「公、式の準備が整いました」

 黒服の秘書官が扉の向こうから声を掛けてきた。

 部屋の中で眠るように深々と座っていたソファーから重い腰を上げ、閉じていた目を開ける。

 軽くため息を、ひとつ。

「わかった。すぐ行くよ」

 向かい合って座っている相手に無言で微笑むと、両の手を胸の前で小さく握り「頑張れ!」とジェスチャーをしてきた。

 肩をすくめて、もうひとつため息。

「ここのモニターで見てるわね」

 やはりそれには答えず、ちょっぴり困ったような顔で。

 無言のまま部屋を出た。

 

「決まってるじゃないか、その格好」

 扉を出たところで意外な人物に親しげに声をかけられた。

 男の名は、タクト・マイヤーズ。この銀河の英雄。

「何しに来たんだい?」

 驚くそぶりも見せず、辛辣な一言を吐く。

「ひどいなあ、晴れ舞台を見にわざわざ来たって言うのに」

 この近くに来てたしね、と付け足して笑う。

「仕事は?」

 青年にとっては聞かなくても分かることだが。

 一種の通過儀礼のようなものなのかもしれない。

「無二の親友に託してもう一人の親友の下に馳せ参じたってワケさ」

「言葉が矛盾しているよ。そもそも誰が誰の親友だって?」

 青年がタクトに親友扱いされるようになって日は浅い。

そう扱われる度になんだか苛立ちを覚える。

 そのことを一月ほど前に「親友の先輩」であるレスター・クールダラスに話す機会があった。

 彼は仏頂面のままこう答えた。

「俺もそうだ。なに、そのうち諦めもつく」

 不機嫌の解決には程遠い回答だった。

 

「公、早くいらしてください」

「ああ、分かってる」

 秘書官が戻ってきて急かしたのをこれ幸いとばかりにタクトとの話を打ち切った。

 放っておけば延々とくだらない親友論を語っていたに違いない。

 ごめんだ。

「君に一般客席にいられてもいい迷惑だ。帰らないのなら控え室のモニターで見ていてくれ。1人よりはいいだろう」

「そっか、来てるんだ」

 意図を数少ない言葉で的確に理解してタクトの顔が明るくなった。

 タクト自身、前に会ったのは随分前だったから純粋に再開は嬉しい。

「まあね。忙しいだろうに、物好きなもんだ」

「そう言うなよ、せっかくきてくれたのに。それに久しぶりに会ったんだろう?」

「無駄話をしている暇は無いよ。じゃあ、後でまた」

 背を向けて歩き出す。

「うん、がんばれよ」

 言葉では答えず、やる気のなさそうに左手を上げた。

 いかにも「早く帰れ」とでも言いたそうに。

 タクトはそのぶっきらぼうなジェスチャーを見て「やれやれ」と右手で頭を掻き、苦笑するのだった。

 

「公、では5分後に就任演説を行っていただきます」

 舞台袖、薄暗いその場所では黒服の秘書官は存在そのものが掻き消えるかのようだ。

 その、落ち着き払った声と紫の眼を除いては。

「繰り返しますが、この演説はブラマンシュグループによって全銀河に放送されます。くれぐれも、」

「ヘマをするとでも思うかい?」

遮られると、秘書官は何も言わず礼をして下がった。

静かだ。

司会者が何かしゃべっているが、それすらも遠くなっていく。

目を瞑り、闇に自らを溶かす。

音も、光も無い闇の海。

だが、いつからか。

暗く、小さいけれど、くっきりと月が浮かぶようになった。

爪月のような、控えめな、薄白い三日月。

 

ワッと歓声と拍手が会場で巻き起こり、我に返った。

「扉、開きます」

会場のスタッフが舞台袖の大きな扉をゆっくりと開け放つ。

会場の明かりと熱気が注ぎ込まれてくる。

「お願いします」

声を掛けられて気負いなく光の中に歩き出した。

 

礼服を纏った金髪紫眼の青年が群衆の前にその姿を見せた。

 

 

 

 

 

 

GALAXY ANGEL Another Tomorrow  「マイ・フェア・レディ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 断続的にライトグリーンの光が輝き続けている。

 スカイパレス内に在る医療施設の集中治療室。

 それはこの『EDEN』においても遺失技術となっているナノマシンによる治療の光であり、その技術を自在に扱えるのは現在このスカイパレス内にはエンジェル隊のヴァニラ・H以外には存在しない。

 ヴァニラの傍らに寄り添うのは永遠を誓った恋人のタクト・マイヤーズ。

医療用のベッドに横たわり治療を受け続けているのは『ヴァル・ファスク』のヴァイン。

 いったいいつから治療を始めているのか、ヴァニラの顔は既に蒼白となっていた。

 

 

 

 

 

 ヴァインがルシャーティを連れて決死の覚悟でスカイパレスに逃亡を図り、意識を失ってから。

 手術は困難を極めた。

 血液も体力も絶望的に足りない。

 そもそも通常の人間と『ヴァル・ファスク』である彼と同じ治療法で問題が無いとも限らない。

 ヴァニラのナノマシン治療がなければそもそも医療班が来る前に絶命していた。

 ナノマシンで血液と破損した臓器の機能を補い、電気信号を送って心臓を動かし続けた。

 手術中もそれを止めることは無く、長時間に渡りヴァインの体から死を遠ざけ続けてきた。

 今も、治療を止めれば恐らくそのまま二度と目覚めないような危険な状態が続いている。

 

「…タクトさん、ルシャーティさんを‥呼んできてください」

 随分と久しぶりに発せられた彼女の声は酷く弱っていた。

「っ! …わかった」

 身を削るかのような治療行為を行う恋人を思わず止めそうになった体を抑え、タクトはそっと席を立った。

 

 

 

 ルシャーティは夢を見ていた。

 

 子どもの頃、初めてヴァインと出会い、一人ぼっちだった自分を育ててくれたこと。

 親や教師のようにいろいろなことを教えてくれた。

 本当にたまにだけれど、『ライブラリ』の外、スカイパレス庭園にも連れて行ってくれた。

 そして貰った額のサークレット。

 「兄」に頼まれて『ライブラリ』の知識を引き出すと、兄は不器用ながらも褒めてくれ、喜んでくれた。

 いつか背丈が並んで、気がつけば少しばかり追い越していて。

 遠いトランスバールで『ヴァル・ファスク』の尖兵が『英雄タクト・マイヤーズと紋章機を駆るエンジェル隊』に敗れたと知った時。

 「弟」にしては本当に驚いた様子で、「彼らなら僕ら『EDEN』を救ってくれるかもしれない」と逃亡の計画を立て、希望に胸が躍った。

 エルシオールでの、毎日が賑やかで楽しい日々。あれはそう、昔『ライブラリ』で閲覧したことがある「お祭り」のような日々。

 

洗脳の解けた今ならわかる。

 

『ライブラリ』の管理者の唯一の血族であるわたしを自分の手駒として利用する為に殺さなかった。 

『ライブラリ』を扱う資格者としての教育を叩き込まれた。 

わたしの精神状態を分析する為に許される範囲で様々な環境変化の精神影響を調査した。 

それを基に精神を自在に操る装置を作り上げた。 

『ライブラリ』の知識を引き出すことで彼は更に地位を固めていった。 

種族差の成長の度合いも記憶を改竄し、自らを「弟」の役に交代させたことで騙した。 

わたしを利用することで『ヴァル・ファスク』を脅かす敵を内部崩壊させようとした。 

裏切り。攻撃。操り人形。無理やり精神を酷使され、脳が破裂するかのような痛み。わたしへの「廃棄」命令。 

 

そして最後に。

そっと、震える手でわたしの手を握り、名を呼んでくれたのだった。

 

「ルシャーティ。ルシャーティ」

 目が覚めたとき自分を覗き込んでいたのは彼、では無い。

 けれどどこか彼に似た青年。

「ヴァ‥タクトさん?」

「おはよ、ルシャーティ。うなされてるようだったから起こさせてもらったよ」

ハンカチを差し出されて、ルシャーティは自分が涙を流していることを知った。

ベッドから起き上がり、辺りを見回す。

数少ない、「楽しい」記憶の中に残っている景色。

「ここは…エルシオール?」

「うん、医務室だよ。‥その、こんなことを聞かれるのは辛いかもしれないけど…覚えてるかい?」

「…はい。何もかも全て」

「そっか。あの‥」

「あの人は、死んだんですか?」

搾り出すように小さくて、けれど良く響く声。

自分の言葉に思わず手元のシーツと今しがた受け取ったハンカチをきつく握り締める。

予想される答えに、平静を保つ為に。

「いや、今ヴァニラが懸命に治療しているよ」

「‥え?」

「生きてる。彼はまだ死んでいないよ」

 

どうして…?

治療するなんて。

だってあの人は。

「どうして‥ですか? あの人は『ヴァル・ファスク』で『EDEN』をあんなに苦しめたのに。わたしを…っ!」

 その先が声にならない。

 ルシャーティの中で何かが葛藤していた。

 

 自分を操って利用した。

 彼を憎んでいるのではないのか?

 忌むべき仇敵。

 いつも支えてくれた優しい弟

 裏切り。

 最後の手のぬくもり。

 思い出が、光景がフラッシュバックして消えていく。

 わたしを………

 

「ルシャーティ。その、ヴァインは君を」

「その名前を言わないでくださいっ!」

 それは明確な拒絶の意思。

 タクトはルシャーティが声を大きく上げるのを初めて聞いた。

 けれど、必死に拒絶の意思を示すその言葉の響きと態度にはその対象への嫌悪感は感じ取ることが出来ない。

 きつく言い放ったつもりだが、自分の中から咄嗟に出た拒絶の叫びとそれが当然だと思う思考が自らを絞め付ける。

 涙が滲み、目頭と目尻で大粒の滴を作り、溢れて支えきれなくなって零れ出す。

タクトから顔を背けて必死で堪えようとするが、涙は後から後から溢れてくる。

「‥言わないで…ください………」

消え入るような震える声。

手に持ったままのハンカチの存在など忘れ、涙を拭くことも満足に出来なかった。

「ルシャーティ、一緒に来てくれないか? ヴァニラが呼んでるんだ」

その言葉の意味が理解でき、ルシャーティは涙で一杯の目を一杯に開いてタクトを無言で見つめた。

 

 

Intensive Care Unit

目的の部屋の前に掲げられたプレートの文字を見てルシャーティの体がびくりと震える。

まだ足取りのおぼつかない彼女の肩を支えながら歩いてきたタクトにはそれが痛いほど伝わってきた。

一呼吸。

足が止まったのは一呼吸の間だけ。

それまでよりもさらにしっかりとした面持ちで歩き出した。

 

「ヴァニラ、ルシャーティを連れてきたよ」

「‥ルシャーティさん、よくいらっしゃいました」

入ってきた二人の方を振り向くことなくヴァニラが答える。

その声はさっきよりもさらに衰弱しており、儚くかすれてしまいそうになっている。

「…ヴァニラさん」

「こちらへ、来て下さい」

枕元に呼び寄せる。

ルシャーティは歩み寄らなかった。

歩み寄ることで、心の何処かが壊れてしまうような、そんな気がしたから。

「ルシャーティさん。ヴァインさんのことは、聞かれましたか?」

「タクトさんから、ここに来るまでに一通りのことは。それに…わたし自身のことは全て覚えてますから」

「ヴァインさんを、恨んでいますか?」

ヴァニラからのその問いにルシャーティは唇を噛む。

「…当然です。この人は敵で、『EDEN』を苦しめた『ヴァル・ファスク』で、ヴァニラさん達にもひどいことをしたんですから」

ルシャーティの視線はヴァニラでもヴァインでもなく、斜め下に俯いた所にある床のシミに固定されいる。

タクトからはルシャーティの目が見えない。

泣いているのだろうか、それもわからない。

ヴァニラは何も言わない。

ずっと治療を続けたまま、微動だにしない。

 

長い時間沈黙のままだった。

とはいえ、主観時間であるので実際は極めて短い時間だったのかもしれない。

「ヴァニラさんは、わたしにどうしろと言うんですか?」

堪りかねたルシャーティが口を開いた。

「そんなになってまで憎い敵の治療をして。その人に道具のように操られたわたしを連れてきて。わたしに、この人に泣いてとりすがれと言うんですか?」

ルシャーティには理解が出来なかった。

2人の仲を掻き乱し、その心を酷く傷つけたのだ。

最後には前以上に絆が深まったとはいえ、ヴァインの策謀によって傷つき、命を落とした皇国軍の将兵も少なくない。

仲間をあれだけ苦しめたこの男をどうして2人はこんなにも助けたがるのか。

「何かをしなさいと言うつもりはありません。ただ、知っておいて欲しかっただけです」

「…え?」

 ヴァニラの意外な言葉にルシャーティは思わず顔を彼女に向けた。

 自然とヴァインの顔も視界に入る。

 数時間ぶりに見た彼の顔はルシャーティが知っている彼のどんな顔よりも真っ白だった。

 口から直接気管に挿しいれられた呼吸器の為にようやく肺の上下はあるもののもはや「死体」や「人形」と呼んだ方が正しいかのようで。

 

「…見えますか、ヴァインさんが」

「え? は、はい」

ヴァニラから再び声を掛けられるまで何も考えられずただヴァインを見つめていた。

「ヴァインさんは、ルシャーティさんをその命を賭してここまで連れて来てくれました。それはルシャーティさんや私達、そして『EDEN』への償いの気持ちからではなかったはずです。私は、ヴァインさんはただただルシャーティさんのことだけを考えていたんだと思います」

「…どういう、ことですか?」

「ルシャーティさんに、幸せになって欲しかったんだと思います。自分がいなくなっても、ルシャーティさんの笑顔を守りたかったんだと思います」

ヴァニラの言葉は静かに続く。

苦しそうに喘ぎながら。

ナノマシンの長時間に渡る酷使で精神の衰弱はもう限界に達しているはずだった。

「ヴァインさんのしてしまったことを無かったことにすることは出来ません。ですが、その過去に囚われて笑顔を失くされたらヴァインさんのしたことはまったく意味が無くなってしまいます」

「…だから、わたしにこの人を『許せ』と言いたいんですか?」

ルシャーティは声を震わせてまた目を逸らし、もうどこを見ていいかも分からなくなって目を閉じた。

 

 次のヴァニラの言葉はまたも予想だにしない言葉だった。

「いいえ、許さなくてもいいと思います」

「…はい?」

涙で一杯の目を思わず見開いてヴァニラを見た。

急に開かれた眼に乗り切らなくなった雫がふたすじ、目尻から頬へ弧を描いた。

苦しそうにしながらも、ヴァニラは微笑んでいた。

ルシャーティが知っている誰よりも優しそうに。

「私個人はヴァインさんの気持ちにルシャーティさんが応えてくれたら嬉しいです。けれど、私はルシャーティさんの苦しみを知りません。ルシャーティさんはヴァインさんを許せなくて仕方ないのかもしれません。ヴァインさんも多分『自分は許されない罪を犯した』とわかっているはずですから。だから、ルシャーティさんがヴァインさんをどう思うかではなく、ヴァインさんに守ってもらったその命、これからの人生を『信じていた人に裏切られた』と泣き続けるのではなく、笑って幸せに暮らしていって欲しいのです。それで忘れられてもヴァインさんは本望だと思うはずです」

自分もそう思うから。

ヴァニラは心で付け足す。

いつ何時何が起こるかわからない。

自分とタクトが理不尽に別れなければならない時が来るかもしれない。

そんな時愛しい人は、自分を思って嘆き続けるよりも自分を忘れても憎んでもいいから幸せに笑っていて欲しい。

「取りすがっても、手を握って名前を呼んでも、この場を立ち去っても、私の治療を無理やり止めようとしても、この場で何も考えずただじっと見ていても、すべてルシャーティさんの思うようにしてよいと思います。その後に、後悔さえなければ」

ルシャーティは呆然としていた。

涙は溢れるまま拭おうともせず、鼻水のせいで息が詰まるようで口を開けたまま時たますすり上げながら小さく呼吸をしている。

「私のお話はこれだけです。後はどうするか、ルシャーティさんにお任せします」

 

 

 

再び長い沈黙が訪れた。

ルシャーティは動かなかった。

ヴァニラも、戸口に立ったままのタクトも、一言も発しはしなかった。

ルシャーティが鼻をすする音と医療機器の電子音とヴァニラの重く苦しそうな吐息だけが静かな室内のわずかな音源だった。

 

ぺちん。

 

どれだけたったろうか。

これまでと違う音が響いた。

思わずタクトが音が鳴った方を見ると、それはルシャーティだった。

その両手で両頬を叩いたのだ。

まるで眠気覚ましに気合を入れるかのように。

非力な為に随分と可愛らしい音だったけれども。

「る‥ルシャーティ?」

「いたた…」

叩いたその手で頬を撫で、ハンカチで顔を拭いだした。

タクトの呼びかけには応えない。

 

ちーーんっ!

 

鼻をかんで。

ごしごし拭ったせいで目元と鼻の赤みはくっきりと出てしまっているけれど。

両の手を胸の前で小さく握って「よし!」とでも言いたげなジェスチャーを誰にともなくして。

『彼』に、歩み寄った。

どう見ても困った顔にしか見えないのだが、怒ることが苦手な彼女なりの『怖い顔』を作って。

「えい!」

 

ぺちん

 

また、なんとも可愛らしい音を立てて寝ているその人に平手打ちを与えたのだった。

「るっ…ルシャー……!」

タクトも思わず目を剥いた。

「めっ!」

彼女はそれしか言わなかった。

そして、ふっとやわらかく微笑んで何かを呟いた。

タクトには表情も、何を言っているかも聴き取ることは出来なかったが。

そのまま踵を返すと、慌しく駆け出して部屋を出て行ったのだった。

「ルシャーティ…それ、オレのハンカチ…」

あまりのことに、タクトはそんなことしか言えなかった。

 

「タクトさんは、ルシャーティさんがヴァインさんになんと言ったか聞こえましたか?」

「いや、じゃあヴァニラも?」

「はい、私も聴き取れませんでした。でも…」

「でも?」

「ルシャーティさんは、笑顔でした」

ちゃんと伝わった。

ヴァインはその想い、その願いを遂げられた。

「そうだね。オレも、表情は見えなかったけどなんとなくわかった」

「はい……あの、タクトさん」

「なんだい?」

「私、なんとしてもお2人をもう一度逢わせてあげたくなりました」

「…うん」

ヴァニラが言わんとすることはタクトには伝わっている。

正直、止めたい。

司令官としても、恋人としても。

けれど。

ヴァニラの想いもわかっている。

タクトも同じ気持ちだから。

それに、彼女のそんな所がたまらなく愛おしいのだから。

 

「タクトさんは、私が無理をすれば悲しいですか?」

 

ヴァニラが振り向いてタクトを見ていた。

ナノマシンに掛かりきりの手を止め、膝の上に置いている。

タクトは半日ぶりに、ずっと傍に居た恋人を正面から見た。

ものの半日で完全に憔悴しきっている。

疲労は濃厚で今にも倒れそうだった。

1年近く前、ウギウギが天寿を全うした時。

あの頃よりも酷い状態で。

けれど、過去のトラウマを乗り越えたその意志と瞳は確かに強く現在の希望を見据えている。

「オレに、訊いてくれるんだ」

ヴァニラの変化が、嬉しい。

「無理をしてるヴァニラを見るのは確かに辛いけど、ヴァインを、ルシャーティを助けたいんだろ? 後悔しないように、ね」

「…はい。ありがとうございます」

 

2時間後。

ICUから、ヴァニラ・Hが倒れたとエルシオールに報告が入った。

 

 

 

ルシャーティはスカイパレスの中を走っていた。

お世辞にも速いとは言えないけれど、彼女に出来る限りの全力疾走。

頭の中はまだいろいろぐちゃぐちゃだけれど、やることと目指す場所が決まっているのだから、足を緩めはしない。

 

…転んだ。

すぐに顔を上げる。

鼻が痛い。

鼻を強く打ったせいで涙が滲んでくる。

強く頭を振って気を引き締めなおし、さっき鼻をかんだことを覚えているのかいないのか、タクトのハンカチでまた目元を拭いて立ち上がった。

 

足元に注意を払いつつもまた走り出した。

迷う心配は無い。

もともと方向音痴ではあるし、もうしっかり者の弟も付き添ってはくれないけれど。

ここだけはもう体が覚えてしまっている。

二重、三重のパスワードを入力し、さらに生体コードの認証を焦りながら待つ。

扉が開く。

 

「へえ、早かったじゃない。最低でも3日は泣きべそかいてるかと思ったわ」

広い空間に響き渡るのは高く澄んだ声。

金髪の少女が不敵な笑みを浮かべていた。

「わたしにしか出来ないことがありますから。何の為に彼がわたしを助けてくれたのか、わからなくなっちゃいますし」

「まっ、そう言うことね。あんまりぐずぐずしてるようだったら無理やり引きずってこようくらいには思ってたけど手間が省けたわ」

「ふふっ。それに、ヴァインが目を覚ました時にお説教してあげないといけませんから」

「‥説教?」

「ええ!」

まだ真っ赤な目で懸命に微笑む。

そのあまりの微笑ましさに思わず少女の頬も緩む。

「…好きにしたら。それより2、3日は徹夜で缶詰になるわよ、覚悟しなさい」

「はい!」

「2日もすれば疲れ目のせいで涙がもったいないって思えるくらいこき使うから」

「お手柔らかにお願いします」

「とにかく時間が無いの。『EDEN』を奪還された以上奴等はクロノ・クェイクを再び起こそうとする可能性が高いわ。ルシャーティはまず、出来ればそのクロノ・クェイクを発生させる兵器そのものの情報、無ければクロノ・クェイクに関する記述情報を全て取り出して私に寄越しなさい。それが終わるまで一切休憩なし」

「は、はい!」

「さあ、忙しくなるわよ!」

 

 

 

『EDEN』にヴァル・ファスク艦隊が侵攻してきたのはその22時間後だった。

その時タクトはヴァニラが寝ている病室で、シヴァに説教を受けていた。

「憎い敵を助ける為に恋人を過労で倒れるまで治療させるとは、そなたの至らなさには心底呆れ果てる」

「…すいません。ってなんでシヴァ様がオレにそんなこと言いにわざわざここまで」

「時間が取れたから久々にエルシオールに顔を出してみればこの有様でな。思わず見物に来た」

「見物って…」

「冗談はともかく、マイヤーズ。ヴァニラ・Hは解放艦隊の中心となるエンジェル隊のエースパイロットなのだ。そうまでしてあの『ヴァル・ファスク』を助ける意味はあるのか? さっきICUを覗いてきた。あの者はそなたらがそこまでする価値がある男なのか?」

「…はい、オレとヴァニラを信じてください」

「言ったな」

「…はい」

シヴァがその瞳と表情から緊張を解いた瞬間だった。

タクトの通信機が緊急通信のアラームがなった。

『タクト! ヴァル・ファスクの艦隊がEDEN宙域に侵入してきた、すぐ戻れ!』

タクトにはレスターの声でわかる。

状況が予断を許さないものだと。

「すいませんシヴァ様。オレは行きます」

「私も共にエルシオールに行こう」

シヴァが立ち上がったはタクトとほぼ同時だった。

「恋人が傍にいないとすぐにやる気をなくすそなたに少しでも緊張する材料を与えてやらねばな」

「…はは、ちゃんと席に座って掴まっててくださいよ」

この小さな女皇には敵わないとタクトは思うのだった。

 

「あ〜あ、こんな時だけど来ちゃったわけだ」

「来ることくらい予想は出来たろう。なのにエースにあんな無茶をさせやがって。司令官としての自覚はあるのか?」

「オレほど部下のことを考える司令官っていないと思うよ」

「副官の苦労も考えてくれれば尚善いんだがな」

「だからお前にはいつも感謝してるよ、親友」

「お前からは誠意というものが感じられん」

「そりゃそうだ。欠片もこめてないもん」

音も無く銃口がこめかみに突きつけられる。

ただ、怖いのは冷たく押し付けられている銃口ではなくその殺気だった。

「負けたら殺す。いいな」

「ちょっと、今にも引き金が引かれそうなんだけど」

「この場で『誤射』されたくなければ勝算でも語ってくれ」

いつもの光景とやり取りが繰り広げられるのはエルシオールのブリッジ。

とてもじゃないがブリーフィング中の司令官と副官とは思えない。

「司令も副司令もまじめにやってください!」

「クールダラス副司令もやる気あるんですか!?」

ブリッジクルーからこういった声が上がるのも仕方が無いといえる。

「ない、この馬鹿のせいでやる気を失くした」

「副司令! シヴァ女皇陛下もいらっしゃるんですよ?」

はあ、とひとつため息をついて副司令官、レスター・クールダラスは「冗談だ」とこぼした。

元来生真面目なこの男がタクトのふざけた会話に乗るとさっぱり冗談に聞こえないのでクルーには厄介だ。

不謹慎にもシヴァの感想は「クールダラスも『遊び』がわかってきたではないか」だったので何も言わず黙っていたのだが。

 

「ココ、敵艦の把握はできているか」

「はい、敵艦隊は重巡洋艦を中心に据え、駆逐艦2隻と攻撃機4機を右翼に、突撃艦2隻と戦闘機4機を左翼に配置しています」

「鶴翼陣形か。古典的な手法だがそれだけに厄介だな。他に艦は見当たらないか?」

「いえ、重巡洋艦後方距離10万に大型艦の存在を感知しています。恐らく有人の旗艦であると思われます」

「そこから操っている、か。その距離じゃ旗艦の撃破は難しいな。他、増援の可能性は?」

「十分に考えられます」

「…わかった。引き続き敵の動きを警戒してくれ。アルモ、エンジェル隊の発進準備は?」

「既に格納庫で待機中です。…5番機を除いて」

それを聞いてレスターはタクトを振り返って恨みがましい視線を送る。

「だそうだ、司令官殿。状況は理解していただけたか?」

「ああ、ありがとう副官殿。じゃあアルモ、エンジェル隊に通信いいかな?」

「マイヤーズ、一言だけよいか」

思わぬところでシヴァからの静止がかかった。

「なんでしょうか?」

「私は、そなたを信頼している。そなたを信じて裏切られたことは一度も無い。だから…そなたが信じるなら私も信じる」

「…ありがとうございます」

「それだけだ。邪魔をしてすまなかった」

 

「エンジェル隊、準備はいいかい?」

『馬鹿タクト! 何ヴァニラに無茶させてんのよ!』

 通信一番蘭花の怒鳴り声が大音量でブリッジに響いた。

『ランファ〜、タクトさんが悪いんじゃないってば〜』

『はは、そんなわけで5番機以外発進準備は完了してるよ』

『タクトさん、ヴァニラ先輩のご容態はどうなんですか?』

『スカイパレスの医療施設だからお見舞いにもいけなかったんですのよ』

戦闘前の通信にもかかわらず口々に好き勝手おしゃべりしている辺りはいつものエンジェル隊といったところか。

だが。

「司令、紋章機の出力が前回の戦闘より下回っています」

「やはりか、エースがいないんだから当然だろう。どうするんだ、タクト」

「どうするもこうするも正直に言うしかないだろう?」

 

「ごめん、みんな。オレはヴァニラを止めることができなかったよ。恋人失格かな?」

『そ、そこまで言ってないじゃないのよ、ヴァニラがそうしたいって言ったんでしょ?』

『あんたは自分の女の想いに応えただけだろ? そんな事言うもんじゃないよ』

『タクトさんが後悔してらっしゃらないのであれば、わたくしから言うことはありませんわ』

『ヴァニラはヴァインさんを助けたんですよね。それってヴァニラにしか出来ない大切なことだったと思います』

それぞれの言葉でエンジェル隊からの信頼を感じる。

こんなに嬉しいことは無い。

タクトは自分の中にも活力が沸いてくるのを感じた。

「ありがとう。ただ、ミルフィーはそう言ってくれたけどまだヴァインは予断を許さない状態にある。それにルシャーティとノアも今『ライブラリ』でオレ達が『ヴァル・ファスク』に対抗できるように力を尽くしてくれてるんだ。今オレ達が彼らの為に出来ることはひとつ。スカイパレスに指一本たりとも触れさせないことだ」

はい! ヴァニラ先輩が戦えない分は私達が倍の働きでもって埋めてみせます

ちとせだけではない、全員の瞳がその通りだと訴えかけていた。

「ありがとうちとせ。みんなも期待してるよ。ただヴァニラがいない分、より慎重に戦ってくれ。無理をしないようにね」

空を仰ぐ。

タクトはこの場にいないヴァニラを想う。

彼女の想いに応える為にも。

負けられない。

絶対に食い止めるぞ、ヴァニラ。

「行くぞ! ヴァニラの想いを、そして未来の希望を守り抜くんだ! みんなの力をひとつに! エンジェル隊発進!」

 

『了解!』

 

「エンジェル隊、発進しました」

「敵艦に動きがあるまで待機だ」

「司令! 敵旗艦から通信です!」

「来たか、有人艦ならひょっとしたらとは思っていたけど」

 次の瞬間アルモの顔がさっと青ざめた。

「…! 『ゲルン』…そう名乗っています」

「何だと!?」

「ゲルンとは…『ヴァル・ファスク』の首魁。そうであったな、マイヤーズ」

「ええ、ノアの話では先文明時代からの支配者だとか。親玉が直々に来るとはな…メインスクリーンに出してくれ、アルモ」

「了解しました」

 

映し出されたのは岩のような体格の老人。

杖を持っているものの、その瞳はまさしく1000年もの時を破壊と征服に生きてきた魔物の目。

エルシオールのブリッジに居たものは皆その瞳に飲まれ、背中に冷たい汗を感じた。

一人を除いて。

「余は…『ヴァル・ファスク』の王、ゲルン」

通信だというのに、発する言葉の重圧は息をするのも苦しいほど。

「私は‥トランスバール皇国の女皇、シヴァ」

正直、恐ろしい。

だが女皇であるシヴァがここで圧されるわけにはいかない。

それは即座に精神的な敗北を意味する。

だが、10歳で即位してまだ1年足らずの少女とこの1000年の魔王では貫禄が違いすぎた。

「ゲルンよ。我らは無益な争いを好まぬ。『EDEN』解放の為貴国と戦闘状態に入ったが、貴国の領域を侵略する意思はない。停戦し友好条約を」

「五月蝿いのう、仔犬がよう吠えるわ」

「なっ!」

ゲルンの眼中にはシヴァなど無かった。

見据える目の先は、唯一己の瞳を挑戦的に睨み付けてきた男。

「タクト・マイヤーズ、か」

「そう、オレが司令官のタクト・マイヤーズだ。何か用かな、王様?」

 

 

 

それが魔王と英雄の初対面。

その後、意識を取り戻したヴァインは英雄が銀河を救ったことを聞く―――

 

 

 

 

 

 

 

「や、見事な演説だったじゃないか、『ヴァル・ランダル公』」

「お疲れ様、ヴァイン。格好良かったわよ」

ニコニコ顔のタクトとルシャーティに迎えられて金髪の青年、ヴァインはため息をついた。

主に、タクトの顔を見て。

「‥まだいたのかい」

「おいおい、忙しい中せっかく見に来てくれたルシャーティにそれは無いだろ?」

「君に言ったんだよタクト・マイヤーズ。忙しさなら君も負けてないはずだろう?」

「そうなんだよ。レスターの奴とかくオレに仕事を押し付けたがるんだ」

「…レスター・クールダラスの苦労には僕でも同情するよ」

「あいつがいなかったらオレ今月あと20回はヴァニラと動物園に行けたのに」

「……彼がいなかったら君はひと月でクビにされるだろうね」

「ふふ、随分タクトさんと仲良くなったのね、ヴァイン」

「誰がこんな男と」

「素直じゃないなあヴァイン。ひょっとしてルシャーティにもツンツンしてるのかい?」

「素直に言ってるだろう、君と会話してると腹が立つって」

 

意識を取り戻したヴァインが望んだのは自らの処刑だった。

ルシャーティを寄せ付けず、自らの罪状を直々にシヴァの前に並べ立てた。

だが、シヴァからの処分は誰の予想も超えたものだった。

『ヴァル・ファスク』民衆の混乱を治め、共和制にゆっくりと改革していく為の暫定統治を任す。

それを受けてトランスバールとの友好を目指し国を再建する限り刑の執行を免ずる、と言った内容である。

「死に逃げることは許さぬ、償いをして生きよ」

そう最後に投げかけた。

ヴァインはただ一度舌打ちをしたきり、何も言わずその言葉に従い続けている。

政治機構を整え、身体を全快させて。

そして今日の就任式を迎えたのだ。

 

ピピッ ピピッ

 

通信機が鳴り出す。

タクトのものだ。

「はい、オレだけど」

『……………………』

 通信機は沈黙を続け、そして切れた。

「ありゃ。…ヴァイン、オレ帰るよ」

 申し訳なさそうに席を立つタクトはなにやらくすぐったそうな表情をしている。

「なんだったんだい?」

「ああ、ヴァニラがね、寂しがってるみたいだから」

「…は?」

「最近こうなんだよ。寂しい時に通信くれるんだけど恥ずかしがっちゃってなんにも喋ってくれないんだ」

「わあ、タクトさんはヴァニラさんのことをなんでもわかってるんですね」

「いや、まあね」

ため息。

「理解に苦しむよ」

「おいおい、ルシャーティが忙しくてなかなか会えないからってオレ達のことをひがまれてもな」

「誰がひがんでなんかいるんだ。そもそもこの女が忙しいだって? 通信の度に『休みはいつか』『明日は暇か』『その次はどうだ』とそればかり。『ライブラリ』の管理者様はよほどお暇と見える」

「ヴァ‥ヴァイン言っちゃ駄目!」

真っ赤になったルシャーティがヴァインを抑える。

それを聞いたタクトがにやけるのを見てヴァインもようやく自分の失言に気付いた。

「へぇ〜、そうなんだあ。よく通信でデートの予定について話をねえ」

「僕は別にそんなこと話してない!」

「あれ? ヴァイン、いつもより血色がいいんじゃないか? ひょっとしてヴァインなりに赤面してるのかい?」

「黙れ!」

「いやはや策士のヴァイン君が墓穴を掘って語るに落ちるとはねえ。天才も恋を知ったらただの人ってところかな?」

「さっさと帰れ!」

大笑いしながら去っていくタクトがいなくなり、ヴァインに残ったのは徒労感だけだった。

 

「まったく、なんて男だ」

「あっ、ねえヴァイン。この後用事とか無かったら久しぶりにお夕飯一緒にどう?」

ルシャーティなりにヴァインの気を和ませようとの提案だったが、半分以上自分の希望でもあった。

「食事って簡単に言うけど…一応僕は国家元首相当の地位なんだ」

『EDEN』の、それも『ライブラリ』の管理者と食事なんてどんな噂を流されることか。

過去の事実もある。

 それを言うとルシャーティは少しむくれてしまった。

「なんだか難しいのね。じゃあいいわ、ヴァインのおうちに行きましょう。わたしが作るから」

「うちって‥『官邸』だよ」

そんなところに連れ込んだと知られたらそれこそスキャンダルもいいとこだ。

「あら、昔はよく作ってあげたじゃない」

「そう言う問題じゃないだろう」

「ヴァインったらわたしが『おいしい?』って訊かないとずっと黙って食べ続けてたわよね。私がどんな風に訊いても無表情に『おいしいよ』ってそれしか言わないし」

「ああ、そうだったっけ?」

「そうよ。よし、今日はリベンジ。ヴァインに自分から『おいしい』って言わせてあげるんだから!」

ルシャーティはすっかりその気だ。

またため息。

「わかったよ。君の好きにすればいい」

 

すっ。

 

ヴァインの額にルシャーティの人差し指が押し当てられる。

ルシャーティは頬を膨らませて屈み込み、ヴァインを下から見上げた。

「なっ…なんだい?」

「名前」

「なん、だって?」

「わたし、今日はまだ一度も名前で呼んでもらってないわ。『この女』とか『管理者様』とか『君』とか」

「は?」

「名前で呼んで」

「う…」

「名前で呼んで。…ね、ヴァイン」

どちらも頬が上気し赤くなっていた。

ヴァインは自分を見つめてくるルシャーティからずっと目を逸らしていたが、まぶたを閉じてまたもため息をついた。

額の指を外させる。

「…ルシャーティ」

「うん」

「ルシャーティ…その、―――――」

耳元でささやく。

ルシャーティはその言葉に驚いてはっとヴァインを見た。

当のヴァインは言ったことを後悔するかのように苦い顔をしている。

照れているのだと、ルシャーティは知っている。

自然と頬は微笑みの形になる。

「うん、わたしも」

その言葉にヴァインのほうが面食らった。

「? どうしてきみ‥ルシャーティ『も』なんだい? 君が僕にそんなことを言う必要…」

「え、えっと…ふふっ、なんでも。そんな気がしたから」

「変な理由だね」

「そう?」

「まあ昔からずれた所があったから仕方ないかな」

「なによそれ。わたしそんなにおかしくないもん」

 むくれてすねるルシャーティを見てヴァインは自然と微笑んだ。

 自分で気づいているのだろうか。

 自分が笑っていることに。

 

「さ、もう行こう。夕食を作ってくれるんだろう?」

 手を差し出して。

「うん」

 手を取って。

長い時間をかけて。

ずっと一緒だった二人はようやく一緒に歩き出した。

 

「わたしが〜オバさんに〜な〜っても〜♪ えい〜がにつれてくの〜?♪」

「…何の歌だい? それ」

 

寄り添って。

支えあって。

 

「この前『ライブラリ』で見つけたの。ずっと昔に流行ってた歌なのよ」

「オバさんに、か。変な歌だね」

「あら、素敵だと思わない? 姿だけじゃなく、わたしをずっと愛していてねって歌なのよ」

 

もう、道を間違えることが無いように。

月の光に見守られながら。

ゆっくり。

ゆっくり。

歩いていく。