へと……。

 レヴィンの瞳に再び獣が宿る。理性を無くした狂獣ではなく、確固たる意思を持ち獲物を狙う猛獣が。

 

「ミント、索敵に専念してくれねぇか? 今の所、アルマの機体を補足出来るのはトリックマスターだけみたいだからな」

『分かりましたわ、レヴィンさん』

 

 突然の頼みにも関わらずミントが頷いて了承してくれた事を確認したレヴィンは、機体腰部のホルダーから銃を引き抜き、それを左手へと構えた。

 レールマシンガン。紋章機にも搭載されているレールキャノンを小型化。それに伴い、弾速と連射性を高めた白兵戦用の射撃兵装。

 ナノマシンにより作り出された武装と言えども、その威力はオリジナルのレールキャノンに勝るとも劣らない。

 

「お前ら、構えとけ。……来るぞ!」

 

 来るぞ、と言う言葉を肯定するかのように遥か遠くでキラリ、と光が輝く。

 

『レヴィンさん! 二時方向から!! 先程よりも早くなっていますわ!』

「了解っ!」

 

 構えると同時に飛び込んできたミントの情報を信じ、レヴィンはその方向へとマシンガンを発砲した。

 漆黒の宇宙に発砲時の電流による鮮烈な光が浮かぶと同時に、それを迎撃するかのようにマズルフラッシュが煌き弾丸が発射される。

 双方の弾丸は寸分違わず激突し、宇宙を音無き爆音で揺るがした。

 

『驚いたね。もう立ち直ったのかい?

 このアタシが見込み違いを上乗せしちまう挙句、小娘如きにこの子の最高戦速を補足されちまうとはね。

 本当、癪に障って仕方が無いねぇぇぇぇ!』

 

 弾丸同士の激突による爆光の後ろから、唸るような叫びをもってムシュフシュが姿を現す。

 向けられた左手の甲からは発砲の名残である硝煙が、動きを察知された事を悔やむかのように立ち上っていた。

 

「お前の癪など知った事か! あの時の借りとマリーをやってくれた分、俺達でまとめて清算させてもらう!!」

『ちょっとお待ちよ、レヴィン。エルシオールの分もちゃんと勘定に入れてくれないとねぇ。

 そうしないと、あたし達の分がお釣りになっちまうよ』

『仲間はずれにしないでください〜!』

『よくもここまでマリーとエルシオールをやってくれたわね! 覚悟しなさいよ!!』

『皆さん、サポートは任せてくださいませ』

『反撃開始です……』

 

 レヴィンとエンジェル隊の宣戦布告が、ムシュフシュのコクピット内に流れる。

 アルマは頭を垂れ、ふるふると小刻みに震えていた。

 果たしてそれは、彼女の内に何をもたらすのか。

 そしてその答えを、レヴィン達はその身をもって知る事となる。

 

『クハハハハハ……。調子に乗るんじゃないよ、餓鬼共がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!』

 

 絶叫と共に風船(精神)に溜めに溜められた空気(狂気)が、器を破りアルマの体中を駆け巡る。

 そしてコクピットの後部で蠢いた端子が、アルマの首筋へと接続された。

 

 

 

                 ――― S.L.A.V.E SYSTEM ON LINE ―――

 

 

 

 ここに、双子星の片割れたる有限の真価が発現された。

 

 

 

 

                      ―― 損傷率0%…極めて良好 ――

 

 

 そんなことは分かってる。アタシは一度も被弾しちゃいないよ。

 

 

                     ―― 索敵…範囲内に戦闘機5機・人型1機、戦艦1隻存在。何れも敵性 ――

 

 

 あぁ、そうさ。アタシの可愛い獲物達さ。待ってなよ。今、狩ってあげるからね。

 

 

                            ―― 武装消耗率…20% 備考:《ヴェノム》作成完了 ――

 

 

 少しばかり撃ち過ぎたかい? 予想よりも、弾薬の減りが早いね。

 

 

                                  ―― ナノマシンシステム…オールグリーン ――

 

 

 問題なくて当たり前。ここまで一度も、発動させていないんだからね。

 

 

                          ―― 機体状況把握完了。フェイズ2…制御装置の最適化に移行 ――

 

 

 はっ。無駄な事を……。

 

 

                                  ―― エラー…対象領域にて制御因子、未検出――

 

 

           ―― 警告…対象領域内外より、思念増大。システム限界到達、フェイズ2実行不能。システム強制切断 ――

 

 

 切断されるのは困るねぇ。折角、起こしてやったんだ。道具は道具らしく、持ち主の言う事を聞きな!

 

 

              ―― 警告…思念、更に増大。システム限界突破、制御不能 ――

 

 

「機械風情が……。このアタシを取り込む? 思い上がるでないよ。アタシを含め、誰にも制御できやしないさ。この、狂い果てた精神(心)はねぇぇぇぇぇっっ!!!」

 

 

 

 

 目の前の光景を目の当たりにし、タクトは今までとは違う寒気をアルマから感じていた。

 端子をつけたコードが頚椎に挿入されてからアルマは動きを止め、不気味なまでに微動だにしていない。

 先程の絶叫からは考えれないほどの静寂。

 この得体の知れない寒気のせいなのか、誰も無防備に停止しているムシュフシュに攻撃をしかけようとはしなかった。

 

『何よ、何なのよ……! この感覚は!!』

『紋章機が……、嫌がってる?』

 

 蘭花やミルフィーユを初め、エンジェル隊の面々は少なからずアルマの機体に起こっている変化を感じ取っているようだ。

 むしろ、パイロットよりも紋章機それ自体が過敏に反応しているようだが。

 

「マイヤーズ指令。エンジェル隊と紋章機とのリンクに乱れが生じています」

「なんだって? エンジェル隊の皆、大丈夫か!?」

 

 アルモからの報告を受け、タクトはエンジェル隊のメンバーに話しかけた。

 

『タクトさん……。私達に……問題はありません。ただ……』

「ただ?」

『あの機体の状態に、紋章機が妙に反応してるんだよ。

 何て言うのかね、気に入らないものを見たくも無いのに見なくちゃならない……、そんな感じだね』

「どういうことだ? 紋章機はあの機体の事を知っているとでも言うのか?」

『そこまでは知らないよ。まぁ、そこまで深刻に考える事じゃないと思うよ。紋章機の方も段々、落ち着き始めてるしね』

 

 

 ヴァニラの言葉に続いたフォルテからの答えにタクトは、ふぅむ、と手を顎に沿え、レスターは疑問を口に出し、二人して思案するような素振りを見せた。

 だが、タクトはすぐに考えるのやめ、モニターに映る停止したムシュフシュを凝視した。

 

「ココ、あれから敵に動きはあるかい?」

「いいえ。依然、沈黙を保っています」

「アルモ、スラスターの状況は?」

「現時点で修復率15%。とてもじゃありませんが、通常航行すら不可能です」

 

 ココ、アルモ両名の報告を受け、タクトは思う。

 現在の状況は、敵機は謎の停止状態、紋章機とは何らかの関連性を持つ可能性有。

 相手の技量はマリー機の被害を省みるに、こちらと同等以上。エルシオールは航行不能。戦力は紋章機5機にプロトレギオン1機。

 エルシオールの航行能力を潰されてさえいなければ、ここは迷わず全機体を回収後、クロノドライブ航法で逃げる事をタクトは選ぶだろう。

 だが、航行能力を潰されている現状では、敵機の撃退以外に選択肢は無い。

 パイロットの勝負では敵に軍配が上がるであろうが、機体の性能と数ではこちらに分がある。それでも、タクトは不安が拭えなかった。

 

(彼女の様な人間が、何も策を講じずに機体を停止させているとは思えない)

 

 しかし、だからといってこのまま何もしなくていいことにはならない。むしろ、こうやってこちらが苦心している間に相手の思惑に嵌る事は是が非でも避けたい。

 詰まる所、結論は一つしかなかった。

 

「トリックマスターは万が一に備えて、引き続きレーダーに専念。ハーベスターはトリックマスターの護衛。残りの4機で敵機に総攻撃。

 嫌な予感がするから皆、迅速に頼む」

『『『『『『了解(です、ですわ)』』』』』』

 

 タクトの命令を受け、トリックマスターとハーベスターを残し、3色の翼と黒の剣士は不気味に眠る蛇へと向かっていった。

 後にレスター・クールダラスは語る。この戦いは英雄タクト・マイヤーズの戦歴の中で最も悲惨な結果であった、と。

 

 

 

 

 4機の戦闘機はプロトレギオン、カンフーファイター、ラッキスター、ハッピートリガーの順にムシュフシュの元へと急いでいた。

 加速力に優れるプロトレギオンが、その瞬発力を生かし一気に敵の懐へと飛び込み先制。

 続いてカンフーファイター、ラッキスターを加えた3機による波状攻撃により敵を殲滅。

 打ち漏れた分は、最後尾を務めるハッピートリガーのその圧倒的な火力で詰む。

 何時もと変わらない隊形、今まで一度も負けたことの無い万全の隊形を組み、着々と蛇との距離を縮めていった。

 

『そろそろ、こっちの射程内に入るね。分かってるとは思うけど、レヴィン、先走った真似はするんじゃないよ』

「分かってる。また同じ事をしたら、お前らに合わせる顔がねぇからな」

 

 フォルテの言葉に、レヴィンは無愛想に答えた。

 勿論、自分のことを心配して言っていてくれることは分かる。

 だが、こうも念を押されるとそこまで自分は信用ならないのかと嫌になる。

 僅かながらに暗くなったレヴィンの耳に、別の少女の声が届く。

 

『とか何とか言っちゃって〜。本当は、ミントに合わせる顔がないんじゃないの〜?』

「なんでそこで、ミントが出てくる?」

 

 モニターに映っている蘭花のにやついた顔にレヴィンはそう答えた。

 答えを聞いた途端、蘭花の顔が一瞬引きつり、それからすぐにハァ、と溜め息を吐いた。

 その様子はまるで、「何で気が付かないのよ、アンタは」と、呆れた声が聞こえるようだった。

 

『そりゃそうでしょ。あのミントが、アンタのことを止めるためにあれだけのことをしたんだから』

『うん。ミントがあそこまでの無茶をするなんて、あたし吃驚しちゃいました』

「確かに、な。俺もまさか、俺のことを止めるだけにあそこまでやるとは思わなかった」

 

 それと、あんな言葉と表情を向けられる事になることもな。と、密かに心の中で呟きながらレヴィンも同意した。

 だが、モニターに映る蘭花の顔が先程のフォルテと同じような表情を浮かべていることにレヴィンは気づいた。

 

『と言うわけで、レヴィン。さっさと白状しなさい。実際、ミントとはどうなのよ?』

『お待ちよ、ランファ。そのことだけじゃなく、どうやってミントからあそこまでの信頼を得たのか、その辺りも詳しく聞かないとね』

「知らねぇし、どうにもなってなぇ。アルマが近いんだ、ぼちぼち頭、切り替えろよ。死にたくはねぇだろ?」

 

 二体の悪魔からの追求を、レヴィンは目の前の相手の名を出す事で誤魔化した。

 事実、騒がしかった二人の声も今は聞こえない。

 程なくして、全機がムシュフシュをその射程に捉える。

 未だ、相手は一つも動きを見せる気配は無い。そのありえない無防備さが、より不気味さを引き立てる。

 

 ゾクンゾクンゾクンゾクンゾクンゾクン……!

 

 直感が奴が動き出す前に叩き潰せと、本能がレヴィンに行くなと、寒気を伴って異なる二種類の警告を発している。

 この直感(攻撃衝動)と本能(生存衝動)の意見の相違を、レヴィンは過去に一度体験している。

 3年前、変わり果てた姉貴分(アルマ)と炎と血だまりの中で再会した時に……。

 その時と似たような状況になったためか、レヴィン本人も気が付かないうちに汗が額に浮かんでいた。

 

『レヴィンさん、大丈夫ですか? 顔色がよくないですよ』

「大丈夫だ……、問題は無い。ランファ、ミルフィー、仕掛けるぞ!」

 

 ミルフィーユに心配をかけまいと、レヴィンは努めて何時もと変わらない調子で応える。

 その嫌な予感を振り払うかのようにレヴィンは機体の速度を最大戦速まで引き上げた。

 プロトレギオンの背部のメインスラスターと共に、脚部のサブスラスターも閃光を煌かせ、主の命に従う。

 

 オォォン!

 

 真空の宇宙を揺らし、後続の3機を瞬く間に引き離して剣士は眠れる蛇へと肉薄する。

 剣士の右腕がバックパックへと伸び、レーザーブレイドの柄を掴む。

 

(もらったっ!)

 

 レヴィンの確信に応えるかのように、プロトレギオンのバイザー型のアイカメラが煌く。

 同時に右手に握られていた剣の柄を、バックパックから勢いよく抜き放つ。

 ブォン、という音と共に全てを飲み込むかのような深い蒼の光が溢れ、長大な刀身を形成する。

 剣士は己が力を両手に持ち、最速の太刀をあびせんと蒼の刃を振るう。

 彼女が始めに教えたくれた、捨てたくとも捨てられない思い出の軌跡を描きながら。

 

 オォォォォォォォ……!!!

 

 横薙ぎに振るわれたそれは、蛇の体を両断せんと唸りを上げて襲い掛かる。

 そして刃が後、ほんの僅かの距離で機体に届くその時だった。

 虚ろだった単眼に、再び狂気(灯り)が点けられる。

 同時に大型ブースターの噴出孔より強大なエネルギーが溢れ出し、一対の翼を形成した。

 その形はまるで、大空を翔る鷲のそれであった。

 

 伝説に曰く。ムシュフシュは時として鷲の翼を携え、嵐と戦いの神の乗騎の役目を担う、と伝えられる。

 

 

『……誰にも……できやしないさ。この、狂い果てた精神(心)はねぇぇぇぇぇっっ!!!』

 

 ドゴォォォォォォッッッ!!

 

「ぐおぉぉぉ!!??」

 

 蒼と紅の閃光が周囲を鮮烈に照らす。

 超加速を持って突撃力を上げた大太刀が、片手剣程の大きさでしかない鎚矛に弾かれる。

 

(当たり負けただと!?)

 

 太刀を弾かれ、姿勢を大きく崩された機体の中で、レヴィンは目の前の事態をすぐに信じることができなかった。

 戦艦さえをも一刀の元に両断するほどの刃が、それから見れば小石ほどの大きさしかない鈍器に当たり負けるなど誰が思おうか?

 がら空きの剣士の体を狙わんと、蛇がゆらりとその身を揺らす。

 だが、先刻とは打って変わってその挙動は余り緩慢としたものだった。

 少なくとも、レヴィン達の目にとっては……。

 

「そんな、鈍くさい動きで……」

 

 ガドォォォォォォォッッッッッ!!!!!

 

『いつまで、五挙動前のアタシを見てる気だい? レヴィィィィィン!!!!』

 

 それは有り得ない光景だった。ゆっくりと動くムシュフシュとは別にもう一体、プロトレギオンの頭部を左腕で掴んでいた。

 否、緩慢に動く存在は毒蛇にして毒蛇に非ず。更に一歩、人外の領域に踏み込んだ速度がもたらした残像に過ぎなかった。

 その速度は最早、人が正常に視認できる領域さえも踏み越えていた。

 それでも、絶望は終わらない。

 

『レヴィンさん! どうなさいましたの!?』

「ミントか!? 何、今にもアルマにレギオンの頭を潰れそうになってるだけだ!」

『えっ……? そんな、何時の間に……。まさか!』

 

 通信を入れてきたミントは、レヴィンの言葉を聴くや否や、声色に陰りが満ちる。

 

「おい、まさかって事は……!」

『信じられませんわ! こっちは全ての機能をレーダーに回している筈ですわよ!?』

 

 トリックマスターを以ってしても、捉える事ができない。

 蛇の動きに対応できる唯一の目(レーダー)が捉えられない。

 そのことを悟ったレヴィンは、自分でも驚くほどの大声で通信機に向かって叫んだ。

 

「お前ら、退けぇぇぇぇぇぇぇ!」

『逃がしゃしないよぉぉぉぉ! 待ってな、レヴィン。あいつ等を狩ったら今度は坊やの番だ。それまでは、大人しくてなぁぁぁぁ!!!』

 

 頭を掴む牙の奥から、シュルリ、と先端にコネクタを付けた触手のようなコードが姿を現す。

 触手は牙によってできた傷を目掛け、我先にと剣士の内部へと侵入していく。

 

 ブツンッッッ!

 

 半分ほどの数の触手が侵入したその時だった。プロトレギオンの目(カメラ)から輝きが消える。

 それだけに留まらず、コクピットに点っていた計器類のランプが、一斉に自らの役目を放棄した。

 突然の事態に、レヴィンは慌てて目の前のコンソールを叩く。

 ピコン、とレヴィンの目の前に現在の機体の状況を報せるメンテナンスディスプレイが、小さく現れる。

 

「どうなってんだ!? 火器管制……ダウン、スラスター制御……ダウン、マニューバ・モビリティ……ダウン。

 他のシステムも、一部を除いて停止だと!? やられたな……。戦闘関係の奴は全部、無力化か!

  怒れる毒蛇(ムシュフシュ)とは、言ってくれたもんだ!!」

 

 小さい画面が照らす僅かな光の中で、レヴィンはギリッと歯軋りをした。

 恐らく左手の掌から出てきたあの不気味な端子を介して、このたちの悪い毒(ウィルス)を送り込んできたのだろう。

 凶悪なまでのシステム面での麻痺性、送り込んでから10秒ともかからぬ内にそれが機体内を駆け巡る即効性……。

 神代の毒蛇の名に相応しいまでの、猛毒だった。

 ゴウン、と何かが機体から離れていく事を、コクピットに僅かに届く衝撃でレヴィンは知る。

 アルマは言った。お前の番は後回しだ、と。

 

「ふざけるな……! 二度もお前から、家族を……仲間を奪われてたまるものかよっ!!」

 

 ダンッッ!

 

 レヴィンは叫ぶと共に、もどかしい怒りがままに目の前のコンソールに拳を打ちつけた。

 その時だった。

 

 ヴンッ……。

 

 まるで、その行動に叩き起こされたかのようにメインディスプレイに再び文字が浮かび上がる。

 

 

           ―― Vウィルス感知。プロテクト解除……Vワクチンシステム実行。ウィルス駆除までの総所要時間90秒 ――

 

 

「こいつは……?」

 

 見慣れない文字の羅列を見た、レヴィンの呟きがディスプレイから流れる実行音と共にコクピットに木霊した。

 剣士は静かに、その身を蝕む毒を少しずつ殲滅しようとしていた。

 

 

 

 

 ウィルスが機体に回りきった事を確認したアルマは、クローアームをプロトレギオンの頭部から離した。

 支えを失った剣士は、力なくゆらゆらと宇宙空間を漂い始めた。

 

「ヒャハハハハハ! 血気盛んだねぇ! 仲間想いなのは、好印象だよぉぉぉぉ!!」

 

 鷲の翼が、荒々しく羽ばたく。目の前には、こちらに向かってくる2羽の天使。

 

 

    ― 敵性機スキャン:高機動型1、汎戦闘型1。備考:敵機後方に重装型1。更に後方、2機。スキャン射程外により、詳細不明 ―

 

 

 頚椎に挿し込まれたデバイスにより、機体AIと直接リンクしている脳内に敵機の機影が流れ込んでくる。

 本来ならば、人間の負の感情を糧に搭乗者の人格を消去(最適化)し、

 不確定要素(人の心)に左右される事なく機体の潜在能力を安定して発揮させる事を目的としたS.L.A.V.E。

 しかし、アルマはシステムに制御(支配)されるどころか、逆に機体を取り込み、制御(支配)している。

 何故、彼女はシステムに取り込まれなかったのか? その答えは、彼女の歪な精神によるものだ。

 S.L.A.V.Eは、力への欲求、敵への恐怖、絶望。裏を返せば、生に縋りつく願望を糧に人を取り込む。

 無論、彼女とてこれらの負の感情は持ち合わせている。だが、向いているベクトルが余りにも違っていた。

 そこにあるのは、如何に《世界》と言う存在に癒えぬ傷痕を残しこの身を滅ぼすか。

 余りにも深い、自身と世界に対する破滅願望だった。

 全てを飲み込まんとする彼女の内なる闇は、失われた文明の利器さえをもその腕に絡め、深淵へと誘う。

 その結果が、現在の彼女に他ならない。

 

「ンン〜!?  赤い奴は、高機動型な上に腕付きかい? 面白いじゃないかぁぁぁぁ!!」

 

 獲物を定めた単眼にギラリ、と光が揺れる。

 龍が最初に定めたるは、真紅の輝きを持つ麗しき闘士。

 自身の像さえをも置き去りに、狂気が宙を駆ける。

 無論、トリックマスターのレーダーを、獣化により強化された直感をも踏破した速度に蘭花は対応できるはずも無かった。

 

 グシャァァァァァァッッッ!!

 

『きゃあぁぁぁぁっっっ!?』

『ランファっ!?』

 

 蛇の牙がカンフーファイター機体右部を削る。

 アンカークローは辛うじて無傷ではあるものの、ミサイルポッドは無残にも引きちぎられた。

 

『このっ!』

 

 ドシュシュシュシュッッッ!!

 

 だが、蘭花とても軍人……パイロットとして非常に高い適性を持つ。

 すぐさま、目の前にいるムシュフシュを目掛け、機体底部と左部のミサイルポッドを展開し反撃を試みる。

 しかし悲しきかな。常人の瞳に映るその姿は残像。手応えなど、あるはずも無かった。

 いや、むしろ……。

 

 ガドンッッ! ガドンッッッッ!! グシャァァァァ!!

 

『ちょっと、何で当たって……きゃあぁぁぁぁぁっっ!!??』

 

 その隙をつき、より苛烈に龍は獲物を追い詰める。

 残りのミサイルポッドをレーザーメイスに潰され、アンカークローはバルカンごとクローアームに握りつぶされる。

 圧倒的にも程がある。絶望的なまでの、力の差。

 止めと言わんばかりに、クローアームに機体を捕縛され、その手に内蔵された銃口が冷たくコクピットに向けられる。

 

 化け物。

 

 蘭花の脳裏に浮かぶこの言葉こそ、今の彼女を表すに相応しいものなど無かった。

 ギョロリ、と蛇眼が彼女を射抜く。

 途端、蘭花の顔から全ての色が抜け落ちる。

 暴力的なまでの狂気(殺気)の嵐が、強大なる勢力を持って彼女の心を蹂躙する。

 どす黒く、暗く冷たい泥の様なものが無遠慮に中へと押し入ってくる。

 

(怖い……! 怖い怖い怖いこわいこわいこわいコワいコワいコワいコワイコワイコワイ!!!!!!!!)

 

 秒にも満たない間に百回は殺された。少なくとも、蘭花はそう錯覚せざるを得なかった。

 圧倒的なまでの恐怖。その強烈さに、蘭花の心身が声無き悲鳴を上げる。

 その時、蘭花の耳に親友の声が響く。

 

『このぉ! ランファから離れてください!!』

 

 幸運の星の名を冠する翼より、親友である闘士に喰らい付く龍に向かって幾重にも光が放たれる。

 曲線の軌道を描くそれは、目標を目掛けて迷う事無く突き進む。

 熟練したパイロットなら迷わず目の前の相手を諦め、回避を選択せざるを得ないタイミングでの発砲。

 しかし、龍は襲い来る光の雨を目前にして回避しようとはせずに。

 

『……!? 離して! 離して離して離して離してぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 相手の思惑に気づいた蘭花は、喰らいつかれた牙から逃げようと最大出力でブースターを点火する。

 それでも、突き立てられた牙は微動だにしない。あの細い機体のどこに、これほどまでの力があるというのか?

 龍は苦もなく左腕を突き出し、闘士の体を盾として。

 

「悪いねぇ、獲物を狩るのを手伝ってもらってぇぇぇ!!!!!』

 

 真っ向から、光の雨の中へと躍り出た。

 

『ランファっ!?』

 

 友を助けるために放った攻撃によって、助けるべき友が傷ついてゆく。

 龍によりつけられた傷が光の雨によって、より深いものへと悪化していく。

 通信機から雑音交じりで聞こえてくる、友の悲鳴。

 幸運の星より放たれた光が失われる頃には、ぼろ雑巾のようになった闘士の亡骸が唯一つ、漂っていた。

 そう、亡骸だけが唯一つ……。

 

『えっ!?』

 

 友を盾とした敵の姿が一瞬のうちに姿を眩ませた事に、ミルフィーユは息を呑む。

 

(一体、敵はどこに……?)

 

 ミルフィーユの心に焦りが生まれる。そして、その焦りが彼女がこの戦場で最後に感じた事だった。

 幸運の星の女神に反応する暇を与える事も無く、龍は背後から血の色に輝く鎚矛をもって、空(希望)に浮かぶ星を地上(絶望)へと叩き落した。

 

 ドガァァァァァァッッ!

 

 煌々と輝くエネルギーを纏ったそれは、一撃で皇国最強と謳われる兵器をスクラップ寸前の鉄くずへと貶めた。

 

「これで二つぅぅぅぅ!! 馬が良くても、乗り手がこれじゃあねぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 咆哮を上げ、より一層に猛り狂いながらムシュフシュは翼をはためかせる。

 なんとたわいの無いことか! これだけの兵器に乗りながら、それから見れば余りにも脆弱すぎるこの機体に傷一つ付ける事すら叶わない。

 自身の異常さを時空の彼方へと押しやり非力な(彼女から見れば)少女達の姿を、ただ嗤う。

 

『言いたい放題言ってくれっちゃって……。そういうことは、あたしに勝ってから言ってほしいね!』

「あン!?」

 

 背後から聞こえる声でアルマはまた一匹、今まで気配のみで様子を見ていた紋章機(獲物)を初めて、彼女は自分の眼で確認する。

 目の前に鎮座するはGA−004《ハッピートリガー》。

 先程仕留めた2機とは比べ物にならないほどに装備された大量の銃口が淀みなく龍へと向けられる。

 さしずめ、不幸(敵)を駆逐する幸福と言う名の銃の引き金か。怖や怖や、と多分に嘲りを含んだ笑みで彼女は相手を値踏みする。

 しばらくして、ふっ、と吐き捨てるかのようにアルマは息を吐く。

 

「天秤にかけることすら馬鹿馬鹿しいねぇぇぇぇ! 小娘は小娘らしく、地べたを這いずり回って嗚咽でも漏らしてるのがお似合いさねぇぇぇ!」

 

 身の程を弁えろ。言葉に表す事はせずに、その身に叩き込んでやると言わんばかりに龍は羽ばたく。

 一瞬でも加速をすること許せば、龍を捕らえることは叶わない。

 ならば、加速する暇を与えなければいいだけの事。相手が構える前に、こちらが構えていればいい。

 

(地べたを這いずり回るのがお似合いだ? 冗談。それこそ蛇みたいな、あんたの方がお似合いじゃないか!)

 

 その言葉(態度)、そっくりそのまま返してやる。フォルテもまた、言葉にはせずに行動で示す。

 既に展開されていた引き金は、龍が空へと飛び立つ前に唸りをあげる。

 

『跡形もなく消し飛びなっ! ストライクバースト!!』

 

 搭載されている全ての武装を開放した一斉射撃。その威力は、レギオンアーミーのフルオープンと比べるまでもない。

 戦艦であれども、一瞬でデブリの仲間と化す事ができるほど。

 装甲を極限までに薄くしたムシュフシュにとっては、襲い掛かる兵装の一つ一つが死、そのもの。

 加速しての回避は間に合わない。

 少しの違い……。準備を《しよう》としていた事と、既に準備を《していた》という相違がもたらした結果。

 相手にこの攻撃を防ぐ手立ては無い。フォルテは知らず、笑みを浮かべていた。

 

(少しばかり、利子をつけすぎて返しちまったかねぇ。まぁ、少しばかりのお茶目と言う事で……)

 

「ヒャハハハハハ!! 甘い、甘いよぉぉぉ!!!」

 

 一閃。龍が手に持つ鎚矛に夥しいまでのエネルギーが流れ込み、レーザー光で形成された鈍器の部分が途方もない速度で肥大していく。

 戦闘母艦もかくやという程までに巨大化した光を、細腕一本で軽々と龍は振るう。

 現実としても、夢として語るにも出鱈目な光景。

 結果は明白。数多の武装がその光の中へと飲み込まれ、四散した。

 

『何なんだい……!? あいつは!!』

 

 余りにも一方的な展開に、フォルテは叫ばずにはいられなかった。

 文字通りの必殺の一撃。それを、いとも簡単に一振りで対抗された。

 あの翼が現れてから両者の間にあった僅かな差が、絶望的なまでの圧倒的な差に変わりつつある。

 未だ、ARCシステム(眠れる翼)の存在を知らぬ彼女達には、その力は余りにも強大だった。

 

 ウォンッッッッ!!

 

 収まりきらぬ爆光を貫き、牙が担い手に喰らいつかんと星空を駆ける。

 しかし、激しく煌く光を背負った故にその軌道は一目瞭然。

 そのことが幸いして、フォルテは辛くもその牙を回避する事に成功する。

 そして、幸運の引き金は荒れ狂う光に飲み込まれた。

 

「まぁ、及第点と言った所かね。アイツがもう少し軟い機体だったら、消し炭になっていたんだろうけどねぇ」

 

 ハッピートリガーを飲み込んだ光……鷲の翼を翻し、アルマは少しだけ不満を滲ませていた。

 エネルギーの塊であるこの翼を、すれ違いざまに相手に叩きつける。

 考え方としては悪くはなかった。

 しかし、所詮は余剰エネルギーの塊であったために威力不足だったのか、相手の防御フィールドが堅牢だったのか。

 一撃で消滅させるまでには至らなかった。

 機体全域から火花を散らし、重度の火傷を負った人間の様に武装と装甲をボロボロに溶かされながらも、相手は健在であった。

 もっとも、中に乗っている人間が戦闘行動を続行できるかどうかは怪しいが……。

 

「十中八九、生きてはいるんだろうねぇ。3機とも、攻撃がシートには届かなかった様だし。まったく、いい機体だよ。忌々しいくらいにねぇぇぇぇ!」

 

 八つ当たりをするかのようにクローアームを伸ばし、ムシュフシュは満身創痍のハッピートリガーに狙いを定める。

 その時だった。アルマの背筋に微弱ながら寒気が流れる。小川のように澄み切った、明確かつ知的さを感じさせる攻撃意思。

 それは、彼女がシステムを発動させる事を余儀なくされた原因。あの、青い紋章機の気配。 

 それと一緒に近づいてくるもう一つの気配。穏やかでありながら、揺らぐ事は万に一つもないであろう気丈さを持った攻撃意思。

 くっ、と無意識のうちにアルマの唇の端がつり上がる。

 

「いいねぇ、この感じは……!」

 

 あの2機は強い。それは機体だけの話ではない、それらに乗っているパイロット達を含めて。

 トクン、と小さくではあるが彼女の血が滾る。小振りではあるが、充分に上物といえる相手(獲物)

 だからこそ……。

 

「全開で、屠ってやるよぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!」

 

 

                    ―― ナノマシンシステム起動:クリエイトモード。マシンプラント、フルドライブ ――

 

 

 己が持ちうる最大の力を以って、真正面から叩き潰す!

 翼がより禍々しくはためくのに合せ、ムシュフシュの胸部より光の粒子が宇宙に散る。

 それはナノマシンの輝き。勝手気ままに飛び回っていた粒子が徐々に集まり、ある形を成していく。

 ハーベスターの様な慈母の如き優しさの心ではなく、狂気を媒介にした機械的な高速演算を駆使して。

 

 

                            ―― モードチェンジ:ルーラーモード。伝達機構……異常なし ――

 

 

 紫紺の輝きがより一層に輝き、ムシュフシュの周囲を照らし出す。

 そして輝きがおさまるとともに、龍は次なる獲物の元へと飛び立った。

 人知を超えた速度による残像だろうか? その時に見えた点火光は確かに、六つに見えた。

 

 

 

 

 ミントとヴァニラは、仲間達の余りの惨状に唇を噛み締める。

 プロトレギオンは詳細不明だが、敵の攻撃を受け機能停止。カンフーファイター、ハッピートリガーの両機は機体全域に深刻な損傷を。

 ラッキースターはフレームが歪み、出来の悪い模型の様な醜悪な形となって火花を散らしながら漂っていた。

 紋章機3機に至っては、直撃こそ免れているもののコクピット部への損傷も確認できる。

 この状況に貶めるまでに相手がかけた時間は、僅か46秒。

 余りにも迅速すぎる、圧倒的な破壊活動だった。

 

『酷い……』

『えぇ……。何もここまでやらなくてもよろしいものですのに』

 

 モニターや計器ごしに仲間達の安否を確認すればするほど、相手の実力の高さを嫌が応にも思い知らされる。

 サポートに性能を裂いている二人の機体とは違い、彼女達の機体はその性能の全てを戦闘行動に直結するものにつぎ込んでいる。

 ましてやそれらは、皇国最強と謳われる紋章機とそれに準ずる技術の結晶である機動兵器。にも関わらず、敵は彼女達を打倒した。

 ついでに言えば、あの翼が出現してからトリックマスターのレーダーを以ってしても、正確に捉える事が出来なくなっている。

 ステルス等の機能を発揮しているわけでもなく、ただ、その機体が持つ速度のみでこちらのレーダーを凌駕している。

 敵の戦闘力は最低でも紋章機と同等。加えて、こちらは敵の動きを捕捉することすらままならない。状況は限りなく、最悪だった。

 そして、より深くその色に宇宙を染めるが如く、嵐が吹き荒れようとしていた。狂気と言う名の、雷と風を伴って。

 

 ゾワリ……。

 

『『えっ……?』』

 

 その嵐の兆しを、彼女達は何故か捉える事ができた。一人は迸る想いを己が能力で。

 一人は龍に追従する光、彼女が慣れ親しんだ粒子に偶然にも籠められた叫びで。

 それぞれに、狂気の裏に隠された真の願いを。

 かくて、嵐は巻き起こる。幸か不幸か、蛇龍の秘められた望みを察してしまった少女達のもとに。

 

 グオォォォォォォォンッッ!!

 

「ひゃはっ、ハハハハハハハハ!!! 呆けてるんじゃないよぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!!!」

 

 否……。それは、もはや嵐と言う次元ではなかった。それは大嵐、両天使に襲い掛かる牙は六対。

 そう、残像では無しに。現実として。そこには確かに、六頭の龍がいた。

 それらはムシュフシュに搭載されたナノマシンシステムにより生み出されたフェイク。

 されどその戦闘力、真のそれと遜色は無し。

 戸惑いで動かぬ天使達を、大嵐は易々と飲み込んだ。

 

 ガガガガガガガガドドドドドドドドドドッッッッ!!!!!!

 

 鎚矛が収穫者より他者と分け合う恵を奪い、牙が舞い踊る妖精を次々と噛み砕いてゆく。

 周りからは絶えず弾丸が降り注ぎ、両機の装甲と搭乗者の精神を削っていく。

 

『きゃああああ!!!! ……っ。ど、どうしてなんですの……!?』

 

 止まない衝撃に愛機と共に身を軋ませながらも、ミントは叫んでいた。

 嵐は苛烈に。それに比例して、それも強さを増して、テレパスファーを通し伝わってくる。

 悲痛なる、その想いが。

 

『何故……。ああああぁ! くっ……、貴女は!?』

 

 ヴァニラもまた、ナノマシンを介し聞こえてくるその叫びを聞く。

 精神の平静を保ちナノマシンを操るヴァニラだからこそ、龍の粒子に籠められたそれを敏感に感じ取る事ができた。

 その籠められた叫びを感じてしまった以上、目の前の相手に問わずにはいられない。

 

「嬢ちゃん達に、分かるものかい……」

『『!?』』

 

 ミントとヴァニラの耳に、アルマの声が入る。その声色は、酷く暗いものだった。

 同時に、全ての攻撃が止まる。周りを囲んでいた龍達も、本体の元へと集っていく。

 それは、大嵐の終わりを告げるものではなく……。

 

「望めど手に入らず! 望まねどもそれに縋るしかなった!! アタシのことはねぇぇぇぇ!!!」

 

 より一層に吹き荒れる事への予備動作。

 本体が上げる咆哮を合図として、龍は舞を踊るが如く軌道を見せながら、必殺の業を披露する。

 

「死出の手向けに舞い踊るは幽玄六連曲。ゆるりと、楽しみなぁぁぁぁぁ!」

 

 口上が終わると同時に、六頭の龍の軌跡はより複雑に絡み合い、青と緑の天使へと向かっていく。

 龍の軌道と傷だらけの天使の姿が重なったその時。

 

 ズガシャァァァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!!

 

『『きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!』』

 

 極大の嵐が吹き荒れ、完膚なきまでに残された天使を痛めつけた。

 吹き荒れた時間はおよそ数秒。跡には奇跡的にコクピット部の大破を免れた二体の天使と、嵐の担い手たる六頭の龍が在った。

 六機一体の超高速連携攻撃、速度はあれど強大な武器を持たないムシュフシュが切り札。その名を《六式》。

 ジャンク寸前の紋章機を背に、ムシュフシュは機体腰部に設けられた廃熱板を展開し、臨界駆動まで酷使した機体に一時の休息を与える。

 

「さて……、仕上げだよ。ミルフィーユ・桜葉、蘭花・フランボワーズ、ミント・ブラマンシュ、フォルテ・シュトーレン、ヴァニラ・H。

 そして、マリー・ジントニック……。アンタらの名前と顔は確かに、アタシの記憶に刻み込んだ。だから……」

 

 集った龍はまたも散り、それぞれに風前の灯である少女達の元へと行く。

 掲げるは血に染まった鎚矛、振り下ろすは機体中央部……天使が座する祭壇(コクピット)。

 

「迷わず、逝きな……」

 

 腕(かいな)は無情に、灯火を消さんと振るわれる、その筈だった。

 一体のフェイクの反応が消失しなければ。

 その事態にアルマを始め、残るフェイクも動きを止める。

 動きを止めたのは一瞬。しかしその一瞬にまた一体、反応が消える。

 

「3番が沈んだ……? 2番もかい!? くはは、そうかい……! 起源は同じ。ならば、抗体を持っていても不思議じゃないねぇぇぇぇ!!」

 

 次々と消える分身を反応を見ずに、アルマは笑う。レーダーで確認するまでもない。

 この戦いが始まって以来、最高に冷たい寒気が彼女の背筋を駆け抜ける。

 振り上げた鎚矛の向きを変え三度、迫り来る蒼き刃へと振るわれる!

 

 ガキィィィィン!

 

「思ったより早かったね、レヴィン坊や。フェイクへの指示が遅れたばかりに、全滅させられちまうとはねぇ」

『やらせねぇよ……! 妹(マリー)も、エンジェル隊とエルシオール(仲間達)もっ! アルマ、てめぇには!!』

「気迫は充分、濁っているわけでもない! いい怒り方だよ、レヴィン。だけどそれじゃあ、まだ足りないよぉ。アタシを殺すにはぁぁぁっっ!!!」

 

 火花が爆ぜ、両者共に一足一刀の距離へと跳び下がる。そして、展開は今へと続く。

 

 

 

 

「がっっ!?」

 

 両腕をもがれ、剣を振るう術を失った剣士の体に、蛇龍の牙が突き刺さる。

 勝敗はここに。蛇龍の体に傷をつけることもなく、天使と獣は地に臥せる。

 悪夢とは正にこのことか。たった一機に、為す術もなく全滅させれた。

 

『はっ、他愛無い。まだまだ、アタシの足元にも及ばないねぇ。坊や? さて、少し役に立ってもらうよ』

 

 軽々と蛇龍は剣士の体を持ち上げながら、楽しそうにアルマは口を動かす。

 役に立ってもらう、その言葉に言い知れぬ不安を感じたレヴィンは反射的に、アルマに声を上げた。

 

「役に立ってもらうだと……!? 何を……!」

『簡単なことさね。これ(プロトレギオン)をエルシオールのブリッジに叩きつけるだけさ。

 アタシに殺されるのが嫌なんだろう? だったら、間接的にとはいえアンタで殺してやるよ。仲間をねぇ……!』

「ふざけるなっ!!」

 

 思い通りになるものかと、レヴィンはブースターを点火する。

 エルシオール随一の加速力を支えるそれの出力は、紋章機をも超える。

 

『無駄だよ。その程度じゃ、この子の腕はびくともしないよ』

 

 しかし、それを以ってしても機体に食い込んだ牙は微動だにしない。

 絶望は確実に。龍と儀礼艦は徐々にその距離を詰め……。

 

『悪いが、おぬしの思うようにさせるわけにはいかんのでな』

 

 左方より放たれた艦砲射撃が、ムシュフシュの行く手を阻む。

 だが、常に《獣化》にあるアルマの直感の前では、その不意打ちも届く事はなかった。

 しかし、回避に移るその刹那。牙の拘束が緩む。

 

 ズオォォォン!

 

 その好機を逃さんとばかりに、プロトレギオンは最大出力でブースターを起動させ見事、毒蛇の牙を振り切ることに成功した。

 ムシュフシュもそのことに気づきはしたものの、止まぬ砲撃に阻まれ、その牙が再び剣士を捕らえる事は叶わなかった。

 一艦隊分の砲撃を全て回避する事は、アルマにとっても片手間では出来る芸当ではなかった。

 

『ルフト先生!』

『無事じゃったか、タクト!』

 

 エルシオールのブリッジのモニターに、懐かしい顔が映し出される。

 ルフト・ヴァイツェン准将。タクトにシヴァ皇子にエルシオール、そしてエンジェル隊を託した張本人。

 クリオム星系にて、エルシオールを敵の追撃から守るために陽動をかってでた、恩師である老将の顔が。

 

『ご無事でしたか、ルフト准将!』

『はっはっは! わしを侮るでないわい、レスター。

 じゃが……、残念な事に今は再会を喜んどる場合じゃあるまいに』

 

 ルフト准将の目は鋭く、迫り来る砲撃を悉く避けきるムシュフシュへと向けられる。

 針の隙間ほどしかない砲撃の抜け目を飛び、一撃たりとも直撃はもとより、かすりもしない神代の毒蛇へと。

 

 ズドォォォォ、ズドォォォォ、ズドォォォォ……。

 

 ルフト艦隊による一斉砲撃は間断なく十数秒続いた。

 しかし、それだけの大量の攻撃の中に居て尚、ムシュフシュはそれが当然であるかのように、無傷であった。

 

『あれだけの砲撃を回避しきるとは……。敵ながら、天晴れな奴じゃのう』

 

 ルフトはその現実の前に舌を巻いた。

 目の前の相手は、紋章機でさえも出来るかどうかわからない、艦隊一斉砲撃完全回避を完遂した。

 敵であることは分かっていながらも、ルフトは賞賛の言葉を贈られずにはいられなかった。

 しかし、狩りに水を差されたアルマにとっては、それどころではなかった。

 

『賢しいねぇ! 賢しいよっ! アンタら全員、アタシの狩りを邪魔した事を後悔させてやるよぉぉぉぉぉ!!!!!!』

 

 鷲の翼は、彼女の怒りに応えるかのようにその大きさと輝きをより歪に強めていった。

 最早何度目か分からぬ狂気の嵐が、またも吹き荒れようとしていた。

 

『ぬぅ……っ!?』

 

 吹き付けるそれにルフトは思わず唸る。今までに感じた事がないほどの、暴力的な気迫。

 守りきれるのか? 老将の脳裏にらしくもない、不安が過ぎる。

 しかし、その不安は幸運にも現実のものとならなかった。

 

『がっ……!? ぐぅぅぅぅ……!!??』

 

 突如としてムシュフシュから翼が消え、パイロットであるアルマも苦しさの余りに喉を掻き毟り始めた。

 

 

     ―― 警告:機体負荷率、エネルギー残量及び、機能暴走による全体負荷危険領域突入。即時の戦闘行動停止を推奨 ――

 

 

『がぐっ……!? あっ、あぁぁぁあぁぁぁ!?』

 

 喉を掻き毟りながらも、アルマは徐々に両手を座席後部から頚椎に接続されているデバイスへと伸ばされていった。

 アルマは口から泡とも胃液とも判別できない液体を吐き、眼球もまた異常な速度で赤みを増していく。

 その異常さに気圧され、ルフト達は動きを止めざるを終えなかった。

 がしっ、とアルマの両手がデバイスを掴む。次の瞬間、アルマはありったけの力を込めて……。

 

『ぐっぎっ!!! ガァァァァァァァァァっっ!!!』

 

 ブチブチブチブチブチッッッ!!

 

 強引に首から端子を抜き取った。同時にビチャリ、と液体が飛び散る音が聞こえた。

 見れば端子の先から、紅い雫がポトリ、ポトリと垂れていた。

 首の後ろから流れる血をそのままに、アルマは荒く息を吐きながら、モニターの向こうを睨みつける。

 

『運が……良かったねぇぇぇ! レヴィン・ジントニック、タクト・マイヤーズ……! それに、そこの耄碌爺!!

 次に会う時はアンタら全員、確実に殺してあげるよ……!』

 

 鬼神の如き形相でそれだけを言い残すと、毒蛇はその身を翻し瞬く間にその宙域から去っていった。

 突然の敵機の撤退に味方はしばらく動きを止めていたが、すぐに大破した紋章機とレギオンアーミーの回収。

 推進部を潰されたエルシオールの牽引準備等に慌しく動き始めた。

 その中で、レヴィンは再三の帰艦命令を無視しながら、アルマが飛び去った方向を見つめていた。

 3年前のあの日と同じく。ただ、目の前に現れた壁の巨大さを、堅牢さを。それに対する、自身の無力さを。ただただ、噛み締めながら。

 

「くそがっ……!」

 

 呻きは静かに、相手と自身への嘲りを込めて、小さく響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 明けましておめでとうございます。遅筆が定着しつつあるNarrでございます。

 

 8話でアルマ戦が終わるように書いていたら、いつも投稿してる分の3倍近くの容量になってしまいました orz

 まぁ、他の皆さんと比べると少なすぎるので丁度いいかな、と自分をごまかしながら最後まで筆(指)を走らせて(叩いて)みました。

 

 さて、今回の話ははっきりいってアルマ一色ですね。少々やりすぎたと、作者自身が思うほどに…… orz

 一応、ムシュフシュはシステムを暴走させないと紋章機に対しては優位を保つ事ができません。

 え、苦しい言い訳ですか?

 

 それでは今回はこの辺りで。

 第9話にて、またお会いできればと。