『 7th 』

 

 

 電車のドアが開き、車内は本来の季節を取り戻した。

 冷房で無理矢理冷やされた車内の空気が我先にとドアから飛び出し、かわりに熱を帯びた外気が次々に電車に乗り込んでくる。

 このような場所に居なければさえ常に私に纏わりついて離れない熱気ではあるが、徐々に冷房に慣れはじめていたこの体には少々辛い。

 車内に僅か残る冷気が恋しくて、このままここで涼みたいという悪魔のささやきが脳裏をよぎる。

 だが悪魔が私を誘惑するその前に、下車せんと乗降口に迫る人の波にのまれ、私は電車から搾り出された。

 睨みつけるような視線をこちらに向けつつ、いかにも“上司にこき使われてストレス溜まってます”な顔つきをしたサラリーマンが私の横をすり抜け、早足でホームを歩いてゆく。

 乗降口の前に居座っているのはさすがに迷惑だったか。

 私は電車から離れるように歩を進める。

 先程出て行った冷気がこの辺をうろついていても良いものだが、あれほど私の身体に馴染んでいた空気は薄情にも私を置いてどこかへ行ってしまったらしい。

 次に会った時は人との関わりを大切にするよう言い聞かせなければ。

「……………」

 頭に浮かんだくだらない思考に苦笑する。

 どこかネジが外れた思考を脳から追い出すように嘆息してみるが、それは蒸すような空気に侵され、不快な風を外界へ送るに過ぎなかった。

 9月。

 夏も終わりだというこの時期に、太陽はこれでもかとばかりに未練がましく光を投げ込んでいる。

 まるで在庫が余った夏物の服を破格で売りさばくような大盤振る舞いだ。

 ………迷惑な事この上ない。

 ホームを守るかのように長く伸びる屋根のおかげで太陽の光を直接浴びる事はないものの、真夏の太陽と風がもたらす熱風は屋根などものともせずに私の身体へと纏わりついている。

 ただその場に立っているだけで、不快な汗が肌を滑っていった。

 私はポケットからハンカチを取り出し、額にあてる。

 ハンカチはみるみるうちに湿り気を帯びていく。

 ちょっとでも絞れば溜まった汗が滴り落ちそうだ。

 

 ――暑い。

 今さら言うまでもないが、暑い。

 

 私はすっかりびしょびしょになってしまったハンカチを折りたたみ、ポケットの中に入れる。

 

 ――が。

 

「………?」

 ポケットに入れた手に違和感を感じ、その正体を引き抜く。

 私の手にあるのは小刻みに震え続けている携帯電話。

 電車に乗ってからマナーモードに設定したまま解除するのを忘れていた事を思い出した。

 私は折りたたまれた携帯電話を開き、そのディスプレイを見る。

 無機的に並ぶ、11桁の数字。

 

 私は溜め息を一つ吐き、

 

 ――ピッ

 

 電話を切った。

 

「…はあ。何度呼んでも、私は行きたいとは思えないのよ…」

 そう言いながら、私、邑雲夜夢(むらくもよむ)はまた溜め息を一つ吐いた。

 私は、何回も同じ所から掛かってきた電話にとてもうんざりしていた。

 いや、“うんざりしていた”というよりは、“げんなりしていた”という表現の方が合っているかもしれない。

 だって、来月の10月は…。

 

 

「縁が亡くなった日…」

 

 

 そう、来月は、私の親友だった女の子、神無月縁(かんなづきゆかり)の命日の日だった。

 だから、私はげんなりしていたのだ。

 7年前のあの出来事から毎年来る、この日に。

 

 

 

 そういえば、あの時も、こんな晴れ渡った天気だったかも知れない。

 私は、今では都内の大学の1年だから…当時は小学校6年生という事になる。

 その時、私と縁は、まだ10月だというのに、もう来年のことを…中学の事を考えていた時だった。

 多分、あの時は凄く待ちわびた時でもあったのだろう。いつか訪れるだろう未来を。

 それは、縁も一緒だった。

 

 そして、私の通っていた小学校から少し離れた小高い山。

 その頂上にあった、一本の桜の木の下で(10月なので、青々としていたが)私達は、ある約束をした。

 

 

“私達が中学校に入学する時には、この桜の木は満開になるよね”

“私達が中学校に入学したら、一緒にここに来て、満開になった桜を見よう”

 

 

 私達は、そう約束をして、『ゆびきりげんまん』をして、そしてここで別れた。

 それが私達の最後の約束だった。

 

 

『その事』がわかったのは、その日の夕方、晩御飯を食べている時。

 それは突然だった。

 私達が食事をしている時に、突然電話が鳴った。

 母はいつも通り箸を置いて、いつも通り部屋を出ていって。

 そして、しばらくしていつも通りに部屋に戻ってきた。

 唯一いつも通りではなかったのは、母のいつにも増して青くなった顔だった。

 私は、何だか嫌な予感がした。

 何か、得体の知れない何かが近づいている、そんな気がして。

「ねえ、何かあったの?」

 私は母に聞いた。

 何故かは知らないが、聞かなければいけないような気がして。

 そして、それに父が続いた。

「何かあったのか?」

 母はしばらく何も言わなかったが、しばらくして重苦しく口を開いた。

 

「お父さん。夜夢。よく聞いて。実は…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その電話の内容は。

 縁が、家に帰る途中で交通事故に遭い、今先程息を引き取ったという内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 葬式は翌日に開かれた。

 葬式会場では、縁の親、友達、担任などがそれぞれに涙していたが、私としては、全くと言っていい程実感が沸かなかった。

 沸かなかったというより、沸けられなかった。

 全く、この意味かわからなくて。

 棺桶の中には、縁がとても愛らしい笑顔で寝ているとしか思えなかった。

 だから、実感が沸けられなかったのかもしれない。

 もちろん、当時の私が若すぎたというのもあったが。

 だが、この時から何となく分かった事があった。

 もう二度と、縁と同じ道を歩く事は出来ない。

 それだけを。

 

 

 

 

 

 そして、それから6ヶ月が経って――。

 中学校の入学日。

 中学が終わり、記念撮影を一通り済ませると、私はあの桜の木がある小高い山へと走った。

 その桜は、4月なだけあって、とても綺麗に咲き乱れていた。

 私は、それを見て、本当に気付いた。

 あの子が―――縁が居ないという、本当にこの世を去ったという事実を。

 その事実に気付いた時、急に涙が止まらなくなった。

 一つ。

 また一つ。

 滝のように流れる涙に、私は成す術も無く泣きつづけた。

 それは、親友が無くなって、二度とこの桜を見る事が出来ないのが悔しかった、そんな涙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、縁が亡くなってから七年。

 私は、大学1年になった。

 私は、駅のホームにある椅子に座りながら、改めて携帯電話を見る。

 着信履歴に並べられた11桁の数字。

 最後にかけられた電話番号。

 それは、私の母の携帯電話の電話番号だった。

 しかもその電話が来たのは、今日に始まった事ではない。

 七年前、縁が亡くなった後の葬式以来、私はずっと通夜に参加していない。

 親に言われようとも、どうしても行かなかった。

 私がこうやって大学に入り、実家から離れていようとも、電話をかけてでも行かせようとする。

 あなたが行かなきゃ、縁ちゃんが悲しむでしょ、と。

 無論、あの桜の木がある小高い山にも。

 ただ、私が行かない理由は、親の反発から、では無い。

 怖いのだ。

 縁の事を思い出す事が。

 あの時、満開になった桜の木を見て、私は縁が死んだ事を認めた。

 だが、心の何処かで、まだあの子がひょっこり出て来るのではないか。

 明日になれば、一緒に学校で勉学に励んでいるのではないか。

 そんなとっても脆い、しかし人間なら誰もが持ってしまう淡い期待を持っていた。

 だから、“縁が死んだ”証明になる所には、行きたくなかった。

 もし、そこに行ったら、“縁が死んだ”事を認めざる負えなくなるから。

 そんなのは、傲慢だ。

 認めたくなくても、認めなくてはならない。

 それは判っている。

 だが、どうしても認めたくは無かった。

 認めたら、またあの日みたいに、みっともなく大泣きしてしまうだろう。

 何より、認めてしまうことによって、私が7年間無駄と判りながらも持っていた心の支えをなくす事になる。

 7年間私がしてきた事が、全て無に帰してしまう。

 それが何よりも怖かった。

 そんな縁に対する拒絶と不安によって私は7年の時を過ごした。

 きっと今年も縁に関わる所にはいく事は無いだろう。

 そう、私は思っていた。

 

 

 

 

 しばらくして。

 私は携帯電話をポケットにしまうと、椅子から腰を上げた。

 とりあえず家に帰って、テレビでも見ながら過ごそう。

 まだお昼だけど、別にどうでもいい事だ。

 そんな事を考えながら私は改札口を出て、出口へと向かっていた、その途中。

 

 

「……うぅえ〜〜〜ん、うぅえ〜〜〜ん」

 

 

 何やら、子供の泣き声のようなものが聞えてきた。

 私は思わずその声のした方向を見てみると、人ごみの中で、女の子が一人泣いていた。

 私は、その光景にとても奇妙な物を感じた。

 どういう感じか、この時には全く気付かなかったが。

 私は女の子が泣いているというのに誰一人声をかけようとしない人たちに怒りを覚えながらも、私はその女の子に近づいていった。

 近くで見てみると、以外にも体付きはしっかり、とは行かなくても女の子らしい体付きだとわかる。

 とてもサラサラとしたロングヘアにポニーテール。

 そして、今来ている服は、どこかで見たような小学校の制服。

 年は…12歳ぐらいといったところか。

 私は、女の子に声をかけてみる。

「どうしたの? 迷子なの? お母さんかお父さんは?」

 一遍に3つも質問しているが、そんな事は気にしていられない。

 女の子が一人で泣いているのを見過ごす事は、私には出来ない事だから。

 しばらくして、女の子は涙を拭いて私の顔を見ながら言った。

「…お母さんもお父さんも、いないの」

 いない?

 どういう事だろう?

「いないっていうのは?」

 もし、私が思った通りだとしたら。

 私は万が一の事を考えて、その子に尋ねる。

「いないの…」

 だが、その女の子の返答は全く変わらなかった。

 その後も、同じ質問をしたり、どこから来たのかと尋ねてみたが、同じような返答しかえられなかった。

 私は途方にくれた。

 このまま家に連れて行くわけにも行かないし、ここに残していくなど論外だった。

 なら。

「そうだ。それじゃあ、お姉ちゃんと一緒に案内所にいってみようか。お母さんたちが待っているかもしれないし」

 そう。案内所しかなかった。

 そこなら、何か一つぐらい手掛りがあるかもしれない。

 そうと決まれば、早速行こう…としたら、私の服の裾が誰かに引っ張られた。

 その子だ。

「…何しているの? ほら、早く…」

 私はそう言いながら、その子の手を引っ張ろうとしたが、その子何故か私の顔を見据えたまま動こうとしない。

 まるで私の心の中を見ているような、達観した目。

 先程大きな泣き声で泣いていたとは思えない目だった。

「私、お姉ちゃんと一緒にいたい」

 …へ?

 私は一瞬、その子が何を言ったのかわからなかった。

 私と一緒にいたい?

 なぜ?

 私の考えがわかったのか、その子はまたもや私の顔を見据えたまま言った。

「ねえ、行こうよ」

 それと同時に、私の手を引っ張っていった。

 凄く強引に引っ張られた私は、抵抗をする事無く、その子に付いて行った。

 いや、抵抗をしなかった、というよりは、抵抗が出来なかった、という方が正しかったのかもしれない。

 なにか、その子には懐かしい感じがしたのだ。

 だからかもしれない。

「ね、ねえ。君の名前は?」

 こういう風に名前を聞いたのは。

「私? 私の名前は水無月結花(みなづきゆか)。お姉ちゃんは?」

「私は…邑雲夜夢」

「そうか。夜夢お姉ちゃんだね。よろしく」

 こうして、結花といったその子と私の奇妙なお出かけが始まったのだ。

 

 

「………夜夢」

 その子のそんな呟きは、私の耳に届く事無く風の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結花に無理矢理連れて来られた場所は、駅から歩いて数分の所にある遊園地だった。

「ほら、夜夢お姉ちゃん! 早く早く!」

「う…うん…」

 結花はとても元気そのものだが、私はというと、先程から強引な結花に押されっぱなし。

“子供は風の子元気な子”という言葉はまさに結花の性格そのものを指した言葉じゃないのかじゃないのか?

 私は心の中でそう思った。

 それにしても、まさか今更遊園地に入る事になろうとは…。

 まあ、ある意味では丁度良かったのかもしれない。

 恐らく、この機会で無いと入る事は無いだろうから。

 それに、入場料も子供で500円、大人で800円と、規模の大きさにしては意外と手ごろな値段。

 私の今の小遣いでも十分に払える額だ。

 私は入場料を払い終えると、結花の手をつないだ。

「さ、行こうか、結花」

「うん!!」

 結花は元気に返事を返し、私の手を握り返してくる。

 その時、私の中に、何か奇妙な感覚が生まれた。

 この手、どこかで―――。

「? どうしたの? 夜夢お姉ちゃん?」

「え!? う、ううん、何でも無い!」

 私は慌てて激しく首を振ると、それを誤魔化す様に歩き始めた。

 結花もそれに合わせて歩き始めた。

 

 今思えば、この時から勘付いていたのかもしれない。

 この子が、何者かという事を。

 ただ、その時は明確な答えは見つかっていなかった。

 それがわかったのは、もう少し後の事だった――。

 

 

 

 

 

 ケース� ,�化け屋敷

「グアアァァーーーー!」

「あはははははははは!」

「………」

 …一応説明しておくけど、一番上がお化け役の人、二番目が私、三番目が結花。

 そこ、明らかに場違いだと言うなかれ。

 

 しばらくして。

「……はーっ、面白かった。ここってお化け屋敷としては最低だけど、ある意味最高だわ! これだからB級お化け屋敷は最高よね!!」

 そんな何でもB級が大好きな私はそう言ってもう一度お化け屋敷を見てみた。

 入り口にいた係員が面食らった顔で私を見ている。

 きっと私の反応が予想外だったのだろう。

 そりゃそうだ。普通お化け屋敷は驚かすためにある物。

 それを大声で笑いながら歩く人は普通いない。

 私は『してやった』と思いながら結花の顔を見る。

 結花は何故かお化け屋敷を出てから、いや、お化け屋敷に入ってから俯いたまま何もしゃべらない。

 顔が恐怖で青ざめているわけではない。

 完全な無表情だった。

 何を訴える事がない、完全な、無表情。

 私は、結花に声をかけてみた。

「結花…?」

「ぅえ!? な、何!?」

 私が声をかけると、意識が現実に戻ったようだ。

 慌てて私に顔を向ける。

 それにしても慌てすぎ。

『ぅえ!?』て、かなりみっともない。

「いや、あなた、お化け屋敷に入ってから何か元気がなかったから…何かあったの?」

「あ、い、いや、何でもない」

 その慌て様は、明らかに『何でもない』とは思えなかったが、まあ、深く追求する事もないだろう。

 私はそう思い、立ち上がり次へと向かった。

「あれが、今の――」

「結花? 行くよ?」

「あ、うん」

 結花は慌てて私の後を付いて来た。

 それにしても、今結花が言った『あれが、今の――』という言葉。

 詳しくは聞き取れなかったが、一体何を意味するのだろう。

 

 

 

 ケース�◆.瓮蝓璽粥璽薀鵐�

「うわーーはっはっはっはっ!」

 結花は子供らしく凄く眩しい笑い顔をしながら木馬の上に乗って楽しんでいた。

 ちなみに、私は結花の後ろに乗っている。

 何となく恥ずかしいが、まあこれはこれで楽しいので、よしとしよう。ギリギリで。

 何となく認めたら負けのような気がする。

 何に対しての負けかは知らないけど。

「夜夢お姉ちゃん! 楽しいね!」

「う、うん、楽しいね」

 でも、この笑顔を見せられていては何も言えなくなる。

 正直、既にこの勝負は決まっていた。

 何に対しての勝負かは知らないけど。

 

 

 

 ケース�� ジェットコースター

「い、いやぁーーーーーーーーーー!!!」

 全くと言っていい程気品の欠片もない私の叫び声が園中に響き渡る。

 ジェットコースターが上に上がったり下に急降下したり―――

 その度に私は中から何かを戻しそうになり、それに耐える。

 それをずっと繰り返していくうちに、そのうち耐えきれなくなり、完全に放心状態になった。

 もう何も聞えないわ…。

「きゃははははははは!」

 激しく前言撤回。

 隣から結花の笑い声が聞える。

 それは、心の底から楽しんでいるという証だった。

 正直、これを楽しむその神経が私には理解しがたいわ…。

 私はそう思い、意識を失っ……てはいけない!

 放心にはなっても、意識だけは…意識だけは……っ!!

 私はそんな死線を必死に潜り抜けながら残り時間を耐えきった。

 

 そして、終了。

「フ、フフ、フフフフフフ…今回は、私の判定負けのようね! でも…今度は負けないわ!!」

「よ、夜夢お姉ちゃん…?」

 私の訳のわからない宣戦布告に、結花のみならず他の客も係員も怪訝な顔で私を見る。

 この後、かなり恥ずかしくて顔を真っ赤にして結花の手を掴んでその場を逃げ出すように走っていったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで二人で遊びまくった。

 そして、時間はあっという間に過ぎていった。

 気が付くと、もう既に夕方。

「ああ…もうこんな時間だね、夜夢お姉ちゃん」

「うん…時が経つのは早いや」

 私と結花は真っ赤に染まった空を見ながら呟いた。

 そういえば、こうして遊びまくったのは久しぶりかもしれない。

 長い事、余裕がなかったから。

 必死だったから。

 だから、こうやって遊びまくった時、凄く楽しかった。

 なんだか、心が少しは軽くなった気がする。

 私がそう思っていると。

「夜夢お姉ちゃん」

 結花が、私の服の裾を引っ張ってくる。

「何?」

「今日…凄く楽しかった。本当に、ありがとう、夜夢お姉ちゃん」

 その目は、何だか潤んでいたような気がするが、私は気に留めなかった。

「いいえ。私も久々に楽しく遊べたし、おあいこよ」

 私はそう言うと、結花は顔を伏せた。

 何かあったのかと聞こうとすると、何かか細い声が聞えてきた。

「あの…お願いがあるの…」

 その声はとても小さかったが、私にははっきりと聞えた。

 お願い?

「何? 何をお願いしたいの?」

 

 

「実は―――――…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 私は、家に帰宅するなり、すぐにシャワーを浴びた。

 その後、テレビを付ける。

 そこでは、お笑い芸人たちが何かネタをやっていた。

 会場は大盛り上がりだったようだが、私は、それを笑う事が出来なかった。

 どうしても、最後の結花が去り際に言ったあの“お願い”が頭から離れなかったのだ。

 

 

“10月△日、××県○×市の桜の木がある山に来て”

 

 

 私は、『はいわかりました』と言う事が出来なかった。

 どうしてもあの丘に行くことには抵抗があったから。

 結花は、無理に来なくてもいいからねといってその場を去っていった。

 私は分からなかった。

 もちろん、その桜の木がある山に今頃行く事に対する戸惑いもあった。

 だが、何よりなぜ結花があの山のことを知っていたのかが分からなかった。

 あの桜の木の山は、あの町にいる住民らも少ししか知らない、私と縁しか知らない、いわば穴場スポットなのだ。

 それがなぜ、顔も知らないあの子が知っていたのか。

 顔も知らない――――?

 いや、どこかで会ったような気がする。

 あの時。

 初めてあの子に会ったあの時。

 手を握った時。

 お化け屋敷の時の、あの台詞。

 なぜか、それぞれに奇妙な物を感じた。

 何を感じた?

 あの子の違和感。

 何を感じた?

 なにか懐かしい感じ。

 何を感じた?

 あの子を、以前から知っている感じ。

 何を―――

 

 

 

“あれが、今の――”

 

 

 それを思い出した時、ハッと気が付く。

 確か、あの子の指定してきた日。

 それは、縁が亡くなった日。

 それを思い出した時、完全に確信した。

 そうか、あの子は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一ヶ月後。

 10月△日。

 私は、あの子が言った、そして全ての始まりと言えるあの桜の木がある山へと向かっていた。

 久しぶりに帰ってきた私を待っていたのは、ぜんぜん変わらないその町並みだった。

 人は数人しか通らない、車も数台しか通らない、お世辞にも“都会の町”とは言えない田舎の町。

 私はそれを見たとき、私は自分自身に失笑した。

 まさか、ここに再び足を踏む事になるなんて―――。

 だが、逃げる訳には行かない。

 今更ここで逃げるなんて、許されるはずがない。

 あの時、結花は無理して来なくてもいいからねと言った。

 だが、あれは逃げるのを拒否しているのと同じだった。

 嫌でも来なくてはいけない。

 たとえ、どんな事があろうとも。

「さて…行きますか」

 私はそう言い、歩き始めた。

 あの子が待つ、あの山へと。

 

 

 

 あそこの山は、確か小学校の裏に位置する、いわば裏山。

 私は今、そこの前に来ている。

 私は、7年振りにこの山を登ろうとしている。

 この先に、あの子がいる。

 確証はないが、確信はある。

 きっと、あの子が―――。

 私は、意を決して、第一歩を踏み出した。

 

 

 しばらくしてとうとう山の頂上に到達した。

 小高い山なので、そんなにも苦労するほどでもない。

 頂上には、一本の桜の木が青々として堂々と立っていた。

 そして、その木の根元に――。

「あ、夜夢お姉ちゃん。来てくれたんだ」

 結花がいた。

 いや、結花じゃない。

 私は、一つ溜め息をついて言った。

「いい加減、正体を表したらどう?」

 その名を。

「神無月縁」

 

 

 

 結花は…いいや、縁は止まったまま動かない。

 私を―正確に言えば私の目だけど―を見つめたままだった。

 その目は、私と初めて会った時と同じ、見据えた目だった。

 しばらくして、縁は目を閉じて、後ろ頭をポリポリ掻きながら、少し微笑んだ。

「はは…流石夜夢。やっぱり気付いちゃったか」

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「何?」

「どうして…“ここ”にいるの?」

 そうだ。

 なぜ、縁が“ここ”にいるのか。

 縁は、確か死んだはず。

 縁は、静かに頷いた。

「……うん。私は、あの時あなたと最後に別れたとき、交通事故で死んだ。そして、今の私は、時が止まった霊体なの」

 確かに、縁は死んでいた。

 それが、なぜ――。

 私が考えていると、縁は突然話し始めた。

「私は、卒業して、あなたと一緒にこの桜を見てみたかったの。それが、突然死んでその夢が潰えた」

 縁がそれを話している間、少し寂しそうにしていたのを私は見逃さなかった。

「正直、私は、それでも良かったと思ったの。それも運命の一つだと思ったなら。でも、一つの心残りが、夜夢の事だった」

 縁は、再び私に目を向けた。

 その目は、先程の見据えたような目じゃない。

 少し寂しそうな目。

「私が死んでから、あなたはずっと一つの“希望”に縋り付いて生きているのを知った時、私はとても悲しかった」

 縁が悲しんだ?

 私のせいで?

「私のせいで、夜夢が苦しむ姿を見て、私はどうしても見捨てる事が出来なかった」

 私のせいで、縁が“ここ”に留まっているのか?

「私は、あなたを苦しみから“卒業”させてあげたかった。だから、“ここ”に留まって、その機会を待ったの」

 私が、縁をここに留ませているのか?

 私が、しっかりしていなかったから。

 気が付いたら私は泣いていた。

 自分の不甲斐なさに。

 親友に死んでまで心配させてしまった、意気地なしな自分に。

「縁は…ずっと…私の事を…見ていてくれたんだ…こんな…私を…」

 涙はずっと流れ落ちて、留まる事を知らない。

 縁はそっと私に歩み寄って、少し背伸びして私の頬を撫でる。 

「うん…。夜夢、そろそろ卒業しよう? この苦しみから」

 縁は、私の涙を拭いて。

 

 

「もう……あなたがこうやって苦しむ姿を…見たくない…」

 

 

 その一言で。

 私は、完全に地面に崩れ落ちた。

 私は、ずっと縁の事を思い出さないようにしていた。

 それは、ただ単純に、縁の死を認めると、私の心の支えが無くなる。それが怖かったからだと思っていた。

 だけど、それは間違っていた。

 死は、“無くなる”事ではない。

 いわば、この世からの“卒業”。

 それと同時に、あの世への“入学”でもある。

 そして、残された人たちは、それを受け止め、そして未来へと“入学”する。

 それが、当たり前だった。

 なのに。

「は……はは……」

 私はバカだ。

 7年間ずっと未来への“入学”を拒んでいた。

 それは、ただの我が侭だ。

 子供が、学校に行きたくないのと同じだ。

 ただ、現実が怖くて、“入学”するのを拒んでいた、ただのダダっ子だ。

 いい加減、私も“入学”しないといけない。

 未来へと。

 私の為にも…縁の為にも…。

 

 

 

「やっと…分かってくれたんだね…夜夢…」

 縁は、私の考えが分かったのか、とても嬉しそうに言った。

 その顔は、少し涙ぐんでいた。

「うん……ごめんね…心配かけて…」

 私は、立ち上がり、少しぎこちない笑顔を見せた。

 それでも、縁は満足そうに私の顔を見た。

「ううん…夜夢がこうやっていい笑顔を見せてくれてんだもの…わたしも…“ここ”に留まった甲斐があったわ…」

 そういった縁の体は、少し透け始めていた。

「縁…?」

「私も…そろそろ“入学”しに行かなくちゃ…」

 そう言っている間に、縁の足は、見えなくなっていた。

 きっと、私、『邑雲夜夢』という“未練”が無くなったからだろう。

 ここに留まる理由が、無くなったからだ。

「夜夢…昨日の…遊園地…凄く楽しかった…あの時の…ジェットコースターの夜夢…凄く面白かったよ…」

 ジェットコースター…? ……あっ!

 私は、昨日、ジェットコースターに宣戦布告した時の事を思い出した。

 あの時は、凄く恥ずかしい思いをした記憶がある。

 ……もしかしたら、あれは私にとっての“未練”になってしまうかもしれない…。

 少し後悔した。

 私は縁に『もう』と、少し怒った振りをすると、縁はクスッと笑った。

 そして、大粒の涙を流した。

 それと同時に、私も。

「ねえ……最後に…一つ…お願いがあるの…」

「お願い…?」

 お互い、涙のせいでうまくしゃべれない。

 それでも、私は精一杯、縁の言葉に耳を傾けた。

「私に……英語を…一つ…教えて……結局…習わなかったから…一つ…だけ…」

 そうだった。

 縁が中学に思いを馳せていたもう一つの理由。

 それは、英語だった。

 中学に行ったら、英語科が追加される。

 それが、凄く楽しみだと。

 私は、桜の木を見て、少し考え、そして言った。

 

 

 

 ――I wish cherry blossoms in your heart full−blou and reach to the heaven.

 

 

 

 私が言い終えると、縁は満足そうに。

「ありがとう…夜夢…」

 泣き顔なのに、とても嬉しそうに。

「あなたと出会えて…本当に良かった…」

 縁の体は、もう殆ど見えなくなっていた。

 私は、縁に抱き付いた。

 もう、触れる事は出来ない。

 でも、確かに縁の温もりは伝わってきた。

 とても、とても暖かい、温もりが。

「夜夢…とても暖かい…」

「私もよ…縁…」

 私は体を離すと、縁は、大粒で泣きながら、でも、誇り高く笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さようなら…夜夢…」

 それだけ言うと、縁の姿は完全に消えていった―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に残された場所は、ただ風が吹いていた。

 遠くを見ると、凄くのどかな町並み。

 こういう風景を見ると、今までの事が夢のような気がしてしまう。

 でも、私の手には、縁の温もりがまだ残っていた。

 これが、夢ではないと言う事を証明してくれる。

 きっと、縁はあっちでも元気にやっていくだろう。

 死人が元気に、というのも変な話だが。

 私はその場を離れようとした時、私の手に何かが触れた。

 それは、ピンク色の花びらだった。

 何か、見覚えのある形の花びら。

 私はまさかと思い、後ろを見ると――――。

 

 

「さ、桜の木が…!」

 

 

 そう。

 10月というのに、なんと桜の花が咲き乱れていた。

 先程までの青々とした木とは思えないような、立派な桜。

 まるで、あの日の桜のような、誇り高い桜。

 私は思った。

 きっと、この桜は、あの子が…縁がくれた最後のプレゼント、縁の魂そのものだと。 

 私は、ずっとその桜を見ていた。

 縁…私からも…ありがとう…あなたと会えて…本当によかった…。

 私は、再び泣いた。

 でも、今度の涙は、7年前の悔し涙ではない。

 縁と一緒に見れた、嬉し涙だった。

 きっと、縁は、ずっと見ていてくれている。

 私は、がんばろう、そう思った。

 そして、桜の花びらは、いつまでも舞い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 私は7年振りに縁の通夜に参加した。

 縁の親類の者は、私の姿を見て、様々な反応を見せた。

 戸惑っている人。

 しかめっ面の人。

 何も反応が無い人。

 でも、私の両親と、縁の両親は、凄く嬉しそうに笑った。

 私はそんな四人を見て、心からの笑いを見せた。

 

 

 そして、翌日。

 私は、実家に泊まっていた。

 起き上がって、居間に行くと、そこにはテーブルを囲って座る私の両親と縁の両親がいた。

 四人は話し合っていた様だが、私が居間に入ると、途端に私の方に顔を向けた。

「「「「あ、夜夢(ちゃん)、おはよう」」」」

 見事にシンクロしている。

 恐るべし同調力。

 私は、とりあえず私の母の隣に座った。

 その隣にいた母は私に言った。

「それにしても、驚いたわね。まさか夜夢が本当にここに来るなんて」

「そうだな。ここ7年間頑なに行こうとしなかったくせに。一体どんな風の吹き回しだ?」

 父も私に言った。

 私はその二人の言葉を聞いて苦笑した。

 来いと言ったのは自分たちのくせに、いざ来ると凄く珍しがられるとは…。

「……悪かったわね、行かなくて」

 私は一つ溜め息をついて。

「…ただ、縁の為を思っただけよ」

 私はそう言った。

 四人は少し首を傾げたが、四人は満足そうに私を見た。

 そして、縁の両親が、私に言った。

「まあ、なにわともわれ、こうやって夜夢ちゃんが来てくれただけで、私達は嬉しいよ」

「そうですね。きっとあの世で、縁も喜んでくれているわ」

「喜んでいる、か…」

 私は思い出していた。

 縁が最後に見せてくれた、あの誇り高い笑顔を。

 きっと喜んでいてくれているだろう。

 あの反応を実際に私は見たのだ。

 きっと、喜んでいてくれている。

 そして、縁は、今日も“あの世”という名の“学校”に“登校”しているだろう。

 そして、私も。

 “未来”という名の“学校”に“登校”している。

 あの子が死んで、7番目の、『7th』の年、“入学”して。

 そして、“登校”している。

 きっと、この先、私が“登校拒否”する事は、決してないだろう。

 きっと、私が死ぬまで―卒業するまで。

「そういえば、夜夢ちゃん。この記事の事、何か知らない?」

 縁の母はそう言って、私に一つの新聞をくれた。

 その一部を見てみると、昨日、見事に咲いた桜の記事が載っていた。

 その記事を見ると、『季節外れすぎる桜の開花』とあった。

 実は、この桜については、昨日から速報として流れていた。

 原因が分からない桜の開花。

 それも、これ一本だけ。

 一部では、異常気象の影響か、とも囁かれていた。

 でも、私には分かる。

 前にも言ったが、この桜は、縁の魂そのものだと。

 きっと、この桜は、しばらく咲き乱れる事だろう。

 そして、来年の4月になれば、また何事も無く咲き乱れるだろう。

 確証は無いが、確信はある。

 私が新聞を読んでいると、一つの文章に目が止まった。

『あと、この桜の木には、何か英語のような文が彫られていた。その文章は―――』

 その文章は、正に私が教えたままの英文だった。

 縁は本当に、心の底から嬉しかったんだ。

 英語を教えてもらった事が。

 私はそう思い、涙が流れかけた。

 その時。

「? 夜夢、何か知っているの?」

 突然、私の母が声をかけてきた。

 気が付くと、母だけじゃなく、他の三人も私を見ている。

 私は涙が流れるのを堪えて、平気な顔をして。

 

「いや、知らないわ」

 笑いながら、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべての生き物は、いつか“この世”という“学校”から“卒業”しなくてはならない。

 それが、どんな時であろうとも。

 そして、“あの世”という“学校”に“入学”しなくてはならない。

 場合によっては、幼い頃から“あの世”に“入学”する事もあるし、

 年老いてもずっと“この世”に“登校”しているのかもしれない。

 この“学校”は、校則は無い。

 時間割も無い。

 教科書も無い

 教師もいない。

 何も無い。

 人間たちがどう過ごすか、それ自体が校則であり、時間割であり、教科書であり、教えられている。

 それぞれ自分の“信念”という校則があり、“予定”という時間割があり、“意思”という教科書があり、“親”という教師がいる。

 きっと、縁も。私達も。

 いや、私達だけではない。

 全部の生き物が、それぞれに“登校”している。

 私は、きっとそれを忘れない。

 絶対に。

 きっと、あの桜も、ずっと見守ってくれるから。

 私は、生きる。

 縁の為にも、私の為にも。

 生きていく、“未来”という名の、“学校”に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――I wish cherry blossoms in your heart full−blou and reach to the heaven.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――天まで咲かせ、君の心の桜よ。