―― 第9話 望んだ事、望まなかった事 ――

 

 

 

 

 

 世界を染め上げるは焔の赤と、近しいもの達から流れ出る血液の紅。

 

 

― 嘘。

 

 

 紅と赤を纏い、世界に響くはとても不快な木管楽器(焼け落ちる柱)の音色。

 

 

― 嘘だ!

 

 

 世にも不快なこの絵画(状況)を書き上げたるは、体にかかった絵の具(返り血)を拭おうともしない一人の画家(殺戮者)。

 

 

― 嘘だ嘘だ!

 

 

 画家はおもむろに顔を上げ、少女の姿を見止める。そこに、幼き日の面影は無く、存在するは獲物を狙う蛇の如し零度の眼差し。

 

 

― 嘘だ嘘だ嘘だ!

 

 

 少女は驚きの余りに腰が砕け、ずるずると這うように後ろに下がる。しかし、数mも行かないうちにその背は壁へと辿り着く。

 蛇は一歩ずつ、自身の唇を舌で舐めながら近づいてくる。恐ろしくもあり、見るものを魅了する艶かしさを帯びながら。

 いやいやと、首を振る少女の頭に蛇の手が乗せられる。

 何時しかその手は、人のものではなく機械的なクローアームへと変貌し。

 

 

 

 

『許せ、とは言わないさ。それでも、これだけは言わせておくれ。ごめんね、マリー』

 

 

 

 

 憂いを籠めた単眼と、底の知れない後悔の色の声で謝られる。

 刹那、頭部を掴む腕に力が入り、少女の頭が……。

 

 

 

 

 

「っ!? ゆ、め……? いつっ!」

 

 機器の照明だけが光る薄暗い医務室に並べられた6つのベッドの中の一つで、燃える様な赤色の髪がもぞりと、僅かに動く。

 ビクリ、と痛みにより一瞬、動きが止まったが程なくしてそれは行動を再開した。

 目を覚ましたマリーはまず、今の状況を整理しようと頭を回す。

 

(ここは医務室、よね? あれ? でも、確かアタシ達って出撃したはずじゃ……?!)

 

 出撃という単語が引き金となり、マリーの脳裏に気を失う直前の光景がフラッシュバックされる。

 圧倒的なまでに、マリーとその愛機を打倒した毒蛇。そして、それを操る……。

 そこまで考えてマリーは、あぁ、と何かを認めるかのように息を吐く。

 

(夢じゃない。あの人は確かにアタシ達を攻撃してきた、そういうことよね……)

 

 状況の整理が一段落したマリーは次に、周りの様子を確かめようとベッドから身を起そうとした。

 上半身を動かすだけでも体は痛みを訴える。

 顔をしかめるくらいには痛むが、我慢できないほどではない。

 

「ほんと、アタシ達《獣人》って体は丈夫よねぇ……。あたたっ」

 

 右肩から一際強い痛みが伝わる。そちらを見れば、素人目に見ても入念に巻かれた包帯が目に入った。

 そういえば、大きめの破片が右肩に突き刺さったなぁ。どこのパーツだろ? と、その原因をぼんやりとマリーは思い出していた。

 目覚めたばかり故か、些か回転の鈍い頭のままに、彼女は自分の体を含め、周りを見回す。

 右肩の他は、左手首と胸部に包帯を巻かれている感触がある。頬のほうにも、止血用と思われるテープが貼られていた。

 足のほうも頬同様、なんらかのテープが貼られているらしい。

 点滴からのびている管は、右腕の方へと続いていた。血管痛が少し酷い、それなりに強力な薬品なのだろう。

 だがそれ以上に彼女の目に留まったのは、自分と同じようにベッドに寝かせられているエンジェル隊メンバーの姿であった。

 個人個人に差はあるものの、全員が軽い怪我では済んでいない様だ。

 特にフォルテの顔には、遠くて細部までは把握できないが、酸素マスクらしきものが付けられている。

 蘭花の方はフォルテほど酷くはないものの、布団から垣間見える肌のいたる所に包帯が巻かれていた。

 傷の痛みで寝苦しいのか、ミルフィーユは顔を歪めながら寝息を立てている。頭に巻かれた包帯が、痛々しかった。

 ヴァニラは他の三人と比べれば軽症で済んだようだ。それに何より、実に穏やかな寝顔で眠っていた。

 

(原因は、あれよねぇ)

 

 ベッドに横たわるヴァニラのすぐ横で、タクトがこっくりこっくりと舟を漕いでいた。

 どうやらヴァニラについているうちに、寝入ってしまったらしい。

 本当に司令官らしくない司令官だ。もっとも、彼女達がいた部隊の司令官も別の意味で型破りだったが。

 以上のことを確認したマリーは、疲れたかのように鼻から息を吐いた。

 これらの状況が物語る、あの時の戦闘の結末はやはり……。

 

「全滅。私(わたくし)達の負けですわ。

 でも、こうしてエルシオールが無事なわけですから、少なくとも、あのアルマという人は止めを刺さなかったようですわね」

 

 マリーの中で出た答えを引き継ぐかのように、左側から少女の声が聞こえてきた。

 そちらに首を向ければ、目を開けてはいるもののベッドに横たわったままのミントの姿があった。

 彼女の頭とテレパスファーの部分には、包帯が入念に巻かれていた。

 

「ミント……。起きてたんだ」

「目が覚めたのは、ついさっきですけど……。

 流石にマリーさんのように起き上がることは、まだ無理ですわね」

「あはは。無駄に頑丈な体が、《獣人》の一つの取り得だからねぇ。

 そういえば、兄貴の姿が見えないけど……。まさか、ね」

 

 戦闘に参加していたのは、今ここで横になっている少女達だけではない。

 マリーの兄であるレヴィンもまた、参加していたのだ。

 全滅であるにもかかわらず、レヴィンがベッドに寝かせられていない。

 傷を負って気が滅入っているせいもあるが、脳裏にちらりと最悪の結果が過ぎる。

 そんなマリーの表情を見やりながら、ミントは確かに笑っていた。

 

「なに笑ってんのよ、ミント?」

「ふふふ。マリーさん、気づかれてないんですか? レヴィンさんなら、ほら……」

 

 ミントの視線が、マリーの現在の視野の死角に向けられる。

 その動きに沿うように視線を向ければ……。

 

「すー、すー……」

 

 椅子に座り壁に背もたれ、寝息を立てている実兄の姿があった。

 マリー達よりは少ないものの、頭と右腕、左足にも包帯が巻かれている。

 自分達とは違い、あのアルマと切り結んでその程度の怪我で済んでいるという事実に、アルマは改めて兄とのパイロットとしての差を実感した。

 

「何さ、人が心配してみれば気持ち良さそうに寝ちゃってさ」

「マリーさん。自分の怪我を押して一晩中ついていてくださった方に、それ以上のことを求めるのは酷ですわ」

「どうだかね。案外、アタシじゃなくてミントのほうについていたかも知んないよ。妙な場所で寝てるしさ」

 

 ミントの言葉に対し、マリーはジト目でレヴィンを見ながら返す。

 確かに、一晩中ついているのなら大抵、ベッドのふちにもたれかかって寝てしまっているのが常である。

 だが、レヴィンはベッドの頭側に近い壁にもたれかかって寝ているのである。まるで、周りに気を配るように。

 ここまで考えたところで、マリーはにやりと笑った。

 

「ははあぁん。どっちかって言うと、やっぱ兄貴、ミントよりについてたね」

「あら、どうしてそうと断言できるんですの?」

「簡単だよ。兄貴ってさ、基本的にはアタシが寝込んでる時はしっかりとついてくれるんだよ。

 シスコン。ってわけじゃないけど、こういう時は結構気を配ってくれるんだ。

 それこそ、アタシがうんざりする位にね。

 でも、今回はアタシばっかりに気を配っていられない。だから、こうやって壁際に座ったんだろうね。

 そこなら、少なくとも両端のベッドに気を配れるし」

「それですと私とマリーさんの扱いは平等ですわよね? でしたら……」

 

 マリーはちっちっち、と左手の人差し指を口元で左右に振り、ミントの言葉を制す。

 その顔に浮かんでいるのは、他人の恋愛観察をしている時の蘭花の笑みに近いものだった。

 

「だ・か・ら。アタシと同等って時点で兄貴はミントの事、結構気に入ってるのよ。

 確かに兄貴は仲間想いだけどさ、それ以上に家族想いだから。

 知ってる? ビストの人ってね、なまじ動物に近いから自身が属する近しい者との群れ、家族とかの繋がりを何よりも大切にするんだよ。

 最も、兄貴がその事を自覚してるかは知らない。

 ミントを家族と同等に扱ってる事を、ね」

「う……」

 

 薄暗くてはっきりとは確認できないが、マリーは確信していた。

 ミントは頬が、鮮やかな朱色に染められている事を。

 原因の大半は恥ずかしさに因るものだろうが、そのことに対する嬉しさも確かに存在していた。

 マリーはそんなミントの様子を、ニヤニヤと笑みを浮かべながら眺めていた。

 いつもは表面に素の表情を出す事はないミントが、それを隠しきれていないのだ。

 そんな珍しい場面に立ち会えたのだ。笑みがこぼれるのは無理も無い。

 マリーの内にむくむくと、ミントをもう少しからかいたい気持ちが膨れ上がっていく。

 

「良かったじゃないの、ミント。アンタも兄貴の事、満更でもないんでしょ?」

「あ、あら。何の事だか、私には見当もつきませんわね」

 

 にやついたマリーの視線から逃げるように、ミントは瞳を泳がせた。

 その態度は余りにもぎこちなく、マリーはますます笑みを深めた。

 まったくなんと滑稽な光景か。頬を染めたままでは、どんな言葉を並べ立てたとしても、説得力は毛ほども無い。

 だからなのか。マリーには、レヴィンがミントを気にしている理由がはっきりと分かるような気がした。

 どちらも「あの時」から変わっていないのだ。

 ミントは変わらず、鉄の仮面(表情)でその本心をひたに隠し、兄はそんな肩肘を張って無理をしている彼女が、気になって仕方が無い。

 そして自分は、そんな両者の滑稽な姿を誰よりも近い位置から眺めて、にやにやと笑うのが好きなのだ。

 

(って。変わってないのは、アタシも同じか)

 

 自分も同様である事に気づいたマリーは、心の中で渇いた笑いをあげた。

 血は争えないとはこのことか。兄妹揃って、進歩が無い。

 

(それじゃ。せめて、愚兄と彼女の背中を押してあげますか)

 

 感謝しなさいよね。そんな視線を眠りこけている兄へと向ける。

 熟睡している人間に視線だけを送っても気づくはずも無い事はこの時ばかり、心の機銃掃射で穴だらけにして吹き飛ばして。

 

「素直じゃないなぁ。でも、大丈夫。兄貴は、変わってないよ。そりゃ、まったくって訳じゃない。

 それでも、根っこの部分は変わってない。踏み込んじゃったら、最後まで責任持って見届ける。

 4年前、宇宙ウサギの被り物をしたどこぞのお嬢様の我侭に最後まで付き合った、あの時からね」

「えっ!? それじゃ、あの時の宇宙狼の被り物の二人組みは……」

「あっ。やっぱ、覚えてた?

 何を隠そう、その二人組みこそ若き日のアタシ達よ。

 ちなみに、宇宙アカオオカミの毛皮を被ってたのがアタシ。兄貴は、宇宙コヨーテだったかな。

 って、ミントにとっちゃ、どっちも同じにしか見えないか」

 

 交わりは僅かな時間。しかし、その僅か時間は彼女達の記憶に深く刻まれた。

 思えば、あれほどの馬鹿騒ぎをしでかしたのは兄妹にとって、アルマが失踪してから最初で最後で。

 ミントからすれば、今までの常識をひっくり返されるような事の連続だっただろう。

 特に、たかがハンバーガーにあそこまで興味を持つとは思わなかった。

 

「でも、それにしてはレヴィンさんの反応が淡白すぎません事?」

「ん? 気づいてないんだから、当然でしょ。

 兄貴ってさ、変化には敏感だけど継続には恐ろしく鈍感なのよね。

 戦闘の時は、そうでもないんだけど。

 ミントったら、あの時から背格好を含めて全部変わってないんだもの。

 それで気づいていたのなら、実妹であるアタシが断言してやるわ。こんの偽者! 兄貴をどこに隠したぁっ!! ……てね」

「普通は全く変わってなかったら、気づくものでしょうに……。

 どうせ私は、何時までたっても変わり映えのしない年齢不相応な体型ですわ」

 

 マリーの話を聞いた途端、ミントはレヴィンのことを先程のマリーと同じ様にジト目で睨みつけた後、ツンと彼に対しそっぽを向いた。

 まぁ、遠まわしに馬鹿にされたとも取れないことも無い理由だ。マリーとても同じ状況になったら、腹立たしく感じるだろう。

 というか、そのままその相手の頭部にリンゴを乗っけて、ウィリアム・テルの真似事を強要させるかもしれない。

 無論、彼女がリンゴを射るのに用いるのは弓ではない。彼女が愛して止まない銃器の一つ……ショットガン、それもゼロ距離で、だ。

 

(っと、横道に逸れすぎたわね)

 

 架空の相手に銃口を向けその引き金を今まさに引かん、脳内流血沙汰一歩手前でマリーは思考の方向を正す。

 いや、正しく言えばあえて逸らせていた。ミントの会話の中で生じた違和感。そう、アルマの行動が彼女の中で引っかかる。

 

「止めを刺さなかった……か、アル姉らしくないな」

 

 表情に浮かぶは、懐かしさを伴った寂しさ。本当に彼女らしくないと、薄く笑いマリーは顔を伏せる。

 憎みきれないもどかしさ、未だ認めたくないその現実。テレパスなど使わなくても、ミントにはマリーの葛藤が感じられた。

 戦闘時の会話から察するに、マリー達兄妹はアルマとは何らかの因縁がある。

 それも憎み憎みあう縁だけでなく、非常に近しい位置での縁もあるようだ。

 知らず、ミントはその疑問を口にしていた。 

 

「ねぇ、マリーさん。あの人……、アルマと貴女達はどういうご関係でしたの?」

「えっ?」

 

 予期もしないミントからの問いに、マリーは目を丸くした。

 両者の間に沈黙が流れる。

 その沈黙の中、ミントは自分の迂闊さを責めていた。

 言ってしまった後に思い出しても仕様がないが、アルマに対する態度は同じ兄妹でありながらも雲泥の差があったのだ。

 兄であるレヴィンはアルマのことを完全に敵として扱っていたが、マリーはどうだったか? 少なくとも、彼女は割り切れていなかった。

 事情は不透明。そして、澱みの先にある答えは気安く告げられるものだろうか?

 ミントが、さっきのことは冗談です。と、マリーに言葉をかけようとした時だった。

 

「そうだね……。やっぱ、気になるよね。ミント。別段、面白い話でもないけど、聞いてくれる?

 アタシ達兄妹とアル姉のことを、さ」

 

 語り部を申し出た彼女の表情は、薄明かりでは図る事はできなかった。

 しかし、それでも心はミントへと伝える。最後まで聞いて欲しい、と。

 

 

 

 

 

―― 夢を見た。

 

 

 それは在りし日の情景。

 

 アタシは優しい両親に愛され、近所の幼い兄妹に姉として慕われるほどに懐かれていた。

 穏やかで。優しくて。騒々しくて。それでいて、端から見れば幸せと楽しさに満ちていた平穏なる日々。

 アタシに懐いていた兄妹は揃いも揃って、赤に属する毛色をしていた。

 少年(レヴィン)の腕白さが、少女(マリー)の年とは不相応な頭の回転の速さが、アタシにとって非常に好ましかった。

 アタシとても暇じゃなかったけど、合間を縫っては剣術の稽古をせがむ少年の相手をし、機械工学の勉強に励む少女の教師役を買って出ていた。

 時には一緒になって、山を駆け回り川へと繰り出していったり、馬鹿をやらかして周りの大人たちの顰蹙を買ったこともある。

 試しに作った料理の試食に招き、揃ってその味に悶えた事もあった。3回に1回くらいは、好評だったんだけどねぇ。

 アタシだってあの子達との交流は、そりゃ楽しかったさ。少なくとも、その時のアタシは《それ》を自覚せずに済んだのだから。

 だが、そんな日々にも終わりが来た。原因は情景の中心たるアタシこと、アルマ・スピリタス本人の手によって。

 

 

―― その日常はなぜ壊れた?

 

 

 そうだ、アタシが18の時にあれを抑えきれずに自分の両親を●●●●からだ。

 アタシはそんなことは望んでなかったのに! アタシの中に居る狂った《獣》がアタシの意思を無視してやったんだ!!

 壊す事でしか生を感じる事ができない、狂った《獣の因子》が!!!!

 何故、アタシがこんな目に遭わなければならない!? アタシはただ、穏やかに暮らせたらそれでいいのに!!!

 

― 本当は、誰も●●●●なんか無いのに。

 

 だから、アタシは恨む。それは両親でもなければ、故郷でもない。ましてや、トランスバール皇国でもない。

 偏にそれは世界。アタシにこの運命を突きつけた、《獣人》なんて種族を創り出したこの世界全てをっっ!!!!!

 恨んで、怨んで、うらみ抜いてやる!! 世界を、そしてアタシ自身をっ!!!

 

― だって、そうでもしないとアタシは耐えられない。この手はかけがえの無い●●●●を大量に刈り取ったのだから。

 

 世界への復讐。それは世界を構築する存在の破壊。

 宇宙を、国を、星を、●を、壊して壊して壊し尽くす!

 ただ壊すだけじゃない。苦しみを、絶望を、痛みを、およそ考えれる全ての苦痛を髄まで刻み込む。

 アタシはアンタらが憎くて壊してるんじゃない、世界が憎くて壊してるんだ!!

 

― それは詭弁。世界を憎むのは、●を怨めないから。何かを怨まなければ、《獣》にアタシが喰い尽されるから。

 

 

―― かくて夢は終わる。結末は変わらず、数多の人であったものを前に女が誓いを伴う怨嗟の慟哭を挙げるところで。

 

 

 

「はっ……。何を今更、こんな物を見たってどうしようもないのに。もう……、あの頃には戻れないってのに」

 

 暗い部屋でアルマは、さっきまで見ていた夢の内容を思い出し自嘲した。

 捨てた筈の過去。

 自身を最低ラインで保つために、日に日に暴走していく《獣因子》を受け入れる時、強すぎるしがらみになるからと切り捨てた日々。

 それを何故、こんな戦争の最中に夢に見てしまうのか。

 原因は、あの幼かった兄妹達と戦場での再会。

 そして、妹分(マリー)に対して知らず言ってしまった、謝罪の言葉。

 

「アタシだけとは言わせないよ。マリーは言わずもがな。レヴィンだって、アタシの事を怨みきれてないじゃないか。

 あれだけ斬りかかって来て、動力系にもコクピットにも刃を向けやしない。

 もう、アタシはアンタらの姉貴分じゃないんだよ……。アンタらの両親の仇なんだよ。戻れないんだよ! もうっ!! 昔にはっっ!!!」

 

 ザクッザクッザクッ……!

 

 湧き上がる郷愁の念をそうするかのように、ベッドに備え付けられていた枕を近くにあった短刀でズタズタに切り裂いていく。

 振り返らないと決めた、振り返ってはならないと戒めた。

 元より、自身にはそんな資格など……、と。

 ふと、頬を伝う熱い雫にアルマは気づく。

 

「は……、はははは……。なんで、こんなものが流れるんだろうねぇ。これを流す資格さえも、今のアタシには有りもしないのに……」

 

 止めなくては。彼女は勤めて、これ以上この雫が零れないように精神を落ち着かせようとした。

 しかし、彼女がそうすればそうするほど、雫は一層に《両の目》から零れていく。

 肩を震わせ、嗚咽を押さえ込もうとベッドに突っ伏してから暫くたった時だった。

 ピピッっと、個室に取り付けられた通信端末から無機質な音が流れる。

 幸いにして、取り付けられているそれは音声通信にしか対応していなかった。

 もっとも、彼女の部屋の明かりは常に消されていて映像通信を用いたとしても、彼女の表情を窺い知る事は難しいのだが。

 端末から音声が聞こえてくる。どうやら、艦隊指令であるシェリーからの通信のようだ。

 

『アルマ。今から20分後に第2作戦室にて次の作戦行動についてのブリーフィングを行います。

 この度のブリーフィングには映像越しとはいえ、エオニア様もお顔を御出しになります。時間に遅れることが無いように、分かりましたね?

 それと……。今度の戦闘では、今回のような貴女らしくもない取りこぼしを出さないように。

 毒蛇の名が、聞いて呆れますわ』

 

 こちらの返事を聞くまでも無く、端末から音声が途切れる。

 ベッドの上で肩を震わせていたアルマも、今は微動だにしていない。

 完全な無音が、暗く閉ざされた室内を支配する。

 その中で、アルマは眼帯に隠されていた左目が疼くのを感じていた。

 

(あぁ、分かってる。今更、逃げやしないさ)

 

 傷が疼く時、それは彼女の内にある狂獣の因子が活性化する兆し。

 彼女の精神が望む望まぬに関わらずそれは、血を、悲鳴を、苦痛を与える事を求めて止まない。

 あの日を境にして獣因子は彼女の抑圧を跳ね除け、精神への侵食を開始した。

 今では、S.L.A.V.Eを暴走させる事でより一層に侵食を加速させてきている。

 それでも、アルマは戦場へと向かう。自意識が完全に呑まれる前に辿り着きたい結末がある。

 その望む結末に欠かせないのがあの兄妹達。彼らと対する事ができるのは、その場所(戦場)以外にありえない。

 故に、壊れかけの精神に狂気と言う名の鎧を纏い、忌むべきそこへと赴く。

 ベッドから顔を上げた毒蛇の眼光は、今までと変わらず零度の狂気を孕んでいた。

 

 

 

 

 アルマの襲撃から程なくたったある日、レヴィンは最近の習慣となっている見舞いを果たすために医務室へと足を進めていた。

 妹であるマリーは流石は獣人というべきなのか一晩、医務室に泊まっただけで次の日の朝にはケーラのお墨付きで退室となった。

 今頃は、射撃訓練室で黙々と訓練に励んでいるのだろう。

 医務室のドアを開けると丁度、ヴァニラがフォルテと蘭花の治療をしている所だった。

 どうやら、ケーラは所用か何かで席をはずしているらしい。

 エンジェル隊5人の中で最も軽症で済んだ為、ヴァニラは3,4日前には全快となり、今では他のメンバーの治療に駆け回っている。

 余談ではあるが、全快初日からフルスロットルで治療を行ったためその日の夜、また医務室のお世話になっていた。

 

「よぅ、フォルテにランファ。調子はどうだ?」

「あぁ、レヴィンかい。調子なら、勿論上向きだよ」

「そうそう。ヴァニラが治療してくれてるし、あたし達だってあんた程じゃないけど頑丈なんだから」

「ははっ。違いねぇな、それは」

 

 エンジェル隊の中でも一際、損傷の激しい機体に乗っていたため二人の怪我も酷いものであったが、今では全治一歩手前まで回復している。

 彼女達が言うように、元の体が頑丈なせいもあるかも知れない。

 だが、それ以上に彼女達の回復に貢献しているのはヴァニラが駆使しているナノマシンだ。

 目を閉じ精神を集中していたヴァニラが、瞳を開ける。それと同時に、その細い肩にナノマシンペットが現れる。

 

「今日の分の治療は……以上です。お二人とも……、この調子で行けば……今週中には退室できると思います」

「へぇ、そいつは嬉しいねぇ! そろそろあたしゃ、銃をぶっ放せないこの状況に限界が近づいてたからねぇ。あぁ、あの手触りが恋しいよ」

「アタシも同じですよ、フォルテさん! もういい加減、体が鈍っちゃってストレスが溜まってたんですよねぇ」

 

 主治医も同然であるヴァニラからの言葉を受けて、二人は大いに舞い上がった。

 既に頭の中は、退室してから真っ先に何をやるかで一杯のようだ。

 彼女達にとって、こんな部屋で寝たきりなどという状況は相当堪えた筈だ。

 久しぶりに彼女達二人のはしゃいだ姿を見たレヴィンもまた、笑みを抑える事ができなかった。

 表情を笑みで崩したまま、レヴィンはポンっとヴァニラの肩に手を乗せ、声をかけた。

 

「お前もお疲れさん、ヴァニラ。あれからは、流石に無理はしてねぇようだな」

「はい……。その節は……レヴィンさんにもご迷惑をかけてしまって……申し訳ありませんでした」

「まぁ、真面目なのはいいんだがな。お前は手を抜く事を覚えねぇと。根詰め過ぎると、心配する奴だっているんだからよ」

 

 主に、我らが司令官とか。心の中でレヴィンは、口に出した言葉に付け加えた。

 そんなレヴィンの言葉に何かを感じる事があったのか、ヴァニラはその鮮やかな深紅の瞳を彼へと向けていた。

 

「ん? 何か、お前にとって変なことを言ったか? 俺は」

「いえ……。タクトさんにも……同じ様な事を指摘されたので。少し……吃驚してしまいました」

 

 どうやら、要らぬ世話だったようだ。

 レスターからの仕事の依頼は露ほども取り合わないのに、こういうことに関しては自らが率先して実行する。

 恐らく、レスターの胃に穴が空いてもタクトはこの態度を改めるかどうか怪しい。

 

「では……。用事がありますので……、私は……これで」

「あ? あぁ、またな。ヴァニラ」

 

 レヴィンが、副指令の胃に穴が空くのはいつ位になるのかと、どうでも良い事を考えている内にヴァニラは簡単な挨拶を済ませ小走りで彼の元を去っていった。

 なんとなくではあるが、その後姿からレヴィンは彼女がその用事を楽しみにしている事が感じられた。

 いつも感情らしい感情を見せない彼女にらしからぬ事だ。

 もっとも、ヴァニラとて12の少女。本来なら、ああいった態度こそが自然なのだろう。

 

「何か、楽しい事でも見つけたのか……?」

「きっと、ヴァニラは宇宙ウサギのお世話に行ったんですよ。

 タクトさんが勧めたらしいんですけど、ヴァニラ、とっても楽しんでるみたいですよ」

 

 レヴィンの疑問に答えるかのように、背後からほえほえとした雰囲気を纏った声が聞こえてきた。

 少なくとも、エルシオール内でこんな声を出せるのはレヴィンは一人しか知らない。

 

「世話ねぇ……っと、ミルフィーか。ん? 着ているのが制服ってことは」

「はい。今日を持ってミルフィーユ・桜葉少尉、無事に退室することになりました!」

 

 いつものように和やかな笑顔で、元気一杯に全快の報告をするミルフィーユ。

 心なしかベッドに眠っている時には、萎れている様に見えた髪留めの花も、勢いを取り戻したかのように生き生きとしていた。

 やはり、彼女にはこういった快活さがよく似合う。レヴィンは改めて、そう実感した。

 

「おめでとさん。あれか? 部屋に戻ったら、一にも二にも料理か?」

「勿論です! 今までお料理が出来なくって、うずうずしてどうしようもなかったんですよ〜。

 だから、今日は気が済むまでする予定です! 後でレヴィンさんにもケーキ、持って行きますね」

「あぁ、それはありがたいんだが……」

 

 ありもしない力瘤を作って張り切っているミルフィーユからの提案に、レヴィンの顔が曇る。

 それもそのはず。彼は甘い物、特に生クリームが苦手なのだ。

 申し出自体はありがたい。だが、物が物だけに諸手を上げて喜べないようだ。

 

「心配しないでください。持っていくのは、ココアパウダー大目で甘さ控えめのティラミスですから」

「それなら問題ねぇな。楽しみに待ってるさ」

 

 物の正体を知らされたレヴィンは、先程とは打って変わり満面の笑みを浮かべた。

 ミルフィーユも、楽しみにしていてくださいね〜。と、明るい声と共に軽い足取りで医務室を去っていった。

 暫くして、何かが転ぶ音と同時にミルフィーユの謝罪の悲鳴がレヴィンの耳へと届いた。

 

「……、凶運にならないことを祈るしかできんな。俺は」

「祈った所で、どうしようもないのがミルフィーユさんの運ですわよ?

 あまり意味は無いかと思いますが……」

 

 いつの間にかレヴィンの隣に来ていたミントが、彼の希望に泥を塗る。

 いや、確かに彼女言うとおり。祈りの一つや二つくらいで、どうにかなるようなものではない。

 レヴィンも、そのことを合流当初に行われたピクニックにて充分に知っているはずなのだが、やはり祈らずにはいられない。

 

「俺の希望を潰さないでくれ……。お、お前も無事に全快か。おめでとさん、ミント」

「えぇ、その通りですわ。今日からやっと、好きなだけ駄菓子を口にすることが出来ますわ」

「そういえば、ベッドの上にいたときは、ケーラ先生に止められてたもんなぁ。駄菓子を食うの。さぞ、嬉しい事だろうよ。

 ま、病み上がりなんだから、ちゃんとしたものを食う事を勧めるがな。俺個人としては」

 

 まず、先に何を食べようか。と、そんな年相応な笑みを浮かべているミントにレヴィンはさりげなく注意をする。

 確かに、好きな物なのだから抑圧されていた分、それに見合う量を食べたい気持ちは分かる。

 けれども、傷の手当を受け弱っている体だ。

 栄養バランス以前に合成着色料等と言った怪しいものを使っている駄菓子よりも食堂で、まずはちゃんとした物を食べてもらいたい。

 というか、彼女が好む添加物の方向性を考えると是が非でも取りすぎは体によろしく、無い。

 

「そうは言っても、私一人ではこの欲求を抑えるつもりはありませんわ」

「まぁ、それを言われちゃあ、俺にはどうする事もできんよ」

 

 さもありなん。と言った具合に、レヴィンは呆れたように肩をすくめる。

 だが、ミントは続けて言った。その表情は未だに笑みを浮かべていた。

 

「いいえ、どうする事は出来ますわ。要は、私の欲求にブレーキをかけて下さる方が近くにいればいいんですもの」

「それは遠まわしに、お茶に誘われてると受け取っていいのか?」

「そう受け取ってもらっても構いませんわ」

 

 もっとも。とミントがますます笑みを深くして言葉をつなげる。

 

「お茶をするのはラウンジではなく私の部屋で、ですけれど」

 

 

 

 

 タンッタンッタンッ……。

 

 訓練室に渇いた音が絶え間なく鳴り響く。

 マリーはここ1時間半、わき目も振らずに射撃へと没頭していた。

 カチカチッ、と手に収まっていたベレッタM93Rから弾切れを知らす引き金の空を切る音が聞こえてくる。

 最早何度目かも分からない、マガジンの交換をしようとしたところで、マリーはその手を止めた。

 

「駄目だ……。ぜんぜん集中できない。やめやめ、弾がもったいないや」

 

 銃の安全装置を起こしマガジン共々、腰に巻きつけたホルダーに無造作に突っ込んだ後、マリーは部屋の隅にある椅子へと腰をおろした。

 あの夜、ミントに自分達とアルマとの関係を話す事で胸の奥にある違和感を取り除こうとしたマリーだったが、上手くはいかなかったようだ。

 ミントもミントで、話の途中では何かを確認するかのように頷いていたり、時にはその瞳は思案の色、一色に染まっていた事もあった。

 

「あぁ、もう!? うじうじするのは、アタシの性分じゃ無いってのに! ……、海でも見てくるか」

 

 じっとしていると、物思いに囚われてしまう。

 それを嫌ったマリーは、とりあえずこの場から離れクジラルームへと歩を進めていった。

 クジラルームとは、エルシオール艦内Dブロックにある一室の別称だ。

 本来は、南国の海岸を髣髴とさせる設計がなされた艦内プールは乗組員の精神的リフレッシュを意図したものだろうが、

 現在では宇宙クジラ(成体)の住処と化している。

 もっとも、宇宙クジラが浮上する際の大波にさえ気をつけていれば、本来の目的を果たす事はたやすいのだが。

 クジラルームの前にマリーが着くと同時に、中から宇宙ウサギを抱えたヴァニラが出てきた。

 

「あ……」

「やっほー、ヴァニラ。ははぁん、それが噂の宇宙ウサギねぇ。おぉ、可愛い可愛い」

 

 ヴァニラの腕に抱かれた宇宙ウサギの頭を、マリーは赤ん坊をあやすかのように撫で回した。

 撫で回されている宇宙ウサギは、目を瞑ったまま気持ちいいとも不快とも取れる面持ちだった。

 不意に、ヴァニラが口を開く。

 

「あの……、マリーさん……。ウギウギが嫌がってますので……、その辺りで」

「ありゃ、嫌われちゃったか。まぁ、さっきまで撃ちっ放しだったし、そりゃ匂うわよね。じゃね、ヴァニラ。ウギウギもね」

 

 最後にもう一撫で、と手を差し出したがウギウギがその手に応える事はなかった。

 その態度に苦笑しながら、マリーはヴァニラとは入れ替わりにクジラルームへと入っていった。

 常夏のリゾートを思わせる人口の日差しが、彼女の身を照らす。

 

「ほんと、軍艦らしからぬ設備よねぇ。この部屋は」

 

 この部屋に入るのは初めてではないものの、最初に思うことと浮かぶ苦笑に変わりはなかった。

 そのままマリーは浜辺のほうへと歩いていき、波打ち際に腰を下ろした。

 風がマリーの一本に纏められたポニーテールと横髪を優しく揺らしていく。

 人工のものとはいえ、それらはほんの少しだけ、マリーの胸中の違和感を取り除いてくれたような気がした。

 

「珍しいですね。マリーさんがこの部屋にいらっしゃるなんて」

 

 ふと、マリーの背後から男とも女とも取れる声がする。

 

「クロミエ、アンタねぇ。アタシだって年頃の乙女なんだから、こうやって海を見つめて黄昏たい時だってあるものなのよ」

 

 マリーからすれば失礼極まりない言葉を放った背中の人物へと、彼女は言葉と共に視線を向ける。

 その視界に姿を現したのは、栗色の髪に微笑を浮かべた、少女とも間違えられそうな端正な顔をした少年。

 少年の肩には、このプールの主である宇宙クジラの幼生体が、少年と同じ様に笑っていた。

 この少年の名は、クロミエ・クワルク。クジラルームの管理人にして、宇宙クジラとの意思疎通を可能とする能力を持った少年。

 声色が高いために、幼く見られがちだがこれでも立派な15歳である。

 

「だって、本当の事じゃないですか。マリーさんがこの部屋にいらしたのは、片手で足りるくらいですし」

「はいはい。アタシはどうせ、機械油と硝煙の匂いが似合う最前線な女兵士ですよーだ」

 

 つーん、と拗ねた様に(実際に拗ねているのだが)マリーはクロミエに対しそっぽを向いた。

 まったく、この少年は本当に邪気が無いから困る。と、マリーは心の中で苦言をもらした。

 宇宙クジラとの意思疎通の件でクロミエはテレパスと勘違いされがちだが、その感応能力は宇宙クジラにしか作用を及ぼさない。

 だからこそ、マリーはこうして自分のうちで苦言を憚る事無くこぼしているのだが、

 生憎と彼女は顔に出やすい性質であり、クロミエもそれなりに人の心を察する事に長けていた。

 そんな彼女の素直すぎる反応にクロミエもまた、苦笑を漏らす。

 本当に真っ直ぐな女性。それがクロミエの中での、マリーへの評価だった。

 そして、クロミエは何かを思い出したかのように表情を変え、マリーに話しかけた。

 

「そういえば、マリーさん。宇宙クジラが、貴女に話があるそうです。きっと、貴女の悩みにも関係があると思います」

「アタシの悩みって……、この前の戦闘のこと?」

「正確には、その戦闘でマリーさん達を倒したあの女性の事です」

「……」

 

 途端、マリーの表情が険しくなる。

 あそこまで如実な態度で表されても、彼女は未だにアルマの事を割り切っていないのだ。

 原因は幼き日々の記憶。あれさえなければ、マリーも葛藤に苦しむ事もなかっただろう。

 

「詳しいことは、僕も宇宙クジラも知りません。ですが、それでも宇宙クジラはあなたに聞いて欲しいと言っています。

 それが、あの人が……アルマという一人の人間が真に願った事だから、と」

「アル姉の、願い……?」

 

 姉貴分であった女性が真に願った事。その言葉は、マリーの興味を引くのには充分すぎるものだった。

 クロミエも何も言う事は無く、ただ首を縦に振っていた。

 だからこそ、マリーの決断も早かった。

 

「聞かせてくれる? その、アル姉の本当の望みって奴を」

 

 

 

 

 それは、タクトがヴァニラに付き合って展望公園で宇宙ウサギのウギウギと戯れていた時だった。

 ヴァニラの口からそのことが出てきたとき、タクトはキョトン、と目を丸くした。

 

「え〜と、つまりはどう言う事なんだい? ヴァニラ」

「ですから……、あの人は……アルマさんは可哀想な人……なんだと思います。

 私達では及びもつかないほどのに……、深く……後悔をしてるのだと思います」

「後悔?」

 

 タクトの疑問めいた響きを伴ったその単語に、ヴァニラは頷いた。

 しかし、この時点でのタクトにはヴァニラの真意は測りかねなかった。

 少なくとも、あの戦場にいた誰もがアルマという人物に対しては、ある共通の認識を持つようになっていた。

 

 強大すぎる危険な敵。紋章機さえも退けた、最悪の相手。残酷なまでに獲物を追い詰める、冷酷なる毒蛇。

 

 そしてヴァニラは、その退けられた紋章機のパイロットなのだ。

 誰よりもそのことを理解しているはずなのに、彼女はアルマを《可哀想》だと言ったのだ。

 タクトのその疑問はヴァニラとっては充分に想像できていた事だ。

 続けてヴァニラは口を開く。理解してもらうために言葉を紡ぐ。

 

「ナノマシンが……教えてくれました……。あの人のナノマシンには……、その思いと叫びが……籠められていましたから」

「ナノマシンって、そんなことまで分かるものなのかい?」

「いいえ……。私がナノマシンを扱うときに……感情を抑えているからだと……思います。

 そうやって……、感情を抑えつけている私だったからこそ……籠められた思いに対して……敏感に反応したんだと思います」

「あぁ、そういうことか」

 

 ヴァニラのその言葉は、タクトにも理解できるものだった。

 一つの物事に集中しようとしている時、大抵の人間は周りへの関心が疎かになる。

 だが、それでも反応してしまう事がある。

 それは、自分と真逆の行動をしている存在だ。

 例えば、静かに本を読んでいる時に周りの喧騒が気になったことはないだろうか?

 自分とは正反対の行動をしているが故に、思考の片隅に残りやすく無視し続けることが難しくなってくる。

 ヴァニラとアルマの場合、ナノマシンの制御法がこれに当たる。

 ヴァニラは自身の感情を律して抑え、平静を保つ事でナノマシンを制御している。

 対するアルマは荒れ狂う感情を糧としてナノマシンを駆使している、とヴァニラは呈している。

 

(正しくは、S.L.A.V.Eにより機体AIとリンクした有機脳をも利用して行われる高速演算によってナノマシンの制御が行われる。

 アルマの場合、システムの暴走が原因で演算処理をしている際に思念が逆流し、それが演算結果に影響を及ぼしている。

 その影響こそが、ヴァニラの言う「籠められた思いと叫び」にあたる)

 

 言うなれば、静と動。これ以上の真逆がどこに存在しえようか?

 

「なるほど……。なら、ヴァニラの言ってる事も、あながち嘘じゃないんだろうな。

 でも、なんだってそんなことを俺に?」

「タクトさんは……、私達の司令官ですから……。それに……」

「それに?」

 

 不意にヴァニラが言葉につまる。

 タクトが何事かと、声をかけると僅かながらに頬を赤色に染めて言った。

 

「タクトさんなら……、きっと……私の言いたい事が分かってくれる……。そう……、思いましたから」

「ヴァニラ……」

 

 二人の間に風が吹く。

 暫く二人は無言のままであったが、何故かその沈黙を苦には感じなかった。

 そんな中、タクトの近くにいたウギウギがぴょこん、とヴァニラの膝の上へと跳び乗ってきた。

 ヴァニラがその行動に驚き、小さくあっ、と声を上げる。

 それが沈黙を終わらせる合図となったかは分からないが、タクトはヴァニラに語りかけた。

 

「そうだ、ヴァニラ。アルマの叫びを聞いたって言ってたけど、具体的には、どんな事が聞こえたというか、感じられたんだい?」

「それは……」

 

 ヴァニラが目を伏せ、何かを躊躇うかのように顔を俯かせた。

 だが、それも僅かな時間。意を決したかのように顔を上げたヴァニラは静かに口を開いた。

 

「きっと……あの人が後悔の果てに……、望んだ事……なんだと思います。彼女のナノマシンは……、泣いていましたから」

 

 そして、その薄い唇から毒蛇の悲願が後の英雄へと伝えられる。

 

 

 

 

「それは……、本当なのか?」

「えぇ、本当の事ですわ。あれだけ強い思念ですもの。間違えようが無いですわ」

 

 ミントの口からアルマの本当の望みを聞いたレヴィンは、手に持ったティーカップをそのままに固まった。

 もしそれが事実だとすれば、彼女の行動が理解できない。

 

「ふざけるなよ……! なら、なんだってあんな行動を取る!?」

「落ち着いてくださいまし、レヴィンさん。貴方だって、薄々は感づいていたんではないんですの?

 それほどまでのご関係だったのでしょう? 貴方達ご兄妹とアルマさんの関係は」

 

 ミントの口から出た言葉に、レヴィンはまたも驚く。

 何故、目の前の少女がレヴィンとアルマとの関係を知っているのか?

 レヴィンの脳裏に、燃えるような赤髪が過ぎる。

 

「マリーか……。ったく、あいつは」

「まぁ、そのことは置いておくにしても、私が言った事は事実ですわ。

 アルマさんの望みは先程も言ったとおりです。

 そして、それは貴方達兄妹に……レヴィンさんとマリーさんにしか、やり遂げられない事ですわ」

 

 ミントから向けられる言葉に、レヴィンはギリッっと歯軋りをする。

 それは怒りとも後悔とも取れる、複雑な感情から来るものだった。

 そんなレヴィンの手に、そっとミントの小さな手が優しく添えられる。

 

「ミント?」

「確かに、レヴィンさんにとってはそう簡単に受け入れられる事ではありませんものね。

 少しばかり、言い過ぎましたわ。ごめんなさい。でも、このことは目を背けてはいけない事ですの。

 後は、御一人で考えるなりマリーさんに相談するなりして、貴方が納得できる答えを探してくださいまし。

 私が今できるのは、ここまでですわ」

 

 小さな温もりに、レヴィンの無骨な手が包まれる。

 その温もりのおかげか、荒れていたレヴィンの心に平穏が戻ってくる。

 程なくして、ミントの部屋から出て自室へと向かう廊下の中で、レヴィンはそれを反芻する。

 それは、彼らの両親の仇が望んだ願い。

 10年前に突然の失踪をして、一度目も二度目の再会でも変わり果てていた幼き日の姉貴分からの最後の課題。

 

「人の親を殺しておいて……。挙句、こんな面どくせぇ事を望みやがって。人が悪すぎだ……、アルマ姉ちゃん」

 

 人知れずレヴィンは呟く。恨みとも呆れとも……、悲しみとも取れる声で。

 続けてレヴィンは呟く。内容は、彼女が望んだ事。その行動との矛盾が隠せない、悲しくもふざけた願い。

 

 

 

                            ―― 誰かアタシを、殺(と)めとくれ。 ――

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

 

 どうも、今回は珍しくも執筆がスムーズに進んでしまったNarrでございます。

 

 今回は、8話終盤にミントとヴァニラが感じ取ったアルマの願いについての話です。

 ありがちな動機付けですが、アルマのあの残虐性にもこういった背景がある、くらいに思えていただけたら幸いです。

 

 短くて申し訳ありませんが、今回はこの辺りでお暇させていただきます。

 機会がございましたら、今度は10話の後書きにて。

 

 読んでいただいて、ありがとうございました。