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クロノドライブに突入直後、ドライブアウト時の敵の待ち伏せに備えてエンジェル隊のミーティングが開かれた。
「これが、ドライブアウト予定宙域の地形だ。敵が待ち伏せているとすればここ、この大きな隕石の陰に隠れているはずだ。
規模については、今までのパターン通りだとすればおよそ1艦隊規模。大型戦艦が2隻に重巡洋艦が4隻、駆逐艦が……」
スクリーンにシュミレーションプログラムを映し出しながら、レスターが淡々と説明している。
だがエンジェル隊のメンバー達は上の空だった。いや、聞こうとはしているのだが頭に入ってこない、と言った方が正確かも知
れない。それどころではない状況が、正にそのスクリーンに映し出されていたのだ。
紋章機を表す三角の表示が、レスターの説明に合わせて動いている。だが、その三角が、5つしか無いのである。
「要注意なのは敵の増援だ。対処はいつも通りカンフーファイターとラッキースターに当たってもらう。増援を確認次第、2機
は前線を離脱、エルシオールを経由して補給を済ませた後に敵に当たってもらう。前線維持はハッピートリガー、サポートとし
てトリックマスターとハーベスタ-がこのように……」
ミルフィーユはちらりと横を見る。ちとせは顔色を失って、スクリーンを穴が開くほど凝視していた。レスターはことさらに彼
女を無視している様だった。まるで、ちとせなどそこに存在していないかのような素振りで、淡々と説明を続けている。
やがて、説明が終わる。
「……と、以上だ。何か質問でもあるか?」

かたん

椅子が鳴った。
ちとせが立ち上がっていた。
「……何だ? 烏丸少尉」
面倒くさそうに問うレスター。
ちとせは涙の滲んだ目でレスターを睨みつけている。きつく唇を噛み、握り締めた拳を震わせて。
「……そんなに……」
喉の奥から声を絞り出す。
「そんなに私は……役に立ちませんか……」
だがレスターは、あっさり目を逸らすと、涼しげな顔で言った。
「ああ、そういえば烏丸少尉への指示を忘れていたな。そうだな、自室で待機していろ。別に寝ていても構わんぞ。以上だ」
自室待機。紋章機に乗ってすらいなくていいと言う。
それは明白な、戦力外通知だった。
「どうして……っ!」
どうして。それならあの過酷な訓練の日々は何だったのだ。罵りに耐え続け、毎日深夜3時まで起きて課題をこなし続け、無
理に無理を押して実戦を戦い続けてきたのは何だったのだ。
皇国のために役立ちたいから。優しくしてくれる先輩達と一緒に居たいから。この苦しい毎日を耐え抜けば、その願いが叶う
と信じていたから。だから今まで頑張ってきたのに。
なのに……!
「納得いかないね」
ここへきて、ついに我慢の限界に達したか。フォルテが腕組みして声を荒げた。
「そうですわ。現場の同僚として、きちんとした説明を要求します」
ミントも柳眉を吊り上げている。
「見せしめのつもり? 自分の言う事聞かないからポイってわけ? サイテー!」
「ひどいです副司令! 見損ないました!」
ランファとミルフィーユも立ち上がり、レスターに詰め寄る。
ヴァニラだけが、沈黙を保ったまま静かに座っていた。
「……ふん。優しい優しい先輩方にかばってもらえて幸せだな、烏丸少尉」
レスターは嘲笑を浮かべてちとせを見やる。
「どうせ次の戦闘時はヒマだろう、先輩方のまかないでもしていたらどうだ」
「ちとせに振るんじゃないよ。いま話してんのは私達だ。こっち向きな」
フォルテがレスターの襟首を掴んで、自分の方に向かせる。
「……君には失望したぞ、シュトーレン大尉。仲良しで戦争に勝てるんなら苦労はしない」
「こっちのセリフだね。あんたはもうちょっとマトモな男だと思ってたのに。ちとせは戦える、それはこないだの戦いでハッ
キリしてる。あんたの立てた作戦の方が間違ってるんだ。ちとせはあんたの部下だが、私の部下でもある。部下の力を存分に
発揮させられないような無能な上司に、これ以上好き勝手させられないね」
フォルテに続いて、ミントも口を開く。
「……これまでずっと我慢してきましたが、私ももう限界です。はっきり言わせて頂きますわ。あなたは最低です。人の上に
立つことはおろか、1人の人間として存在すること自体、許されない人間です」
「タクトさんも何とか言ってやって下さい! どうして黙ってるんですか!」
ミルフィーユがタクトに振り向いて叫ぶ。
そこで。
「クックック……」
レスターが不気味な笑い声を洩らした。
「何がおかしいのよ!」
噛み付くように言うランファに、彼は陰湿に含みを持った笑みで答える。
「おかしいさ。これが笑わずにいられるか、なあタクト?」
変に余裕のある態度のレスターを不審に思いながら、エンジェル隊の面々は説明を求める目でタクトを見やる。
タクトは沈痛な面持ちで口を開いた。
「みんな……気持ちは分かるが、仕方が無いんだ。ちゃんとした理由が、あるんだよ」
「えっ」
ちとせを含め、皆が一様に虚を突かれて同じ呟きを洩らす。
「ヴァニラ、あれを」
「……はい……」
タクトにうながされ、それまでずっと沈黙を保ってきたヴァニラが初めて動いた。
机上に積み上げられたファイルや各種資料の中からクリップボードに挟まれた一枚の書類を取り出して、ちとせに手渡す。
「この前の、ナノマシン透析検査の結果です」
5人はちとせの周りに集まって、書類を覗き込む。
そこには、ご丁寧に赤の下線が引かれていた。

『急性網膜異常光彩拡散症』

「ちとせさん。最近、どちらかの目がよく見えないということはありませんか?」
ヴァニラは、いつもの無感情な声で言った。
「あるいは……間違いなく当たるはずの射撃が、当たらないといったことは……」
まさに悩んでいた事を言い当てられ、ちとせは思わず目をむいてヴァニラに振り返った。
そんな彼女に、ヴァニラはあくまで淡々とした口調で説明を始める。
「ちとせさん、あなたの眼は phec―β型といって、常人と比べてかなり特殊な眼なんです」
「ペック……ベータ型?」
「簡単に言うと素晴らしく優れた眼で、静止視力が4,0以上、動体視力も2,0以上あります。それまで医学界でも学説と
してしか存在せず、ごく最近、ほんの数年前にやっと正式に型として認められたばかりです。遺伝子工学の学説では新人類
の眼――――ヒトの眼の進化形として位置付けられ、研究が進められています」
「…………」
「しかし、この型には1つ、致命的な欠点があるのです」
「欠点……?」
そこまで言って、ヴァニラは一旦、言葉を切った。
いや、言いよどんだのである。彼女にしては珍しく、先を言うことを躊躇ったのだ。
しかしそれも一瞬のこと。
「……ある病気に、極めてかかりやすいのです。たいへん奇妙な病気で、あるとき突然、視力が低下を始めます。まるでそ
れまでの優秀さの反動のように、急速に低下していくのです。ちとせさんの場合、右目に発病が見られました」
「――――ッ!」
誰もが息を飲んだ。
その一瞬、ブリッジは何の音も発せぬ真空の空間となっていた。
「……そもそも、phec-β型が発見されたいきさつが、原因不明の失明患者を検査した結果だったのです。臨床例は極めて
少ないのですが、ほぼ1年以内に失明、あるいは弱視となってしまうらしいです」
「そんな……」
ミルフィーユが震える声で呟き、恐る恐るちとせを見やる。
「…………」
ちとせは顔を青ざめさせ、無意識にか、小刻みに首を振っていた。
失明。1年以内に。
突然に告げられた言葉は、事実として受け入れるにはあまりにも残酷だった。
「どうにかして治せないの!? ヴァニラ、あんたのナノマシンなら!」
食ってかかるランファに、ヴァニラは静かにかぶりを振る。
「……人の眼は、脳に続いて繊細な構造になっています。まして新しい型の眼となると、私の手には……申し訳ありません」
その淡白な表情にうっすらと苦渋が浮かぶ。癒しをこそ自身の拠りどころとしている彼女にとって、「何も出来ない」と告
げることはそれこそ身を削られる思いなのだろう。
それを感じ取ったランファは何も言えなくなる。
「何が原因で発病するのかは分かりません。そもそも原因が後天的なものなのか、それとも先天的に発病してしまうものな
のかすら分からないのです。先程も申し上げましたが、臨床例が絶対的に少ないので治療法も確立されておらず……」
そこまで言って、ヴァニラは不意に口をつぐむ。
「…………」
何事か思案をめぐらせ、小さく溜め息をつく。
自分がひどく遠まわしな、曖昧な物言いをしていることに気付いたのだ。
やがて彼女は挑むような目でちとせを見上げ、自身の迷いを断ち切るように言った。
「……はっきり申し上げます。発病してしまった以上、もはや打つ手はありません。ちとせさん、どうか、その時のお覚悟
を……」
重苦しい沈黙が広がる。
誰もが何か言わねばならないと思いつつ、言うべき言葉を見つけられずに居た。
そんな中で。
「クックック……これで分かったか」
いまこの場には余りにも不釣合いな、さも愉快そうな笑い声が響く。
レスターだった。
青ざめているちとせの前に立ち、勝ち誇ったように言い放つ。
「使えないんだよ、お前は! 四の五の言わずに引っ込んでいろ、この役立たずがっ!」
ちとせはとっさに顔を上げる。
今にも泣き出しそうな顔で、それでもレスターを睨みつける。
何か言おうと口を開いては、閉じる。
そして――――。
「……っ!」
身をひるがえし、ブリッジを飛び出して行った。
「ちとせっ!」
後を追うエンジェル隊のメンバー達。
最後尾で出て行こうとしたフォルテが、ドアの前で立ち止まり、振り返った。
「覚悟してなよ……お前」
もはや階級も関係なく、憎悪のこもった目でレスターをねめつける。
「骨の1本や2本で済むと思わないこった!」
だがレスターは余裕を持って言い返す。
「シュト-レン大尉、今のは聞かなかった事にしてやろう。上官に対する脅迫となれば重罪だからな」
「なにがっ……!」
フォルテは唾を吐きかける仕草をし、身をひるがえして走って行った。



ブリッジにはレスターと、タクトの2人だけが残された。
しばしの沈黙。
「レスター……」
やがて、タクトは呼びかける。だが、その声に非難の色は無い。
相手の傷口に触れるかのような、痛ましさを滲ませた呼びかけだった。
「やりすぎだろ、いくら何でも……」
レスターは答えない。
タクトの方を振り返りもせず、沈黙を保つ。
「おい、レスター」
「…………」
ふと、レスターはうつむいて、独り言のように言った。
「タクト、お前も早く行け。遅れて出向くのはあまり良い印象ではない」
「お前は、どうするんだ?」
「俺……?」
やはり振り返ろうとはせず、うつむいたまま答える。
「俺はここに居るさ。当然だろう? 司令と副司令が揃ってブリッジを空けられるものか……」
「……レスター?」
その時になって、タクトはレスターの様子がおかしい事に気が付いた。
言葉遣いが、どこか舌のもつれたようなしゃべり方になっている。わずかだが、頭がグラグラと揺れている。立っているだけ
のはずが、小刻みに何度も足を踏みかえている。
「おい、レスター」
タクトは歩み寄り、その肩にポンと手を置く。
と――――。

すとん

何の抵抗も無く、レスターは腰砕けに床にへたり込んでしまった。
「お、おいレスター!?」
「馬鹿野郎……いきなり何をするんだ……」
弱々しい抗議の声。
その顔を覗き込んで、タクトは息を飲む。目は虚ろ、顔面は蒼白。半開きの口から洩れる呼吸は浅く、尋常でない量の脂汗を
垂れ流していた。
「お前……」
「気にするな……ちょっと、疲れただけだ。それより、早く行け」
「馬鹿、行けるか。とにかく医務室に」
「不要だ。いいからお前は早くちとせの所に」
「なに意地張ってるんだ。ほら」
「タクト」
思いがけず強い力が、タクトの腕を掴んできた。
「もう一度言うぞ。俺は、平気だ。お前は、ちとせの所に行け」
「レスター……」
真剣そのものの目で睨まれ、タクトは思わず動きを止める。
「約束を破る気か? 俺を裏切るのか?」
「裏切るって、そんな大袈裟な……」
ぐい、と胸倉をつかまれる。
フラフラのくせに、一体どこにこんな力があるのか。
そしてレスターが次に言った言葉は、そんな乱暴な態度とはおよそかけ離れたものだった。
「……親友だろ?」
その言葉が意味するところ。
タクトは思わず目をそらし、苦渋の表情で舌打ちした。
「こんなことになるって分かってれば……あんな約束しなかったさ……」
そう言ってレスターから手を放し、立ち上がる。
「こんな時に手も借せなくなるのなら、お前と親友になんか、なるんじゃなかったぜ……」
恨み言のように呟きながら、歩き出す。
「タクト」
ブリッジの出口に向かうタクトに、レスターは呼びかけた。
「ありがとう」
「……馬鹿野郎」
タクトはそれだけ言い、背を向けて自動ドアの向こうに去って行った。






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